第一話 開眼
__その日、世界は闇に飲まれた。
だが、それに気づく者はいない。
人々は変わらず笑い、怒り、そして日々を繰り返している。
けれどもその裏では、誰にも知られぬまま──静かに犠牲が積み重なっていた。
堕ちてゆく世界。
その全てを、ただ黙って見つめる《彼》の瞳に映るのは……
* * *
校門をくぐると、鼻先に朝の匂いがふわりと触れた。乾いたアスファルト、少し湿った芝生。すれ違う生徒たちの明るい声が、まるでこの世界は何の曇りもないと言わんばかりだ。
……あぁ、今日も変わらない朝だ。“変わらない”というだけで、人はけっこう救われる。俺にとっては、特に。
上履きに履き替え、昇降口を抜ける。
時計を見る。ホームルームまで、あと十五分。
「よし、今日も何か一つ、いいことをしよう。」
それは癖みたいなものだ。
別に褒められたいわけじゃない。
ただ──誰かが助かるなら、それでいい。
俺──光条眞の朝は、だいたいいつもそんな感じで始まる。
教室を出ると、廊下の向こうで教科書をぶちまけて困ってる一年生がいた。
気づいた瞬間、身体が勝手に動いた。
「あ、これ数学Ⅱ。落ちると角、折れやすいんだよね、これ」
『あ、ありがとうござ──』
「気にしないでよ」
背後から小さな声が聞こえた。
『……また偽善者やってるよ、あいつ』
『よく飽きないよね……』
聞こえてる。でも──まぁ、いい。
誰かが助かったなら、それで。
* * *
「またやってたのか、お人好し」
入学式から仲の良い坂上くんが野菜ジュースを飲みながら俺に話しかける。
「別にいいだろ? 誰も迷惑してないんだし」
「そらまあしてねぇだろうけどよ。変に人に優しくしすぎて傷付くのはお前だぞって言ってんだ」
相変わらずの毒舌。けれども、なぜかそこには安心感があった。
「俺は別に、自分がなんて言われようと別にいいよ。それで救われる人がいるならそれでいい」
「あっそ。まあお前が良いならこれ以上は口出ししねぇけどよ、ただでさえ情勢は不安定になりつつあるんだ。お前のお人好しに巻き込むような真似はしねぇでくれよ」
「ハハ、気を付けるよ……」
坂上くんの言う通り、俺の自己満足に他人を巻き込むような真似はしないようにしないと。
時は2232年七月。もうじき期末テストが行われる時期となった今日この頃。俺たちの生きる現代はなんて事のない日常を繰り返し続けている。
ただ唯一変わっていることといえば、ここ日本に限らず世界各地で犯罪率だけが年々上がり続けていることだった。殺人、窃盗といった分かりやすいものだけでも昔の十倍以上はあるらしい。アイドルの不倫騒動、政治家の不祥事、いじめ、ストーカーといったものも含めれば……あまり考えたくないな。
なんでそんなことばかり起きるのかなんて分かんないけど、そうしてしまうのには何か理由があるはずなんだと、俺は思う。去年亡くなった婆ちゃんは、生前からよく言っていたことがある。
『眞、他人を思いやれる人になりなさい。どんな人間にも、心の奥底には必ず善があるのだから』
それが、俺が婆ちゃんから聞いた最期の言葉でもあったが、それから俺は『善』というものに執着するようになったと思う。最低でも『一日一善』を心掛け、困ってそうな人を見かけたらすぐにその手を差し伸べるようにしてきた。……まあ、こんな世の中だから、偽善だのなんだの言われることがほとんどだけど……
「……それでも俺は、人の心には必ず『純粋な善』があるって、信じてるんだ」
「ふーん。んなことより聞いたか? 今日転校生が来るらしいぞ」
「ホントに興味なさそうだな」
けど転校生が来ることは初耳だ。そう言えば俺の席教室の真ん中らへんなのに、なぜか今日学校来たら隣に空席が一つ増えてたんだよな。そっから後ろの席がが繰り上がる感じで移動してたし。
「お前の隣か~。どうするよ? 絶世の美女とかだったら」
「別に美女じゃなくてもいいだろそこは。普通に仲良くしたいなとは思うよ」
「そうじゃねぇよ。もし美女ならお前の席を巡る争奪戦にでもなるかもしんねぇだろ?」
「否定しにくいこと言うのはやめてくれよ……」
でもまあ、転校生なら初めての学校に慣れてもらえるよう、俺も手助け出来たら良いな。
「出欠とるぞ~、お前ら席に着け~」
いつのまに朝のホームルームの時間になったらしく、俺たちのクラスの担任である犬亦先生が教壇に立つ。ちょっと太っちょで無愛想だから苦手な人も多いんだけど、意外と人当たりの良い先生なんだよなぁ……
「えー、今日はこのクラスに新しいクラスメイトが一人増える。入っていいぞ」
犬亦先生がそう言うと、教室前方のドアから例の転校生が入ってくる。
『おお~!』
その瞬間、俺を含めたクラスメイト全員がその転校生に釘付けとなった。
「今日からこのクラスの新たな一員となる、神崎澪火だ。全員仲良くするように」
「……よろしくお願いします」
神崎澪火と紹介されたその女の子は、冗談もお世辞も抜きに美しかった。腰まで届くほど長く、流れるように綺麗な黒髪。身長もパッと見で170、下手すれば180近くあるんじゃないか? そして氷のように冷たくも凛々しい顔つきに、現在進行形で男たちが目を惹かれるほどの……
(…って!何考えてんだ俺は!失礼すぎるだろ!)
