婚約破棄
順風満帆な人生だと思っていたのに、大きな落とし穴に落ちてしまった。
「エリス。お前との婚約を破棄する」
婚約者に吐き捨てられたように言われて、エリスの人生は大きく変わってしまったのだった。
エリスは料理を作るのが好きだ。
美味しい料理を食べた人は、とても幸せそうな顔をするからだ。
どんなに疲れている時でも、辛いことがあったとしても、美味しい料理を食べた後は、幸せそうに笑う。
エリスは幸せな人の笑顔が好きだ。自分も笑顔になれるからだ。
今日も料理をするために、髪をまとめて、エプロンをつけて鏡の前に立つ。
赤毛で広がる髪も、結べば一つになる。
大きくてくりくりの瞳は、食べ物の目利きをしっかりしてくれる。
形のいい唇は、自分自身も美味しい料理を食べるためにある。
「おはよう」
エリスは今日もキッチンに入り、シェフとスタッフに歓迎される。
「おはようございます。お嬢様」
「お嬢様。いい鳥が手に入りました」
長年屋敷に仕えるスタッフたちは、エリスお嬢様が大好きだ。
少し背の高いお嬢様は、クルクルとよく動き、テキパキとよく働く。
なによりも。
「エリスお嬢様のまかない。美味しいです」
エリスお嬢様の料理は、決して華やかとは言えないけれど、一度食べたらまた食べたくなる程、美味しかったのだ。
「今日の差し入れもうまくできましたね!お嬢様!」
婚約者の王太子殿下への差し入れ、チキンカツサンドを仕上げて、エリスは笑顔になった。
「殿下は良く召し上がるから、作り甲斐があるのよ」
手早く包んで、足早に屋敷を出る。
「お嬢様なら、ご結婚の際に執り行われる、晩餐の儀も問題ございませんとも」
晩餐の儀。
古くからこの国にある慣習で、結婚の際に、相手のご家族を招いて手料理を振る舞わなければならない。
国王一家ともなると、臣下もあわせて大変な人数になるが、そこは料理をするスタッフを雇ってもらえる。
エリスはこの晩餐の儀には自信があった。
今でも殿下はエリスの作った料理を残さず食べるし、国王や王妃も美味いと食べてくれているのだ。
ほぼほぼ、問題はないだろう。
チキンカツサンドを入れたバケットを下げ、馬車から降りると、はやる気持ちを抑えて、エリスは走る。
順風満帆な人生だ。公爵家に生まれ、この国の王となる方と婚約し、その家族に気に入られている。なんの不満もない。
殿下が、無言でエリスの食事を平らげる以外に、エリスには文句はなかったのだ。
春の花々が咲き誇り、甘い香りが漂う、整った美しい庭に入り、テラスで待つ殿下の元に、エリスはたどり着く。
今日も殿下は、テラスで椅子に腰をかけていた。
王家に生まれた証の金色の髪は、赤毛のエリスの憧れだ。
整った顔立ちの殿下は、淑女達の憧れで、エリスもちょっと自慢だ。
殿下とエリスの身長の差は1センチくらいなので、エリスはヒールの高い靴はなるべく履かない。今日も踵が低い靴を履いてきていた。そんな気遣いも、エリスはさりげなくしていた。
今日も、殿下の姿は何も変わらなかった。
今日も素敵なお昼ご飯にしましょう。
そう声をかけようとしていたのに、エリスは何も言えず、口をそのまま閉じてしまった。
殿下の隣に、見目麗しき女性が、寄り添うように立っていたからである。
エリスはその女性を知っていた。
社交界の華、ディアティーニ公爵家のご令嬢だ。
エリスよりも背が低く、華やかな顔立ちの女性だった。
スタイルも良く、エリスにはない腰の括れを持つ、素敵なご令嬢。
「エリス。やっと来たか」
殿下は横柄に言うと、ご令嬢の腰に手を回した。
「紹介しよう。ディアティーニ公爵家のご令嬢、マリアンヌだ」
「初めまして」
マリアンヌはとても自信に満ちた表情をしていた。
エリスのことを品定めするように下から上まで眺めると、鼻で笑う。
「あらあら。ご令嬢が、そのような素朴な恰好でいらっしゃるとは、思いもよりませんでしたわ。ぎすぎすの手足をしているし、町娘かと思いましたわ」
自分の格好を恥ずかしいと言われた経験がなかったエリスは、困惑するしかなかった。
言い返すこともできず、オロオロしていると、殿下が言った。
「エリス。話がある」
「なんでしょうか?殿下」
嫌な予感はどんどん膨らんでいく。
順風満帆な人生だったのに、暗雲が立ち込めているような気がして、エリスは寒気を覚えた。
「お前との婚約は破棄する。もう、ここにくる必要はない」
殿下の宣言に、また何も言えなくなってしまう。
婚約破棄?
