赤子の婚約者
魔王が口にした三日を超えてシルラーナは何と五日その状態を堪え続けて倒れた。
いつ音を上げるかと呪いを移した魔王自身も毎日のように彼女の様子を観察しに来ていたが倒れるまでずっと臥せるでもなく常と変わらぬように振る舞い、微塵も痛みや苦しみに喘ぐ様を晒さずにいた。
我が子に会い、恐ろしい毒と腐食がその身に働いていない事を確認した五日目の昼過ぎ。
突如喀血して倒れた彼女に城内は騒然となった。
顔色は土気色、脈も弱いと城勤めの医者が慌てたところで今日も今日とて彼女を見物していた魔王が近付き、
「直ぐに泣きつけばここまで悪化せずに済んだものを」
誰が彼女を煽りそこまで追い込んだのかをその呟きから察した医者は口を噤み、王妃たる彼女に憐れみの視線を送った。
そして魔王が彼女から呪いを回収するのを皆が眺め、彼女はベッドへと運ばれた。呪いを己の体へと移し直した魔王はこれといった反応もなくただ少しだけ顔を顰め、邪魔臭いなと漏らした。
十日ほど意識は戻らず懸命に皆に介抱される彼女から離れた魔王は赤子の顔を見に行ったり城外に出て空を見上げ勇者の来訪などがないかと確認したり、まるで彼女の事など忘れたかにも思える行動をしていたが、彼女が意識を戻すその瞬間には部屋の内に居た。
付かず離れずの位置に立ちぼんやりと視線を彷徨わせる彼女が己の姿を捉えたのに気付けばニヤリと笑う。
「末の子の縁談を決めてきた。俺が知る中で一番変わった奴だが、実力は折り紙付きだ」
まだ数十年も生きていない魔族にとっては幼児よりも更に幼い乳飲み子相手にだ。
魔王の言葉に周囲の者たちが絶句し意識を戻したばかりの彼女も意味がわからず数度目を瞬き、は?と漏らした声が部屋に落ちる。
王妃たる彼女に代わってあんまりな仕打ちに耐えかねた侍女の一人が魔王相手にそのお相手はどなたなのですかと恐怖を抑えて問いかければ魔王はその侍女に視線を移し、侍女が怯むも構わずあっさりと答えた。
「ココペリ。ココペリ・ナートゥラ。お前ら如きが知っているとも思わんが、破滅の象徴でもある爪の持ち主にして創造の悪魔とも言われる器用な男だ。毒も腐食も効かない上に子どもの面倒を見るのも嫌いではないと。過去に俺に膝をつかせた実績もある。あれを任せるにこれほど適した者もいまい?」
魔王の言う通り皆が名を知らぬ男に不審を抱いてざわめく中、ようやく我に帰ったシルラーナが激怒し勝手な真似をと声を張り上げ魔王を罵倒し始めるが、もう既に話はついてその男もこの城に足を向けていると言われれば更に火に油を注いだように金切り声をあげて護身用の剣を掴み魔王を叩き斬らんとした彼女を、病み上がりなのだからと侍女や医者、護衛に侍従が総出で止めにかかりと大あらわとなった。
そんな事があった三日後。
浅黒い肌に青い刺青を全身に入れた種族も明確にわからない青年が城門を叩いた。
飄々としたその姿と半裸に近い服装で危うく不審者と見間違えられ捕らえかけられたが、その手をスイスイと妖術でも使うかのように危なげなく交わして青年はヘラヘラとした笑みを湛えたまま歩みを進めていく。
止まれとの声も女らの悲鳴もなんのその。鼻を鳴らし大気の臭いを嗅いで多分こっちと言う暢気な声すら漏らして赤子とシルラーナがいるその部屋へと訪問してくれば突然現れた謎の男に固まりかけ阿鼻叫喚となりかける室内さえも気に留めず、我が子を抱き咄嗟に走り逃げようとした彼女の前に有り得ないくらい跳躍してその腕の中にいる赤子を覗き込んだ。
「この子が例の娘かな?うんうん、気配がアイツそっくり!超笑える!」
銀の瞳を煌めかせケラケラと笑い声をたててはよろしくねぇと赤子の頭の上で左手を翳しキラキラと眩い光の粉を落とす。
赤子に危険が及ぶと感じたシルラーナが何をするか!と叫んでその手を払い赤子を更に自分の胸に引き寄せ男に背を向けて無事を確かめれば我が子の額に男と同じく薄く青い刺青が浮かび上がっていく。
目を見開き、こめかみに筋を立てて彼女は振り返り声を荒らげて叫んだ。
「貴様!私の娘に何をした!!」
「あ。君がアイツの奥さんだった感じ?初めまして!ココペリ・ナートゥラです、よろしく!」
「あの馬鹿が決めた婚約者だと?!私は断じて認めてない!それよりもっ」
「そうなの?まぁ、それはおいおい話すとして……その印のことだっけ?それは僕からのお祝いと加護を示すモノだよ。悪いものじゃないって」
般若の形相のシルラーナに臆さず首を傾げながら説明し、ね〜?と赤子に微笑みかける男は赤子の父よりも父らしかったがそれでも彼女は信用できずに侍女と護衛の側へじりじりと近付き男から何とか距離を取る。
眉を下げて頬を大きな爪を生やしたその指で掻いた青年はどうも話が違うなとぼやいていたが、不意にピクリと肩を跳ねさせまたヘラリと笑った。
「ココペリ。久しいな」
