第311話 ラスエリ祭り
俺は、空を飛んでいた。
気を失って空を飛ぶ夢を見ているとか、そういうわけじゃない。
レヴィアの父の軽い前蹴りによって、俺はアヌマーマ峠が軽く見下ろせる高さにまで蹴り上げられ、流れ星のように移動している。
「このまま大地に叩きつけられたらまずい。何か、何かないのか」
下を見ると、オレンジ屋根が並ぶホクキオ市街地が広がっている。
このままだと、あの筋肉隆々で目つきの悪い悪魔じみた怪物が、市街地にまで来てしまう。俺のせいで壊滅的な被害が起きてしまう可能性があるのだ。
「考えろ、考えろ、考えろ」
呼べるほど仲の良い伝言鳥はいない。いつぞや宮殿まで俺を運んだナスカくんを呼ぶ笛は持っていない。
俺のレンタル伝言鳥は人を運ぶこともできない、というか、エコラクーンでゾンビとなり、炎魔法で焼却されて、もうこの世界にいない。
フリースがいてくれたら、氷によって導いてくれるだろうけど、今はその手助けなんか無い。
彼女の登場を期待して判断を間違えば、もう本当に取り返しのつかないことになる。幻影を振り払うように、俺は空中で頭を振った。
考えろ、考えろ、思いつくまで考え続けるんだ。
俺も含めて、誰も傷つかない道を。
ふと、ホクキオ郊外に、俺がいつか建てた白い神殿風の家が見えた。
「あれだ!」
閃いた。アヌマーマ峠からさほど離れていない、俺の作った豪邸であれば、市街地からだいぶ離れているし、衝撃を吸収する露天風呂もある。被害を最小限に抑えられるのではないか。
あそこに降り立つために、何が必要か。
――盾だ。
オトちゃんから預かったものは防具だけではない。盾もあるのだ。これを上手く扱って、凧のような形で操ることができれば、敵をあそこに誘導できるのではないか。
俺は盾を装備した。角度をうまいこと調整して、ぐるっと大きく周回してから温泉に突っ込むことにした。
運良く風に煽られてバランスを崩すことなく、望み通りのコースに乗った。このままいけば、温泉に突っ込むことが出来る!
「どいてくれえええ!」
そう叫びながら盾の面でお湯を一度叩き、水柱を立てながら跳ねた。勢いはそれだけでは収まらず、ズガガガと石の回廊を滑ると、白い神殿風の柱と柱の間に突っ込んだ。
俺の身体は前につんのめり、すぐに前方に投げ出されて柱の間を過ぎる。ごろごろと何度も前転を繰り返す。視界がぐるぐる回る。やがて土の上を少し滑って止まった。
「よかった……いきてる……」
俺は、高防御力が自慢の防具を装備している。胴体から足に掛けては皮革を多く使った地味な鎧、頭には丈夫なハチマキを巻いていた。
この最高級オーダーメイドの防具セットをオトちゃんが褒美としてプレゼントしてくれていなかったら、おとうさんの小キックの時点で死んでいたかもしれない。神聖皇帝オトちゃんには本当に感謝だ。
呼吸と鼓動がおさまるのを待って、その場で少しだけ休んだ俺は、盾を回収すると、すぐに温泉に向かって走り出した。
誰かがあの場所にいたら、怪我をしたかもしれない。誰も居なかったことを祈りつつ、俺は露天風呂に急いだ。
「おいおい、誰かと思えばオリハラクオンじゃあないか」
白銀甲冑の親友、クテシマタ・シラベールさんが、そこにいた。俺が激しく突っ込んだにもかかわらず、湯に浸かったまま、平然と右手をあげてきた。相変わらずの全身甲冑で表情が読めない。
「ひとついいか、オリハラクオン」
「ええっと、なんでしょうか、シラベールさん」
「オリハラクオンだからといって、何をしてもいいわけではないだろう。ここは飛び込み禁止だぞ。自分以外に誰も入っていなかったからよかったものの、これからタマサ様というお客様の貸し切り予約が入っているんだ。もしもお客様がいたらどうなっていた?
