蛇足1 七月はじめの再会(4/7)
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そもそもの話、この古書店は、すでに数年前に店をたたんでいるのだという。看板だけ残してある書物倉庫に、時々彼女が本を読みに来ているのだそうだ。
鍵は常に開けてあり、誰でも入れるようになっていて、首都圏にあるまじきセキュリティ意識の低さだ。幸い、これまでトラブルは起きていないらしい。
「そこそこ長いこと倉庫を守ってきたけど、人が入ってくるなんて、自分が出入りするようになったこの数年はまず無かったよ」
と店員さん。いや、元店員さんは言った。
後輩は、折角の綺麗な服を汚しながら崩れた本たちをジャンルごとに並べていた。やがて作業を一時やめ、額の汗を拭った。
「そういえば先輩、さっき地獄の作業に経験があるとか言ってましたけど、どんな作業だったんですか?」
「あー、あまり思い出したくはないが。書庫の中で卵型の殺人機械に追われながら、書庫を縦横無尽に走り回り、何日も書物と格闘を続けるうちに暗号に気付くことができた。そこで俺は、鍵となる書物に、苛烈な千枚通しの一撃をお見舞いしたわけだ」
「殺人機械? 千枚通し? 何言ってんすか先輩」と鷺宮後輩。
「……ねえ、ちょっと話盛ってない?」と元店員さん。
「見栄を張ってみたんだが、やはり見破られたか」
「あたりまえっす。会ったばっかの店員さんにまで見破られてんすよ。変な作り話してないで、先輩も本の整理を手伝ってください」
そんな不満を述べる後輩に続いて、元店員さんも不満そうに、
「そもそも一人でやったわけじゃないでしょ?」
まるで見てきたみたいに言う。
確かに、書庫での謎解きは俺一人では絶対に不可能だった。俺は解決の決定打の切っ掛けを捻り出したのみで、赤髪の歴史家カノさんと、年上のギルド職員アオイさんが、ほとんど解決したと言っても過言ではない。
だから、元店員さんの指摘は圧倒的に正しいのだった。
ほんの少し会っただけなのに俺の見栄っ張りな本質を見破って来るとは、やはりただものではない。もしかして、ただの地味な眼鏡の黒髪女性に見えるけれど、彼女こそ女王にして予言者のエリザマリーさんなのではないだろうか。
きっと予言スキルの力があれば、俺がどのような人間か、当ててみせるのも容易なことに違いない。
ちょっと小手調べに質問してみるか。
「店員さんは、異世界ってあると思いますか?」
「わざと言ってる? 怒っていいかな?」
この返答は予想外だった。俺は次に何を言ったらいいのかわからず、情けなく視線を泳がせるしかできなかった。
しかも、後輩はそのひどく険しい雰囲気を感じ取ったのか、「あっ、わたし、紙で手切っちゃったんで、絆創膏買ってきます」などと言って炎天下に飛び出していってしまった。
怒れる年上女性と二人きりで残されてしまった。
やばい、と俺は思った。怒った年上女性と二人きりなんて状況に、いい思い出は全くないからだ。でも、そんな厳しい展開にはならなかった。
元店員さんは、どういう心境の変化かサッパリなのだが、少しだけ機嫌を取り戻して言うのだ。
「ところで、さっき暗号がどうとか言ってなかった? ちょっと教えてもらいたいな」
「見せたところで、わかるとは思えませんが」
「地図とかついてたんじゃない?」
「あれ地図なのかな、どちらかというと、絵に近い感じですよね」
「見せてもらえる?」
俺は研究ノートを年上の女性に見せた。
「この四角形が公園でしょ、で、こっちの大きめの四角がお寺。この丸いのは交差点で、こっちの線は広い道路だよ」
「んん? じゃあ、この、一番目立つようにつけられている印は?」
「そう、それこそが、この倉庫だよ。どう見たって、ラッ――、じゃなくて、君が今いるこの場所がゴールって書いてあるじゃん。わかりやすく」
「どこをどう見たらそうなるんですか。こんな人を迷わせるための地図を書く人なんて、そうそういないですよ」
「……じゃあさ、君は、どうやってここに辿り着いたの?」
「えっとですねぇ、このノートの中で、スキル名とかスキル説明のところに散りばめられていた誤字脱字と衍字とを拾って並び替えたら、この住所が出現したんですよ」
「なるほど。まあ、逆に難しい仕掛けのほうに気付くのは、さすがだけども」
やはり、何か知っている風だった。おそらくこの暗号の出題者か、もしくは出題者から試験官の役目を受けたというような立場なのだろう。
「あの、この暗号を残したのって……」
「誰だと思う?」
他人に暗号解読を仕掛けてメッセージを残すと言えば、やはり女王エリザマリー。目の前にいるエプロン姿の年上の眼鏡女性は、あちらの世界で見たことのない人だ。となれば、
「やっぱり、あなたがエリザマリーなんですか?」
「ばーか」
「えぇ……っ。シンプルに罵倒してきたぁ」
「全然ちがうよ。なんでよ」
「じゃあ、あの、お知り合いに、エリザマリーさんとかいます?」
「名前は知ってるけど、見たことはないかな」
「あっ、そうだ。そういえば、自己紹介がまだでしたね。俺は織原久遠っていいます」
「ふぅん」
「あなたのお名前は?」
「んー、当ててみて」
推理するんだ。何か手がかりがあるはずだ。
俺の脳裏にまず浮かび上がってきたのは、この今は倉庫と化している建物の外観だった。
「丸ノ音さんとかですか? この店の名前がそうですよね」
