第2章 勘違いは殺人犯
『魔法行』でいつものとおり働く平等鞠。そのトップ『A』との会話。そして、『CPS』襲来。平等の姓を受け取った二人の戦い。
※死体描写注意
第2章 勘違いは殺人犯
「……って、わけですけど。聞いてます?」
「んー。あー? 聞いてる聞いてる」
鞠はジト目で赤い髪の少女を見る。スマホを左手に持ち、適当な速度で右手の人差し指をディスプレイに叩きつけている。明らかに聞いてなさそうだ。
「内容、理解できました? 『A』さん?」
「うんうん。理解できたよ。【理解できた】よ」
……理解したのは間違いなさそうだが、その態度はどうかと思う。
「もうちょっとまじめにやってくださいよ。そんなんで『魔法行』のトップを維持できてるんですか?」
「大丈夫大丈夫。たまには休息も必要だよ。うんうん。休息だよ」
「……あなたの辞書に載ってる休息は、意味がとてつもなく広いと思います。時間的な意味で。では、失礼します」
「じゃーねー鞠ちゃーん! アリスおばさまとも仲良くねー」
ぺこりと下げた頭を上げて、ジト目で『A』を見る。いや、表情はさっきから変わっていないのだが。
「……いつお母さんは『A』さんのおばさんになったんですか」
まあ、実質的に扶養しているのは『魔法行』だからな。
あながち間違ってはないのか……?
……まあ間違っていようがこの人は気にしないんだろうけれど。
その場の雰囲気で適当にしゃべる人だ。
ドアに手をかけ、後ろ手に閉めようとする。
「……そういえば、あれはどうなったんです?」
閉める直前で、『A』に聞く。
「あれ、って? 含みのある言い方するねー。マリアちゃんもそのあたりうまくなったねー」
「…………。あれと言えばあれですよ。また、出たらしいじゃないですか」
マリア……と、呼ばれた。
なぜ『A』が私のことをあえてここでマリアと言ったのかはわからないが。これにも特に深い意味はないのだろう。
「……まあ、大したことじゃないよ。別に、あの子が出て行ったからといって……何が出来るわけでもないんだし」
……やけに冷静だなぁ。と思う。
「くれぐれもまあ、ことを大きくしないで下さいよ……面倒ですから」
「うんうん。鞠ちゃんに迷惑はかからないようにするよー」
「マリアちゃんには、どうなんですか?」
「『MA』的には、どうなのかな?」
「……はぁ。『MA』も鞠もマリアも、同一人物ですよ。意見が変わるわけないじゃないですか」
「まー。こっちでどうにかするって。そのために『3N』ちゃんもこれから呼んでるからね」
「『3N』……なら、大丈夫ですかね。あの子、あれからどんだけ強くなったんですか?」
「さあ? そろそろ光速越えるとかなんとか」
「……こわー」
「光より速く移動できる『空間移動』持ちが言う言葉なのかな、それって」
「怖いですよ、どっちも。失礼します」
今度こそ、部屋を出る。
真っ白な廊下を歩く。本当に真っ白で驚くような。
清潔感……と言うより空虚な感じがするよなぁ、と思う。病院だってこんなに白くはないぞ? そういえば病院はあえて壁を白くしないらしいな。なんでも患者にそういう感情を与えないためだとか。
だとしたらここはひどい環境だよなぁ。
「……脱走、かぁ」
よくもまあ、するよなぁ……。
『魔法行』において脱走は重罪。そんなことちょっと考えれば簡単に分かると思うんだけど。
『魔法行』は世界において唯一の魔法機関。抜け出したところで意味はないのに。『魔法行』の外で魔法を使おうものなら一瞬にしてのけ者だ。そんなイエスキリストみたいにうまいこといくはずがないだろう。
というか処刑されたんだっけ?
本当にお疲れ様だなぁ。
「……なんでするのかなぁ」
抑圧から開放されるために事件を起こす。そういうことはまああるとは思う。しかしそんなに『魔法行』は居心地が悪いか? 別に外界だろうとどっちも変わらないと思うけど。外界で生活したからこそ、言えることだが。
それとも見つかったときに追っ手と戦うためとか?
