第312話 ラスエリ祭り・極
青空の下の草原。強大な魔王。効かない攻撃。パンツ一枚の俺。
絶望感、漂う。
だが、そのとき俺は閃いた。半ばやけくそになって頭がからっぽになっていたからこそ、思いついた作戦。
「まだだ! ちょっとここで待っていろ。俺の真の力、見せつけてやる! 俺がここに戻って来るまで、その草原で犬やスライムと戯れながら待っているがいい」
「ほう」
脆弱な俺の、偉そうな言い方が気に入らなかったのだろうか、おとうさんは、スライムを超高火力で叩き潰し、同時に地形も変えてみせた。
大爆発。熱風と衝撃波で、かなりのダメージを受けた。
大きな揺れが、マリーノーツ全体を襲ったような気がする。
大勇者まなかの一撃にも負けない破壊力だった。広範囲の犬とスライムに、億単位のダメージを与える大技である。
しかし、その時、「よし、あの窪みにも、あとで温泉でも流し込もう、これまでよりも、もっと大きな温泉が作れるぞ。リゾートスパみたいにできるかもしれない……」なんて考えられるくらいには、俺は冷静さを保てていた。
マリーノーツに来てから、いくつも潜った修羅場のせいかな。それとも現実逃避かな。
魔族は俺を見下して言う。
「どのみち、貴様の勝ち目などゼロだ。ありえない。無駄な足掻きというやつだが、いいだろう。蚊とんぼよりも弱々しい一撃しか持たぬ貴様の『真の力』とやら、オレが見極めてやろう」
「ぜぜぜ、ぜったい、に、逃げるんじゃないぞ! そこを一歩も動くなよ!」
全身震えながらも、俺はなんとかその場から離れ、また神殿風の豪邸へと急いだ。
ここに俺の最後の作戦を支える重要アイテムがある。
俺は大きな倉庫の扉をゆっくりと開けた。むせかえる雑草の匂いに懐かしさを覚えた。
おびただしい量の戦闘霊薬。
すなわち、ラストエリクサー。
ラストエリクサーの効果は、限界を超えた回復と、戦闘力を三倍にするというものだ。これだけでも凄いけれども、実はもっと価値のある効能がある。
そう、重ね掛けが可能なのである。
俺の戦闘力が1だとして、一つ食べれば3倍になり、二つ食べれば9倍になり、三つ食べれば27倍になり、四つも食べれば81倍になり、五つ食べれば200倍を超える。
「とりあえず、あそこからここまで食おう」
ラストエリクサー祭りだ!
棚一列分のラストエリクサーを吐きそうになりながら平らげて戻り、俺は魔族の膝を思い切り殴った。
効かない。腕組みをしたまま微動だにしない。俺の戦闘力はトンデモないことになっているはずなのに。
もしかして、まだまだ足りないというのか。
「多少はマシになったか。だが笑わせる。今のが、貴様の『真の力』か?」
「いいや違う。もうちょっと首を洗って待っていろ」
「いくら方法を考えても無駄だ。貴様ごとき雑魚にレヴィアは渡さん」
「ふっ、よ、余裕でいられるのも今のうちだぜ!」
俺は強がって、再び倉庫へと走った。
「こうなったら、もう全部食ってやる」
苦しみの果てに、倉庫のラスエリ全てを平らげて向かって行った。これでだめなら、もう後が無い。
おとうさんは律義に待ってくれていた。よほど俺を屈服させたいらしい。
攻撃を繰り出した。当たった。
「効かぬ!」
やせ我慢しているわけではないと思う。
本当に大したダメージが入っていないのだ。
「そんな……」
黒い絶望に覆い尽くされる。
攻撃力に関して言えば、もう頭のおかしい数値になっているはずだ。その証拠に、近くに寄ってきたスライムを殴ったら、数え切れない桁のダメージがはじき出された。
戦闘継続中にしかラストエリクサーは効力を発揮しないのだが、倉庫に走っても効果は正常に発揮されていた。
ではなぜ、こんな尋常ならざる吐き気を感じるほどにラスエリを食いまくっても攻撃が効かないのだろう。
それほどまでに、バホバホメトロ族は最強ということなのか。
だったらもう、打つ手がないじゃないか。
俺は地面に両膝をついた。全身から力が抜けて、腕をだらしなく垂らす結果になった。
レヴィアが心配そうに見つめている。
「どうした? もう終わりか?」
「いや、その……」
どうすればいいのかわからない。
おとうさんが這いつくばる未来がまったく見えず、俺の心が折れそうだ。
「ラックさん!」
レヴィアの悲痛な声がする。彼女のために、おとうさんを倒さねばならないのに、最後の一手もつぶれてしまった。
もう打つ手が……。
「なにしてるんですか! 約束しました! ずっと一緒だって! それともラックさん、ニセモノなんですか! ただの合言葉を知ってただけの、私の知らないヒトなんですか?」
足掻けと言われている。何がなんでも勝てと言われている。レヴィアがおとうさんよりも、俺を選んでくれている。
そんなふうに言われたら、立ち上がるしか、ないじゃないか。
「まだだ!」
レヴィアの言葉で俺の脳みそは再び回転を始め、あることを思い出した。
ラストエリクサー祭りは、まだ終わっていない。
ラストエリクサーには等級がある。つまり、より上位の『ラストエリクサー・極』を使えば、何かが起きるかもしれない。
大勇者まなかさんから受け取った『ラストエリクサー・極』は、売ってしまったからもう無い。だけど、実は、俺は旅の道中で『ラストエリクサー・極』を入手していた!
