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花菖蒲のほとり  作者: B星
第1章 別邸 5歳、6歳
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 015. お嬢様と本(隼人)

隼人(はやと)視点


 談話室を通りかかった。


 お嬢様が背もたれのないソファーの三分の二に新聞を広げ、残りの空いている部分に正座をし、新聞とにらめっこをしていた。



 お嬢様は本当に変わった。高熱を出す前は、表情が乏しく、お喋りすることもなく、部屋から出てくることも少なかった。それが今は、表情も豊かになり、お喋りになり、部屋にいることも少なくなった。黒羽くろはと喧嘩して怒って泣いてなど、以前では考えられなかった。


 ほとんどなかった親子の交流も、驚くほどに増えた。お嬢様が旦那様を怖がらなくなったからだが、あの旦那様の溺愛ぶり。今までどれほど我慢されていたのか。口数が少なく顔も険しい方だが、お嬢様と一緒にいるときは、よく顔がほころんでいる。



 広げられている新聞に目をやると、お嬢様がにらめっこしているのは、小説や絵本の新刊が紹介されている面だった。


「なにか欲しい本があるんですか?」


情操じょうそう教育によさそうなのを……」


「ジョウソウキョウイク?」


「そう、情操じょうそう教育……」


 思ってもみなかった言葉がお嬢様から出てきて、すぐに理解できなかった。情操じょうそう教育だなんて、そのような言葉をどこで覚えたのか。女の子はおませ、というがそれとは違うような気がする。


 お嬢様の隣にしゃがみこみ、横から新聞を見てみた。お嬢様は漢字はほとんど読めないはずだ。絵本のタイトルや、表紙だけを見ているのだろうか。


(しかし、先ほどからこちらをチラリとも見ませんね)


「なにかいい本はありましたか?」少し大きい声で聞いてみた。


「へ? うわああ!」


 思った通り、お嬢様は私に気づいていなかった。


 驚いてビクッと体を跳ね上がらせたあと、私がいるほうとは反対側にずり落ちそうになった。あわててお嬢様の腕を掴んだ。なんとか、ソファーから落ちずにすんだ。

 お嬢様をそのまま抱き上げ、ソファーに座り、横向きに膝にのせた。


「も~、ビックリした~」


 とても驚いたらしく、お嬢様は頭をポテッと肩の辺りにあずけてきた。


(か、かわいい)


 思わずギューッと抱きしめた。足をジタバタさせ、「ほどほど」と苦しがっている。残念だが、抱きしめるのをやめ、腕を下ろした。


「本を探してたんですか?」


「うん」


「どんな本を?」


「おもしろそうなやつ」


 先ほどは、情操じょうそう教育と言っていたのに、おもしろそうなやつに変わった。


「ねえ、隼人はやと。こう、なんていうか、道と……く、いや、うーん。読んでためになるような。教く……ん、いや。子どもの心がすくすくと育つのによさそうな。こういうのはよくないよって教えてくれるような。そんな本ってどれかな?」


 道徳、教訓と言おうとして、別の言葉に変えたと思った。お嬢様は、言葉を選んで話しているような気がした。


「そういう本がおもしろそうってことですか?」


「う、うん。本から色々勉強できたらなって。すっごくわかりやすいのが欲しいの」


「絵本ですか?」


「絵本じゃなくてもいーよ。対象年齢五歳から十歳くらいのやつ」


(対象年齢……)


 本当にどこで覚えてくるのだろうか。まさか大地だいちさんが変な本でも落として、お嬢様に見つかり、これは対象年齢十八歳以上、などとやらかしたのだろうか。だったら、ただではおかない。


「そうですね~」


 新聞を持ちやすいように折り畳み、私とお嬢様が見えるように、目の前に広げた。残念ながら、絵本や小さい子向けの本の掲載は少なかった。

 お嬢様に目を向けると、一点に釘付けになっていた。


「気になる本でもありましたか?」


「これ、これがおもしろそう」


 推理小説の短編集を指さした。本の装丁は、特に可愛らしくも興味を引くようなものでもない。


「こういうのが好きなんですか?」


「うん。長編もいいけど、短編集もいいよね」


「……本の紹介文、読めてますか?」


「あ! ……よ、読めないよ! 勘だよ!」


 そういうとお嬢様は膝から下りて、走っていってしまった。勘だと言ったが、紹介文を、漢字を読めているような気がする。


(もしかして、天才なのでしょうか)


 だとしたら、旦那様に報告してそれ相応の教育を受けさせたほうがよいのではないだろうか。でも、お嬢様は読めないと言っている。もう少し様子を見たほうがよいだろうか。どうするのがよいのだろうか。


(難しい。まあ、とりあえずは……)



 後日、本屋でオススメしてもらった情操じょうそう教育によい本と、お嬢様が読みたいと指さした本、二冊をプレゼントした。


「え! いいの? お父様に代金を……」


「プレゼントしたいんですよ。もらってください」


「うわあ。ありがとう!」


 お嬢様がとてもよい笑顔をしているなか、黒羽はブスッとしていた。本にイタズラなどしないように言い聞かせようかと思ったが、そんな必要はなかった。


「黒羽、一緒に読もうね!」


 お嬢様の一言で、黒羽の顔も笑顔に変わった。


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