いくら世界を救った英雄だからといって、風呂を壊しかねない飛び込みが危険なことくらいわかるだろうに」
どうやら怒っているようだ。
危うく親友の命を奪ってしまうところではあったけれど、結果的に、誰も傷つかなかったようで安心した。
けれども、俺の目は、素直に安心できない現象をとらえてしまった。
「すみません、そんな場合じゃないんです」
普段は視界をさえぎる湯気が、俺が飛んできた風圧によって薄くなっていた。まるで強烈な魔力を帯びた魔族を避けるかのように散っている。
だから、ズシンズシンと地面を揺らしながら近づいてくる巨大な怪物の姿が、甲冑の目にもよく見えていた。
「おいおいオリハラクオン。ありゃあ……最強の魔族として名高いやつだろ、なんといったか……」
「バホバホメトロ族です」
「そう、それだ。メトロ族。もしや、あれはオリハラクオン、君の客か?」
「そういうことになります。俺は、あれと戦わなくちゃならなくて……」
「自警団として見過ごせない事態だな。何かあってからでは遅い。市街地に避難を呼びかけてくるぞ」
「お願いします」
「しっかし、どういう経緯で、あんなモンスターと戦うはめに?」
「あとで説明します! 今はとりあえず、俺から離れてください」
俺は盾を構えたまま草原へと踏み出そうとした。
と、そこで甲冑が俺を呼び止めた。
「待つんだオリハラクオン。君に、渡したいものがある」
「え、何ですか」
「これだ」
湯からザバンとあがったシラベールさんから手渡されたのは、忌まわしき雑草味の戦闘用霊薬、ラストエリクサーだった。
「兄と戦った時に、君から借りていたものだ。食ってしまったものを見破るスキルで君の身体の中を覗いてみたところ、厄災レベルの敵を相手に、なんの強化もしていないようだからな。今の君に最も必要なものだと思う」
「それだ!」
俺はシラベールさんに礼を言って草を受け取ると、それをモシャモシャと食べた。まずい。
だが、良薬は口に苦しというやつだ。たちどころに全回復し、戦闘力が三倍された。
「ありがとうございます! これで勝てます!」
俺は風呂施設から飛び出して、犬とスライムが湧きまくる草原へと足を踏み出した。いたいけな犬やスライムたちは距離をとって、ものすごく怯えているように見えた。
なけなしの勇気をふりしぼり、最後の戦いが、いま始まる。
★
豪邸の外の草原。
そこは、俺が初めて転生してきたときに寝転んでいた小川が流れる場所であり、アンジュさんによる転生者狩りに遭った場所でもある。
ラストエリクサーで高まった戦闘力を武器に、俺は最後の戦いに挑む。
盾も防具も一級品だ。そのうえ、ラストエリクサーで三倍強化したのだ。あとはもう、覚悟を決めて戦うのみだ。
「おとうさん! なかなかの一撃だった。だが、俺はこうして生きている。今度はこちらからいくぞ!」
俺は盾でしっかりと防御を固めたまま、草原を踏みしめて接近する。
レヴィアの父は、しかし、やはり怪物であった。
「盾など小賢しい」
あっという間に砂になった。バホバホメトロ族の呪いの力のようである。
「えっ。あ、くっ、ちょっと待ってろ」
俺は言って、露天風呂へと戻った。そして、掃除用のブラシを手に取って、魔族の前に戻った。
「さあいくぞ、何も持たないよりは、攻撃力が上がるはず――って、ああっ……」
これも一瞬のうちに砂にされた。俺のてのひらから、さらさらとこぼれ落ちていく。
「男ならば、己の拳でくるがいい」
「やるしかない……やるしかないか……」
俺は、雄叫びをあげながら突っ込んでいき、殴った。弁慶の泣き所と言われる場所は、つま先立ちで二足歩行している魔族といえども、弱点だと思った。だけども全然効かなかった。
そして、あっさり左手の鋭い指先の爪で、肩の辺りを弾かれて尻餅をつかされた。
ラスエリで強化されたはずなのに、軽く撫でるような攻撃で体力が大幅にもっていかれた。
強すぎる。
差がありすぎる。
こんな最強の父親を地面に這いつくばらせる?
無茶だよそれは。
たかだか雑草を食ったくらいで、何を強くなった気になっていたんだろう……。
「ほう、貧弱な人間であれば、今ので死んでいるはずだが、なるほど、ずいぶんと良い防具を持っているなぁ」
「さ、さすが、違いがわかる人っすね」
「――ヒト、だと? オレを人間扱いするとは、許さぬ! 呪いを受けよ!」
そして悪魔が手をかざした途端に、防具が全て砂になった。ひどい。
さらさらと風に飛ばされて行く粒子たち。
せっかくオトちゃんからもらった最高級の防具なのに。
オトちゃん、ごめん。
「どうだ、ひとかわ剥いてしまえば、あまりに貧弱な肉体ではないか。毛も少なければ角すら生えていない。レヴィアはこんなののどこが良いんだ? 正直、命を奪う価値も無い……。おい人間、貴様、生かして帰してやるから、娘のことは諦めたらどうだ?」
ああ、気付けば、また俺は、パンツ一枚にさせられていた。