第305話 織原久遠の世界 すれちがい七夕の夢
夢は引き続き、レヴィアたちの姿を映し続けていた。
八月。
レヴィアとキャリーサがやって来てから、少し経ち、七夕になった。
七夕というと七月七日というイメージが強いが、旧暦の七夕の日は、基本的に八月である。この日が本当の七夕が始まる日なのである。
フリースはこの世界で勉強をして、エルフの伝説に酷似した七夕伝説を熱心に調べていたので、そのことを知っていた。
「今日は大切な日だから、歌を歌いに行こうと思う。二人とも、よかったら聞きに来て」
フリースの言葉に、畳に寝転がって朝のニュースを見ているレヴィアが生返事をした。テレビというものを知って以来、なかなか画面の前から離れようとしない。
台所で毒々しい色の料理を作っているキャリーサは、そもそも耳に入っていないようだった。こいつは、その危険な見た目の料理をやさしいおじいちゃんに食わす気なのかと言ってやりたい。
曇りガラスから入ってくる光を浴びながら青いシャツを着て青いスニーカーを履いたフリースは、青いヘッドホンを装着。ギターケースを肩に掛けると、勢いよく引き戸をあけて飛び出していった。
コンビニでミックスナッツとお茶を買ったあとに、電車に乗り、俺が通う大学の敷地をぐるっと二周ほど歩き、俺がよく行くファミレスでしばらく休憩した。フリースが店を出た頃には、俺は本屋に寄っていて、彼女がその本屋に入ってきた時には店内にいた。
夢の中で、俺の姿が視界の端にとらえられていた。
フリースは、甘い物を作ったりするのだろうか、スイーツの作り方の本を見ていた。かと思えば、特設の七夕コーナーに足を運んでいた。そこには、直前まで俺がいたというのに、何故お互いに気づかないのだろう。
特に俺の注意力のなさが許せない。フリースは大きなギターケースを背負った白銀の髪の女の子だぞ。青いヘッドホンもイケてるし、全身が青でまとめられた姿も個性的だ。こんなにも目立つ彼女に気付かないなんて視野が狭すぎる。そんなんで「大学院で研究している」だなんて言い張っていいのだろうか。いや、よくないだろうこれは。
ギルティだ。
本屋から出てしまった俺は、さっきまでフリースがいたファミレスに行って食事をとってから、図書館と研究室に行くために学校内に足を踏み入れた。
フリースは、やっぱりいないか、とばかりに青色の溜息を吐いてから、七夕について書かれた絵本を買って本屋を出た。そして電車に乗って、途中で降り、キャリーサへのお土産をあれこれ吟味して買ってから、いつも彼女が弾き語りをする場所に向かった。
川沿いの大きな緑地公園。
薄暗い林の中のしっかりした木製ベンチに座りながら、チューニングをして、目を閉じ、やがて再会の祈りを込めて、歌い始めた。
即興の歌詞に、即興の旋律。気分を全て音楽にして、空に向かって目を閉じたまま歌い続けた。透明感のある美しい声。間違いなく天に届いていると思える美しさだった。
気の済むまで歌ったところで、「はい、『スイートエリクサーで乾杯を』でした」とタイトルを小声で呟き、お茶を飲もうと目を開けたフリースの視界には、人だかりがあった。
びっくりしていた。
その最前列には、鷺宮さんという俺の後輩の姿があったし、また、腹の立つことに、後ろの方には、織原久遠という名前の男がいて、通りがかりに足を止めて耳を傾けたりしていた。
拍手を浴びながら、フリースは悪い気はしなかったようで、照れくさそうに笑っていたが、やがて、聴衆の目が次の曲を求めるような視線に変わり、居心地の悪さを感じたようだ。急いでギターをしまって一礼し、その場から走り去った。
「ふぅ……」
いつぞや、俺とすれ違った『相生橋』という橋の横にある岩に座りながら、ミックスナッツを食べていた。
「ラック、来ないかな……」
そうは言うけれど、その場所は十数分前に織原久遠が通り過ぎた場所であった。あいつは、学校での用事を終えて、また銀髪の少女に会えないかと期待しながら、この場所を通って、いないことに落胆しながら歩いていたのだ。
