第4章 生存者は逆転劇
病院の屋上にいた『CPS』。彼女には一つのことしか見えていなかった。そんなとき、彼が現れる。主人公は、遅れてやってくる。
第4章 生存者は逆転劇
「……ん、ぐっ……」
目が覚めて、身体中が痛いことがわかる。生きている。生きている……そう、死んでない。
最悪の目覚めだったが。
「くっ、ふぅ……っ」
吹き飛ばされて、地面に叩きつけられたようだ。全身複雑骨折……生きているのが不思議だが……とにかく、命はあった。
平等濾過に、命はあった。
そして、立ち上がる。
よろけた足で、踏ん張って、立つ。
痛い。痛い。体が、全身が、痛い。
そんな時は行かなくちゃ。そう、あの場所に――行かなくちゃ。
……病院に。
あの病院に、行かなくちゃ。
病院。病院……。
そして彼女は歩く。彼女の望む方向へ。
魔法で自らの傷を癒しながら。それでもぼろぼろな心身を引きずって。
「濾過……さん」
「やっぱり……ここなのね。あなたの『始まりの場所』って」
屋上から現れた人影は、平等濾過……または『CPS』と呼ばれる彼女だった。薄い青の髪。ぼろぼろな服。虚ろな瞳。
生きてたのか、と鞠は思った。そしてすぐに、『そうであってもかまわない』と思い直した。
魔法が存在する世界なのだ。
人の生き死になんて……それほど、関係はないのかもしれない。
「…………」
濾過――『CPS』――彼女は、黙って、二人を見つめる。
「久しぶりね……『CPS』。ニュートンの家、以来かしら?」
「……あれ以来、会うのは初めてね。『A』……あなたは、とても世渡り上手だったのね」
彼女は、応えた。『A』の言葉に、応えた……鞠の言葉には、一切反応しなかったのに。
「ニュートンの家……? 二人は……」
旧知なのだろう。
以前、何らかの交流が、あった。
『魔法行』の領主と。
『魔法行』の逃亡者が。
「そんなに過大評価されても、嬉しくはないわ。あなたは私とは比べ物にならないくらい、勤勉だった。……あの件以来、本当に誰とも口を聞かなくなるほど」
「……。そうね。そんなあなたを軽蔑していなかったとは言わないわ」
「軽蔑してくれて結構。実際、私は特に何もしていないから……おこぼれを、もらっただけよ」
「おこぼれ?」
はんっ、と彼女は笑う。
「運命を操る魔法使いが、その力をおこぼれでもらったですって? 笑っちゃうわ。……ああ、あんたはそういう家系にいたのよね。くく。あんたのそれは、ただのハッタリよ」
彼女は断言する。
「実際操ったように見せて。変えたように見せて――実のところ、何もやっていない。そりゃそうね。誰にも、確認のしようが無いんだからね」
「まあ、そう思われたって仕方はないかな。……
実際、何もできなかったしね。こんな有様になった『魔法行』をどうにもできないくらいには」
――どうにも、できなかった?
運命を操る魔法を持つ魔法使いが――できなかった?
それは、この『魔法行』の崩壊を止めることは、不可能だ――ということか?
