四十三
「討ち損じたか」
報告を聞いた兵鋭は、くっと唇の端を歪めた。
「まあそんなところだろう。付け焼き刃では、本物に届かん」
共に報告を聞いていた静間は、肩をすくめて言う。
「達人の能力を完全再現とまではいきませぬよ。だが試し斬りとしては上々」
ぬたりと、静間の口元が三日月の弧を描く。
「標準的な鹿野島が剣士を上回ると証明されたのです。予定通りに生産が進めば、戦力としては十分でございましょう」
「左様か」
兵鋭はさほど気にもならないようで、すげない答えを返す。そうしてから報告してきたものに問うた。
「して、目標は?」
「幾人かを犠牲にし、逃げ延びたようです。捜索はしておりますが未だ発見できないようで」
「『あの方』はなんと?」
「ほどほどで良いと申されております」
「ふむ、さほど執心はないか」
自分たちの主は目標を討ち取ることに拘ってはいないらしい。基本的に『目的は果たしている』のだ、あとは余力があればとわきまえているのだろう。
「まだ暫くは派手な動きはできん。追っ手にも自重するよう伝えろ」
「承知」
部下が去り、兵鋭は腰を上げた。
「おや、どちらへ?」
「少し連中を鍛えてくる。本物を討ち取るとはいかぬまでも、せめて手傷は負わせられるようにせねば不安だろう」
静間の問いに答え、兵鋭は部屋を出る。古くさく広い寺、うち捨てられかけていたここは、今や陰謀の坩堝だ。魔女の釜のごときここは、きっと自分には似合いの巣なのだろう。そんなことをつらつら思う。
だが、それもどうでも良いことだ。この胸の内にある欲望を解き放てるのであれば、どこだっていい。何だって利用する。兵鋭は己の狂気のままに、それでいて冷静に、虎視眈々と牙を研ぎ準備を整える。
「さて、一汗流したら力丸に声をかけておくか。例の小僧が相手にはいいだろう」
歩みながらくつくつと笑む。
その笑顔は、邪悪であった。
四十三・虜囚
天地をひっくり返したような大騒動、とはまさにこのことを言うのだろう。教導院の現状はそうとしか表現できなかった。
先の鹿野島と来夏の騒動が冷めやらぬどころか渦中だというのに、鹿野島屋敷が襲われ来夏は行方不明。その事件の重要参考人扱いで誠志郎が連れて行かれた。学徒はおろか教員ですらも驚き慌てふためいても致し方あるまい。
そんな中で、ただ一人ほくそ笑んでいるものがいた。
「くく、運が向いてきたと思っていたが、これはこれは」
伊上 力丸。彼は人気のない中庭の隅で、一人悦に入っている。
千里を手中に収め――彼はそう解釈していた――縁を繋いだ。これは後々利用できると思っていたところに宿敵の連行の話だ。どういういきさつかは知らないが、ざまあみろと痛快な気分になっていた。
惜しむらくは、己の手で奴にとどめを刺せなかったことであるが……。
「まかり間違って脱獄し、賞金首にでもなってくれぬかな。さすれば堂々と奴の命を狙えるものを」
追い込み命を駆ることを夢想する。誠志郎は未だただの重要参考人でしかないのだが、力丸の中では完全に咎人扱いであった。普通に考えればもはや妄想の類だ。
彼の願いは半分だけ叶えられる。
ただし、残酷な形で。
「いかなることか、説明をせいと言うておる」
苛立ちを隠そうともしない浜一は、目の前で伏したままの男に対して厳しく言葉を投げかける。
猪頭 秀昭。政府評定所総監であるはずのその男は、恥も外聞もなく土下座を敢行していた。
「そ、そのそれは、捜査上の機密というものもございまして。現場の判断を優先し任せている以上、拙者が口を出すのはよろしくないことかと……」
へりくだって平謝りしているように見えるが、頑なに事情を話そうとしない。これは職務上の義務感や矜持などというものがそうさせているのではなかった。