その果てに、偶然フリースが歌っている場所に出くわしたけれども、人混みでちょっとしか見えなかったし、いくらもしないうちに演奏者が走り去ってしまったので、簡単に諦めて、「散歩で汗もかいたことだし」とか言いながら、自分もそのまま地下鉄に乗って家に帰ることにしたのだった。
どれだけすれ違えば気が済むのだろう。
★
「フリース、歌はもう終わったんです?」
岩に腰掛けてナッツを食べていたら、こちらの世界でもカウガール装備を身に纏ったままのレヴィアがやって来た。隣に腰掛けて、欲しいともくださいとも言わずにフリースのそばに置いてあったナッツの袋に手を突っ込んで掴み取り、ぼりぼりと食べた。
フリースはそれをみて、袋ごとレヴィアに渡しながら言う。
「ああ、レヴィア、朝の話、ちゃんときいてたんだ」
あまりに生返事だったから、耳に入っていないと思っていたようだ。
「聴きたかったら、あとで家に帰ったら歌うよ」
「そうですね。ききたいです。……でもなんで、今日は『大切な日』なんです? ラックさんの誕生日とかですか?」
「ちがう。今日は七夕なの」
「たなばた? どう書くんです?」
「七に夕って書く」
「なんでです?」
「鋭い質問だね。それは解明されてない」
「しちに、ゆう……」
レヴィアは、文字を想像しようとしたが、彼女は魔族文字以外は扱えないのだ。
「まあ、わかりませんけど……そのタナバタってなんなんですか?」
フリースは鞄の中から七夕の話が書かれた絵本を取り出してレヴィアに手渡し、
「それあげる」
と言うと、青空を見上げながら語り出す。
「色んなバリエーションがある。悲しいもの、幸せな結末、道徳的なものもあれば――」
そんな前置きの途中段階で、あっさりとレヴィアは我慢の限界を迎えたようだ。
「要するに、どういう話なんです?」
せっかちが過ぎる。
「まず、牛飼い男と、機織り娘が、偉い人に怒られてね。別れさせられて離ればなれ。どう頑張っても会えないところで生きていかなくちゃいけなくなる。ただし、七夕の期間だけは二人でいられるっていう、だいたいそんな話」
「なんでです?」
「なにが?」
「え?」
「えっ?」
沈黙が訪れた。
これは説明しても無駄だとフリースは思ったに違いない。とにかく自分の言いたいことを言うことにした。
「望まない別れをさせられた二人が会うことが許される特別な日だから……。だから、あたしは毎年、この日にはラックのことを探して歩いて、歌を歌って帰るんだよ。今日、会いたかったんだけどな。遠くからでもいいから、ラックの姿を見たかった」
俺のほうは、フリースの姿を人垣の間から少しだけとらえていた。にもかかわらず、気付かなかった。情けないことだ。
フリースのほうは俺の存在にさえ気付いていなかったな。目を閉じて歌っていたから無理もない。
「大学っていうところで一日じゅう待っていれば、いつか会えるんじゃないですか?」
「以前思い切ってやってみたことあるけど、七夕の日にラックを見られたことは一度もないんだよ。この日にラックを見れたら、あたしは幸せになれるのに」
ひとのことを幸運を招く珍しい生き物みたいに言わないで欲しい。
「あ、そろそろ帰りましょう。私、みたい番組があるんです」
そうして立ち上がったレヴィアが伸ばした手をフリースが掴み、二人で家に向かっていく。川沿いの道を、上流に向かって歩き出した。
「フリース、さっきの話ですけど」
「どの話?」
「七夕です。年に一度しか会えないって、それ、さびしくないんですか?」
「……もし、あたしがその立場だったら、別にそれでもかまわないけどね。一年に一回、ラックとデートできるなら。それは素敵なことだと思う」
「わかりました。それでいきましょう」
「ん? どういうこと?」
「七夕のときだけ、ラックさんを貸してあげます」
「なにそれ。違う。あたしが七夕以外のときだけレヴィアに貸すんだよ」
「おかしいです!」
「どこがよ」
「おかしいったらおかしいです! ラックさんは私のです」
「ちがうね。ラックはあたしの」
「私の!」
「あたし!」
互いに爽やかな敵意をぶつけ合いながら、コンクリートで固められた川をのぼってゆく。
そこで視界は遠ざかって白くなり、夢は終わった。