不可能だなんて、そんな――。
「へぇ、操れなかったんだ。そりゃそうだわ。あんたのハッタリ魔法が、この世界に通じる訳ないもんね……」
「…………」
『A』はここでは何も答えない。反論できるけれど、あえてそれをしてないような感じだった。
反論しても、無駄だと思ったのだろう。
そりゃそうだ。この状況をどうにかできるならば、もうすでにどうにかやっている。今この状況が存在しているということが、何もできないことの逆説的な証明になる。
「運命を操ることなんて不可能なのよ」
『CPS』は言った。
「魔法は『魔界』の力を利用した、ただのエネルギーの移動。それを応用して時空移動も可能となる。だけど……運命を操ることはできない。これは実験により明らかだわ」
不思議の国での話だ。
あの時、アリスは時計を持った白ウサギを目撃している。その時すでに時計をアリスは持っていた。つまり、白ウサギが過去から、未来であるその当時へと時空移動したということだ。そのまま未来でアリスから逃げ切れば、時計を守ることは可能だった。しかしながら、白ウサギは過去に戻らざるを得なかった。自発的に戻ったのには違いないのだが、それ以外での解釈も可能だ。つまり、運命的に――アリスに時計を奪われなければ、アリスが時計を持っているのはおかしくなる。だからこそ、白ウサギは過去へ戻る運命だった、と言える。
「結果論? ええそうよ。その通りよ。この世界は結果しか出てこない。運命は最初から決まっている。時空移動さえ! いつどこで誰がどの時空に移動するか? そしてそのあとどうするか? ……決まってるのよ。全てがシナリオの上で。神様とやらの――シナリオの上に。だから、パラドックスは起きない。運命は、変えられない……最初から、最後までね」
「……全部、シナリオの上、かぁ」
『CPS』の言葉を受け、『A』は相槌を打つ。
「確かに、そうなのかもね。私が運命を変えるということすら、運命……。そういうことなのかもしれないわね」
「…………」
二人とも、何だか観念的な話をしてきた、と鞠は思う。難しい話だと。運命? ……考えてはいたテーマだが、ちゃんと思考したことは無い。混乱するから。
……その点でいくと濾過さんは――思考してきた、ということだろうか。もちろん、『A』も。
「……ごめんなさいね」
唐突に、『CPS』は謝る。
「……何が?」
「あなたの『魔法行』をこんなにめちゃくちゃにしてしまったこと。あなたに謝るわ。……でも、取り返しが付かない。償えない。だから……償わないわ」
「……結構。償わなくて。悪いのはあなた。完膚なきまでに。でも、今この場所に、罪に罰を与えることの出来る人間はいないわ。そして、永遠に、いないでしょうね……」
「久しぶりよね。こんなに話すの」
「本当。昔はそんなんじゃなかったのに」
「根本の部分は変わってなくて、逆に安心したわ」
「あ、あの! 濾過さん!」
意を決して濾過に言葉を投げかける鞠。
「……何?」
「……っ。い、……生きていたんですね。」
あまりにも普通に――いや、普通では無いのだけれど――返事をされて、少し戸惑う鞠。
「……そうね。生きてたわ。胸に……あまり深く刺さらなかったみたいだからね。爆発の衝撃で、気は失ってたけど」
「――す、すみませんでした……」
「……ああ、くす。謝る必要はないわ。むしろあなたは……私を殺すべきだったんじゃないの?」
「それは……」
否定、できない。
『3N』は、殺された。目の前で。そうでなくともたくさんの人間が、この『CPS』によって殺されている。
法律では死刑をまぬがれることはない。
つまり、殺さなければならない。
殺すために戦っても――良かったのだ。
「――良く、ないですよっ。二年と、少し。一緒に暮らしてきたじゃないですか! 楽しかったですよ! それが……どうして……」
鞠の目尻に、涙が浮かぶ。落ちる。
「どうして……こんなこと、したんですか……?」
少し前に、聞いたことだ。その時は、会話は成立しなかった。
「……ねぇ、鞠ちゃん」
今は、成立していた。
――その人格は、まるで濾過ではないけれど。
鞠の知っている、優しくおちゃらけた濾過ではないけれど。
さらに言えば――飄々としていた時の『CPS』とも違った。
『ELSE』戦闘後、轆轤と接触前――そのときの、彼女。そのときと同じ、心。
「鞠ちゃんは……自殺、ってどう思う?」
「……?」
自殺。
自分を、自分で殺す。
「答えて」
「え……っと。ん……」
どう思う?