突然すぎる。
自分には何も落ち度はないはずなのに、どうして婚約が破棄になったのだろうか。
「国王陛下と、お父様は、このことを承知なんですか?」
「まだ陛下には言っていないが、納得してもらう。私には、マリアンヌがいるからな」
マリアンヌに蔑むように笑われて、エリスの身体から血の気が一気に引いていった。
「そんな!勝手過ぎます!私に落ち度があれば、仰っていただければ、改善いたします!どうして婚約破棄となるのです!」
やっと叫べたエリスに、殿下は面倒くさそうに言った。
「どう改善するというのだ?お前の取り柄は料理くらいだろう?」
「でも、晩餐の儀をこなすためには、料理は必須-」
「その晩餐の儀についても、お前では力不足だ。持ってきた昼飯を出してみろ」
殿下の命令に、エリスは持ってきたチキンカツサンドをテーブルに出した。
「ふふ。本当に茶色い」
蔑むようにマリアンヌに笑われて、エリスは顔から火が出そうになる。
「マリアンヌの料理を見てみろ」
執事たちがテキパキと動き始め、料理を運んでくる。
あっという間にアフタヌーンティーがテーブルの上に建設され、エリスはその光景を呆然と見ることしかできなかった。
「これだ。マリアンヌの料理こそが、王家の料理に相応しい。華やかで、豪華。それに比べてお前の料理はなんだ?下町の労働者が食べる見た目ではないか」
確かに、それはエリスの弱点だ。
美味しいものを作る自信はある。
けれども、華やかさ、豪華さに欠ける。
どうしても、味を重視してしまい、見た目が二の次になってしまうのだ。
「俺は国王になる人間だ。その国王の伴侶が、こんな田舎の、労働者の、見た目がよろしくない料理しか作れないなんて、あり得ない」
殿下はアフタヌーンティーに飾られている、金粉がふんだんに使われたカナッペを摘まむと、口の中に放り込んだ。
「そんなわけで、お前とは婚約破棄だ。国王には私から報告しておく」
「今まで、美味しいと食べてくれていたじゃないですか!」
たまりかねて言ったエリスの目の前で、殿下はバケットごと、テーブルから地面にカツサンドを落とした。
「それは、お前が婚約者だったからだ。婚約者じゃなくなったお前の料理なんて、今の私には不要だ」
地面にばらまかれたチキンカツサンドを、エリスは唖然と見ることしかできない。
「あら殿下。掃除していただきありがとうございます。これで、私のアフタヌーンティーセットが置けますわ」
マリアンヌのくすくすとした忍び笑いを聞いて、足元の地面が崩壊していくような感覚に襲われる。
エリスは何も言い返せないまま、緩慢な動きでチキンカツサンドを元通りに戻すと、テラスを後にした。
「本当に恥ずかしい。あれで菓子も作れないのでしょう?」
「ああ」
「王妃様は甘党でしょう?さぞ辛い思いをされていたでしょう。これからは私が、豪華な菓子もお作りしますわ」
「楽しみにしているぞ。マリアンヌ」
目頭がじんわりと熱くなる。
ここで泣いてはいけないと、自分を奮い立たせて、エリスは公爵家に戻る。
「絶対に、許さない」
馬車の中で涙を流しながら、エリスはチキンカツサンドを食べる。
「食べ物を粗末にする人は、例え殿下と言え、許さないんだから」
エリスお嬢様の恋が、恨みに変わった瞬間だった。




