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父、奏多守はほら吹きではなかった  作者: てへろっぱ


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第28話 煙の向きより先に、人の向きを見ろ

棺のある広間へ戻る前に、蒼汰は一度だけ深く息を吐いた。


もう腕の中が何で埋まっているのか、自分でも分からなくなりそうだった。

兵站局の黒箱。商隊旗。大勲章。勲札。宮旗。婚約書類。銀の燈。祭壇布。学監棒。教育日誌。夜紋。盟約写し。羅針儀。消えた線の地図。主席笛。規定集。解除鍵。河渠院旗。帰還優先灯。統制塔旗。鐘槌。礼楽院旗。真鍮札。図書院旗。銀筆。紋章院旗。打診槌。医学院旗。


父が死んだ夜に、世界のあちこちから父の知らない顔だけが届いてくる。

しかもどれも、父らしい。


冬城が静かに言う。


次の方は、王都消防総監です


……火事、か


はい

守様に、王都火災避難図の優先導線を一本書き換えられたご当人です


蒼汰は目を閉じた。


もう何を聞いても驚かないつもりだったんだけど

やっぱり嫌な予感するんだよな


そうでしょうね


守が頭の奥でぼそりと言う。


煙は待たんからな


またその理屈かよ


理屈ではなく事実だ


リュシエラが横で静かに言う。


火と煙は、夜の側でも平等ですから


その言い方、ちょっと怖いんだよ


怖いものですので


蒼汰は小さく呻いて、応接室へ向かった。


扉が開く。


今度の部屋の空気は、乾いていた。

紙や薬品ではない。煤と革と、磨かれた金具の匂いだ。消された火のあと、濡れたまま片づけられた装備庫に似た匂いがする。


中央に立っていたのは、男だった。


年齢は六十前後。

背は高くない。だが肩と首が太い。長く火災現場で怒鳴り続け、走り続け、救助具を担いできた体だった。黒の礼装の上に濃赤の短い外套を重ねている。袖口には王都消防局の紋章らしい、梯子と火消し槌が刺繍されていた。

顔は四角く、髪は白く短い。左頬に火傷の薄い痕。目だけが、やけに静かだった。


後ろには若い消防官が二人。

ひとりが細長い木箱を、もうひとりが大きな図面筒と、赤黒い布包みを抱えている。


冬城が告げる。


王都消防総監、ハインリヒ・ヴォルツ様です

守様に、王都火災避難図の優先導線を一本書き換えられたご当人でもあります


男――ハインリヒは、蒼汰を見て深く一礼した。


奏多蒼汰殿


声は低く太い。

現場で怒鳴れば煙の中でも通る声だった。


私はハインリヒ・ヴォルツ

王都消防総監

そして、守殿に王都火災避難図の心臓を一本、勝手に書き換えられた男です


蒼汰は一拍置いてから言った。


もう皆さん、被害者名乗りが板についてきましたね


ハインリヒの口元がほんの少しだけ動いた。


守殿のせいで、そういう言い方が一番早いと学んだもので


守が頭の奥でぼそりと言う。


こいつは真面目だが、火を見る目はいい


書き換えられた本人にそう言うの、だいぶひどいぞ


半分は一緒にやったからな


半分なんだな


冬城に促され、蒼汰は椅子へ座る。

ハインリヒも向かいへ腰を下ろした。

座り方が、役人というより現場指揮官だった。今すぐ地図の上へ手を置いて、ここへ回れと指を走らせそうな座り方。


ハインリヒは図面筒を受け取って、机の上へ広げた。


それは王都火災避難図だった。

道路、広場、井戸、消火塔、救護所、避難誘導路。緻密に引かれている。

そのうち中央市場区画から西へ抜ける太い赤線だけが、一度消され、その横へ別の赤線が乱暴に引き直されていた。


蒼汰はすぐ分かった。

父の字と同じだ。

線にも癖が出ている。


……これ、父さんが?