「い……今、それをしようとするんだったら、止めますよ」
「…………」
彼女は何も言わない。求めていた返答と、違ったようだ。
「私は、駄目だと思います」
「何で?」
間髪入れずに聞いてくる。
「人が死ぬのは……そもそも駄目だからです。そんなことしたら、悲しいから……」
「……そうよね」
彼女は言う。
「本当はそのくらい単純なのよね……正義って。でもね、鞠ちゃん」
「…………?」
鞠は次の言葉を待つ。
「……いえ、何でもないわ」
「な、何でもないって……!」
「ふふ。だって、答えが予想できるんだもん。質問する意味は無いわ」
「い、意味がないって……」
――本当はどうなのだろう? 本当は、自分の論を否定されるのが、怖いのではないか? 鞠はそう思わずにはいられなかった。
彼女は次に、何を言おうとしていたのだろうか?
その返答が、予想できたからこそ、言うのをやめた……?
わからない。
濾過さんが何を考えているか、わからない。
「無駄よ。マリア」
『A』は言った。
「今のあいつに、何を言ったって無駄。論破できるなんて、説得できるなんて考えちゃだめ。確かに、正義の考え方からいくとそうした方が断然良いわ。でも、正義が正しいからといって、人間が正しいとは限らない。……ええ、もう、あいつは……正しくないのよ。言っちゃあ悪いけど」
「正しく……ない?」
「正しいわよ」
『CPS』は反論する。
「間違っているものなんて、存在しないのよ。すべて物理法則に従い、すべて魔法に従う。ただそれだけ。そこには一切の例外はない。あなたたちが、勝手に正義だとか倫理だとか打ち立てるからこそ、そこに間違った存在が生まれてくる。正しい正しくないの基準を作ってしまうと、こうなってしまうのよ……」
……屁理屈だ。
人間は、人間のルールを守らなければならない。それが人間としての矜恃だ。プライドだ。それを捨ててしまったら、もはや人間ではない。そう、鞠は考えた。
「社会のルール? 必ずしも守れるとは限らないルールを作って、守れなかったらはじき出される? ……はじき出されはしなくても、そのスキャンダルを背負いながら、苦しみながら生きる? ……そっちの方が理不尽だわ」
屁理屈だ。
屁理屈なのだ。
言い訳をして、自分がやったことを正当化しようとしているに違いないのだ。
しかし、鞠は何も言い返せない。
論破しようと思っても――できない。
効く気がしないのだ。
「……分かるかしら? この理不尽さ。ルールを守るか、犯すか。それは偶然にも左右されるの。偶然なのよ。完璧な偶然。ミゼンニフセゲタハズダなんてふざけんじゃないわよ。それがわかってたなら苦労はないんだよ! 幸運を努力みたいに言うな! 不運だと嘆く者をを怠け者だと解釈するな!」
悲痛だ。
悲痛な叫びだ。
鞠は唇をきゅっと噛む。涙がこみ上げてくる。
「ああそうだなお前ならやれたろうさ! 私より断然うまい方法で! 後に禍根を一切残さないような! 誰も罪を背負わない方法があったろうさ! でもな! 私にはああするしかなかったんだよ! ああするしかできなかったんだよ! それで私が悪いってか? 私の心が傷つけられたのは、私が悪いからか!? ああそうだよ私が悪いかもしれないよ! でもそうじゃないだろ。そうじゃないだろ! 私だってつらいんだよ! 何もできなかった自分が不甲斐なくて仕方ないんだよ! そして! 過去は――変えられないんだよ!」
運命は――変えられない。
ぽろぽろ落ちる涙で、鞠の袖と手は濡れてきた。『A』は拳を握りしめ、黙ってそれを聞いている。
「……どうしようもないのよ。心に突き刺さったまま、抜けないのよ。つらい……もう、つらいわ」
「……ろ、かさ……」
どうすればいいんだろう?
