第三話 世界樹は今日も見ている(前編)
**昨日より少しだけ前へ。
その積み重ねだけは、誰にも奪えない。**
◇◇◇
毎日、眠る前になると私は目を閉じる。
呼吸を整え、胸の奥へ意識を沈めていく。
まだ身体は赤ちゃん。
集中できる時間なんて、ほんの少ししかない。
それでも。
(……あった。)
胸の奥。
暗闇の中に、小さな灯火が揺れている感覚。
昨日、偶然見つけた光。
今日は探そうと思って探し当てることができた。
昨日より少しだけ早く。
昨日より少しだけはっきり。
(やっぱり気のせいじゃなかった。)
嬉しい。
思わずキャッキャッと笑いたくなる。
けれど、その灯火へ近付こうと意識を向けると、ふっと霧が晴れるように消えてしまった。
(あっ……。)
消えた。
もう一度探す。
見つかる。
近付こうとする。
消える。
その繰り返し。
(蛍みたい。)
前世の夏、川辺で見た蛍を思い出す。
手を伸ばせば逃げてしまう。
でも、じっと待っていれば、また目の前へ飛んでくる。
(焦らない。)
急いでも意味はない。
昨日は「ある」と知った。
今日は「見つけられる」ようになった。
それだけで十分だ。
毎日この小さなあんよと同じくらいのスペース。
普通の人の半歩ずつかもしれないけれど。
そう決めたのだから。
◇◇◇
「リュシエル?」
優しく頬をつつかれ、私は目を開けると
フィリアが心配そうに覗き込んでいた。
「最近、ぼんやりしていることが増えたわね。」
「考え事でもしているのだろう。」
アルヴィンが腕を組んで頷く。
「まだ赤ちゃんよ?」
「リュシエルだからな。」
「それ理由になってないわ。」
(私もそう思います。)
心の中で全力で頷く。
どうやら父の中では、「リュシエルだから」で大抵のことは説明がつくらしい。
その様子を見ていた妖精たちが、一斉に笑い出した。
『始まった。』『アル理論!』
『全部リュシだからで終わるやつ!』
『便利だよねぇ。』『バカだのぅ』
『親バカ病だ。』『重症。』
『もう治らないね。』
「聞こえているぞ。」
アルヴィンが苦笑すると、若い妖精たちは一斉に飛び上がった。
『逃げろー!』『捕まるー!』
『今日は本気だ!』
『いや、本気じゃないぞ。』
『じゃあ大丈夫!』
『単純じゃのう、お前さんたちは。』
最後にそう笑ったのは、白い髭を胸まで伸ばした老妖精だった。
他の妖精より少し身体が大きく、羽も年輪のような模様が入っている。
森で長く生きてきたのだろう。
若い妖精たちも、その老妖精の言葉には耳を傾けている気がする。
(長老さん、かな。)
名前はまだ分からない。
でも、この妖精は色々なことを知っていそうだ。
◇◇◇
午後。
私はお母さんに抱かれて庭へ出た。
森を渡る風が心地良い。
遠くでは小川のせせらぎが聞こえ、木々の間を鳥たちが飛び回っている。たまにすごい勢いで妖精たちも、飛び回っているが…。
(平和だなぁ。)
そう思いながら見上げると、森の中央にそびえる一本の巨木が目に入った。
何度見ても、その大きさには圧倒される。
まるで森そのものが一本の樹から生まれたようだった。
前世でCMになっていた耳に残るフレーズの木を、とんでもないスケールで大きくしたみたいだ。
「世界樹様へご挨拶しましょうか。」
フィリアが世界樹と呼んだその木に、小さく頭を下げる。
アルヴィンも胸へ手を当て会釈する。
私は二人の真似をして、重い頭をふらつかせながら、ぺこりと頭を下げる。
(神社的な感じかな?よろしくお願いします。)
その瞬間だった。
さらり。
枝先から一枚の葉が舞い落ちる。
黄金色に輝く葉は風もないのにゆっくりと漂い、抱っこされた私のもとまで落ちてきた。
「あら……。」
フィリアが目を丸くする。
「まぁまぁ。世界樹様の葉ね。」
「祝福だな。」
アルヴィンが穏やかに笑った。
「リュシエルは気に入られたようだ。」
(気に入られた?)
私は恐る恐るちょん、と葉へ触れる。
ほんのりと温かい。
生き物の体温のような、不思議なぬくもりだった。
その時。
葉が、かすかに脈打つように光る。
(……え?)
驚いて顔を上げる。
世界樹は変わらず静かに立っている。
ただ、枝葉が風に揺れているだけ。
それなのに。
誰かが優しく頭を撫でてくれたような安心感が、光るのと同時に胸へ広がった。
(……ありがとう。)
自然とそう思えた。
もちろん返事はないけれど、
木漏れ日が一段と柔らかく揺れた気がした。
世界樹は、何も語らない。
それでも。
森は確かに、リュシエルを迎え入れ始めていた。
**――後編へ続く。**