「席は光条の隣の空席な」
「はい」
(ああそうだった!席隣じゃん!)
内心で慌てふためく俺をよそに、神崎さんは静かに席に着く。
『光条、なんでお前が……!』
『アイツの席を奪っちまえば……!』
『これを賭けに使えば儲けが……!』
なんか席争奪戦始まろうとしてるし!ていうか賭け事に使われる神崎さんと俺の机のこと考えろ!
「……えっと、よろしくね?」
「……」
俺が恐る恐る話しかけるも、神崎さんは沈黙を貫いたままだった。な、なんか怒ってる気がするし、あまり話しかけないようにしよう……
「ちょうどいいな。光条、お前神崎に色々教えてやれ」
「え、あ、はい!」
しまった!思わず返事しちゃった!ついいつもの癖で!
「……」
⌘
なんだかんだで一、二限の授業が終わり、十分間の休み時間に入る。あの後ホームルームが終わると、神崎さんは転校生イベントでよくある質問攻めにあっていた。淡々と返答してはいたが、なぜか俺にはその声に怒気が含まれているような気がした。
「俺の思い違いかな……」
「馬鹿言ってねぇでとっとと移動すんぞ」
坂上君に言われ、俺は教科書を準備する。すでに教室内には誰も……
「ねぇ」
「おわぁっ!?」
いないと思ったが、突然後ろから声を掛けられ驚くあまり後ろから椅子ごと倒れる。
「いててっ……」
「化学室ってどこ?」
「この状況でよく質問できますね……」
俺は起き上がり、椅子を戻して言う。
「えっと、そこの突き当りの階段降りて右にまっすぐ行けば……」
「分かったわ」
すると神崎さんはさっさと廊下へと出て行ってしまった。
「ちょちょちょ待って!俺案内するから!」
あわてて教室を出て、神崎さんを呼び止める。すると神崎さんは足を止め、ゆっくりと振り向く。
「必要無いわ。場所だけ分かれば自分で行けるもの」
「いや俺が間違ってる可能性は考えないの!?」
「その時はしらみつぶしに探すからいいわよ」
「いやだからそうならないように俺が……!」
「しつこい」
吹雪でも振るのかと思うくらいに冷たい目つきで神崎さんは俺を睨む。
「どうせそんな長い時間いるわけじゃないの。不要な関りは避けさせてくれないかしら」
神崎さんは冷たく言い放つ。そしてそのまま歩いて行ってしまった。
⌘
「どうしたよお前」
「え? なにが?」
昼休み。俺は坂上くんと席をつなげて二人で弁当を食べていた。
「とぼけんなよ。普段なら飯放りっぱなして校舎内駆け回るくせに、今日に限って大人しく飯食ってるからな」
「あいや、大したことじゃないよ。ただずっと空回りしてんなぁって思って」
「神崎さん絡みか?」
「え!? そ、そんなんじゃ……!」
図星を突かれ、慌てて身振り手振りで誤魔化そうとするが、坂上くんはそれ以上追及してこなかった。
「ま、気にすんなよ。見た限りじゃ、神崎さんの塩対応はだれかれ構わずらしいからな」
「そ、そうなんだ……」
なぜかホッとしてしまい、そのまま弁当をかき込む。
「ごちそうさま。ちょっと出歩いてくる」
「おー」
俺はそれだけ言い残して教室を出た。
⌘
どこに行くわけでもない。ただ当てもなく歩き続けるだけでも気は紛れるものだ。
「今日も良い天気だなぁ……」
廊下の窓から空を見ながら呟く。雲一つない快晴、まるで海が広がってるかのように青く澄んでいる。こんな明るい日の中でも、世の中には困り事を抱える人たちが大勢いる。しかもぱっと見じゃ分からないから、注意深く見ないと手を差し伸べれない。
(全員が何一つ困らない、平和な世界でも来てくれればな〜)
それこそ子供の頃によく願っていた『世界平和』が訪れれば、助けを必要とする人たちが現れなくなると思うのに……
「……ま、そんなこと言ってられないか。……ん?」
なんてセンチメンタルな感じになっていると、隣の校舎の窓から、誰かが走る光景が目に入った。
「なんだ……?」
よく目を凝らして見ると、走っているのは二人。一人は俺たちの担任の犬亦先生。そして……
「……え」
その犬亦先生を追いかけるように後ろを走っていたのは、今朝転校してきた彼女、神崎さんだった。さらに目を凝らして見れば、その手にはやけに長い棒状の物を持っているように見える。
(なんだ!? なんで彼女が犬亦先生を……!?)