はい

正確には、私の図面の上へ、勝手に


ハインリヒの声は静かだった。


王都市場街大火

七年前の秋でした

夜市の終わり際、染料倉で爆ぜた火が、布問屋と油庫へ飛びました

風向きが悪く、煙が低く流れた

しかも祭礼後で、人が多かった


蒼汰は黙って聞く。

父が嫌いそうな匂いが、もう話の最初からある。


当時の避難図は正しかったのです

広い通りへ人を流し、水場へ寄せ、消火隊と避難民の動線を分ける

王都全域で訓練されていた標準形でした


でも駄目だった


ハインリヒは頷く。


市場街には、子どもと老人が多かった

さらにその夜は、露店の天幕が低く張られ、煙が人の顔の高さへ溜まった

広い通りほど煙が流れ込んで、逆に見通しが悪くなった


守が頭の奥で言う。


広い方へ流すのが、あの夜は悪手だった


蒼汰は心の中で返す。


それで書き換えたのか


ああ


ハインリヒは続ける。


守殿が来たのは、延焼開始から二十分後です

本来は王都外縁の補給馬車列を監査していたはずですが

煙柱を見て、勝手に現場へ入ってきた


また勝手にだな……


はい

非常に


ハインリヒの目に、ほんの少しだけ本気の呆れが浮かぶ。


私は当時、現場南面の統括をしていました

避難図通り、人を大路へ流していた

守殿は最初にその動線を見て、私へこう言いました

これ、煙の逃げる道と人の逃げる道が同じだな、と


蒼汰は少しだけ目を伏せた。

また父だ。

本当にどこでも同じことを言う。


私は反論しました

広い道が最優先だ

車両も通せる

救助隊も入れる

そうでなければ王都の火災避難図は成り立たない

すると守殿は、成り立ってても今夜は死ぬ、と言った


蒼汰は深く息を吐いた。


ひどいなあ……


はい

腹立たしいほどに


ハインリヒは即答する。


そのあと守殿は、現場指揮板の上にあった避難図を取り

赤炭で優先導線を書き換えました

大路を切って、わざわざ狭い裏石路地を主導線へ変えた


蒼汰は地図の細い赤線を見る。

たしかに狭そうだ。

王都の正式避難路というより、普段は荷運びか裏口の出入りに使う道に見える。


そんなとこに人流したんですか


私なら流しませんでした

ですが守殿は言いました

煙は上へ抜けると思ってるだろう

今夜の風だと逆にここへ溜まる

石路地の方が、低い子どもにはまだ息がある、と


守が頭の奥でぼそりと言う。


背の高さで生き残りが変わる煙だった


蒼汰は何も言えなかった。

また父は、「平均」ではなく、その場の個人を見ていた。


ハインリヒは続ける。


私は止めました

消防局の標準導線を現場で変えるなど、本来はあってはならない

しかも相手は外部の男です

ですが守殿は、三十歩だけ一緒に走れと言った


三十歩?


はい


ハインリヒの声が少しだけ低くなる。


私は守殿と一緒に、その赤線が引かれた裏石路地へ入りました

大路は熱い

煙が低い

視界が白い

だが裏石路地は、狭い代わりに石壁が冷え、風が上へ抜けていた

子どもの口元の高さだけは、まだ空気があった


蒼汰は少しだけ喉を鳴らした。


それで、変えたんですか


はい

現場権限で、暫定的に

守殿の書き換えた線を、そのまま第一優先導線へ切り替えました


ハインリヒは赤線の上へ指を置く。


結果として、子ども三十一名、老人十九名、負傷者十二名が、この線で抜けました

大路のままだった場合、かなりの数が煙を吸っていたと思われます

死者は零ではありません

ですが、減らせた


部屋が静かになる。


蒼汰は、その一本の線を見た。

太くもきれいでもない。

公式図面の線ではなく、その場で人を通すためだけに引かれた線だ。


ハインリヒは細長い木箱を開いた。


中に入っていたのは、赤い指揮灯だった。

手持ち用の誘導灯らしい。金属枠は焼けて少し歪み、持ち手は磨き込まれている。先端の赤ガラスだけが新しく替えられていた。


これは市場街大火の夜、優先導線の先頭に立った指揮灯です

守殿ご本人が、最初の一列をこの灯で誘導した


蒼汰は目を見開いた。


父さんが?


