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花菖蒲のほとり  作者: B星
第3章 ① 本邸 11歳
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◆097. もう一つの暴力 2/2


 一護いちごの顔が近づいてきた。顔を背けると、そこで動きを止めた。

 動きが止まって助かったが、どうしたらよいかわからなかった。一護は、教えてあげる、と言った。さすがにあれを教えもらうわけにはいかない。


(む、無理やりされそうになったら……、蹴る? だ、ダメ。一護くんに暴力はダメ! さ、叫ぶ? でも、こんな状況で叫んだら……)


 動かなくなった一護をチラリと見た。目が合った。


(あ……。そうか、これは、たぶん、きっと――)


「わ、わ、わかってる! 意味わかってるから! 教えてくれなくても大丈夫! 一護くんよりも、全然詳しいからっ!」


 私がそう言うと、一護はすぐに離れてくれた。隣に座り直し、ひざを抱えた。


 わからないフリをしたことがバレていた。フリをした時点でバレていたのかもしれない。そうでなくても、教えてあげると言われ、こんなに慌ててしまっては、わかっていると態度で示しているようなものだ。


 だいたいわかっていなくても、一護は教える気などなかったと思う。動きを止めた一護は、ただ私の目をジッと見ていた。私の手首を掴んでいた一護の手には、力が入っていなかった。いつでも振りほどけた。


(でも……、この年齢としでこんな手を、こんな口の割らせ方を思いついちゃうなんて)


「ボクよりも、か。アハハ。……やっぱり、お嬢様はちゃんとわかってるんだね」


 一護はまた遠くを見た。


「あの日、ボクたちの話を聞いて、汚くないって言ってくれて嬉しかったよ。でも、あとから思ったんだよね。ボクたちの話、本当にわかったのかな? って。お嬢様って、何も知らなそうだから」


「でも、あの日も今も、話を聞いてるお嬢様のこと見てると、わかってるんだなって思えて。反応っていうか。聞き返さないし。なんとなくだけど。たぶん、一加いちかも。何も考えてないんだろうけど、そう感じてて。だから、お嬢様の言葉に安心したんだと思う」


「……本当に意外だな。お嬢様はなんで知ってるの? 誰かに教えてもらったの? それとも本とか? 本棚にそういう感じの本は、なかったと思うけど。隠してる?」こちらに顔を向け、首をかしげた。


「教えてもらってない! 本も隠してないよ!」


 思いきり首を横に振った。一護の言葉に、またしても慌ててしまった。


 一護は目を見開いた。少し微笑んでから、悲しそうな顔をした。


「でも、そうだよね。こういうことは……、好きな人と。やっぱり、ボクは……」ボソッと呟いた。


「汚くないよ」体を起こして、一護のほうを向いて座った。


「本当に汚くない? だって、ボクは――」


 一護は伏せることなく、されたことしたことを私に話した。


 私たちくらいの年齢としの子は、そういうことに興味を持ちはじめる頃だと思う。そういうことは、興味を持って、本を見たり、友だちと話をしたりして、自ら知っていくことだと思っている。

 それを一護は興味を持たないうちに、強制的に知ることになってしまった。見せられてしまった。苦痛、だったと思う。しかも、今の一護ではない。数年前の一護だ。


「――これでも、汚くないって言えるの?」


「一加ちゃんを守ろうとした一護くんの、その気持ちと行動が、汚いわけがない」


「本当に? 本当にそう思ってる?」


「思う。思ってる」一護の目を見てうなずいた。


「……でも、なんで私に教えちゃったの? 二人とも、その……観賞されてたって話で。それで終わりで良かったのに」


「さっきも言ったけど、お嬢様が話を聞いて、本当にわかってるのか気になって。それと、もし、一加のこと勘違いしてたら嫌だったから」


「そっ……か……」


「嘘だよ」


「え?」


「ボクが聞いてほしかっただけ。お嬢様ならきっと……、汚くないって言ってくれるって思ったから。ボクのこと……、知った上で言ってくれるって」


「汚くないよ。ちゃんと本心だよ」


 視界がボヤけた。これ以上ボヤけないように、涙がこぼれないように深呼吸をした。


 胸が苦しい。一護たちがひどく辛い目にってきたことを考えると、一護が一加のために耐えてきた日々を思うと、胸が苦しくて辛い。一加のために身をていした一護はすごい。


(だ、ダメだ……)


 うつむいた。パタパタッとひざの上に涙が落ちた。


「泣いてる?」


「さっきぶつけたところが痛いだけ」


「結構経ってるよ」


「……思い……出して」


「痛いのを?」


(顔じゃなくて……)


 あのときのことを、はたと思い出した。


 黒羽くろはも同じことをしようとしていた。理由はどうあれ、私のために自分のことを差し出そうとしていた。あのとき、私は前世の記憶があったから、あの年齢でもどうにかなった。もし、前世の記憶がなかったらどうなっていただろうか。


(私、前世の記憶があって良かった)