「(何がどうなっているのか聞きたいのは拙者だ!)」
床に額を擦り付けながら、秀昭は内面も外面も脂汗をかきつつ現状を呪っている。
秀昭はこれまで猪頭が代々受け継いできた役目を大して考えもせずに甘受し、立場に強いものにはいい顔をして部下に仕事を押しつけてきた。とてもではないが帝国の武門が頂点の片割れであり、国内の治安維持を一手に引き受ける評定所の総監とは思えない無責任さであった。無能の風見鶏と誹られても仕方のない杜撰さである。
今回だって、中央奉行所筆頭奉行である晴英より捜査上どうしても必要だと具申があったから、よく確かめもせずに誠志郎の捕縛を許可したのだ。それがなぜこのようなことに。
第一にして――
「かの者は、雪割様と共に剣を学ぶ名誉を与えられた者であるぞ。それが分かっていて、このような暴挙に出たと言うのか!?」
そんなことは聞いていない。いや、聞いていたとしても覚えていなかった。
秀昭は、雪割皇子の動向などに全く注意を払っていなかった。彼にとってかの皇子は胡麻をするに値しない相手でしかない。昇月のような覇気を持たず、ただ言われるがままに御劔の席に収まろうとするだけの少年だ。頭を下げる相手ではあっても意を酌む相手ではないと、そう思っている。
しかしながら、その後ろ盾である目の前の老人は話が別だ。老の長であるこの老人は、未だ大きな影響力を持つ。浜一とて事を荒げようとしているわけではないだろうが、秀昭にとっては迷惑千万でしかなかった。ただこうやって頭を下げていれば通り過ぎるような癇癪であればよいのだが……。
この期に及んで秀昭は、まだどこか事態を楽観視していた。低身低頭のらりくらりとやり過ごせば乗り切れると。
それが結果的に多くの者の怒りを買うことになるとは、想像すらしていない。
「例えいかなる立場にあろうとも、僅かでも疑いあらば調べなければならぬものでございます。どうか、どうかご理解のほどを……」
「ほう、言うたな」
浜一の声が一段低くなる。伏したままの秀昭は、地雷を踏んでしまったことに気付かなかった。
来夏の軟禁までは見過ごせた。鹿野島のことからすれば当然の範疇であり、予想内のことである。しかし襲撃と誠志郎の捕縛までくれば、これはもう職務怠慢どころの騒ぎではない。見方を変えれば自分や雪割皇子、その他来夏と誠志郎に関わる人間に対する挑発行為にも等しい。
浜一は凄絶なまでの笑みを浮かべ言う。
「そこまで言うのであれば、それ相応の覚悟は出来ているのであろうな?」
「……え?」
はっと面を上げる秀昭。浜一と視線が合ったがあったとき、彼は背中に冷たいものが差し込まれたかのような感覚を覚えた。
しかし時すでに遅し。
「まかり間違いであったとき、相応の責任を取る覚悟があるのかと聞いている」
「は? いや、それは!?」
「腹を切れ」
「……はひゃあ!?」
座った目をした浜一に詰め寄られ、ついに秀昭は情けない悲鳴を上げた。
掛け値なしの本気。秀昭には浜一がそう見える。
「下級とは言え皇子殿下の忠臣となりうる者が不当に貶められたかも知れぬのだ。当事者は無論として貴公にも監督責任というものがある。むしろこのようなことを放置して言い訳とは、十二公爵家の風上にも置けぬ。それぐらいの覚悟は……せねばな?」
「ひ、ひい!?」
「嫌ならばとっとと働かんかあ!!」
「はひゃいっ!」
もはや人語すらもおぼつかなくなった秀昭は、浜一の怒声を受け這々の体で退室する。その姿を見送って、浜一は忌々しげに舌を鳴らした。
「あのたわけが。誠志郎がかの事件に関わりを持つことなど出来なかったと、少し調べれば分かるであろうに」