はい

人を走らせるな、荷車を切れ、泣いてる子を先に出せ、後ろを見るな、と怒鳴りながら


守が頭の奥で言う。


あれは怒鳴らんと聞こえなかった


そこはまあ、そうだろうけど


ハインリヒは深く頷く。


守殿は勲章より、こういう現場の灯の方が近い

あの方は火を消すことより、煙の前に人を通す順番にうるさかった

ですから、これがふさわしい


さらに、赤黒い布包みが開く。

現れたのは旗だった。

王旗でも市旗でもない。消防局旗だ。

深紅地に黒と銀で、梯子、斧、水線が刺繍されている。

火と戦う側の旗だった。


本式の日

王都消防局は、この旗を半旗とします

また市場街中央塔では、夜更けに一度だけ退避笛を鳴らします

火事ではありません

ですがあの夜、守殿が書き換えた導線を、我々は忘れていないと示すためです


蒼汰はその光景を思い浮かべた。

夜の市場街、火もないのに一度だけ鳴る退避笛。

そして半旗の消防局旗。

父への礼として、それはたしかに似合っている。


ハインリヒは最後に、一枚の紙片を差し出した。

守の字だ。


広い道が正しいんじゃない

煙より先に人が抜ける道が、その夜の正解だ


蒼汰は、それを読んで小さく笑った。

あまりにも父らしい。

地図ではなく、その夜の正解、と言うところが。


ハインリヒの目がほんの少し和らぐ。


守殿は、火災図を否定したのではありません

あの夜の煙に対して、あの夜だけの線を引いた

その差を分かっていた

だからこそ、私は怒りきれなかった


蒼汰は静かに頷いた。

父はいつも、制度を全部壊したいわけじゃない。

ただ、その夜に死ぬ側が見えたら、そのためだけに一本をずらす。

そういう人だった。


ハインリヒは立ち上がる。


奏多蒼汰殿

私は守殿に、王都火災避難図の優先導線を一本書き換えられました

ですがそのおかげで、煙の前に通れた者たちがいた

ゆえに礼を申し上げます


蒼汰は、赤い指揮灯と消防局旗と紙片を見てから、ゆっくり答えた。


……預かります


ありがとうございます


去り際、ハインリヒは一度だけ棺の方角を見た。

それから蒼汰へ向き直る。


守殿は、たぶんご家庭でも

正しい片づけ方より、火の元と逃げ道の方を先に気にする人だったでしょうね


蒼汰は少しだけ目を瞬いた。

それから苦く笑う。


……当たってます

コンセントとガスと、廊下に物置くなは、やたらうるさかったです


でしょうね


ハインリヒの口元が、ほんの少しだけ緩む。


あの方は、整った暮らしより

燃えた時に生き残る暮らしの方を見ていたのでしょう


それだけ言って去っていく。

扉が閉まる。


応接室に戻った静けさの中で、蒼汰は赤い指揮灯をそっと持ち上げた。

焼けた金属のざらつきが指に触れる。

軽くはない。

でも不思議と、持っていていい気がした。



何だ


あんた、本当に毎回同じところ見てるんだな


だいたい、そこが一番死ぬからな


蒼汰は小さく息を吐いた。

もうその基準が、少しずつ自分の中へ入ってきているのが分かる。


冬城が静かに近づく。


かなりお疲れかと


うん

でも……

父さんが何を嫌ってたか、また少し分かった


どういうことでしょう


蒼汰は赤い指揮灯を見下ろした。


正しい図とか、正しい規約とか、正しい順番とか

そういうのがあっても

そのせいで今夜煙を吸う側がいるなら、迷わずそっちを変えるんだなって


冬城が小さく頷く。


ええ

守様は、ほぼ間違いなくそうします


リュシエラが横で静かに言う。


夜の側でも同じです

美しい規律より、朝まで残る人数を優先する

母上が守殿に借りを認めたのも、そこでしょう


蒼汰は少しだけ笑った。


本当にどこでも同じだな

父さん


守は少しだけ黙った。

それから低く返す。


そうかもしれん


冬城が机上の品を整える。


少し棺のおそばへ戻られますか


うん

戻りたい


蒼汰は新しく増えた赤い指揮灯と旗を抱え直す。

もう腕の中は限界を越えている。

それでも、やっぱり置いていけない。


扉へ向かいながら、何となく聞く。


次は?


冬城はほんの少しだけ考えた。


守様に、敵国捕虜交換の優先名簿を一枚、燃やされた軍務卿の方です


蒼汰はその場で止まった。


……また物理的に燃やしたのかよ


守が頭の奥で低く返す。


あれは燃やした方が早かった


本当に手段が雑なんだよなあ!


蒼汰は深く息を吐いた。


父、奏多守は、死んでからもなお、世界の正しい線を、その夜だけの正解へ勝手に書き換え続けていた。

最後までお付き合いいただき感謝します。

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