076. 心配事 2/4 ― 隼人の趣味 (大地)
「おい、黒羽。ほどほどはどこいった?」
息を切らせた黒羽は、前屈みになり膝に手をついた状態でこちらを向いた。
黒羽がお嬢様から離れたあと、稽古を始めた。今は休憩中だ。お嬢様は、水を持ってくるね、と道場を出ていった。
お嬢様に黒羽を止めてくれと頼まれたとき、あまり言葉が出てこなかった。引き離してやろうとも思えなかった。
黒羽は当たり前のように、お嬢様の頬にキスをした。お嬢様は頬へのキスに驚くことなく、普通に注意した。頬へのキスは二人の日常とも取れる様子に、呆気にとられてしまった。
「ほどほどにしてますけど」
「いや、あれは、ほどほどとは言わないだろ」
「充分、ほどほどにしてる」黒羽はぷいっと顔を背けた。
「お前なあ――」
「大地がくれた本にも、隼人がくれた本にも、スキンシップが大切って書いてありました」
「は?」
「だから、本に書いてありました。触ってると、好きになってもらえるって」
「いや、いやいやいやいや。本に書いてあることを鵜呑みにするなよ! しかも、ああいう本に書いてあることを!」
「なんで? だって、僕のために選んでくれたんですよね?」
「そ、そうだけど……」
「どの本も、触れてると女の人がその気になってきてました。嫌がってても、そうじゃなくなってきてた。そういうものなんですよね?」
黒羽は顔を背けたまま、少しだけ口を尖らせた。
確かに、俺が渡した本はそんな感じの本だったような気がする。渡したのは一年以上前だ。俺が買って読んでいた本だが、俺は中身を全部読まない。読んだ内容もそのときだけで、あまり覚えていない。
触れることが良いほうに転がることもある。黒羽のように顔が良ければ、その確率も高いだろう。だが、そうとは限らない。嫌がられることもある。普通だったら、むしろ嫌がられることのほうが多いと思う。
俺と隼人が渡した本に出てくる女性が、良いほうに転がっているのは、そういう本だからだ。男に都合が良いように書かれているからだ。
(俺と隼人が渡した本のせいで、変な勘違いをしてるのか? 俺と……隼人?)
黒羽の口角がピクリと動いた。
(あ、こいつ……)
「おい、黒羽。わかってて言ってるな? 本のせいにしただろ? こっち向け」
前屈みをやめ、真っ直ぐ立った黒羽が、ゆっくりとこちらを向いた。口の端がピクピクしている。笑わないように堪えている。
「黒羽~」俺が一歩前に出ると、黒羽は一歩後退した。
「あはは。なにその変な顔~」
「お前なあ、人が本気で心配してるのに」
「なにを?」
「俺と隼人が渡した本のせいで、黒羽がお嬢様に嫌われ――」
「嫌われない」キッと睨まれた。
「なんなんだよ、その自信は」
「だいたい、さっきのは大地が悪い」
「なんで俺が悪いんだよ」わけがわからず、頭を掻いた。
「お嬢様に近づくから!」
「まさか、まだ気にしてるのか? だから、とらないって言っただろ!」
去年の夏に遊びに来たとき、黒羽はお嬢様をとらないでくれと言って泣いた。とるもとらないもないと返した。俺とお嬢様がどうこうなることはない。少し危ないこともあったが、その危機は回避した。
(親父と兄貴たちのせいでな! ホント、忠勝さんとお嬢様に感謝するわ……)
「そういう問題じゃない!」
「は~? じゃあ、どういう問題なんだよ?」
「大地には教えない」
俺には言いたくないらしい。黒羽は顔をそらさず、俺の目を見ている。頭に手を伸ばした。逃げる素振りもない。
(無理やり聞かなくても、大丈夫そうだな)
「まあ、俺に教えたくないなら、それでもいいけどな」黒羽の頭をグリグリとなで、そのまま肩を組んだ。
「ところでさ、さっきから気になってたんだけど……」
「なんですか?」黒羽が目だけを向けてきた。
「隼人にも本をもらったのか?」
「そうですけど」
「うわ! マジか! ちょっと見せてくれよ。隼人の趣味、気になる!」
「隼人のは、大地のと違うけど」
「同じだったら、ビビるだろ。どんなの読んでるのか、見てみたいんだよ」
「そうじゃなくて。隼人は僕のために新品を買ってきてくれたから。大地は手持ちの中からくれたから、アレは大地の趣味だろうけど。隼人のくれた本は、隼人の趣味じゃないと思う」