最低でも浜一の知る範囲では、事件のあった当時誠志郎の身は春川道場にあり、そして春川道場から鹿野島帝都屋敷まではどれほど急いでも一刻ほどの時間がかかる。関われたはずもない。そも教導院関係者は来夏との接触を制限されていた。誠志郎の立場では面会の許可など下りず、密やかに接触しようとしてもそれはたちどころに露見するはずだ。第一にして、この状態でのこのこ何の用意もなく直接的に関わろうと思うほど、誠志郎は阿呆ではない。
結論として考えられるのは何者かの策略。浜一はそう睨んでいるが。
「誰か? 昇月殿下はもうおられぬ。鹿野島を狙った策略なら火付けの時点で終わっている話だ」
屋敷が襲われたという所までは分かる。鹿野島の内乱を煽る意味では有効な手であろう。だが誠志郎を下手人に仕立て上げようとするところが分からない。確かに誠志郎は雪割皇子を始めとして身分の高いものとの交流がある。彼を排除すれば自分を含め多くのものに影響を与えるのではと予想は付く。
だが、それだけだ。一人の将来有望な少年は失われるかも知れないが、実質的に被害を被るものはいない。仮に彼に汚名を着せ、それに繋がるお前達も……とやろうものならばそれこそ血で血を洗う暗闘が始まるであろう。上級貴族のそれはとてつもなくえげつないはずで、双方被害も尋常ではないものになる。割が合わないどころではない。
それらを踏まえた上でやるというのであれば、よほど大きな策謀を考えているのか。だがそのようなことを考えるような人物など……。
「……穿った考え方をすれば、いないでもないか」
しかしそれはよほど捻くれた考え方だ。鹿野島内乱では済まない、現体制を根本からひっくり返す位の大事であり、企んだ人間が予想通りの人物であれば、その事実は帝国の威信を完全に崩壊させるほどのものとなる。どう動くにせよ慎重にならざるを得ない。それすらも計算のうちであるというのであれば、かの人物を完全に見誤っていたと言うことだ。
しかしながら今はいい。所詮は推論を重ねた話で確証などなにもない。それよりも誠志郎を救うために動かねば。結果それが、全ての解決に繋がるだろうから。
「今暫し、耐えよ。この老骨の働きが効くまでな」
囚われの少年に、届かないであろう言葉を投げかける。
そうして浜一は行動を再開した。
誠志郎に関わりがなくとも、今回の事に疑問を持ち行動するものはいる。
「こちらに一切話を通していないとは、どういう了見なのか説明を頂きたいものですな。筆頭」
東部奉行所奉行覚央山 時光は、中央奉行所筆頭奉行下津河 晴英を問いただしていた。
教導院関連であれば、本来所在地である東部奉行所にまず委ねるか、最低でも話を通さなければならない。だが鹿野島 来夏の『保護』はともかく、見城 誠志郎の連行はあまりにも唐突すぎた。中央奉行所内部でも疑問視されるほどに。
だが晴英はそれを強行した。まだろくに捜査もしていない時点である。前もって下手人に目星を付けていた……というよりは襲撃時点で誠志郎が深く関わっていると決めつけていたような行動だ。いや、恐らくは――
推論を飲み込み、ただ事実を確かめるため時光は問いを重ねる。
「かの学徒の身柄を確保したのは分かります。彼は鹿野島の姫君と関係が深い。しかしながらそれに関し、我等に一言もなしとはいささか道理の通らぬ話ではございませぬか?」
あくまで東部奉行としての矜持や立場からのものだと、ひいては手柄を横取りしてくれたなと、そんな考えを持っているよう装っての言葉。それがどう映ったのかは分からないが、晴英は鷹揚に見える態度で応えた。
「まあ落ち着くが良い。儂も別段貴公をないがしろにしようと思ったわけではない。こちらにも色々と事情があるのだ」