「魔法でも、それができない。もう、どうしようもないのよ。過去の出来事に、どうやって償えばいいの? そもそも私は何に償えばいいの? ははっ……こういうときって、悪者になれば、すっきりするのかしら。世界を支配したり、世界中に不幸をばら撒いたり……よくある話よね。でも、心って難しいわよね。そう簡単に割り切れなんかしない。良心が私が堕ちるのを妨げる。だから……ねぇ、二人とも」
彼女の足が動く。
足元に零れたシミを超えて。
「……ごめんね?」
彼女は飛び降りた。
鞠は反応に遅れた。
『A』も同様であった。
重力加速度は、想像以上に大きい。だから、二人には彼女が地面にたどり着くことを止めることは出来なかった。
それが、ルールだから。物理法則。魔法。世界のルールは、彼女の飛び降りを止めることが、出来なかった――
「ははっ――謝る必要なんて、どこにもねえさ。なれよ――悪役」
――それは、喜劇のようで、歌劇ようで。何もかもを打破するための、奇跡のご登場だった。
血まみれの服を身に纏い、そうでありながらにやついたような笑みを浮かべる、絶望さえどうでもいいと言わんばかりの――平等轆轤だった。
「どうしようもない? なら捨て去れ。いちいち覚えてちゃあそっちの方がどうしようもねえ――」
「ろ――轆轤くん!」
「悪りぃ。指輪買ってきてたから、遅れた」
平等轆轤。彼は空中で、彼女を受け止めていた。
平等濾過を――受け止めていた。
突如現れた、救世主のように。
「っはははは。もしかして濾過、俺が死んだかと思ってたのか?」
さも当然であるかのように轆轤は言った。着地し、地面に下ろしたときから腰を抜かしている濾過に向かって。
「……まーあの時確かに俺は死んだ。あの出血で生きていられる、只の人間はいねぇよ」
「死んだ……そうよ、そう! 死んだんじゃなかったの!?」
『A』は驚いたように轆轤に言う。
あの時、『A』は外界の情報を拾っていた。その中で、平等轆轤の死について――テロではないか云々――の情報があった。だからこそ、濾過が攻め込んできたのだと理解していたが――。
「ったく、人の話を聞けよなぁ」
そう、轆轤は返した。
「だから俺は死んだんだよ。あの時銃に撃たれて。ついでに言うと、ここにくる時にも一回死んだ。高過ぎんだよ、ここは。でもまあ、ただの民家の地下に、こんなだだっ広い空間があるだなんて、面白かったけどな」
不思議の国のアリス。
そう、『魔法行』は不思議の国がベースになっている。本の領主というものを考えれば、それは至極当然なことだ。あれが受け継がれて、ここまで来たということは、つまりそういうこと。
不思議の国のアリス。
別名、地下の国のアリス。
「ま、魔法でどうにかしてるんだろうけどな。地面の端が無いのを考えれば、それしかねぇけどさ。なんだぁ? 非ユークリッド空間ってわけかぁ? 地球みたいに丸かったって考えれば説明が付きそうだが、そこまで大きくは無い空間で地平線はいつも通りたぁ、なんともおかしなもんだ」
『魔法行』の全景。
端が逆の端に繋がる、言わば観測する場所によって光景が変わる世界。そういう世界。それがちょうどいいくらいの広さだった。
「確かに、そんなに大きく場所をとったら、地下鉄が通らねぇ。ガリバートンネルみたいなもんなのか?」
「……よく、そこまで」
「知ってるさ。当たり前だ……さぁ、早く考察しろ、赤髪。俺が死んだけれど、ここにいる理由を。分かるか……?」
「あかっ……まあいいわ。……あんた、魔法使いじゃあ無いのよね?」
『A』の言葉を受けて、轆轤はくく、と笑う。
「ああ違う、全然違う」
「分からないわよ。謎にすらなってないわ。何よあなた。もしかしで自分は神とでも言うつもり? あいにくだけどこんな性悪な神様を信仰する気にはなれないわ」
「神? 神だって? まさか、それこそ違う。むしろ俺と真逆だな。俺は人間だが、人間じゃない」
「……はぁ? 何それ、意味わかんないんだけど」
『A』はあからさまに嫌な顔をする。
「轆轤くん……轆轤くんって……?」
心配そうな、寂しそうな顔をする濾過。
「おう、濾過、お前も考察しろ。どうして俺がお前の『SPC』を抜け出せたのか。どうして俺が生きているのか」