つまり戦いたくて。
……愚考としか言えないよなぁ。
「ってことは、濾過さんは愚者ってわけか……ザ・フールだっけ? タロットの」
まあ、好き勝手するには『魔法行』はむしろ邪魔になるのか……。外にもいろいろな文化があるからな、そっち系の文化が。それを追求するなら、脱走するほうがいいのかもしれないな……。
……ん? でも濾過さんがそっち系にはまったのは『魔法行』を脱走した後のことだったはずだ。つまり外に興味があって出たわけではない……? いや、そういうわけでもないはずだ。あったのかもしれない。なかったのかもしれない……。
うーん。
「ま、濾過さんなら大丈夫か……轆轤さんもいるし」
そのとき、小さくない爆発音が聞こえた。
「っ!?」
鞠は反射的にしゃがみこむ。
壁が破壊され、その粉塵が舞う。ぱらぱらと、瓦礫が崩れる音がする。ちょうど目の前の曲がり角のところだ。
一体何があった?
何が起きた?
考え付くよりも先に、そこから――『3N』が飛び出てきた。
いつもの戦闘時の服、つまりシャツと、スパッツ。ぱっつんの髪。額には複雑怪奇な刺青。
曲がり角の向こうの何かを睨みつけている。一体向こうがわに何があるのだろうか?
誰が――いるのだろうか?
『3N』は――
全身ぼろぼろだった。
血が、顔面をはじめとして体中いたるところから出ている。骨も折れているようだ。しかし、彼女は力を無理矢理移動させる。魔力のオーラは物理力を可視化したものだ。茶色の力の塊を無理矢理使う。肉体的には立ち上がることは出来なくとも、魔法を使って生存している。
……おいおい。
なんだよそれって。
戦闘が終わっても、生きていられる保障ないぞ……。
きっと心臓すら魔法で動かしている。
魔法が魔法を生む……戦う装置にでもなるつもりかよ……。
「……く、っ。正義は、ある、っ……。絶対的な正義は、ある。正義なんて人それぞれ、なんて言葉……くだらない」
まだ生きていることを、『3N』は主張する。
「正義ってのは、みんなを守るためにある。それこそが正義! それに従わないあんたが、いくら自分の正義を主張しようと、それには何の意味も無い……正義なんかじゃない! ただのわがままよ! あんたは――間違ってる!」
最後の突撃? そう思わせるほどの魔力が『3N』の周りに集まる。茶色のオーラが、あたりを焼きつくさんとばかりにあふれている。
「間違ってんのよ、あんたは、最初からああああああああ!!」
「知ってる」
濾過さんの声だった。
曲がり角から、先に濾過さんが飛び出してきたのだ。――いつの間に? 目にも留まらぬ速度でだ。
『3N』の胴はがっぽりと――赤い穴を開けられた。
茶色のオーラは、煙のように消えた。
「濾過……さ……ん」
間違いない。見間違えはしない。あの薄い青色の髪。あんな髪を持つ人はそういない。顔も覚えている。瞳の色も同じだ。
ただ。
私の知っている濾過さんじゃない。
「…………」
彼女は『3N』の死体を確認して――ちらりと見た程度のものだが――そして、私を見た。
「――っ!!」
思わず一歩、後ろに下がる。彼女からすればただ眺めただけだろう。しかし鞠は、蛇に睨まれた蛙のように気圧された。
睨まれた、と感じたのだ。
(――私は、私と会う前の濾過さんを知らない)
鞠が初めて濾過に――いや、『CPS』に、か――会いに行ったときのことだ。その時点で既に、『CPS』は濾過と名を変え、平等家の居候として居た。だから。
(だから私は、病んでいた時期の濾過さん――『CPS』を知らない!)
