四十四
時は数日ほど前に遡る。
「その話、まことですか?」
ふらりと現れた兵鋭から『その話』を聞き、力丸は勢い込んだ。
のし掛からんばかりに食い付く弟子の様子を見て、兵影はうすら笑う。
「応さ。上手くいけばの話ではあるが、な」
なにあの小僧、妙な運はあると、保証にならないことを言う兵鋭。力丸はその話を半分も聞いてはいなかった。
「(くく……これはいよいよ運が向いてきた)」
彼は自分に都合の良いことしか考えていない。むしろ今まで上手くいかなかったのがおかしかったのだと、そういった方向に思考の舵を取っていたりする。
これで本来の道を歩める。輝かしい未来の第一歩だと、取らぬ狸の皮算用もいいところで夢想していた。
「して、事はいつに?」
「そう逸るな。近々としか言えん……が、そう長くもない、五日もかからぬだろうさ」
「ほう、それはそれは」
舌なめずりせんばかりの力丸の様子を見ながら、兵鋭もまたほくそ笑む。
「(さて、あの小僧という餌に釣られて、いかほどの強者が呼び寄せられるかな?)」
四十四・暗闘
振り下ろされる刃。しかしそれは、誠志郎には届かなかった。
音もなく襲撃者に組み付く影。動きを完全に封じ、何か反応する前に首筋に手の平を当てる。
ばじん、と言う音が微かに響き、覆面の襲撃者は白目を剥いて意識を失った。その体をそっと床に横たえ、影は誠志郎に覆い被さるように跪く。その右手が、そっと胸元に添えられた。
暖かな波動。それは誠志郎が受けた傷を癒していく。少年の瞼が、ぴくりと動いた。
「……う……?」
「しっ、静かに」
呻きながら意識を取り戻した誠志郎に影がそっと語りかける。体に張りつくような黒装束。口元を覆う覆面越しの声に、誠志郎は聞き覚えがあった。
「こう――」
「おっと、それは今はいい。動けるかい?」
囁くような言葉に応え、身を起こす。表面上の傷は癒えているが、内面の損傷と疲労までは回復していない。全身が軋み、動きはぎこちないものだ。
その様子を見て影――幸之助は、腰のもの入れからなにやら取り出す。それは豆粒ほどの丸薬数個。
「これを。回復とまでは行かないけれど、ないよりはましだ」
受け取ったそれを口に含んで、ゆっくりと噛み砕く。甘みと苦み。胃の腑に落ちるそれは体を熱くし、痛みや疲労を忘れさせてくれるようであった。
葛満が秘薬である。携帯食料として造られたものであるが、強い精力剤、鎮痛剤としての効能もある。一時的に肉体を活性化させるだけであれば十分な効果があった。
取り敢えずは動けるようになったと見て、幸之助は誠志郎に肩を貸しその身を引き上げる。
「長居は無用だ。さっさとおさらばすることにしよう」
「ですが……自分が消えれば、騒動になるのでは?」
残る苦痛に顔を顰めながらも、妙な気遣いを見せる誠志郎。そんな彼の言葉に、幸之助は覆面の下で苦笑を浮かべた。
「気にすることはないさ。後は偉い人の考えることだ」
それに、と続く後の言葉は飲み込む。誠志郎がこのままここにいても事態は解決しない。それどころか謀殺されかけたのだ。このまま留まることなど出来ようはずがない。
満足に動けない人一人に肩を貸しているとは思えない穏行で、薄暗い通路を進む。夜中だ、当然人気はない。しかし幸之助は最大限の警戒心を持って移動していた。
やがて外に通じる戸の一つにたどり着く。ここからすぐに外へと出られるわけではなく、建物が連なる広大な敷地をくぐり抜け、外塀に備えられた通用口を使うか、あるいは外塀そのものを乗り越えるかしなければ外には出られない。少ないとはいえ警備のものも巡回しているので、より慎重に事を運ばねばならなかった。
「それじゃちょいと失礼して、と」
「へ?」
米俵を担ぐようにひょい、と誠志郎を肩に担ぐ。そして音もなく戸を開けると――
前触れもなく、ぽん、と宙高く飛んだ。
「ふぉ!?」
「はい喋らない。舌を噛むよ」