「超人、としか言いようがないわ、そんなの」
『A』はいらついた調子で言う。
「何? 漫画とかに出てくる、死んでも死なないような、化け物みたいな存在のこと?」
「化け物か、いい表現だな、かははは」
轆轤は笑う。
「そしてご明察だ」
「……は?」
その場の一同が、同じような表情をした。
「より正確な表現をするなら、仙道使いってわけさ。かははっ。本当に漫画やアニメの設定みたいだろ? でも……本物なんだよなぁ、これが」
にやにやと、轆轤は笑いながら言う。
「仙道使い……何それっ!? 魔法とは違う、新しい法則があるの……!?」
一番反応したのは、『A』であった。
魔法。魔界の存在における、現実の物理を拡張するシステム。
「それも違う。ははっ……何も特別なことはねぇ。ルールから外れているモノじゃあねぇよ。物理法則に従い、ただ存在する。それが、仙道使い……まあ、所謂仙人ってやつさ」
魔法は、そのシステムによって、物理法則以上の力を発揮している。
しかし仙道は――そうではない。
「……? どういうことよ」
「……はぁ、本当に分かんねぇのか? 思考しろ。てめぇの頭に入ってる情報はそんだけかぁ? 失望しちまうぜ。そんなんじゃあよ」
「……っ」
いちいち、イラつかせる。そう『A』は思う。でも、こんなところで根を上げては、それこそ馬鹿のやることだ。
……思考、させていただきますよ。
「……ひょっとしてだけど」
魔法の大原則。そのうち一つ。それは現実の、物理では理想だが、理想過ぎて不可能なこと。
「物理法則を――ええ。熱効率を……1にする。そう言いたいの?」
物理法則。大きな法則の一つに、エネルギー保存則がある。古代のエネルギーと、現代のエネルギーは、閉ざされた系の内部では保存される――という法則だ。
しかし、100のエネルギーをすべて使用出来るわけではない。エネルギーには幾つかの種類がある。
核、化学、電気、運動、光、熱。
エネルギーを変換する時、目的以外のエネルギーへと変化していくエネルギー。そして、これら全てが扱いやすいわけではない。特に――熱。全てのエネルギーの終点。厳密にはそれは原子の、分子の振動であるが――そんな微小なエネルギーを、どうやって利用しようというのか?
こうして、無駄になるエネルギーがある。最初の100のエネルギーから、20しか有効に活用できないことなど、珍しいことではない。
むしろ高い方だ。
その、エネルギー変換効率。その割合を、熱効率という。
1に近いほど、その変換機構は優れていることになる。100のエネルギーを、100全て利用する機構――理論上にしか、存在しない。
魔法は、それを叶えた。魔力からの変換に限った話ではあるが。
そして――。
「……まあ、及第点か。再提出くらいで許してはくれそうだな」
と、轆轤は言った。
「まあ、まずもって言えば、システムじゃねぇ。そういうことじゃねぇ。……人間の体の、効率の話だ」
熱効率は、とんでもなく低い。
「脳は普段30パーセントしか使っていないとか、体は自ら判断して、力をセーブしてるとか、そういう話だよ。それらリミッターを、全て外す。すると、自分の思ったままの行動が、できるようになる」
右手で右肘を触ることは、不可能だ。
しかし仙道使いは、可能だ。意識的に骨を脆くし、触ることが可能。
気持ち悪いことこの上ないが――!
「それが仙道。自分の肉体の極限を弾き出す。科学だの化学だのには従ってるぜ? だが、人間の体は元来さらに制限をかける。それが人間の限界だと。はん、そこで諦めるんじゃねぇよ。まだ、世界には限界を超える道具は沢山存在する」
そう言って、轆轤は病院――もうただの建物でしかないが――によりかかる。
濾過は仙道という、全く未知のものに、怯え……そして、これまでのことを思い返してみた。
出会い――『SPC』から抜け出した理由。精神すら支配下に置いてしまえば――なんてことはない。
『CPS』の思考に、入り込めば良い。その魔法を――終了させればよい。
不思議の国での一件もそうだ。
指紋を全部覚えている――なんて、そんなふざけた人間がいてたまるか。それ以前に、指紋なんて、普通見えないだろう――!