「……と、申されますと?」
「どこからとは言わんが、密告があった」
「ほう?」
時光の目が鋭くなった。それに気付いているのかいないのか、晴英は言葉を続ける。
「此度の事件、鹿野島が『偽装』であった可能性がある。姫と家臣を帝都から脱出させるためのな。かの少年、鹿野島の姫と懇意であった故に手引きをした……やも知れぬ」
「しかし、それがこちらに話を通さない理由にはなりませぬな」
「時間との勝負であったからな。今西部の方で西界道へと網を張っている。が、流石に手の回らないところも多い。急ぎ手がかりを掴まねばならぬのだよ。無論かの少年だけではない。幾人か、大きな声では言えぬが、密かにそれなりの立場のものにも話を伺っておる。その上であちこち話を通していたらば、情報が漏洩する可能性もあるのだ。貴公には申し訳ないが、この一件はこちらで全て預からせてもらう」
なるほど、話の筋は通っている。それが全て正しければの話だが。
「(簡単にぼろは出すまい)」
目の前の男、これでも奉行所の頂点に立つ男だ。腹芸に置いては年期が違う。多少つついたくらいでは尻尾を掴ませてくれぬだろう。
「ひとまずは得心いたしました。ですがこちらもただで帰ると言うわけには……」
「うむ、勿論そちらの手柄にもなるよう、割り振りを考えるので安心せい」
「は、ありがたく」
あくまで下心ありとの態度を崩さず、頭を下げる時光。その下で、彼は眉を寄せていた。
「(『贄』、ということか)」
何者かが鹿野島の叛意を煽るため屋敷を襲い、逃亡という名札を張って来夏らを追い込み、誠志郎に罪をなすりつける。そのような事ではないかと目星を付けたのだ。目の前の男はその片棒を担ぐことなど、呼吸をするように行うだろう。そのような人物がこの地位にいるのは家柄と言うこともあるが、純粋に有能であるからだ。
晴英は今回のような後ろ暗いこともやってのけるが、何事もなければむしろ職務に忠実で公正な判断を下し遂行する。余分な思い入れも情熱もないからだ。それなりの権力を握り、過度な上昇志向がない。ただ現状で美味い汁が時折吸えるのであれば十分という、俗物でありながらそこそこ自制心がある結構厄介な人間であった。
そんな彼を動かす何者か。このようなことを起こしながら彼の地位と立場を脅かさない、むしろ盤石なものとし、そこそこの報酬を用意できる存在。そんな都合の良い者がいるだろうか。
「(いや、疑問は後だな)」
晴英は時間の勝負と言った。
それは時光にとっても同じ事。
「……つまり旦那は、中央よりも早く来夏姫の身柄を保護したいと、そう言う事ね?」
「ああ、好き勝手やられてしまっては、事の真相は闇の中に葬られてしまうだろうからな」
東部奉行所に戻った時光は、忍びながらも急ぎ匠合会窓口事務所を訪れていた。
笹舟を通じ、信用できる者に仕事を依頼するためである。
個室にて彼は笹舟と一対一で言葉を交わす。
「先に確認しておいた。これは東部、北部、南部三方の奉行所が総意だ」
「場合によっては中央と事を構える、ということ?」
「もしくは『それ以上』とだ。もっとも表立ってというわけにはいかんがな」
今回の事件に置いて、中央と西部以外の帝都奉行所群は大きな疑念を抱いている。鹿野島の内乱は、政府の中核に位置する誰かの策謀によるものではないかと。
皇帝の威光は陰りを見せ始め、中央と地方の意識格差は広がっていく一方。この状況を打破するため、内乱を誘発しそれを鎮圧。武威を示して権威の回復を図る。そのようなことを考えている人間も実際いる。今までは実行に移されることはなかったが、ついに動いたのではないかと、そう推測しているのだ。