突然のことに妙な声を上げる誠志郎をたしなめる幸之助。しかし少年が驚愕するのも仕方はない。普通少年とは言え人一人を抱えて屋根より高く跳躍することなどできないのだから。
重力の緩和。高等術であるそれを術式符すら使わず用いる。そこから幸之助の技量が伺えるが、今はそれを置いておこう。ともかく飛翔した幸之助は建物の屋根の上へと飛び乗り、そのまま音もなく駆けた。見回りも、屋根の上にまでは注意を払わない。気配も音も消しているとなればなおさらだ。
あっけなく奉行所敷地内を通り抜け、屋根の上から再びの飛翔。外塀を飛び越え道を挟んで隣の建物の屋根へと飛び移る。そしてそのままさらに疾走。奉行所の人員が誠志郎の失踪に気付く前に少しでも距離を取る腹だ。
「(そう上手くいくかどうか)」
幸之助は警戒を緩めようとはしない。奉行所の警備が緩かったというわけではないが、行動がすんなりと上手くいきすぎている。用心するに越したことはないと、気を引き締めていた。
そしてその用心は、無駄に終わらない。
「!」
「うわっ!?」
突如大跳躍する幸之助。突然の行動に、誠志郎は驚愕の声を上げずにはいられない。宙を舞う最中、幸之助は風呂敷に包んだ背中の荷物を解いた。気導剣と銃。それを誠志郎の帯に押し込むがごとく差し込んで、彼は一方的に言う。
「東三の辻十四の角、そこまで行けば迎えが来る。すまないが自力で何とかしてくれ」
「へ?」
そして誠志郎は全力で虚空に放り投げられた。
「うわあああああ!?」
悲鳴を上げながら暗闇へと消えていく誠志郎。その姿と方向を確認しながら、幸之助は再び屋根の上へと降り立つ。
同時に四方から飛来する何か。その場で旋回しながら幸之助はその全てを叩き落とす。
かか、と小さな音を立てて瓦に刺さる何か。それは黒塗りの棒手裏剣。それを投擲したものたちが、次々と姿を現す。幸之助と似たような黒装束がざっと二十。その相手に、幸之助は何か違和感を覚えていた。
「(動きが妙だな。身体能力と思考が合一していない……術による強化か?)」
ともかく何か仕掛けがありそうだ。一筋縄ではいきそうにない。
圧倒的な数に囲まれながらも、しかし幸之助は余裕を崩さない。
「彼を追わねばならないのでね、ちょっと本気でやらせてもらうよ!」
言うと同時にぶわ、と疾風が吹き荒れる。さすれば幸之助の姿が襲撃者と同数に分裂していた。
分身。超高速機動と幻術を組み合わせたそれをもって、幸之助は謎の襲撃者と相対する。
放り投げられた誠志郎は、かなりの時間宙を舞っていた。重力緩和や慣性制御、気配の隠蔽など複数の術を重ね掛けされた効果もあってのことだが、無茶苦茶に回転しながら吹っ飛んでいる誠志郎にとっては無限の時間に思われた。
しかしそれもやがては終わりを迎える。徐々に速度と高度は落ち、落下すると誠志郎も気付く。万全とは言い難い体に活を入れ、姿勢を制御し墜落に備えようと地面を確かめた。
川だった。
「うそぉ!?」
動揺は、空歩の術を霧散させるほどには強く。結果誠志郎は無様にどぼんと墜落した。
暫し後。
墜落位置から結構川を下ったところ。人気の少ない資材置き場や倉庫が点在する船着き場のあたりで、ざばりと水音が上がった。水面から現れたのは、勿論ずぶ濡れの誠志郎である。
彼は荒い息と咳を吐き出しながら、何とか岸にはい上がった。
「はあ、はあ、は……あ、あのひと、分かっててやったな……」
自分が川に落ちると、狙って放り投げたのだと当たりをつける。確かに追跡を巻くには手頃な手段であったのかも知れないが、やられた方は溜まったものではない。ただでさえ拷問により気力体力が消耗している状態だ。幾ばくか回復しているとはいえ、かなりきついことには違いない。流石に溺れるほどのものではなかったが、ちょっと走馬燈が見えかけた。
「まあおかげで、追っ手は来てないみたいだけど。……しかしこの状態で町中は大変だなあ……」
