第1章1話:転生と商売ともふもふ
橘陽華の母は、小さな会社を経営していた。
日用品や化粧品を販売する会社だった。
母はよく言っていた。
『商売とは、人を笑顔にする仕事よ』
その言葉が好きだった。
母の会社も好きだった。
しかし母は病に倒れた。
会社は破産した。
残された陽華は、いつか母の意志を継いで自分も起業しようと、ビジネスやマーケティングの勉強に没頭した。
一方でゲームが好きだったので、息抜きにオープンワールドのRPGで遊んだ。
だがある日。
トラックに轢かれた。
痛みを感じる間もなく死んだ。
そして―――
気が付けば異世界に転生していた。
3月。
春。
朝方。
良家の屋敷。
メアリーヌの私室に、やわらかな朝日が射し込んでいた。
天蓋つきのベッドのうえでメアリーヌは目を覚ます。
メアリーヌ・フラムスティード。
身長132センチ。
赤髪。
緑色の瞳。
フラムスティード家に生まれた娘であり、今年で8歳になる。
ベッドのうえでもぞもぞと身を起こす。
するとベッドの端で丸くなっていた一匹の猫がこちらを見上げた。
猫―――ではない。
猫種の魔物である。
名前はフィルル。
全身がふわふわの茶色の毛で覆われている。
メアリーヌがテイムした最初の従魔である。
「にゃあ」
とフィルルが鳴いた。
メアリーヌの目が輝く。
「フィルルーッ!! おはようございますわー!!」
ばふっ。
フィルルを抱き上げる。
そのまま顔をうずめた。
「はぁ~~~!! もふもふですわー!!」
ふわふわの毛並みに頬をすりすりする。
もふもふ。
もふもふもふ。
「にゃあ」
フィルルは嫌がるでもなく、されるがままになっている。
長年もふもふされ続けた結果、完全に慣れ切っているのだ。
「朝一番のもふもふは格別ですわね……! 今日も一日がんばれますわ!」
メアリーヌは満面の笑みでフィルルを抱きしめる。
しかしのんびりしている場合ではなかった。
メアリーヌはベッドから飛び降りた。
鏡の前で赤髪を整えながら、頭の中ではもう計算が始まっていた。
(さて―――今日から本格的に動きますわよ)
メアリーヌは窓の外を見やった。
家の屋敷から見える景色。
緑の庭園と、その先に広がる領都の街並み。
―――オープンワールドのゲーム異世界。
前世の自分が起業を目指すかたわら、息抜きにプレイしていたオープンワールドRPG。
それをベースにした異世界である。
ただしゲームの時代から1400年が経過している。
1400年経っても、文明の水準は中世ヨーロッパ程度のままであるが……
国とか地名はかなり変わっている。
見たことも無いアイテムなども存在している。
「……」
陽華がメアリーヌとして、この世界に転生して8年が経つ。
前世の記憶が戻ったのは半年前のことだ。
それからメアリーヌは準備を進めてきた。
生産魔法の研鑽。
商売知識の確認。
この世界の市場の調査。
そして―――ついに動くときが来た。
(この異世界を生き抜くために必要なのは、お金ですわ)
実はメアリーヌの両親はもう死んでいる。
8歳のメアリーヌを残して他界してしまったのだ。
だから魔法の名家だったこの家は、現在、没落の危機に瀕している。
家の財政を立て直すこと――――
そしてメアリーヌが生きていくこと―――
この両方を達成するためには、お金を稼ぐことが必要なのだ。
(だから、この世界で商売を始めますわ)
お金は自分を救うだけではない。
人を救うことだって可能にする。
商売とは、お客さんのことを笑顔にする仕事だと――――
前世の母が語った信条を、メアリーヌは今も忘れていない。
(わたくしの作る商品で、たくさんのお客さんを笑顔にしてさしあげますわ!)
メアリーヌは力強くうなずき、さっそく行動を開始した。