このようなことに関わるなど、奉行所本来の仕事ではない。しかしながらこのままでは、帝国全土を巻き込む戦乱に発展するやも知れぬ。義務感もあるがそれ以上に戦乱が巻き起こるのは勘弁して欲しいというのが本音であった。しかし、それが止められぬであろう事もうすうす感じてはいる。だからといって指をくわえて見ていると言ったことが出来ようはずもなかった。
「無駄かも知れんが、な。やるだけはやってみるさ。……あるいは、『裏』の力を借りることになるかも知れん。『元締め』に話を通しておいてはもらえぬだろうか」
「あらいいの旦那? 裏は奉行所にとって不倶戴天の怨敵でしょう?」
「同時にこちらが出来ぬ事を肩代わりさせているような存在でもある。持ちつ持たれつとは言わんが、こちらの目に留まらぬように動いているうちはそっぽを向くさ」
なにやら後ろ暗そうな会話が交わされている。時光はどうにも普段は使わない、何らかの手段を用いることすら想定しているようだ。
その後、彼らの会話は夜遅くまで続いた。
その中で、誠志郎の話題はほとんど出ることはなかった。
笹舟から話を聞き、五郎左は眉を寄せた。
「見捨てる、と言えば聞こえが悪いが……」
「優先順位は低いっていうことよ、先生」
時光ははっきりと言った。「見城 誠志郎の解放には関われぬ」と。
理由はいくつかある。まずは関わる理由が作れないということ。どちらにしろ今回の事件には表立って関わることが難しい。それでも来夏の捜索などは影でこっそりと行うことが出来る。しかしながら誠志郎に関してその身柄は中央奉行所が中。釈放するよう働きかけるには理由が弱く、物理的な手出しは危険すぎる。正攻法で彼を救い出す手段は無きに等しい。
二つ目、「中央奉行所の注意を少しでも逸らしておきたい」という打算。これもある。捕らえた以上、誠志郎を放っておくわけではない。何らかの情報を引き出すか、または無いことを吐かせようとするかしているだろう。その手間に人員と労力が裂かれているうちは、来夏の捜索が僅かながらも遅れる。少しでも彼らの思惑を上回りたい時光にとって、その僅かな差でも千金の価値があるのだ。
最後は簡単、純粋に人手が足りない。来夏の捜索に多くを振り分けねばならない以上、それ以外の人員は限られてくる。さらに誠志郎の解放にまで手を回せなど、あまりにも酷な話とすら言えるのではないだろうか。
「つまり東部を含めた奉行所群は関われぬ」と、時光は誠志郎に関する話をそこで締めくくった。
だが逆に言えば――
「誠志郎に関しては『誰が何をしても我等は知らぬ』と、そう言う事よな」
五郎左は一転してにやりと笑う。
まともな手段であれば誠志郎を救い出すことは適わぬ。であれば『まともでない手段』を使うまでのこと。それが適う手段があるからこそ、時光は笹舟に話を通したのだ。
東部匠合会。帝国でも最大級の人脈網を持ち、数多の有能な人材を抱える存在。このような場合においても事を成せる人間は、事欠かさないと言わぬまでも相応に所属している。
そして現在、その中でも『とびきり』が名簿に名を連ねていた。
「なるほど、だからこそ己が呼び出されたと」
部屋の中で壁を背に腕組みをしていた男。苦笑を浮かべるその男は幸之助であった。
彼の言葉に五郎左は頷く。
「左様よ。葛満が一門ともなれば陰陽寮をも出し抜く強者。中央奉行所に忍ぶなど朝飯前であろう?」
「確かに出来なくはありませんが」
幸之助は溜息を吐く。
「己がこの話を受けない、とは考えませんでしたか?」
その言葉に、五郎左はかか、と笑う。