幾ら夜中とは言え、濡れ鼠の少年など人気のあるところでは目立って仕方がない。繁華街などは避けて通った方が良さそうだ等と考えながら、誠志郎はとぼとぼ歩いていく。
幸之助がかけた隠蔽の術の効果もあって、確かに追跡されている気配はない。しかしながら、執念だけで誠志郎に追いすがらんとしている存在があった。
暗闇の死闘は、無音で始まった。
分身という超高速機動で行われる技は、本来であれば轟音を伴う。しかし幸之助の行うそれは、嵐のようでありながらも強い風が吹いている程度の音しか発しない。消音などを含めた複数の術の同時併用。しかも術式補助機無くそれをこなす。いかほどの技量か底が知れない。
が、戦いは技量だけで決まるものではない。そして数は揃えたとはいえ実際の所幸之助は一人。状況は不利である。
「吹っ!」
しかしながら幸之助は迷い無く敵集団のまっただ中に飛び込む。旋風を纏い、虚実入り混じった残像を伴って。
応戦する敵集団の得物はほとんどが黒塗りの打刀。取り回しを考慮してか刀身は短めだ。ここでも違和感。体格や構えから見て彼らはそれぞれ別の得物を使うはず。動きが微妙にぎこちないところからそれが見て取れる。隠密性を重視したのか、それとも無理矢理合わせられたのか。
まあどちらにしろ。
「(排除せねばならない事にはかわりない!)」
激突。分身も含めて幸之助は無手に見える。得物を持った相手には不利かと思えたが。
血飛沫を噴きながら吹き飛んだのは、襲撃者達の方だった。
「!?」
何事が起こったのかと、難を逃れたものたちにも動揺が奔ったようだ。挙動が一瞬鈍る。その隙を見逃す幸之助ではない。
「破っ!」
身を沈めて回し蹴り。それは相手の足を払うに留まらず臑をへし折る。
居合いのごとき手刀。何の仕込みもなく見えるそれは受け止めようとした刃を叩き斬る。
破斬剣。それを無手に纏いて打つ。本来であれば剣という『芯』があってこその技。無手てそれを成そうとなれば、それこそ実剣並の強度が必要となる。幸之助、いや葛満 悪業という人間はそこまで己を鍛え上げていたようだ。
「噴っ!」
ぼっ、と大気が爆ぜる音。空弾拳が一人の顎を捕らえ、仰け反らせる。
剣技と拳技。しかし派手なものではなく基本のそれを用いるのは、騒ぎを大きくしないためだった。
勿論幸之助はかなり攻撃力の高い術を使うことも出来る。それを使えば一網打尽とは言わないが、戦況が有利になることは間違いない。が、このような町中で大きな術を使えば、幾ら夜中で音が広がらぬよう工夫しているとは言っても人目を引き寄せてしまうだろう。表沙汰に出来ないような仕事だ。それは避けねばならない。
恐らくは向こうも条件は同じだ。だからこそ術師の類をよこさなかったのだろう。あるいは戦闘用の術を使えるものがいないのか。どちらにしろ、お互い派手なことは出来ない。であれば地味に潰し合っていくしかないのだが。
「(弱い……とまでは言わないが、なんなんだこの違和感は)」
戦えば戦うほど、襲撃者に対する疑念は膨らんでいく一方だ。なんというか、適当に集められた剣士が暗殺者じみたことをやっているのではなく、無理矢理暗殺者という型に押し込んだような印象を受けるのだ。
洗脳などして強引に意志の統率をしているのかも知れない。であれば動きにぎこちなさや違和感が存在するのも道理。お手軽に暗殺者を『量産』する。そのような試みなのかも知れなかった。
まあそれはいい。いずれにせよ倒さねばならない相手だ。
「(妙な『奥の手』があるやも知れない。気を付けねばね)」
幸之助は気を引き締め、半数近くに減った襲撃者達を殲滅する作業に戻った。
よろけ、ふらつきながらも誠志郎は歩き続ける。
幸之助に指示された場所まではまだ遠いが、それでも空が白み始める前にはたどり着けるだろう。幸いにして場所は工房や倉庫が多く建ち並ぶ区画。人目に付かず目的地までたどり着くことは可能だった。
