第11話 血と金貨
金貨が舞う空の下、金貨の産湯の下に産み落とされたと、父も母も言っていた。
私も、とてもそう思う。この世を支配する見えない血として、金はあまねく満ちている。
マーシャという国は本当に小さく、ラシケントやエフェスに比べれば、取るに足らない程度の狭い土地の中で、必死になって生きる商工業者達の自由都市国家だ。だが、自由な世界に生きる私達は、そのために必ずカネを必要とする。
我がマーシャはその資金を造船技術に特化し、多額の貿易を行う海洋国家として名を馳せ、潤沢に得た資金で、良質の金貨を鋳造することで、マーシャ金貨は世界の通貨として、ラシケントやマーシャでも使われるようになっている。
中立を保ちつつ、さらなる富を蓄積する為に、我々は強い武器を作り、それを強大な国々に輸出する。常に最先端であり、最も富と自由に溢れた国、それがマーシャだ。そして、そんなマーシャで幸せになるためには、結局カネが必要なのだ。
稼ぎ過ぎて困る事など、何一つ無い。兵を集める為に、その兵を維持する為に、その兵達に装備させる為に、妻を娶る為に、子を産ませる為に、子を育てる為に、生きる事全てに於いて、カネは必要となっているのだ。
だから私は金儲けをする。商道に魂を捧げる。誰に後ろ指をさされようと、悪魔に魂を売り渡そうとも――
「ニナ、ラシケントの走狗達は逃げおおせたそうだな」
「はい、何やら空を飛ぶ道具を使う者が出たとのこと」
「ほう? あの国に、そのようなものを作る発明家が居るのか」
「あくまでも噂ですが、ラシケント辺境伯ネイ・ハーマンの趣味が錬金術と伺っております。ラシケント国内に大きな動きが無いまま、突如としてそのようなものが現れたという事を考えれば、おそらくそのネイが、この度のエンド・ガーウィン脱出に助力をしたと思われます」
「なるほど、今度こそエンドさんも一環の終わりかと思いましたが、世の中には悪運というものがあるんでしょうね」
銀のゴブレットに入った葡萄酒を飲み干し、夜空を見上げる。
数日前から、この国では本格的な戦争が始まっている。だが、まだ今は各地の軍勢を集めているだけで、本格的なブルーノに対する侵攻は数日後になるという。
全ては私がエフェスの官僚を抱き込み、ダム建設という悪魔の所行を現実にさせたからだ。マーシャの政治家、及び官僚のほぼ半数は、無給で仕事をする代わりに、自分の商売に便宜を図って良いという、重商主義を採っている。その中で、エフェス・ラシケント双方に於ける日照りに目を付け、ダム建設という戦争に繋がる計画を持ちかけたのだ。
建設に関わる国債の全ての引受先はウィルト商会だ。戦争をするための武器も、戦争をするためのきっかけも、全ては私がお膳立てした。そして、それは全て金貨の持つ、カネの持つ力に他ならない。
これから何年、いや、何十年に渡って、エフェスとラシケントは再び激しい戦争をする事になるだろう。だが、彼らの戦争が長引けば長引くほど、私は、そしてマーシャという国は潤い、人々は幸せになる。それはとても正しい、究極的な絶対幸福への一里塚なのだ。
たとえラシケントとエフェスの人間が、どれほど犠牲になろうとも―
「ニナ、私は悪い人間かね」
「いいえ」
「お前は聡明な娘だ。だから私は、お前にだけは嘘を吐かない。お前の事も、利用価値があるからそばに置いているだけだ。嫌なら他の主人に仕えれば良いんだぞ」
「何度もそうおっしゃっていただいていますが、私の主人はアレサ様のみです」
無表情だが、ほんの少しだけ嬉しそうに、感情がこもった声で彼女は言う。
喜んでいる時、悲しんでいる時、怒っている時、最初はその差が感じられなかったのだが、ちゃんと彼女は感情を持っているということが、近頃は分かってきた。
この言葉が真か偽りかは分からない。だが、金で買えない安らぎを、私はニナに感じている。元は私の名誉の為に、慈善事業として行っていた孤児院に居た、人一倍照れ屋で人見知りの激しい娘、それがニナ・エルウェイだった。それ故、体の大きくて強い男の子達に、よくいじめられていたと、養父母として雇っている者達から聞いていた。