俺はすぐさま隣の校舎へと走り向かう。周りの生徒たちにぶつからないように慎重になりながらも俺は急ぐ。なんで神崎さんが犬亦先生を追っているんだ? 犬亦先生が神崎さんに何かした? だとしてあそこまで追いかけられるほどのことなのか?
(あーもう考えても分かるわけない!! 直接聞いてやる!!)
思考をフル回転させながらも、俺はようやく隣の校舎へと辿り着く。すると廊下の右奥の階段を登る神崎さんの姿が一瞬見えた。
(あの階段は、確か屋上に続いていたはず!)
屋上であれば二人とも袋小路になって逃げれないはず! そう考え俺はすぐに後を追うように屋上への階段を登る。さっきまでいたのが二階、屋上は四階の上だ。
「ハァ…ハァ……!」
階段を駆け上がり、ようやく屋上のドア前へと辿り着く。最近運動不足だったからか、やけに息切れがすごい……
(この先におそらく、犬亦先生と神崎さんが……)
そうして俺がドアノブに手をかけようとしたその時、
ドォォンッ!!
「うわっ!?」
学校から絶対鳴るはずのない、あり得ない轟音がドアの向こうから響く。
「何なんだ一体!?」
確認しようと一気にドアをバァンッ!と開ける。
そして次の瞬間、目に入った光景に俺は言葉が出なくなる。
「く、来んな!!来んじゃねぇ!!」
そう叫びながら腕をブンブンと振り回し、屋上の床の瓦礫を投げる犬亦先生。
「アンタが大人しく殺されれば良いだけの話なのよ!!」
それに対して長い棒状のもの……よく見ると刀だ。その刀を振り瓦礫を次々と跳ね返す神崎さん。てか待って、殺す!?
「ちょ、何やってんの二人とも!!」
「こ、光条!?」
「はぁ!?」
俺に気づいた二人は、その手を一度止める。
「なんでアンタがここにいるのよ!?」
「それはこっちのセリフだ!犬亦先生相手に何やってんだよ!」
なんで神崎は犬亦先生を殺そうとしてる!? そもそも神崎さんは何者なんだ!? 刀なんて明らかに普通の高校生の持ち物じゃない!
「逃げましょう犬亦先生!彼女から離れないと……!?」
俺が犬亦先生の元へ向かおうとすると、その当人の様子がおかしいことに気づく。
「ああクソッ、なんでこうなるんだ……!俺は、俺はやっと俺の自由を手に入れたはずだったのに……!!」
「い、犬亦先生……?」
その手を伸ばそうとした次の瞬間、
「近づくな!!」
「うおっ!?」
いきなり神崎さんに後ろへと引っ張られる。同時に、犬亦先生の腕が振られ、その勢いで屋上の柵が薙ぎ倒された。
「は……!?」
明らかに人間の技ではない。腕の一振りで鉄製の柵を破壊できるほどの風圧なんて……!
「よく見なさい!アレが普通の人間に見えるの!?」
神崎さんに怒鳴られずとも、その異常さには流石に気付いている。その間にも犬亦先生はブツブツと呟いていた。
「なんなんだよクソッ!どいつもこいつも面倒事持ってきやがって!いじめだの陰口だのなんだの……んなもんにかまける暇ねぇんだよ!」
「な、なに言って……!?」
「光条!特にお前だ!お前が変に面倒事に首突っ込む所為でこっちの仕事が増えるんだよ!!いじめなんてもんは基本見て見ぬふりすんのが現実だ!!生徒間のいじめごときの対処を任される俺の身にもなってみろ!!」
ホントに出す言葉が無かった。犬亦先生、ずっとそんなこと思ってたのか……? 今までの優しさは嘘だったのか……?