「汚くない。絶対に」


(一加ちゃんも。一護くんも。黒羽があのとき、未遂じゃなくて、想像したくもないようなことになっていたとしても)


「汚くないんだよ」心の底から、そう思える。


「そうだね。ありがとう」


 一護の声は震えていた。顔を上げると、一護は目に涙をめてはいたが、泣いてはいなかった。


「アハハ。お嬢様、泣きすぎ」


 一護は笑いながら、目元を指でぬぐった。私はハンカチを取り出し、涙をいた。


「お嬢様。触っていい?」


「いいけど。どこに?」


「うーんと……。ほっぺに」


「どうぞ」


「ありがとう」


 手の平で、そっと頬に触れてきた。


「髪もいい?」


「いいけど。二日に一回触ってるでしょ?」


 毎晩、一加と一護が交互に、私の髪を乾かしてくれている。


「そうだけど。今は……、違うから。さっき話したから。ボクのこと、わかったでしょ?」


(そういうことか……)


「わかったけど、触っちゃダメなんて思ってないよ。だから、どうぞ」


「うん」


 一護は頬に触れていた手で髪に触れ、そのまま手を下ろした。


「お嬢様も……、触って。顔がいいな」


 一護の頬に、手の平で触れた。


(そうだ……)


「ほっぺ、つまんでもいい?」


「なんで?」一護は目を丸くした。


「なんでも。いい?」


「いいけど……、いたっ! 痛いんだけど!」


「さっき、意地悪されたの思い出して。注意しとこうかなって」


「意地悪って?」


「あんな風に女の子を押さえつけるのは良くないよ。ああいう意地悪はダメ」


 もう片方の頬もつまんだ。


「痛いっへ!」


「こんなところで、意地悪するのも良くないよね。誰かに見られたら、どうするつもりなの?」


「部屋ならひひの?」


「黒羽みたいなこと言わない!」


 頬から手を離した。ひたいをペチンと叩こうと思ったが、すんでのところで手を止めた。


「おでこ叩いてもいい?」


「なんで聞くの?」


「だって……、その……」


 黒羽だったら迷わずペチンとするところだが、相手が一護だと迷ってしまう。暴力を受けてきた。トラウマを刺激したくない。だったら、やるなという話だが、もう構えてしまった。


「ああ、そっか。大丈夫だよ。振りかぶられたら、さすがに驚くかもしれないけど。お嬢様なら怖くないし」


「それじゃ、遠慮なく。部屋ならいいとかじゃないからね!」


 ペチンとひたいを叩いた。前髪も含めて髪を結っているので、額が出ていて非常に叩きやすい。


「ずっとお嬢様をけてきたボクに言われてもかもだけど。一加もボクもお嬢様のことが好きだよ。三つ子になりたいくらい。だから、一加に触ってあげてほしい」


「触るの?」


「うん。いっぱい触ってあげて。ボクのことも、一加のついででいいから触って。言葉も嬉しいけど、触ってもらえるのも嬉しい。今くらいの、おでこを軽く叩くくらいだったら、一加もボクも平気だから気にしないで。お嬢様は大人じゃないし大丈夫」


「わかった。そうする。やめてほしいときは、ちゃんと教えてね。絶対に無理はしないで」


「うん。ありがとう、お嬢様」


 にこっと微笑んだ一護の両手を取り、頬にあてた。


「どうしたの?」一護は首をかしげた。


「つまんでいいよ」


「なんで?」


「意味わかってるのに、わからないって嘘ついたから。一護くんが真剣に話してくれてたのに、わからないフリしようとしちゃって、ごめんなさい」


 一護の指が頬を優しくつまんだ。


「本当にごめんね」


「ダメ。許してあげない」


「いふぁい~」


 一護はつまむ力を強め、さらに左右に引っ張った。


「わからないフリのことじゃないよ。それは気にしてない。それじゃなくて。一加ちゃんじゃなくて、一加。一護くんじゃなくて、一護ね」


「ふぁい」コクコクとうなずくと手が離れた。


「じゃあ、呼んで」


「一加、一護」


「うん」


「お嬢様~! 一護~!」


 声のしたほうに顔を向けると、一加が笑顔で手を振っていた。



 一護から、すごく見られていると思ったのは、間違いではなかった。一加がいないときに私と話がしたいと思っていて、ついつい見てしまっていたと、あとで教えてくれた。そのときに、お願いされた。


「ボクが勝手に話したことだけど、一加はボクだけがされていたことを知らないから、絶対に言わないで」


 約束して、と言った一護は、少しだけ辛そうな顔をしていた。


 一護の両手を取り、約束するよ、と目を見て応えた。一護は私の手をギュッと握りしめ、ありがとう、と微笑んだ。


 いつも一緒にいて仲が良く、お互いのことで知らないことなどないのではないかと、勝手に思っていた。だが、大切に思うからこその、隠し事があった。


 私に話すことで、少しでも気が楽になるのであれば話してほしい。いくらでも話を聞こう。私が触れることで、二人が嬉しくなるのであれば、いくらでも触れよう。そう思った。


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