慈善事業とは言え、施設の中で何が起ころうとも、私にとってはどうでもいいことだ。いじめが発生し、それで殺される人間が出たところで、表沙汰になって、問題になるような事が無いのであれば、そんなものに関わるような理由は無い。むしろ、弱肉強食と自然淘汰という、野性の世界に於いては当たり前の事に過ぎない。
だが、ある日の真夜中、誰もが寝静まった寝室の中で、ニナはナイフで自分をいじめていた子供を半殺しにしたのだ。しかし、その際に抵抗した少年によって、彼女も片方の目の視力を失う事になった。
その時使われたナイフも、厳重に保管されていたはずだが、ある日紛失したままになって、誰も気に留めていなかったものを、ずっと彼女は隠し持っていたのだ。復讐という目的の為に手段を選ばず、年下で女であるという力の差を補う為に。
当然施設管理人をしている夫婦には大目玉を食らったし、私にもすぐさまその報告は届いた。
彼女の処分をどうするべきかという相談に対し、まずその娘に会いたいと私は打診した。
ルールとは、もちろん守るためにあるものだ。しかし、そのルールからはみ出さざるを得ない時に、いかにしてそのルールを破るのか。その必要性、その理由、その方法、そして手に入れられるものと、終わった後の結果。そこに至るまでの論理的思考に於いて、彼女が何を考え、何を求めたのか?
私は彼女と数日の間行動を共にし、腹の奥の奥にまである全てを、残らず聞き出した。
その時、私は久しぶりに「面白い」と心の底から感じた。この娘が考えていることは、他の孤児院の子供達とはまるで違う。見えている世界、感じているもの、何もかもが違うのだ。
やがて私は、彼女を自分の手元で従者として使う事を決めた。商売の手伝いをさせるだけではなく、剣術を学ばせ、今は銃の扱いも教えている。きっと彼女は、美しく育つ事だろう。
私はとても楽しみだ。この娘が自分を越えるような何かとなって、マーシャを牽引する日が。
人間に興味が無かった私の、好奇心を刺激した。それはとても素晴らしい。
今や彼女は、私にとって唯一の相談相手であり、気の置けないパートナーとなっている。
だから私は質問する。
「ニナ、ラシケントはエフェスに勝てるかね」
「無理でしょう。しかし、負けもしないと思います」
「なぜ?」
「銃を手に入れたラシケントは強いです。しかし、彼らは自分達が以前勝てなかった事を知っています。また、エフェスはダムを造られては困るという事もあり、死兵となって襲ってくることでしょう。死を覚悟した兵ほど厄介なものはありませんが、銃の前にはそれも無力。
エフェスは一方的に攻め込むでしょうが、ラシケントが打って出るには、まだ力不足です。しばらくの間膠着状態が続くだけで、双方に小規模な被害が出るのみと思われます」
「宜しい。私の思惑通りだ」
私はこうして、たまに自分がしたことをニナになぞらせる。彼女は私が思っている事をそのまま言葉として表し、その結果どうなるかを予想する。そして、その予想通りに事は運ぶ。
全ては自分の思惑通りに、何もかもは動いている。そしてまた、私の元には大金が転がり込んでくる。金貨は金貨を産み、金貨は金貨を呼ぶ。
「しかしアレサ様、これはあくまでも予想です。長老衆でも有力者として、このデトラを取り仕切っているバドルは、この開戦を好ましく思ってはいませんし、我々の賄賂による懐柔にも応じそうにありません。油断はできないと思われます」
「ああ、商売と戦争はとても似ている。寝首をかかれれば、待つのは破滅だ」
安楽椅子に体を預けて、すっと目を閉じる。
そう、まだ始まったばかりなのだ。予定とはあくまでも、確定していない明日より後の事。
戦争は始まったばかり。ダム建設もまだ途中。金貨の雨が降るのはこれから。
それはねじを巻き切ったオルゴールのように、これから旋律を奏で始める―