そして、ここに来たこと。
それこそ非人間的だとしか言いようがない――!
「……さて、そこの赤髪。あんた、運命を操れるんだってな」
「……ええ。こほん、初めまして――直接会うのは初めてですね。平等轆轤さん。『A』と申します」
赤髪と呼ばれることにうんざりして、『A』は改まって自己紹介をする。
「は、名前なんてどうっちゃいい……いいから、そういうことをやめろってんだ」
……少し、いらついたように轆轤は言う。珍しいことだ。何があろうとおちゃらけていた――もしくは、直接的な、むしろオーバー気味な感情表現をしていたのに。
「そういうことって?」
「運命操作だよ――いいから、もうやめろ」
『A』は何でもないことのように、それを聞いた。
「やめろ? ――やめるわけ、ないじゃない」
当然のことだと言うように。
「こんなことになってしまった『魔法行』を、変えないわけないじゃない。運命を、変えるしか、ないじゃない」
「……てめえ、人の心って知ってるか」
怒ったように、轆轤は言う。
「濾過の今の言葉を、聞いただろ――ないがしろにするのか? その言葉さえ、無かったことにするのか? もし、そうならば――」
「……ま、待ってください」
そこで鞠は轆轤の言葉を遮る。雰囲気が悪くなりそうだったからというのもある。
「運命って――変えれるん、ですか?」
濾過の方を見ながら、そう訊いた。濾過は何も言わず――ただの少女のように――『A』の方を向いた。
「……ええ。変えれるわ。ふりじゃない。パラドックスは、犯すものよ。過去への時空移動、そこで未来を決定する、何らかの因子を変える。『CPS』はそんなこと不可能だって言ったけど――できるのよ。パラドックスを犯して、未来を変える。少なくとも、私には」
神はサイコロを振らない――不確定性原理というものもあるが、そんなの誤差でしかない。大抵のことは過去の原因から、未来の結果へと移る。その原因を変更すれば、未来もまた変わる――当然のことだった。
現実的には、あり得ない。
しかし、魔法ならば、魔法ならば――!
「そんな理論並べたってどうもなるわけじゃねえ……そんなこと、俺がさせねぇ」
轆轤は手を広げて、『A』に相対する。そして、その手で頭を触ろうと、ゆっくりと近づき――
「っ!?」
一歩、跳ねるように後ろに下がる『A』。轆轤との距離が、少し離れる。
「あんた……私の魔法を、奪おうっての……?」
仙道使い。自らの体内事情を完全に把握し、完璧にコントロールする。それはつまり、微弱な生体電気すら、コントロールするということ。
脳すらコントロールする。
他人の脳でさえ――!
かつて『MWM』がやったことで、『CPS』がやったことで――そして、この轆轤が一番行ってきたこと!
他人の脳の、潜在的な支配!
「ああ、そうだよ」
そう言って、轆轤は――目にも留まらぬスピードで『A』の眼前に立ち、右手を振り上げる。『A』にはその様子が見えていた。
そして思った。
戦いは――始まった。
何の戦いかって、そりゃあ運命での戦いだ。
運命バトル――それは、外側からの観測ではバトルとはならない。変えている人物、本人でなければ観測は不可能だ。
結果は誰にも平等に与えられるけれど、その過程が観測できる権利は全員にあるとは限らない。
特に、この中で運命を変えることができるのが『A』だけであるから――!