「バカだな!」肩を組むのをやめ、正面から黒羽の両肩に手を置いた。
「隼人は黒羽のために選んだんだろ? ってことは、中身を知らないはずはないよな? きっと、何冊か見た上でその本を選んだはずだ。隼人は、黒羽にはピュアなやつって言ってただろ?」
「言ってたけど」
「ってことは! 少なくともその本は、ピュアなジャンルの隼人の好みってことだろ? ピュアなやつと言えばこういうのっていう、隼人の立派な趣味だよ!」
黒羽は目を見開いた。小さい声で、なるほど、と呟いた。
「な、いいだろ? 気になるんだよ」
「い、いいけど。見せたことがバレたら、大地だけじゃなくて、僕もひどい目に遭いそうな……」黒羽は俺から視線を外し、下唇を噛んで迷っている。
「黒羽の部屋に行った俺が、勝手に見たってことにしていいから。俺にもらった本と一緒に置いといた、とでも言っときゃいいって」
「うーん。まあ、それなら……」
「よし! あとでな! 今度、また本を買ってきてやるからな!」
「別に本は……。それよりも、聞きたいことがあるんですけど」
「なんだよ?」
「本を見せるときに。それと、僕の質問のことは、絶対にお嬢様には言わないって、約束してほしいんですけど」
「……わかった」
「じゃあ、あとで見せます。いつがいいですか? 眠る前? 夜は酒盛りするの?」
「そうだな~。するかもな。このあと、シャワー浴びて、夕食の前はどうだ?」
「わかりました。それで」黒羽は頷いた。
「お水持ってきたよ~」
お嬢様の元気な声が聞こえてきた。出入り口に顔を向けると、お嬢様が中に入ってこようとしているところだった。どういうわけか、何も持っていなかった。
お嬢様が中に入ってくると、後ろからヤカンとコップを持った忠勝さんが入ってきた。なぜか道着姿だ。
忠勝さんがヤカンからコップに水を注いだ。そのコップを、お嬢様が手渡してくれた。
「大地。黒羽はどうだった?」
「え? どうって?」忠勝さんの質問の意味がわからず、聞き返した。
「稽古を見てやってたんじゃないのか?」
「あ、ああ、見てたけど……。まあ、変な癖とかもついてないし。隼人が教えた通りにできてたよ」
「そうか」忠勝さんは黒羽に顔を向け頷いた。黒羽は嬉しそうな顔をした。
(そういや、黒羽の稽古……。やけに具体的というか、基礎からしっかりというか。見ていてほしいって、打ち込みのことかと思ったら、姿勢から何から……)
「黒羽、さっきの稽古の内容って……」
「旦那様が見てもらうようにって。ここに来る前に」
「あ~」
黒羽がなかなか来なかった理由がわかった。忠勝さんに稽古の内容を指示されていたからだ。
「待たせて悪かったな。さあ、始めようか」
「へ? 何を?」
忠勝さんに肩を叩かれた。何を始めるのか、わからなかった。いや、わかりたくなかった。
「黒羽から聞いてないのか?」
黒羽に顔を向けた。黒羽はハッとしたような顔をして視線をそらした。
「まあ、いい。やることは変わらない。大地に稽古をつけてくれと頼まれている」
「誰に!? って、一人しかいないけど。お、親父のやつ~」
「前に一緒に稽古をしたのは、一年……半前くらいか。現役には敵わないかもしれないが、相手になろう」
「け、謙遜が過ぎる。忠勝さん、敵わないなんて絶対に思ってないだろ!」
俺が馬車に乗ってここまで来た一番の理由は、黒国丸に無理をさせたくなかったからだ。長距離はもう走らせないほうが良いだろうと言われた。年齢もある。素直にそう信じた。
仕事で疲れていたのも事実だ。目標がある。全力で打ち込む必要がある。
馬車は、疲れているなら無理をせず使え、と親父が用意してくれた。俺の様子を見て気遣ってくれたのかと思っていた。
(忠勝さんとの稽古があるから。叩きのめされることがわかってたから。だから、馬車を使えって言ったのか! 絶対そうだ!)
忠勝さんとの稽古が始まった。お嬢様と黒羽は、道場の端で見学をしている。お嬢様の、がんばれ~、という気のない応援を背に頑張った。
毎日、騎士の訓練や稽古をしている。忠勝さんに一矢どころか、何矢か報いることができるのではないかと思った。うぬぼれは良くないな、と反省した。