何事もなければ、の話であったが。
「……っ!」
咄嗟に言うことを聞かない体に鞭を打ち、その場を飛び退く誠志郎。己の勘が何か捉えたと、そう感じたのだ。
それは正鵠を得ていて。
轟、と一瞬前まで誠志郎が存在した空間に上から降り立つもの。そいつは着地の衝撃を蹲るような形で殺す。ゆらりと立ち上がるその目には、爛々とした輝きが宿っていた。
「見つけたぞ、けんじょおおおおお」
地の底からわき出るような声。それを放ったのは幽鬼がごとき様相の力丸。
狂気を湛えた満面の笑みを誠志郎に向け、腰の段平に手をかける。
「僥倖、僥倖! ここで貴様を仕留め、我が道行きを曇りなきものとする!」
その言葉にも、狂気が含まれていた。まともに対話はできそうにもない。
そも誠志郎に追いついたのも真っ当な成り行きではなかった。兵鋭の指示に従い刺客と共に襲撃に参加した力丸であったが、誠志郎が虚空へ放り投げられたのを確認した途端、後先考えずにそれを追ったのだ。
隠蔽の術で感覚が狂わされ、しかも夜中であり目視もおぼつかない。普通であったらば追跡するのは難しいはずだが、力丸は勘と執念だけで追いすがり、誠志郎が落下した川縁付近を血眼になって調べ上げ、彼が川からはい上がった痕跡を見つけ出したのであった。
力丸以外にも誠志郎の追跡を行った刺客はいたはずだが、追いついたのは彼だけだ。そも力丸は刺客達と連携を取るつもりなど欠片もない。己の手で誠志郎を殺せる機会に、他のことは一切目に入っていない。
「貴様には地べたを這いずっているのがお似合いだ! 咎人の汚名を着せられたまま三途の川を渡るがいい!」
歓喜の咆吼と共に、彼は居合いにて斬りかかる。
「くっ!」
火花が散った。
電光のような一閃を、己の剣でかろうじて防いだ誠志郎。万全ではない彼は勢いを殺せきれずに後退する。二撃、三撃。なんとか受け流しているが、追い込まれていく一方であった。ついにはすぐ後ろに倉庫の壁が迫る。
「そらそらそらどうしたいつもの調子は!」
狂ったように哄笑しながら剣を振るう力丸。優位であることを良いことに、いたぶり尽くす腹積もりであった。全力で仕留めにかからずに、あえて誠志郎の守りを打ち崩すような攻めを行う。
そしてついに、ぎゃりんと音を立て、誠志郎の剣が大きく弾かれた。仰け反った彼の切っ先は、振り上げたような姿勢で背後の壁に突き刺さる。
これ以上ない勝機。瞬時に抜刀の構えを取った力丸は、全力で居合いを放った。
ゆっくりと流れるように感じる時間の中、誠志郎が左手で後ろ腰の銃を引き抜こうとしているのが見て取れる。
「(阿呆が! 銃なんぞで討たれるものかよ!)」
直線的な銃撃など容易く回避してみせる。力丸にはその自信があった。誠志郎の行動は悪あがきでしかないと気にも留めない。
銀光が、奔る。
ほどなくして殲滅は成った。
とは言っても皆殺しにしたわけではない。襲撃者のほとんどを、再起不能にしてのけただけだ。
殺す手間が惜しい。そして行動不能にさえなれば追ってはこられない。時間が経てば奉行所も動き出すであろうし、絶対に殺さなければならないほどの相手でもないのだ。手早くすませるに越したことはなかった。
ともかく事を済ませた幸之助は休む間もなく誠志郎の行方を追おうとする。が、その足が止まった。
「……なるほど、本命が控えていたわけか」
いつのまにやら幸之助の行く先に佇む影。欠けた月を背にするその男は、一見ただの素浪人であるが。
その気配。薙ぎ風すらない水面のようで、それでいて恐ろしく深く、暗い。
「(冗談じゃないぞ、やもすれば春川先生並かそれ以上じゃないか)」
その強さを察した幸之助の背中に冷たい汗が流れる。この男が相手の切り札なのか。であればまた、とんでもないものを出してくれたものだ。
「(逃がしはしないだろうな。……無手のまま相手どる事も無理か)」
