蛇足1 七月はじめの再会(1/7)
これ以降は蛇足になりますが、結末のその後を描いた話です。よろしくお願いします。
七月はじめの真っ昼間。溶けそうになりながら俺は後輩に連れられて炎天下を歩いていた。
俺の足取りは重たいが、前を行く鷺宮後輩の背中はとても楽しそうに見えた。
ふと、整備が行き届いていないアスファルトに足をとられて転びそうになった。顔を上げて後輩に見られていなかったことを確認し、安堵していたところ、
「織原先輩、あれじゃないっすか?」
彼女は、前方にゆらめく古い建物を指差した。
色あせた看板の古書店だった。
ガラスの向こう、薄暗い店内に、びっしりと書籍が積み上げられているのが見えた。
さて、平日の真っ昼間から、なぜ俺が後輩と知らない古本屋を目指していたかというと、それは単純な話、そこに謎があったからだ。
★
大学院での学びは、謎にぶち当たることの連続だ。
わかりにくい言語、わかりにくい解釈、わかりにくい解説、わかりにくい文章。そういうものと向かい合い、専門知識と閃きを武器にして殴り合う世界なのだ。
そしてまた一つ、鷺宮後輩は謎を背負って歩み寄ってきた。
俺が売店近くの日光の当たらぬベンチに腰掛けて涼んでいると、鷺宮後輩に発見された。
「先輩、探しましたよ。なんでこんな何もないトコにいるんすか。図書館とか研究室とかにいると思ってたんですけど。あっ、もしかして一人になりたかったとか? えっ、何かあったんすか? カノジョさんに怒られてヘコんでるとか?」
「違うからな。たしかに俺の嫁はすぐ怒るけども」
「じゃあ何で?」
「鷺宮後輩から逃げるためかな」
「また思ってもいないこと言って。気を引きたかったんですか? かーわいいですね」
「あ?」
「やっ、えと、ごめんなさい。今のはちょっと、あれでした」
「どうしたんだ? 今日はしおらしいな」
「何言ってんすか。わたし、いつも大人しい後輩ですよ。大和撫子ってやつです」
「ははっ、ありえん」
「は?」
「あっ、ごめん。ちょっと今のは、感じ悪かったな」
「隣、座ってもいいっすか?」
「おう」
慣れたやり取りだった。
そこからしばらく、無言の時間が続いて、遠くから学生たちの笑い声がきこえてきたりした。
俺は携帯を取り出して、ニュースをチェックしたり、読書アプリを起動したりした。気を遣って楽しい会話を主導するみたいな意識は、その時の俺には全く無かった。
鷺宮後輩と同じ空間にいたところで、もはや場を盛り上げようと努力をすることは少ない。隣の席に座っていても、ひとことも話さないことだってある。
空気みたいなものというのは言い過ぎだが、互いに邪魔になり過ぎないように雰囲気を読み合っているのだった。
まさに先輩後輩にふさわしい関係と言えるかもしれない。
いや、どうなんだろうな。
ともかく、俺がちゃんと暇であることを確認した後輩は、用事を切り出してきた。
「先輩、これみたことあります?」
「ん?」
後輩の手の中にあったのは、一冊のノートだった。
手に取ってみると、表紙には丁寧な字で『研究ノート』と書いてある。特に分厚くない普通の大学ノートだ。
ノートの小口などには、ところどころ茶色いシミがついており、使われはじめた時から時間が経っていることを物語っている。
「知らないな。研究ノートか」
「それっぽいんすけどね。タイトルもそう書いてありますし。研究室の掃除をさせられてたら出てきたんすけど、謎なんすよ」
「謎? まあ研究ノートなんて自分がわかればいいだけだからな。整理されてない場合もあるだろ」
「そういうレベルじゃないっす。開いてみてください」
言われるままに開いてみると、この世のものとは思えない文字だった。
……いや、ちがうな。それは、実際にこの世の文字ではなかった。
かろうじて読める。知っている文字が多い。
「どうです、先輩。なんか、どっかで見たことある気がするんすよね、これ」
「なあ後輩、この文字、読めるって言ったらどうする?」
「めっちゃ尊敬します」
「じゃあ、存分に尊敬してくれていい」
それは異世界語だった。
つまりこれは、俺に読めて、鷺宮後輩には読めないノートということだ。
マリーノーツを旅した俺がそこそこ読めるのは自然なことだ。
後輩もマリーノーツとは縁があったものの、読めないのは仕方のないことだ。以前、鷺宮後輩が階段を踏み外して倒れた時、ほんのわずかな時間だけ、「はじまりのまちホクキオ」に降り立ったことがあったという。
その際には、俺の名前がついた風呂に入ったり、俺の知り合いに出会ったりしたことがあったとのことだが、なにせ、あっという間に異世界から弾き出されてしまったため、この異世界文字を拝む機会が少なかっただろう。
研究ノートは、何の序文もなく、作者名すら記されておらず、ひたすら表が並んでいるばかりのものだった。ページの左側にスキルの名前がビッシリと列挙され、線で区切られた右側に効果が簡潔にまとめられているばかりのものだ。
多岐にわたるスキルの特徴を簡潔にまとめるというのは、相当な知識がないとできないはずだ。
だから、これを書いた人は、ずいぶんスキルに詳しい人のようである。あまりに詳しいので、ものすごく長いこと異世界で過ごした人だと推測できる。
最後のページには、線が不規則に引かれ、さまざまな色の点や図形が散りばめられた絵が描かれていて、抽象画だろうか、一体、何の絵なのか想像もつかない。
特殊な機械に読み取らせることで解決できたりしないかと携帯カメラをかざしてみたが、バーコード読み取り機能が発動することは無かった。
正直わからない。
後輩は指でそのページを指でトントンと叩いて、
「この最後のやつ、もしかして、実際の地図と重ね合わせたら、何か見えてくる系のやつですかね」
「手の込んだ暗号のようなものか」
「ですです」
「これ、研究室で発見したって言ったよな。じゃあ、研究室にある地図っぽいものを重ね合わせて確認してみるか」
俺の予想をいえば、これは異世界マリーノーツにかつて君臨したという、女王エリザマリーの遺産なのではないだろうか。
なんで俺たちの研究室にあるのか理解できないが、あるいは、暗号を辿って行った先で、何かご褒美でも用意してくれているのではないだろうか。あの世界の魔王を全て消し去って救い切った俺だ。
大勇者制度をはじめた女王エリザマリーという偉い人から、そういうものを受け取る権利はあるのではないだろうか。
根拠もある。エリザマリーは、暗号を残して人を導くのが好きなようだった。
舟を漕いで向かった地底の大空洞。スカーレットレッドの毒草まみれで死にかけた記憶が鮮明によみがえってくる。
それと、文字が美しい。まるで印刷されたような綺麗な文字だ。いつぞや異世界で見た、エリザマリーの直筆と言われる文字に似ていたような記憶がある。
こうしたことから、エリザマリーの遺産であるという仮説も、ある程度の妥当性をもつのではないか。
もしそうだとしたら、現実世界とエリザマリーの関係を示す資料ということになり、これは本当に貴重な発見だ。