きっと、今の濾過さんみたいな感じだったのだろう。想像できた。できてしまった。
――その、目の前にいるのが……『CPS』。私の知る……濾過さんじゃない。
平等家の一員としての濾過さんじゃない。
『魔法行』からの逃亡者としての、『CPS』だ。
だから、目の前にいる彼女に対して抱く感情は――
「……くっ」
恐怖。
しかし、逃げ出せない。尻尾を巻いて、無残に逃げることはできない。
なぜなら鞠は、軍人だから。戦闘員だから。戦士――だから。恐怖に打ち勝ち、敵に打ち勝たなければならない。
それに、目の前にいるのは、濾過さんでもあるのだ。
逃げられ――ない。
逃げちゃいけない。
だから、鞠は、魔法石を――
「っ!! ……っく!」
鞠が魔法石を取り出す前に、『CPS』は特攻してきた。
黒い――黒い――深い青色は黒く――そんな色の手。いや、爪と言った方が良いだろうか? 『CPS』は右手を突き出し、そして右手の形をそのまま模るように魔力のオーラを発していた。もちろん、見せつけじゃない。特攻の先端にあるそれは、明らかに攻撃用だった。
「ぅ、おぅっ……!」
魔法石を何とか正面に張る。そして物質製造を高速で進める!
触れればただでは済まない。
物理的な――破壊力の可視化。
可視化されているのが救い? まさか。
可視化されるほどの力だ。
そこにある魔力が、運動エネルギーだけでは飽き足らず、光エネルギーも発している。破壊力は――
「物質製造が……っ!」
鞠の必死の物質製造の壁を、一瞬で溶かす。製造している物質は金属ではない。金属結合なんて、延性と展性ですぐに薄くなる。脆くなる。
そんなわけで、ダイヤモンドの壁だった。魔法石を壁状に広げ、その面積全体で物質製造を行う。使う原子は炭素だけなのでそんなに難度は高くない――物質製造の中では、だが。
そう。ダイヤモンドの壁だ。
戦闘が始まって、まだ一分も経っていないが、鞠自身、どのくらい製造したのか分からない。きっと、トン単位のダイヤモンドを製造しただろう。
この戦闘の中で。
しかし、黒い爪と鞠の距離は遠ざかることはなかった。
鞠の製造を上回る速さで、ダイヤモンドを粉砕しているのだ――結晶の中では最強の硬さを誇る、共有結晶を!
だから、押される。自ら足を後ろに下げているのではない。製造で押し出す力、破壊が与える力――その二つの力で、鞠の体は少しずつ後ろへ下がっているのだ。
(どうする!?)
(このままでは、後ろの、壁に――!)
ぶつかる。そしてどうなる? ――まもなく弾き出されるだろう。ビルの外に。
その前に、壁によるプレスを受けるが。
(戦闘ではそれも一つの考え方)
(でも、それもできない!)
何故か。
『魔法行』だからだ。ここは『魔法行』内にあるビルだ。ビルの外は――? 楽園として作られた場所。そこに、核爆弾より危険な『CPS』がやってくる――そして、全てが終わってしまう。
このビルから少しでも出してしまったら、
もう取り返しのつかない事になる。そう、鞠は考えた。
「ぐぅっ……!」
攻撃は止まない。どころかその勢いを増している。まるで、できないのならやればいいじゃないとでも言うように。
――そう簡単に言えるなら、苦労しない!
自分の命と、『魔法行』。
後ろの壁が迫る。
「おおおぉぉぉぉぉおお!!」
鞠は、消えた……。
その、真下だ。鞠が先ほどまでいた階の、その下の階。
「っぷはぁ! はぁ……はぁっ……」
鞠は一瞬からの緊張を解く。
何とか、間に合ったようだ。空間移動なんて、一人でやったのは初めてだ。一瞬のうちに階下へ移動。……ビルを壊さず、生き延びるにはそれが一番だった。
……それしか思いつかなかった。
「……くっ!」
走る。そのまま真下に降りてきたということは、真上に『CPS』がいるということだ。少しでも命が惜しいなら……逃げなければ。走る!