幸之助は何事かを呟きつつ左手を横に伸ばす。さすればその先の空間が歪みを見せ、何やら虚空から突き出てきた。
それを見た浪人風の男は、口元を三日月に歪める。
「ほう、空間転移の類か。なるほどこれは期待できそうだ」
楽しそうな声。それだけ聞けば好青年のような雰囲気があったが、含まれる気配は狂乱にして邪悪。おぞましいとすら言えるものだ。
そんな相手から一瞬たりとも意識を逸らすことなく、幸之助は掴んだ得物を構えた。
腕の長さくらいの棒に突き出した握り柄が付いたもの。【拐棍】と呼ばれるそれは、南方諸島あたりの武術でよく使われる攻防一体の武器だ。
右手でくるりと一回し。そうしてから幸之助は音もなく屋根の上を駆け出した。
時間が引き延ばされたように流れる光景の中、力丸はそれを見た。
誠志郎が手にした銃。その引き金に指が……かからずに、その先へと伸びる。
じゃきん、と音がして銃身の下、木製外装の先に小刀がの刃が飛び出す。
「何!?」
力丸は目を見開くが、抜き放たれた剣は止まらない。そのまま吸い込まれるように刃は火花を散らして受け止められた。
仕込み刀。ただの銃士であれば銃を打撃に使うことはあってもこのような仕掛けを施したりしない。銃剣という発想が出てくるのは突撃小銃が登場するもう少し先の話であり、この時点で銃と剣は未だ分かたれていた。
このような発想を持ち実用化するのは、剣と銃双方に通じているごく一部のものに限られている。ゆえに力丸もその可能性に思い当たらなかったのだ。
完全に虚を突かれ、意識をそこに持って行かれる。だから頭上でじゃきりと気導剣の装填音が響いたのに気付くのが遅れた。
壁に刺さったことを利用して片手で燃料電池を装填。そのまま上からかち割るように刃を振り下ろす。
すんでの所で力丸の回避は間に合った。しかし。
どぎゃりんと、耳障りな音が派手に響く。
確かに誠志郎の太刀は力丸の身を捉えることは出来なかった。それでいい。
狙いは。
「俺の……剣!?」
最近仕上がったばかりの真銀合金製の太刀。それを根本からへし折られた。気導剣で背から打ち付けたからこその技。見城 鋼刃が代名詞の一つ、【牙折】の原型であった。
それは太刀をへし折ると同時に、力丸の心に一瞬の空白を生む。
気付いたときには遅い。
「しま……っ!」
眼前に銃口。この位置では回避など不可能。
だん、という銃音が、倉庫街の片隅に響いた。
疾風のように屋根の上を駆けめぐる。
速度、運動能力、全てが互角。いや。
「(こちらに合わせてくるか、厄介な)」
幸之助は内心苦虫を噛み潰したような感覚を覚えていた。
幾度か斬り結んでいるが互いに様子見以上のものではない。しかしこちらは珍しく対処しにくい武器を使っているにもかかわらず、意に介した様子はない。相当な手練れであった。しかもあの様子からするとまだ底がある。
時間はかけられないが、さりとて簡単に離脱も出来ないし追跡をまける相手でもないだろう。ここで倒すなど論外。そんな容易い相手ではない。むしろやもすれば屍を晒すのは自分だ。
にっちもさっちもいかない、とはこのことだろう。だが打開策を考えている余裕はない。少しでも意識を逸らせば。
「っ!」
まるで意識の間隙を縫うかのように振るわれる剣。意識しては間に合わず、ほぼ条件反射でしか受け流せない。本来であれば相応の相手でも、反射だけで交差法を喰らわせられるだけの技術はある。だが。
「っと、剣呑剣呑」
すんでの所で回避される。恐らくは交差法の反撃を予測しているのだろう。それに合わせて攻めも緩い。もし反撃を考慮しないで打ち込まれていたら、今頃首と胴体はお別れだ。その代わりに向こうも致命傷を負っているだろうが。
時間が経てば立つほど不利なのはこちらだ。なにしろ中央奉行所から容疑者を連れ出したのだ。ほどなく大騒ぎになる。それに誠志郎の方にも追っ手は向かっているだろう。誤魔化したとはいえ、それもそうそういつまでも続くものではない。