レヴィアのおかげで思い出せた。
あれは、エルフたちが昏睡していた村。猫の結界に守られたサタロサイロフバレーでのこと。別れ際に、事件解決の御礼として、エラーブルという、緑色の服を着た偉ぶるエルフの政治家から、この稀少ラストエリクサーを受け取っていたのだ!
これまで呪われた草だとか、雑草オブ雑草とか言ってしまってごめん。今からでも撤回できるなら撤回するから、ラストエリクサーよ、どうか俺に、力を貸して欲しい。
アイテムを取り出して、食べた。『極』がつくから、もう少し美味しいものかと思ったのだが、むしろこの味は雑草の極み。苦くて青臭くてしょうがない。けれども。
「これは……力が……」
活力がみなぎってくる。元気が湧いてくる。これまでとは違う。限界を超えたような感覚さえある。いけるかもしれない。
「ほう、闘気が増したな。それが真の力か」
実際は、真の力どころか、ほとんど外から借りた力だ。
だが、ラスエリは俺の持ち物なのだから、俺の力だと言い張っても許されると思う。
それに、人間ってのは一人で生きているわけじゃない。借りもので出来ている心と身体を、俺は、むしろ誇りに思いたい。
現実世界での人生がなかったら、ここまで来られなかっただろう。
マリーノーツでのたくさんの出来事がなかったら、きっと俺は、ここまで立っていられなかっただろう。
全ての借りものが今、俺の全身全霊になっているのだ!
「いくぞ、おとうさん!」
「貴様にそう呼ばれる筋合いはないと言っている!」
俺は思い切り、これまでと同じ脛の部分を殴った。
「ヌグッ!」
片膝をつき、地面が揺れた。
「や、やるではないか、人間……」
「これが、俺の、レヴィアへの愛の力だ!」
「ラックさん!」と嬉しそうな声がした。「おとうさん、そのまま倒れて!」
その瞬間、バホバホメトロ族の目の色が変わる。
おとうさんは、倒れなかった。
「人間め、殺してやる!」
ぎちぎちと歯を食いしばる音がきこえてきた。そしてついに、明らかに本気で襲いかかってきた。
「やば」
飛び退いたら、空振りだった。しかし、その風圧で、俺は転がった。食い散らかしたラストエリクサーで攻撃も防御も敏捷も強化されているはずなのに風圧だけで大ダメージだ。
「くっ……」
歯を食いしばって指で地面をひっかき、耐えた後、回復と強化の霊薬、『ラストエリクサー・極』を口に運ぶ。
回復と強化はできたが、その行動は隙になった。
気付けば、地を這うような低姿勢から繰り出された巨大な拳が視界を覆っていた。
回避――は、間に合わない。
「うおおおおおおおおお!」
受けとめた。
「あ、だめだ」
防御はあっさり崩れ、全身に衝撃。俺は真上へと打ち上げられた。高く高く、風を切り、空気の膜をいくつも突破し、ロケットみたいにのぼっていく。
恐怖で悲鳴をあげそうになるのを必死に抑える。冷静さを失ったら、それこそ死が待っている。
マリーノーツの大地が遠ざかる中、俺は『ラストエリクサー・極』をヤギのごとくムシャムシャもぐもぐした。これで、回復とさらなる強化が完了した。
余裕ができたところで周囲を見てみると、下には、マリーノーツの大地が、ぽっかりと宙に浮いたように見えている。ものすごく高く打ち上げられてしまったようだ。パンツ一枚だからだろうか、標高が高いせいだろうか、肌寒く感じる。
片側には大きな柱があって、はるか遠くの先端部分が、蓮の花のように広がっている。それに、見下ろすマリーノーツの大地は、地球のような球形ではなかった。
以前聞いた、赤髪の歴史研究者カノレキシ・シラベールさんがその目で見た世界の形と同じだ。
やっぱり、ここは現実とは別の世界なんだと感じた。
ぐわっと重力を感じる瞬間があって、今度は垂直に落下しはじめた。
ぐんぐん近づいてくる地面。
俺は「あああああ!」と思い切り叫んで、恐怖をごまかした。
そして、口を結んで、高い空から相手を見下ろす。
まっすぐに落ちている。
そうだ。この落下の勢いを利用すれば、おとうさんを這いつくばらせることができるかもしれない。
落下にあわせて拳を振り下ろす。
「くらええええ!」
これで決着してくれ、と思ったのだが、うまくはいかない。
俺は拳が届く前にペシン軽く叩かれ、右半身に大ダメージ。また死にかけた。
激しく回転した後、ものすごい速さで地面を滑る。裸の上半身が摩擦で熱い。
本来、マリーノーツでは、限界をこえた熱さや冷たさを感じないようになっている。転生者には快適な環境が用意されているはずなのだ。それなのに、ものすごく熱く感じる。それほどまでの力ということだろう。
「けど、死んでない」
俺はまたしても草を食み、回復とさらなる強化を果たした。何度も傷ついて、でもそのたび不死鳥のように復活を繰り返す。
諦めない。
――だって、俺は、レヴィアが欲しいんだ!