「ああそうだ、元はと言えば全部、お前の所為でぇぇぇ!!」
「チッ…ああもう!」
犬亦先生の拳が俺に向かって飛んでくる。だが同時に神崎さんが俺を抱えて後退し……
パリンッ!!
反対の校舎、ついさっきまで俺がいた校舎の教室へと飛び込んだ。
「うわっ!?」
「おわぁッ!? 光条!? それに神崎さんまでどっから……!?」
「イタタ……え!? 坂上くん!?」
その教室は偶然にも俺たちのクラスだった。教室内はもちろん、学校全体でアラートが鳴るほどに騒がしくなる。
「ちょっと!無事ならさっさと生徒たち避難させて!!」
「おい光条!何がどうなってんだよ!?」
「ちょっと待ってくれよ!!俺も今めっちゃ混乱してて……というか神崎さんは」
「私はさっきの奴を……!?」
神崎さんが先までいた屋上に目を向けるが、遠目で見ても誰かがいる様子は無かった。
(いない!? 一体どこに……)
なにも状況が理解できてない俺たちは、ただその場で呆然としているしかなかった。
「……い、おい!!」
「え、あ、はい!」
「シャキッとしろ!さっさと全員連れて逃げるぞ!」
「坂上くん!あ、ああ!」
何とか立ち上がり、周りで呆然とするクラスメイト達を起こそうとするが……
ピシッ……
「!! 上!?」
神崎さんがそう叫んだと同時に、俺も反射で天井を見る。
__天井には、謎の亀裂が走っていた。
ドンガラガァァァンッ!!!
⌘
「……う…」
瞼を開くと、電気とは別のやけに明るい光が差し込む。
(なんで、目を。それに倒れて……)
意識がだんだんと戻ってくる。俺は起き上がり、そして真っ先に見えた光景に絶句する。
「……な…!?」
教室は倒壊し、瓦礫で埋め尽くされている。天井から崩落したのか、大穴を開けて天井が丸ごと吹き抜けになっていた。さっきまでうるさく鳴り響いていたアラートも、今では嘘のように静まっていた。
「あア、これダ……!コレこソが、オレノチカラダァ!!」
「ハァ、ハァ!いい加減しぶといわね……!」
先ほどよりも禍々しい姿となった犬亦先生と、それを止めようとする神崎さん。こっちには気づいてないのか……?
(と、とにかく逃げないと……!)
そう思い俺が立ち上がろうとしたその時、床についていた手にぬるっとした生暖かい感触が伝わる。
「何だ……!?」
真っ赤に染まった手のひらを見て理解した。血だ。よく見るとそれは瓦礫の方に続いていて……
「え……」
開いた口が閉じなくなる。瓦礫の下敷きになりながらもピクリとも動かないクラスメイトの数々。誰がどう見ても、素人目線の俺であっても分かる。
____死んでいた
「……ゥ」
喉から込み合上げてくるものを拒むことが出来なかった。気づけば何度も、たちの悪い悪夢であってくれと心の中で願い続けていた。
「ああもう!ここの制服動きづらいのよ!!」
「コロス…コワス……ゼンブブッコワシテヤルッ!!」
神崎さんはずっと戦い続けている。彼女が何者なのかも、犬亦先生が何者なのかも聞けてない。
「……めてくれよ」
か細い声が口から出てくる。そして……
「もうやめてくれよ!!」
そう叫んだその時だった。
キィィィィィンッ……!
突如として耳鳴りが走る。頭痛も起きる。
(ぐッ……な、何だこれ……!?)
違う。耳鳴りじゃない。頭痛でもない。まるで何かの機械が起動するような、人体から発せられるはずのない感覚……
(……は?)
やがて謎の感覚が止み、目を開くと、目の前には魔訶不可思議な光景が広がっていた。
(これは……魔法陣?)
それも多色多様、大小様々であり、無限ともいえる数の魔法陣が、宇宙のような風景に覆われた周囲に広がっていた。さらに不思議なことに、神崎さんや犬亦先生が止まって見える。
(あれ……)
俺はあることに気づく。その魔法陣は、神崎さんや犬亦先生に引っ付いているように見えるものもあった。
気になった俺は試しに魔法陣へと手を伸ばしてみる。すると……
バキンッ!!
指先が魔法陣に届いた瞬間、すべてが音を立てて破壊される。
同時に周囲に音が戻り……
「ガァァァァァァッ!?」
「なッ!?」
同時に神崎さんが崩れるように床に座り込み、犬亦先生が苦痛を得たような雄叫びを上げ、
「ナ、ナンダ…コレハ……!?」
そして力尽きたように前のめりに倒れた
「あなた、それ……!」
俺に気づいた神崎さんが、俺の顔を見て驚いたように目を見開いていた。
「……え?」