「……っ……!」
走り出した一歩目で、周りの様子をようやく把握する。
一言で言えば――血の海。
あたり一面、死体と、瓦礫ばかりだった。真っ赤で、真っ白で。真っ黒で。
見たくもない光景――!
それらを見ないようにして、鞠は走る。
「どうする、どうする、どうする――」
考えろ。まず最終的な目標は『CPS』の戦意喪失。そのためには生け捕りにしなくてはならない。あくまでも生け捕りだ。生け捕りにするためには? 縄のようなもので縛る。しかしあの破壊力の前では意味をなさない。では、やはり脳を、魔法の根元、思考力を削ぐしかない。
「『寺』メンバー……!」
『14C』はともかく、それ以外はタロットによる精神攻撃、肉体改造、そして電撃だ。いずれも脳に作用する。彼らは死んではいないはず! そう聞いた! 彼らを探すこと、それが今できる最善――
目の前にタロットカードがぶちまけられていた。
瓦礫に埋められ、『RRQ』は死んでいた。
「ぐ、うっ……!」
あの四人なら同じ場所にいるだろうと思っていた。だから発想が難しかった。そして、希望もあまりなかった。この階には――死体しかないのだから。
それでも、諦められない。諦めないと言うとポジティブに聞こえるかもしれない。しかし鞠には、諦めるという選択肢がないのだ。
もちろん、諦めようとすれば諦められる。
その場合死ぬけれど。
ずがががが、と聞こえ、鞠は後ろを向く。
『CPS』が、黒い翼と共にやってきた。飛んできた。……天井が高くなっている。ああ、床を削り取って来たのか……。
直線的に鞠に向かって飛来してくる。その速さを見て、どうにもならないと感じた。
鞠は自ら、ビルの壁をぶち抜いた。
後悔している場合ではなかった。
だから、後悔するという発想は、この時点では鞠の頭に浮かぶことはなかった。
(このまま、ビルの側面を登る)
(屋上ならば――被害は最小になる)
『CPS』が衝突する前に、ぶち抜いたところから飛び降りる――飛び降りるというより、倒れこむと言った方が適切だが。
――この時点でも、恐怖はなかった。ただ、生き残るためにはそれしか方法は存在しないという思いだった。戦闘においてだけではないが、あらゆる重大場面では、恐怖心こそが巨大な障壁なのだ。鞠が普段積んでいた鍛錬も、それに尽きる。
――11歳である子供だ。感情の中でも、一番生命に直結している感情だろう――恐怖という感情は。
高層ビルの――何階だろうか? 十階そこらではないだろう。もっと、もっと高い――
(といっても……)
(このビルに、屋上はない)
ならは、どうする?
(そのままこの側面で戦う他はない)
魔法石を杭のようにする。それらをビル側面数カ所に刺し、それを掴む。足を置く。
しばらくして、『CPS』が出てくる。鞠の壊したところからだ。
速度が落ちる。100メートルほどビルから離れて、『CPS』は止まった。
……空中で。黒い翼を広げて。
(やっぱり――)
『CPS』と共に出て来たのだろう。風にタロットカードが煽られていた。あの『RRQ』のタロットだ。その一枚が、鞠の眼前に漂った。
鞠は読めた。邪悪な悪魔とともに描かれている――
『THE DEVIL』と――
「ははっ……」
思わず口から声が出た。
(悪魔だってのか……)
(あの、黒い翼は……!!)
美しいだとかそういう感情ではなかった。どちらかというと、愉快な感情。真っ青な空に浮かぶ、真っ黒な悪魔。
『CPS』はこちらを振り向く。
表情は――分からない。遠いからというのもあるが、どちらかというと、何の表情も浮かべていないのではないだろうか。無表情。
感情の抜け落ちたような――まるで、まるで、そう、人形のような。こんな悪魔みたいな姿をした、人形。邪悪な笑みを浮かべているわけじゃない。悲痛な悲しみを涙と共に流しているわけでもない。
ただ、こちらをぼんやりと見つめている。……もちろん、これは眺めているだけなわけはない。
狙いをつけているのだ。
殺害する対象に向けて。
「……っ。なんで……ですか」
鞠は、空中にいる彼女に言った。
「なんで! こんな……」
言葉が届くよう、大きな声で。しかし、言葉に詰まってしまう。言葉を選ぶ。今、濾過さんに、なんと言えばいいだろうか?
