蛇足1 七月はじめの再会(3/7)
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住宅街を歩きながら、目的地へ向かう。
鷺宮さんは、一度ギャルの服装になって、またもとの後輩に戻ったわけだが、学校で会うときよりも、何段階も綺麗な服のように思えた。
後輩は、褒めて欲しそうにしていたが、あいにく俺はレヴィアひとすじなのだ。軽々しく女性を褒めるなどということは控えねばならない。
「わたしたち、どう見えますかね」
「どうって、先輩後輩に見えるだろ。普通に」
「うーん、カノジョさんいるのに、こーんな可愛い後輩と二人きりで歩いてて、もしカノジョさんに見られたらどうしよう、とか思いません?」
「レヴィアは今の時間なら高校にいるぞ。だから大丈夫だ」
「えっ、どこ高っすか? 知り合いいるかもしれないっす」
「鷺宮後輩に教えたら、潜入して見に行ったりしそうだから、絶対に教えたくないな」
「えー、絶対絶対そんなことしませんよぅ。あらゆる神に誓いまくるんで。だから一生のお願いっす」
「言葉の端々から、もう約束破る気がほとばしってるからな?」
「てか、本当に実在するんすか?」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味っすけど?」
俺は今、レヴィアと二人暮らしをしている。どうやら後輩は、俺の嫁レヴィアが本当に存在するのか、確かめたいということらしい。
「そんなん言うくらいなら、会ってみるか?」
「えー、いやですよぉ」
「何でだよ」
見るだけならいいけど、わざわざ会ったりしたくはない、ということらしい。
「や、だって、ほら、これでセンパイの彼女が全然可愛くなかったら、微妙な空気になるやつじゃないっすか」
「今のは二つほど間違えている。まずレヴィアは俺の嫁だ。あと世界一可愛いからな。二度と間違えるな」
「こわっ、先輩はレヴィアさんのことになると急に険しい感じになりますね」
「わかってるなら気をつけろ。あと俺は先輩なんだから、すこしは敬え」
「嫌っす」
「なんでだ」
返事がなかった。
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そしていくつかの橋を渡り、ついに俺と後輩は目的地に到着した。
「織原先輩、あれじゃないっすか?」
インターネット上の住所検索では、そこには何も無いはずだった。しかし古書店があった。
色あせた看板には、『丸ノ音書店』と書いてある。
これは、あれだよな。
まるのおと……まるぃのと……まりのと……マリーノート……マリーノーツ。
少なくとも、異世界マリーノーツに関係した何かだと確信できた。
やはり女王にして予言者のエリザマリーが待っているのだろうか。
仮に会ったことのないエリザマリーさんがいたとして、どういう反応を示すだろう。「おめでとう」という反応だったらいい。でも、もしも、「よくも魔王を全滅させてくれたな!」とかだったらどうしよう。
あるいは、これは罠で、復讐の機会をうかがう魔王的な者が待っていたらと考えると、すぐさま攻撃を回避するイメージトレーニングをしておかねばならない。
あの世界ではラストエリクサーがあったので、草さえ味わえば、いくらでも強くなれた。でも、この世界ではそうはいかない。
「ねっ、先輩。入ってみましょ」
確かに、ここが目的地で間違いないんだと思う。こんな住宅街の真ん中にある古書店なんて、どう考えたって、それっぽい。
しかし俺は、どうにも緊張してしまっていた。
「ちょっと待ってくれ、なんだか覚悟がいる」
「え? 今さら何言ってんすか先輩。研究なんてことに興じてる我々にとっちゃあ、古書店なんて、我が家同然じゃないっすか」
後輩は容赦なく俺の腕を引っ張ってくる。
「家ってのは言い過ぎだけども、古書店に馴染みはある。でも、そういう問題じゃないんだ」
「じゃあ、どういう問題なんです?」
「もしかしたら、すんごい偉い人がいるかもしれないんだよ」
「じゃあ楽しみじゃないっすか。ほら、行きますよ」
きっと一人だったら引き返してしまっただろう。
でも、鷺宮後輩は、持ち前の積極性でガラスの扉を引き開けた。
店内は外からみるよりもずっと暗かった。通路も狭く、両側に今にも落ちて来そうな書籍の壁があった。横向きでカニ歩きしながら奥へ行くと、店員らしきメガネの女性が、散らかった机に向い、パイプ椅子に座っているのが見えた。
エプロン姿で、セミロングの髪を後ろで縛って、デスクライトで手元のハードカバー本を照らしながら、集中して読んでいる。
装丁から察するに郷土史研究の本だろうか。いずれにしても、難しめの本のようだ。
静かに、心地よいリズムでページをめくっていく。
美しいと思った。
鷺ノ宮後輩は、そんなある種の張りつめた空気をぶち破って彼女に話しかけた。
「すみません。ここって……」
店員さんは驚き、顔を上げたかと思ったら、またもう一度、さっきよりも強く驚き、立ち上がった拍子にパイプ椅子を膝裏で跳ね飛ばすと、それが背後に積まれていた本たちの一部に激突した。
そのはずみで、頭上に高く高く詰まれていた本たちの山が一つ、盛大に崩れ出した。
俺と後輩は、呆然と見ているしかなかった。
舞い飛ぶ埃の中、甲高い悲鳴とともに、年上と思われる店員さんは、埋まった。
俺と後輩で彼女を発掘し、引っ張り出してやると、よかった生きてた。
ぼさぼさの髪を整えながら、おずおずと彼女は言うのだ。
「あの……お客さん、ですか」
「暗号みたいなものを辿って、ここまで来たんですけど、何か、心当たりはありますか? いや、変な事言ってるのは自分でもわかってますけど……」
すると店員さんは「ふぅん」と喉を鳴らした。
「それでですね、すみませんが店員さん、この古書店について、教えてもらってもいいですか」
すると、なぜか店員さんは、いきなり不機嫌になって、店員らしからぬ口調で俺を責めた。
「ていうか、君のせいで整理してあった本が滅茶苦茶だよ。どうしてくれんの」
――整理してあった?
何を言っているんだこの女店員は。あれのどこが整理されていたというんだ。不揃いのジャンルの本たちが、高く高く積み上げられていただけじゃないか。
置くスペースがないもんだから、仕方なく仕入れた本を床に置くしかなくなって、やがて整理する気も失って収拾がつかなくなった店内にしか見えない。
さきほどの店員の発言に対し、後輩も不信感を持ったのか、
「先輩、本当にここが目指していた所で合ってんすかね。なんか偉い人いるとか言ってませんでした? このひとが?」
俺は少し考えてから、結論を出すには早いという答えに至った。
「いや、まだ何ともな。でも、たぶん店の名前的にも関係はあるはずだ。ここがゴールじゃなくて、またこの古書店内のどこかにある、新たな暗号を探すことになるかもしれない」
「え……まじすか」
「大丈夫だ後輩。俺は以前、そういう作業をやったことがある。後輩もいい体験だと思って、巻き込まれろ」
「いやいや、おかしいっす。ひとみみ聞いただけでもわかる、地獄の作業っすよね。こんな汚い未整理の、びっしり数万冊はありそうな古本の中から手がかりもなしに何かを探すなんて、正気の沙汰じゃあないっす」
「まあ汚い地獄であるのは間違いないな」
そんな会話をしていたら、店員さんが急に怒った。
「君たち、地獄扱いは、ちょっとひどいよ!」