おとうさんも、俺の粘り強さに驚きを隠せない。
「この強さ、一体何だ。何が起きている。秘宝中の秘宝であるアイテム、限界突破の戦闘霊薬とよばれるハイグレードなラストエリクサーを大量に摂取でもしない限りは、このような展開にはならぬはず! それがなぜ!」
「さすが、よくぞ見破ったな、おとうさん。そう……これは、ラストエリクサーの力だ!」
「ありえぬ! あの高位のエルフにしか生み出せぬ、貴重で高価なものが、このホクキオ近郊に大量にあるわけがない!」
「ふふふ、おとうさん、あなたは引きこもっていたから知らないかもだが……」
「なんだ、なんなんだ」
そして俺は、混乱するおとうさんに向かって言ってやるのだ。
「――ラストエリクサーはな……今となっては大暴落して、雑草扱いされてるんだよッ!」
「なっ、なに? そんなことが!」
この時、大きな隙が生まれた。
レヴィアのおとうさんは、ひきこもりが原因の情報不足を指摘された途端に大きく心を乱していた。
「いまだッ!」
大地を蹴って突進する。
咄嗟に捕まえようとした大きな手を素早くかいくぐり、魔族の膝を踏んで飛び上がる。アゴをめがけて一直線。
見事に一発入れてやった。
天を仰いで地面に膝をついた。
これで、敵の脳が震えれば、一時的に手足が麻痺し、魔族といえども這いつくばる結果になるのではないかと思った。
しかし、そこは最強の魔族である。
反撃の爪が襲い、俺は地面に転がった。
直撃。
目がかすむ、足が動かない。本日何度目かの瀕死だ。
だが、俺には、まだラストエリクサーがある!
これが最後の『ラストエリクサー・極』だ。大切に口に運ぶ。
やっぱり美味しくない。
けれど、嘘のように全回復して、戦闘力も前人未踏の領域まで到達しているに違いない。
最後の最後の一手を打った。追撃の準備は整った。
ここで決められなかったら、もう後がない。
両膝をつく形にはなったものの、おとうさんの身体はピタリと止まった。動かなくなった。
一時的に意識は飛んでいるのだろうが、「人間ごときの攻撃で、絶対に這いつくばってなるものか」という強い意志を感じる。
気を失ったふりをしているようには見えないけれど、俺が接近したら無意識に爪が襲ってくる可能性もある。
なかなか思い切れない。
だが、ここで踏み出さねば、どう頑張ってもおとうさんを倒せない気がした。
「もう一押し!」
勇気を振り絞って、俺は巨大な巻角にとりついた。おとうさんは動けなかった。
「せーの!」
両腕で抱いて、へし折る。
「もういっちょ!」
もう片方にも何発も拳を入れて叩き折ってから、俺は着地した。
おとうさんの上半身が動き、前後左右にゆらゆらする。そこで少しだけ意識を取り戻した魔族は、何度か抵抗を見せたが、ついに、うつぶせに倒れた。
激しく地面が揺れたものの、何とか踏みとどまり、俺は勝ち誇り、おとうさんに向かって言ってやる。
「なぜラスエリの価値が大暴落したかって? 教えてやるぜ、おとうさん。それはな、世界が平和になったからさ!」
「ばか……な……。人間ごときに……」
「大魔王もいなくなった世界だ。もっと暴落するだろうよ!」
おとうさんは、そこで身体の力を抜いた。
戦意喪失である。
俺の勝利だ。
いやはや、こんな形でラスエリが役に立つなんて想像もしてなかったけど、とにかく、勝ちは勝ちだ。
「レヴィア、勝った、勝ったぞ!」
「ラックさん!」
両手を広げる俺のところに、レヴィアが帽子をとばしながら走ってきて、ものすごい勢いで胸に飛び込んできた。ラストエリクサーで強化された俺は、両手を広げて、レヴィアの全力の突進を簡単に受け止めることができたのだった。
「やりましたね、ラックさん」
「ああ、応援ありがとう、レヴィア」
俺はレヴィアの頭を、やさしく撫でた。そこにはもう、角の感触なんか少しもない。
とても安心した様子で、愛するレヴィアは声を発する。
「これで、ずっと一緒にいられますね」
人生で最も幸せな瞬間だと感じた。