「……ったく、何なの。突然……」
『A』は魔界にいた。あの状態から、一瞬にして肉体を魔界へ移した。もちろん崩壊なんてしない。
単純な魔力では、『A』は誰よりも圧倒するのだから。
……いいや、どうだろうか。『CPS』ならば。
「……でも、運命操作はできなかったのよね」
はぁーやれやれと、額に手をつける。赤い髪が数本額に貼りつく。
(……つまり、この戦いは逃げの戦い。でも、無闇に逃げるのは得策ではない)
平等轆轤が仙道使いである以上、触れられてはならない。触れられた瞬間に、魔法を失ってしまう。
彼の言動からは、それが目的だと推察できる。
もちろん、『A』は魔法を失いたくない。
だから、逃げなければならない。彼の手から。
(幸いにも、彼は魔法使いではない。つまり、ノーモーションの攻撃はできない)
筋肉の動きである以上、そこには予備動作が必要だ。現実に存在する物体なので、普通の物理法則に従う。
物理を逸脱した力ではない。
(だからこそ――恐ろしいのよね)
一体どのくらいが物理だと、私たちは考えているだろうか? 熱機関の効率が50パーセント以下がザラにある日常において、どのくらい考えられている? 物理が本気を出して、その全てを攻撃に転じてきたならば。
魔法なら余裕で対処できる。
そう、物理以上の力を発揮して――
右に動く!
魔界から戻ってきて――魔界に入ったのと同時刻だ――その瞬間に、行動をとる!
右膝を曲げ、重心を右へ。倒れこむように右に転がる。
転がる――
「!?」
ちらっと確認しようとした。脅威がいまどの位置にあるか……そして、認識した。
平等轆轤の手が、目の前に――
「……くっ!」
魔界に戻る。しまった――いや、危なかった。
まさか、動いた方向と全く同じように、動いてくるなんて――
「ま……あったっておかしくないものね」
今度は、左――
に、動く!
これが、運命を変える力。最初の位置、つまり直立状態の時へ時空移動をす?。魔界へ行った時刻と合わせて現実世界へ戻る。
そして、パラドックスを、犯す!
先ほどとは違う行動を取り、運命を――変える!
今度は左に、そして後ろに移動する。アスファルトに左手をつき、足で後ろに――
「っ……!?」
まさか。そんな。
『A』はそこで信じられない光景を見た。
仰向けに近い状態。轆轤の様子がしっかり見える。そして、その手のひらは――なんと、『A』の顔をめがけて一直線に移動していた。
反射的に、魔界へ移動した。
「嘘でしょ……」
運命を変える。
その行為にはある前提が存在する。
運命は、基本的に不変である――ということだ。
だから、わからない。
「なんで――動きが違うの!?」
平等轆轤の行動。それが、一度目と二度目で変わっていることが。
一度目で彼は、『A』から見て右へ動いた。それは『A』の動きと重なるような形となって、『A』はその運命を変えなければならなくなった。
そして二度目、今度は重ならないように、左へと動いた。にもかかわらず、平等轆轤の手は、『A』を追ってきた。
運命不変の原理――があるとすれば、それはおかしい、全くの矛盾となる――!
「つまり、あいつは、運命を――」
待て。
そう考えるのは早計だ。ただ理解するのが難しいからと、単純に飛躍させてはならない。
吟味しろ。
原理に即していない――ならば、飛躍が必要かもしれない。では、もし、彼がその運命不変の原理に即しているのだとするならば。
(それだと――私が現実世界に戻った瞬間。その瞬間だけならば、彼に関する運命は変わっていない。ということ)
彼がその時点で持っていた思考は、保存されているはずだ。
ではどんな思考だ?
……対処的、という思考だったなら。
彼の行動はある種の受け身。私の動きに合わせてじゃないと攻撃できない。
「ああ、仙道使い、かぁ……!」
『A』は思いつく。そう、あくまでも彼の行動が対処的だとするならば。
(私は戻った瞬間に、移動を開始している。しかし――それは私にとっての瞬間でしかない――!)
『A』にとっての『すぐ』が、轆轤にとっても『すぐ』とは限らない。体感時間というものがある。反射神経は普通コンマ一秒。『A』だってその例外ではない。しかし――轆轤は? 仙道使いである平等轆轤が、その頭の回転をコンマ一秒という長い時間に、しているだろうか?
電子の移動は光の速さ。ならば人体が反応する時間は、コンマ一秒よりも短くなる可能性がある――!