「それはマリーノーツっていう音を借りただけでしょ」
「ですよね、じゃあ――」
と、俺が次に浮かんだ人物を挙げかけたところで、彼女は言葉を遮った。
「あーもういいや! じゃあとか言われて気分悪すぎ。期待して損した。さっさと片付けて帰れば?」
まさかアオイさんかな、と思ったのだが、背丈も服装も髪型も顔も、何一つアオイさんとは似ていない。
なんとなく雰囲気が似ている気もするけれど、何よりも、アオイさんは、もう少し優しいはずだ。
★
片付け作業が再開された。
元店員さんは本をかきわけて、机の上にスペースを作り、お茶を広げた。絆創膏を指に巻いた鷺宮後輩と肩を寄せ合い、窮屈ながらも優雅なティータイムを楽しんでいた。
後輩が絆創膏だけでなく、お菓子を買ってきたので、自然とそういう流れが出来上がったわけである。
後輩に手伝えと一度は言ったが、「指を切っちゃったんで、もう作業できないっす」などとヤワなことを言い出した。
俺ひとりが働かされているこの感じ、とても懐かしい。マリーノーツにいた頃を思い出すなあ。
この店員の女の人が勝手に椅子を本の塔にぶつけて、勝手に埋まっただけなのに、俺ひとりが悪者になって、俺ばかりがキツい思いをすることになる。
エプロン眼鏡の女性から、あれやこれやと指示が飛ぶ。
「一旦、そこらへん本は、あっちの棚に置いて、棚に」
だとか、
「ちがうちがう。ブラックの装丁の本は、一番左に置いて」
だとか。
一方で後輩には優しくて、ティーポット片手に、「もう一杯いれて来るね。ううん、ラクにしてくれていいよ」などと、こちらをチラチラうかがいながら、これ見よがしに言ってくる。
異世界マリーノ―ツの事を知っているようだし、思い返すと最初から俺のことを知っているような態度だったような気もする。秘密の書庫で暗号解読した一件についても知っているようだった。もしかしたらエプロン女性は、あの世界での俺の知り合いかもしれない。
こんなにびっしりと倉庫内に書籍を積み上げるほど読書が好きな女性といったら、アオイさんくらいしか想像できない。
もしそうなら、言葉の端々に「アオイ」という響きを混入させれば、何らかの反応を見せるかもしれない。
俺は意を決して、作戦を開始する。
「この、アオイ本はどこに置きましょうか」
だとか。
「ア、オイしそうなお菓子ですね。俺にも分けてくれませんか?」
だとか。
「あー、やっぱ夏に動くと暑いなぁ。おい後輩、ちょっとアオイでくれないか?」
だとか。
後輩にさえ無視されたのはともかくとして、女の人は反応していないように見えた。
やはり人違い、アオイさんではないのだろうか。それとも、あえて無視をするという駆け引きだろうか。
不安に包まれたまま、俺は片づけを終えてしまった。
久々に床と再会したエプロン女性はウンウンと頷きながら、
「終わったね。来た時よりも綺麗にしてくれてありがとう。こっちは忙しいから、今日はもう閉めたいんだけど」
「急に押し掛けてすみませんでした」と後輩。
俺も軽く謝った後、
「でもなあ、これから先、暗号の手掛かりをつかむには、全部の本を確認する必要もありそうだ」
そしたらエプロン女性は、「暗号の先が知りたいの?」と聞いてきた。
「そりゃそうですよ。やりかけた仕事は最後までやらないと。そこに謎があれば解きたいのが人間ってもんでしょ」
「暗号の続きは確かにあるんだけどね、ここの本を全部、君ひとりで片づけてくれたら、教えてあげる」
「それ、また来なきゃいけないやつですよね」
「うん、また散らかして待ってるから」
「せめて片付けたところは維持してください」
「だったら毎日来ることだね」
「いや……忙しいんですけどね、俺」
「だったら、謎は謎のまんまだね」
そんな会話を最後に、俺はエプロン女性に背中を押された。さっさと出ていけということらしい。
ここで外に出てしまったら、きっともう二度と、この人と会うことはないだろうし、この場所を思い出すこともないのだろう。なんとなく、そんな予感がした。
しかし、今にも敷地を出ようかという直前、横にいた後輩が急に振り返って、言うのだ。
「ここに来てからずっと思ってたんですけど、もしかして、わたしたち、夢で会ったことあります?」
いきなり何を言ってんだと思ったが、眼鏡のエプロン女性の反応は意外なものだった。
「よくわかったね。違う世界、というか、夢の中とは姿も声も違うのに」
「勘っす」
「じゃあ問題。どこで会ったかな」
「裸の付き合いだけの仲っすよね。わたし、ほら、わたしです。鷺宮です。えっと、あお……」
エプロン女性は後輩が言う前に頷いて、名乗った。
「碧池つむじです。裸の付き合いだけって、なんか誤解招くよ。お風呂で会ったんだよね。あのすぐ後にこの世界に戻されたから、よく憶えてるよ」
碧池つむじ……。
あおいけ……あおい……。
「アオイさん?」
俺が呟いたら、待っていましたとばかりに彼女は声を喉の奥から爆発させたり、裏返したりして言うのだ。
「遅いよ、ラック! 待ちくたびれたよ!」
すぐに気付くべきだった。スキルに詳しい人物。人を迷わせる地図。本を読む美しい姿。容姿が違っていたとして、声が違っていたとして、どう考えてもアオイさんだったじゃないか。
「いやっ、その、ほんと、気付けなくて、すみません」
「ほんとだよ。深く傷ついたよ。ギルティだよ!」
後輩は、「なんなんすか」と呟きながら、怒る女性を見て引いてたな。