「ガーくんもおひさ!聞いてるよ、お嫁さん捕まえて子どももいっぱいいるんだっけ?おめでとー!あ、もう娘ちゃんにはアレあげといたからね〜」
「もうか。それは助かる。後で酒を届けよう、滞在はしていくか?」
「そだね〜多分いきなり連れてっちゃ納得してない奥さんに悪いし、直ぐに帰る予定だったけど少しここに留まるよ」
「……まだ納得していなかったのか。コレに任せれば安泰だと教えたろうに」
空間を歪ませるようにして暗い虚から魔王が姿を現せば旧友に話しかける気安さで男と会話をし始め、シルラーナは当惑し、男が困ったように告げた言葉で彼女に視線を向け寝言のような世迷い言を口にした魔王をキッと睨みつけた。
「乳飲み子を嫁になどと言うおかしな話を誰が受け入れるか!」
「……うん。そこから話してないんだねガーくんは」
銀の目を丸くして魔王を見、そしてシルラーナを見比べた男の方が何かを察したらしく頭を抱えて溜め息を吐いてどこから話したらいいかなと悩んでいるように腕を組み唸り声をあげていた。
「……先ず奥さんに伝えたい事としては僕の性質と能力なんだけど、毒も腐食も無効化というか向けられれば向けられただけ吸収して自分の力にできるのが僕です。ガーくんが僕を娘ちゃんにと真っ先に考えたのは恐らくこの点から僕に損なく娘ちゃんにも利となると考えてでしょう」
ちゃらけた雰囲気は鳴りを潜め、淡々と説明しだしては合ってる?と魔王に視線を向け概ね間違いはないと魔王が肯定したのを確認し、ココペリと呼ばれた男は続ける。
「んで、能力としては破滅と創造を持ち合わせてますんでもし将来彼女と僕で子を成せれば更に強い子が生まれる可能性が高い。ガーくんの子の中で毒と腐食を持って生まれた子は今のところこの子一人。ガーくん的には宝の持ち腐れになるくらいなら顔も性格も見知った僕に娘ちゃんを嫁がせたい。……大事になるからあまり公言したくはないけど魔王に僕は戦いを挑まれてかなりの数勝ってるから、そこも考慮されてると僕は思ってるけど、そこもどうせ合ってるんでしょ?」
「その通りだ。俺に勝てる強さを持ち合わせた者なら娘を嫁がせたいと思っても普通だろう?」
「こんな感じで、全て戦闘狂なのと唯我独尊を貫くガーくんの独断です。僕は赤ちゃん相手に欲情するような変態じゃないし、なんならガーくんたちが持て余してるような可哀想な子なら僕んとこで面倒見て、んで娘ちゃんが好きになってくれたらそうなってあげてもいいかな〜?くらいの軽いノリで来たワケで。流石に奥さんに了承得てないとか周りを説得してないとか思ってなかったって言うか、そんなん普通しないでしょ?ねぇ、わかってる?ガーくん?」
長々話す事になるとようやく席が持たれてシルラーナと侍女たちからキツく鋭い刺すような眼差しを受けつつも魔王の代わりに様々代弁したココペリにシルラーナも嘆息し納得した。
遠くからわざわざ不幸な赤子の為にとやってきたらしいココペリは出された酒やツマミにも手を付けず、事の重大さに気付いてからは罪人のように粛々と手枷や足枷をつけられ体を雁字搦めにされるのも仕方のない事と受け入れたし、何より赤子にかけた呪いも誕生してから不幸な目に遭い続けているのを哀れんでこれからの生に幸が多く訪れるよう願いをかけるものと悪しきものから身を護れるよう彼女の周囲にいる精霊に呼びかけ対象を護らせるものと知らされては。
お人好しが過ぎると魔王にその思いやりの一欠片でも与えられたならと拳を握り締めた。
「娘ちゃんも本当ならまだお母さんのところにいたいもんねぇ。娘を頼む、なんて言うからよっぽどの事が起きてると思ったけど、呪いも普通に十年は保たせられるとか言うし。じゃあ十年後に呼んでよってねぇ〜?」
「済まなかった。まさかコイツがそこまで阿呆だったとは思わなかった。他人に迷惑をかけ私さえ貴殿を勘違いし罵ってしまった……」
「奥さんは気にしないでいいよ、ガーくんが絶対に悪いんだもの」
憮然とした魔王を他所にシルラーナとココペリは頭を下げ合い、何となく互いに魔王に振り回される立場というものだと感じて仲間意識のようなものを覚えた。
そこからは早く、あの時はあんな事をしたこんな事をされたと魔王の非常識的な振る舞いの愚痴大会が始まり男女二人に遠回しに責められる事となった魔王は臍を曲げて彼らを残して退室した。
幾らか魔王に勝てるものと言えど護衛も侍女も様々挟んで二人きりという状況ではなかったし、何より子ども好きなココペリが子どもがいる空間でそのような不埒な真似をするとも思わなかった故の行動だが、シルラーナは結婚してから初めて夫が自分に言い負かされた時のように他人に負かされ自室に引きこもるという行動を起こしたのに驚き、ココペリはケラケラと笑い小さい時と変わらないと発言し更に彼女を驚かせた。