「ありえん話だ。お前さんは自分が思っている以上に誠志郎を気に入っておるし、花島のお嬢さんも同様であろうが。仮に儂らからの頼みは断れても、あのお嬢さんからの頼みは断れまい?」
そう言われるとぐうの音も出ない。実際、断る気など最初からなかったのだし。
こんなことなら匠合会に登録するのではなかったかなあと思うが後の祭りだ。まあこの状態であれば、登録していなくとも手助けしたことは間違いなかろうが。
幸之助の様子を見た五郎左は、傍らの風呂敷包みを手に取り開く。そして中身を幸之助に差し出した。
「これは……」
誠志郎の気導剣と銃。受け取りながらどういうことかと目で問えば、五郎左はこう言う。
「何があるかは分からぬからな、保険よ。首尾良く抜け出したはいいが、その直後に討たれでもしたら笑い話にもならん」
「なるほど、お預かりいたしましょう」
過保護、とは思わない。むしろ何かあったら独力でなんとかしろといわれているようなものだ。確かに奉行所を抱き込むような相手、なにをしでかすかわかったものではない。
「あたしたちもそれなりの援護は出来るけど、相手が相手だから限度があるわ。面倒だけど頼まれてくれる?」
「微力を尽くしましょう」
力強く頷き合う。聞けば浜一も動き出しているらしいが、手数は多い方がよかろう。中央奉行所を相手取るなど前代未聞の大事であるが、このまま放っておけばまともな沙汰が下されるとはとても思えない。それに事は誠志郎だけの話ではない。これを許せば他の地方領でも似たようなことが起こり、また別の人間が犠牲となるやも知れない。いや、その確率は高いと見て間違いないだろう。
故にくじく。大儀や正義を標榜するからではない。ただひたすらに迷惑だし、第一気にくわない。罪なきものに罪をなすりつけるなど、場末のやくざものにも似た愚行だ。しかもそれが自分たちの身近なものと来ている。法と秩序の番人がそう来るのであれば、こちらもそれ相応の対処をさせて貰う。
男達もまた、己の信念に従って動き出す。
大きな流れに少しでも逆らい、楔を打ち込むかのように。
肉を叩く音が、暗がりの中鈍く響く。
それが自分の体から発せられているものだと確信できないくらいに、誠志郎は朦朧としていた。
「いい加減言え! 鹿野島の姫が逐電したその手引きをしたとな!」
「頷け、頷くだけで良いのだ。それだけでお前は楽になれる」
何度も繰り返される罵声と、耳元で囁くような声。加えて最早痛覚がまともに感じられないほどに責められた肉体。数日間、寝る間以外はぶっ続けで行われている拷問は、精神をまともに保つことすら難しい状態へと、誠志郎を追い込んでいた。
だがそれでも、彼は頑として頷かない。
「……ちっ、しぶとい小僧だ」
割れた竹の棒にて誠志郎の体を打っていた尋問担当の同心が、髪の毛を掴んで腫れまくった彼の顔を引き上げる。
かろうじて意識はあるようだが、もはやちゃんとした思考能力が残っているとも思えない。天井から両腕を広げられた状態で引っ張られ、全身を打たれ続けられれば半刻もせぬうちに大概のものは音を上げる。しかし誠志郎はこんな状態になるまで数日間、ただ黙って責め苦を受け続けた。
「剣術使いってのは餓鬼のころからこんなんか。気味が悪い」
投げ捨てるように誠志郎の頭を離す。がくりと項垂れる少年を、それこそ気味が悪そうに見やる同心と部下達。
彼らは犯罪事件を解決するために存在するのではない。何が何でも容疑者に自白させるために存在するのだ。事の真偽はどうだっていい、ただ下手人を作り上げ沙汰の場に差し出す。そう言ったことを臆面もなくやってのけるものたちであった。