「その可能性だけである意味断定できるって――無茶苦茶じゃないの!」
仙道って! と『A』は言う。誰も聞いている人間のいない、魔界の中で。
じゃあ、どうすればいい? あの状態から動いても、意味がないことが分かってしまった。『A』が動き始めたときには、もう轆轤は先を読んだ動きをしている――なんて。だったら、どうしようもない。
(普通にやって、勝てる相手じゃない)
二回、運命を変えた上で、そう思う。
平等轆轤――仙道使いは、とんでもない脅威だ。
(なら、こっちもチートを使うだけ!)
『A』はもう一度、現実世界に戻った。
少し違う位置に。
そう――空間移動ならば。
空間移動ならば、そこに予備動作が生じることはない! どうやっても、それを目視することはできない。どんなにスローに映るカメラでだって捉えられはしない! それが空間移動の真骨頂! こんな戦いの中で、空間移動はその真価を発揮する!
病院の屋上。轆轤から見て死角。その位置に空間移動。魔界からの直接移動だ。運命変更と、空間移動のコラボレーション。何、原理的に難しいことは何もない。
屋上から数センチ上に移動したため、少しの衝撃を受ける。さて、ここからどうしようか?
そういえば、轆轤の勝利条件はあるが、『A』の勝利条件は何だ?
「…………」
運命を変えるのを阻止するのが轆轤の目的ならば、それと敵対している『A』は、運命を変えるべきだろう。それが勝利条件となるはずだ。
……だが、先程の『CPS』の心。痛いほど突き刺さる。それを、ないがしろにしてはいけないのだ……。そう思い、屋上の縁を見る。ちょうど『CPS』が……
「えっ……?」
平等轆轤。彼は屋上まで飛び上がり、『A』の頭に、あと数ミリの位置にその手を位置していた。もちろん静止している訳もない。この情景はあくまで瞬間的な出来事なのであって、『A』が振り向いた瞬間的であって――
そこから、コンマ一秒の反射神経しか持たない『A』が何か反応できるはずもなく。
平等轆轤の手が、『A』の頭に触れた。
これまで、悪魔すらも従えてきた、その手で。
「空間移動を使ったことは評価してやる。だが、それだって、仙道使いにとっては敵じゃあない」
轆轤は屋上に立って、『A』を見下ろしながら言う。鞠と濾過も、屋上に上がってくる。鞠の魔法石で。
「空間移動それ自体はノーモーションで繰り出せる。だが、それに対処できるかどうかが、仙道使いかどうかってわけだ」
空間移動の、対処法。
もちろん、人間にできる芸当ではない。ただの人間には不可能なこと。荒唐無稽で――無茶苦茶なこと。
「そもそも空間ってのは、空じゃねえ。何もない空間なんてねぇ。量子的な真空だって、そこには何かがある。特に俺たちの周りには、空気が漂っている。その制限を回避することは、不可能だ」
風使い『14C』との戦闘。風使いが準最強である所以。それは、人間にとって必要不可欠なものが、武器になるということ。
「お前が消えたその瞬間、空気分子がお前のいたところを埋め合わせる。そして、お前が現れた場所にあった空気分子は、掃けられる。そこに気流が現れる」
空気分子――窒素や酸素。それら空気を構成する分子の総称。それらが作り出す、微細な気流。
人間には感知できない。
「その気流を、仙道使いは認識する。認識方法は幾らかある。五感全部、使えるぜ」
視覚によって、分子の動きを見る。
聴覚によって、風を聞く。
触覚によって、空気の動きを感じる。
嗅覚によって、微細な香りを感じる。
味覚は、微細な気圧の変化を感じる。
荒唐無稽この上ない――!
「分かったか、魔法使い。仙道使いに勝つってことが――どれだけ大変か」
……周囲は、皆唖然としている。そして新たに認識する。
一番恐ろしいのは、彼であった。
『A』は、拳を握り、目に涙を浮かべた。
第4章・終
第5章へ続く