手詰まり。だが諦めるつもりはない。生きて帰らねばならない都合がこちらにもあるのだ。
ならば。
「(『切り札』の切り時と言うことか。あまり使いたくはないのだけれど、そうも言ってられないな)」
覚悟を決め、印を結ぼうと――
「――!?」
突然の空気の揺らぎ。音も気配もなく敵の背後、欠けた月を背に宙を舞う影。
「おっと」
場にそぐわぬ敵ののんきな声。しかしてぎゃりんと音を立て火花を散らす剣戟はどこまでも鋭い。それに弾き飛ばされるように軽々と蜻蛉を打って、幸之助の傍らにふわりと降り立ったのは。
「やれやれ、年寄りには堪える相手だよ」
「あなたは!?」
小声で言葉を交わし合うのは、口元を襟巻きで覆った初老の男。誰なのか最早言うまでもない。
「なぜここに?」
「なに、俺がそれなりの援護ということよ。誠志郎も腕の立つのを向かえにやらせている。安心せい」
「それは重畳」
恐らく順調にいっていたら手出しをするつもりはなかったのだろう。しかし出てきた相手が悪すぎる。明らかに剣匠級以上の化け物を相手に出し惜しみなどやっていられないと言うことだ。
東部匠合会でも指折りの二人を前に男――兵鋭はぬたりと笑う。
「なるほどなるほど、これほどのものたちが釣れたか。しかしこの場でやり合うのはちと惜しいな」
そう言って彼はふわりと後方へ飛んだ。
「お楽しみは後に取っておくとしよう。では一時のお別れだ」
そのままあっさりと屋根の下に消える。残された二人は暫く警戒していたが、どうやら本当に撤退したようであった。
肩の力を抜き警戒を解く二人。恐ろしい男だった。狂気を抱え込みながらそれを内に秘め理性的に振る舞うことの出来る人間。実に厄介な存在である。この分だといずれまた関わることになるのではないだろうか。
「……まあ今は置いておくさ。それよりも誠志郎だ、追うぞ」
「ですね、行きましょう」
問題を先送りしたような気がしないでもないが、今は先にやるべき事がある。月が傾きかけた夜空の下、二人の男は疾走を開始した。
一瞬にして力丸は覚醒した。
がばりと身を起こす。そして自分が生きていることに戸惑った。
「お、俺は一体……づうっ!?」
右のこめかみに鋭い痛みが走り、力丸は顔を顰める。痛む箇所に手を当ててみれば、ぬるりと粘っこい液体の感触があった。確かめてみれば、それは固まりかけた血。どうやら抉るような擦過傷を受けたらしい。
何が起こったのか、それで理解した。あの時誠志郎は力丸の頭を打ち抜く――ような真似はせず、こめかみを掠めるように銃を放ち、衝撃で脳震盪を起こさせたのだ。
それは誠志郎に残った、最後の情け。勿論そんなものに感謝することが出来ようはずはない。
屈辱に浸され、怨嗟と憤怒だけが積み重なっていく。
「見城……」
最早般若のごとき様相となった力丸は、激情のままに咆吼した。
「けんじょおおおおおおおおおお!!」
憎悪の咆吼は、白み始めた空に虚しく響き渡る。
次回予告
誠志郎の行方を必死で捜索する奉行所。彼の身柄は予想外の所に匿われていた。
しかし命を狙われている以上罪を帳消しにしたとしても危険である。
残された手段とは。
そして同じように行方を眩ませている来夏は。
次回『闇に沈む』
砲火は狼煙とならん。
俺はボブが欲しかったのに。
帰って下さいエロ尼僧緋松です。
はい今回はこんなんでました。思ったようにニンジャアクションできてねえええ! ですが本命は誠志郎と力丸の対決だったり。
実はこのシーンも書きたいことの一つだったのですよね。ここで誠志郎の銃のギミックが明かされるのも予定通りでござる。意外としょうもないのであまりご期待には応えられなかったかも知れませんが。そもそも期待してた人いるのか。
そういうことで今回はこの辺で。
今回戦闘推奨BGM。OVA『バオー来訪者』より戦闘シーンBGM。