結果次第では――ひどいことになるから。
「まずは、濾過さん……落ち着いてください」
そう言った。叫び声一つ出していない彼女に。
しかし、落ち着けと言うのは正しかった。現に彼女は今感情を高ぶらせている。振り切っている。ただ感情の高ぶりがどのような行動を引き起こすかは人それぞれで、濾過の行動は今のこれだということだ。
この――天災のような、悪魔のような破壊。
魔法という力を使っているため、その破壊力は恐ろしい。単なる八つ当たりとは違う。ただの八つ当たりならば体を使う。拳や足、また頭を何かにぶつける。自傷とも結びついている。自傷――そう、自らが傷つくのだ。自らの肉体に、ダメージを与えて、気分を晴らす。
しかし魔法の場合は、それがない。すべて思考で、すべて感情で発動してしまう魔法では、自らへのダメージが、無い。
そのため歯止めが効かない。本来痛みにより抑制される八つ当たり行為が――終わらない。痛くないから。
痛覚は危険を知らせる。しかし心に痛覚は、ない。
あったとしても――それはうつ病へと変貌できてしまう。もしくは、自暴自棄に。
「濾過さん! 私は濾過さんの味方です! 攻撃しません。したくないです! だから……」
――『CPS』の出していた、黒い翼が揺らいだ。魔法が、揺らいだ。つまり、完全に悪魔に魂を売ったわけではないということ。
「……脱走したことについては、『魔法行』はほとんど気にしてないですよ。……これは何度も言いましたね。本当に――わだかまりなんて無いんですよ。だから、濾過さんの邪魔になるようなものは、『魔法行』には無いはずです――!」
脱走は、重罪。しかし濾過はその例外だった。彼女は鞠という友達を迎えることで、『魔法行』からの縁を切ることができたはずだ。
拘束されることは、無いはずだ。
「教えてください。濾過さん――何が、あったんですか?」
彼女の――濾過とも、『CPS』とも言う彼女の――心情を、理解できるだろうか。
思い人を殺され、ここまでする彼女を理解できるだろうか。
……正直に言おう。
理解はできないかもしれない。しかし、理解して欲しい。
彼女にとって、この一瞬が人生なのだから。一瞬一瞬が、人生のすべて。
この彼女の行動もまた、彼女の人生。
数学や物理のように、はっきりとした証明方法はない。それが人間の心というやつだから――だから、理解するのは難しい。彼女の心を。
……以前、彼女の人生を、後ほど語ると書いていた。
しかし、まだ明かせはしない――それは、すべてが終わってから、ゆっくりと語ることにしよう。
濾過、と呼ばれて彼女の心は揺らいだ。彼女は心の赴くままに破壊行動をしていたが、この言葉を聞いて――平等轆轤を思い出した。彼の命はもうないけれど、もう一度会いたい。ああなんて今私は無駄なことをしているのだろう――と。
そして、『else』を思い出した。『魔法行』の、最後の刺客――もっともそれは、彼女の勘違いだが――のことを。そして鞠は『魔法行』のことについて語った。
そして、『彼女』は再び心を闇に埋めた。……『魔法行』という言葉がどうして彼女の心を動かすのか。現時点では分からないだろう。
そしてその理由が分かったとしても――心の変動を理解できないかもしれない。あなたは、彼女以外は彼女では無いのだから。
……いや、そんなことは関係ないか。自分の心の変動をしっかりと知り尽くした人が、どれほどいるものか。心は――不明瞭で、曖昧だ。
――そして物理は、起きたことだけを語る。
彼女は黒い翼を拡げ――黒い恒星となって――鞠へ向かって、飛来した。
飛来した、と認識した直後には、上方へと空間移動を済ませていた。黒い、黒い恒星――という他ないだろう。『CPS』の翼が彼女を包み、巨大化し――飛来した。
「っはぁ! ……っ!?」