もっともこのようなこと、年に一度あればいい方だ。流石にそうしょっちゅう下手人をでっち上げるような真似はしない。例えばそう、地位が高かったり権力を持っていたりする人間が容疑者になったとき、誰かに身代わりになって貰う場合などに限られてはいた。
ともかく彼らにとっても久しぶりの仕事であったが、これがなかなかに難物である。どれだけ責めても、苦悶の声こそ漏らしはするが一言も発しない。大の大人でも耐えられぬような苦痛を堪えている少年に、気味の悪さを覚えても仕方のないことだ。
「今日はこんなところにしておくか。……おい、牢に放り込んでおけ」
「はっ」
拘束が外され、ずるずると引きずられながら誠志郎は連れて行かれる。その先は独房。
いくつも並ぶ牢の一つに、彼は乱雑に放り込まれた。
「やれやれ、強情にもほどがある」
「とっとと吐けば良いものを、馬鹿な餓鬼だ」
言いながら施錠した下っ端たちが去っていく。
残された誠志郎は、床に倒れ伏したままぴくりとも動かない。流石に意識を失って……はいなかった。
「(今日も何とか……乗り切れたか)」
呆れたことにこの状態でもまだ思考能力は残っていたらしい。と言うより拷問が終わってから、なんとか意識を取り戻したといったほうが良いだろう。
彼が口を開かない理由はただ一つ。やってないから、それだけだ。
誠志郎は来夏が事を起こした場合、力を貸す腹積もりではあった。もしそのことを指摘されていたらば彼は素直に応え、罪に服していただろう。だが鹿野島屋敷の襲撃については寝耳に水も良いところで、自分とは全く関係がないことである。
やってもいないことをやったとは言えない。素直さと妙な頑固さが発揮された結果、彼は頑として口を開かなかったと言うわけだ。その結果拷問を受けまくる羽目になったわけだが、それでも己を曲げるつもりはない。
埃や矜持があるからではなかった。ここで自分が嘘を付けば、多くの人間に迷惑がかかるだろう。それを避けたかったからだ。だからやっていない事に対しては絶対に頷かない。それだけのことでここまで耐えられるこの少年はかなりおかしいのであるが、生憎と本人に自覚はなく、それを指摘するものも存在しなかった。
しかし流石の彼もかなり堪えている。体力も精神力も限界に近い。いつ果てるともない責め苦を、ただ根性だけで耐えている有り様だ。
「(ともかく……少しでも休んで……体力の、回復……を……)」
器に盛られた犬の餌にも等しい食事に手を付ける余裕もなく、床に倒れ伏したままの誠志郎は、ほとんど気を失う形で眠りに落ちた。誰もそれを気にせぬまま夜は更けていく。
そして、草木も眠る丑三つ時。
ぎい、と微かな音が響き、格子が揺れる。
牢屋に侵入した影。それは音もなく誠志郎のもとへと忍び寄った。
微かに鯉口が切られる音。抜き放たれた黒塗りの刃は、逆手に高く構えられる。
そしてそれは、誠志郎に向かって迷い無く振り下ろされた。
次回予告
誠志郎を救おうとするもの、命を狙うもの。
その双方がぶつかり合う。
闇の中の戦い。
誠志郎は果たして生き延びられるのか。
次回『暗闘』
砲火は狼煙とならん。
ゴールデンウィーク? 寝るし。
所詮独り身はこんなもの緋松です。
さて今回は誠志郎君フルボッコの回です。少しは鬱展開らしくなってきましたでしょうか。
彼を救うために皆色々と動いておりますが、その直前でさらなる動きが。果たして一体どうなる事やら……ってこればっかり言ってるような気がするな俺。
で、大体予想が付いている方もおられるでしょうが、次回はニンジャバトルになる予定です。やっとベールが脱げるぞ幸之助君! しかし次回以降活躍の場があるのかどうかは不明だぞ幸之助君! ということで、ヤツが主役……のはずです。多分。
それでは今回はこんな所で。