空間移動を成功させるのは難しい。しかし鞠はこの戦闘において、二回も成功している。慣れてきていたということだが、やはり難しいのだ。神経を使う。
無意識的であっても、神経をすり減らす。
そして、鞠は見た――
「な、な……!?」
鞠が先ほどまでいた建物が、崩れていく。下の層がなくなったのだ。支えをなくした上の層は、当然崩れていく。鞠が先ほどまでいたビル。すなわち、『魔法行』の心臓部分が。本部棟と呼ばれる程度には。いいや、心臓だけではない。すべての決定を行う『行策部』や、資金を扱う『資金部』もろとも、崩れ去る。心臓部分と言わず、脳髄も手足も持っていかれているようなものだ。
実質的な『魔法行』。
それがこの瞬間――崩壊した。
……一体何人が死んだのだろう。考えると気分が悪くなりそうだ。
鞠は自由落下にしばらくの間体を預ける。瓦礫とともに、地面へと落ちる。土煙で何も見えない。呼吸器に入ってはいけないと思い、魔法石をカプセル状にして体をその中に入れる。地面に落ちたらクッションになるという寸法だ。
しかし、ショックは大きかった。
(拾われて、育てられて)
(私の――家。のようなものが)
(今、崩れ去ってしまった――)
濾過さんの手で。
そう思うと、行き場の無い感情が生まれる。どうすれば良いのか? わからなくなってくる……。
鞠は混乱したまま、カプセルの中で体を守りながら、地面へと落ちて行くのだった。
――地面に着いたが、まだ瓦礫は降ってくる。土煙も収まらない。だからカプセルはそのままだった。瓦礫を受け止めて、勢いを殺す。
……かなり高いところから降ってくるものだから、こういう風に受け止める他はないのだ。
気づけば、辺りが瓦礫で埋まり、真っ暗になってきた。このままでは埋れてしまう。早く脱出しなければ。……『CPS』は、どうなっただろうか。そういえば『A』は……大丈夫だろうか。
――なんとか瓦礫の山から脱出することに成功した。土煙も、少しずつ収まっているようだ。とりあえず身体の無事を確認した、次の瞬間――
ガリッ
そんな音が響いて、鞠の左手が上へと上がった。左手? 正確には左腕か? いいや、どちらも正確だ。左腕も、左手も上へと上がった。ただ、それが――
「あ、あ、は、ああ、ぎぃああああああああああああああああああああああ!!」
分離しただけで。
なくなってしまっただけで。
左手が、手首から取れてしまった。
「ああああああああ、ああっ……! うがぁああああああああっ……!」
今の鞠は、はっきり言って隙だらけだった。まずどうして、手が分離したのか? そんなことすら考えていなかったから。『CPS』がどこにいるかなんてのも、今の鞠にはどうでもよかった。
鞠の脳内は、痛み、恐怖、そして喪失感に――支配されていた。
「あ、ぐぉぉおおおおああああああああ!! うぉあああああああああああああ!!」
(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いこんなに痛いなんて手が取れて血がぽとぽと血が血が流れて手が手が左手がなくなったなくなったあったはずのものがなくなった親がいないアリスそうだ不思議で非現実であああ)
鞠は目の前を睨みつける。土煙が完全に消えて――『CPS』の姿がはっきりと見えた。
そして、お互い突撃した。
鞠は魔法石を右手に巻くように、『CPS』は手を振りかぶり、鞠自身を抉り取らんとして。
魔法石が形を持つ。手に持てるような形になる。杭のような形状になる。確かにそうだ。拘束させるためには違いないはずだ。そう、あくまでも――
(――殺す!)
魔法石は『CPS』の胸に刺さった瞬間、爆発した。
血が、あたりに飛び散った後で過ちに気づいても、遅かった。
「あ…………」
鞠だけが、瓦礫の山の上に立っていた。
第2章・終
第3章へ続く