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第16話 冬の訪れ、思いがけない返答

寒さが一段と厳しくなり、街路樹の葉がすっかり落ち切った冬の夜のことだった。

大学の講義とバイトを終えて帰宅した僕は、コートを脱ぎながらリビングへ足を踏み入れた。……リビングのテーブルの椅子に、母・美佐子がまっすぐ座っていた。手元には一冊のファイルが置かれている。 その隣には、少しバツが悪そうな顔をした父の姿もあった。


「……なんだよ、こんな時間まで起きてさ」


怪訝に思いながら声をかけると、美佐子は冷ややかな、けれどどこか重みのある目を僕に向けた。


「座りなさい、太陽。あなたに話があるの」


その声のトーンに気圧されるようにして、僕は向かいの席に腰を下ろした。 テーブルの上に置かれたファイル。美佐子はそれを無言で僕の方へスライドさせた。


「……これ、何だか分かる?」


促されるまま表紙をめくり、中身に目を落とした瞬間、僕は息を呑んだ。 そこにあったのは、見慣れない公的なロゴと審査の印が押された書類――児童相談所発行の、「里親登録認定通知書」だった。

申請者欄には、「星野 美佐子」のハッキリとした名前が記されている。


「なっ……これ……どういうことだよ!」


頭を殴られたような衝撃で、僕の口から声が裏返った。 美佐子は冷たく鼻を鳴らし、マグカップの紅茶に口をつけた。


「文字通りよ。私名義で、里親の登録審査が通ったの」


「母さんが……? なんでだよ! だって、あんなに反対してたろ!」

僕の問いかけに、美佐子はふっと冷ややかな笑みを浮かべた。

「そう言ったわよ。大人の私が本気でぶつかっても、制度の壁や現実は果てしなく重い。だから、学生のあなたに何ができるかって、その甘い目を覚まさせてやるために、私が自ら児童相談所や窓口に足を運んで現実の厳しさを叩き込んでやろうと思ったのよ。……最初はね」


「最初はって……」


「お父さんも止めたんだがなぁ。『お前、そこまでしなくても』ってね」

横で父が苦笑いしながら頭をかいた。美佐子はそのまま、冷徹に言葉を続ける。


「だけどね、役所を回り、厳しい研修や審査の書類を揃えていくうちに……行政の人間から言われたわ。『ここまでの覚悟と準備をしてくる里親希望者は珍しい』ってね。……で、その理由を聞かれたとき、私はあなたのあの必死の目を思い出してしまったのよ」


「母さん……」


「それにね」 美佐子はスッと目を細め、僕を射抜くように見た。


「それにあの子……ひまわり児童養護施設にいる、あの結月っていう女の子ね」


「え……っ!?」


思わず椅子から立ち上がりそうになり、僕は声を荒げた。


「母さん、まさか……結月に会ったのかよ!?」


「……さあね。ただ、見かけただけよ。あの街の公園で、誰かを待っているような目をしている子をね。……自分のことだけで精一杯だったはずのバカな息子が、あんな必死の目をして、誰のために時間を削って生きてるのか、この目で確かめたくなったのよ」


美佐子の言葉に、胸の奥が熱くなり、同時に激しい動揺が走った。 母は僕のために動いてくれた。僕の背中を見て、彼女なりの方法で、あの高い壁を一緒に登ってくれたのだ。

けれど――その事実を知った瞬間、僕の胸をよぎったのは、純粋な喜びだけではなかった。


「……じゃあ、何だよ」


僕は震える声を絞り出し、握りしめた拳をテーブルに落とした。

「母さんが全部そんなふうに資格を取っちまったら……俺が、俺があの子のそばに行くために頑張ってきた意味は、何だったんだよ。結局、俺は大人に丸投げして、蚊帳の外に放り出されただけじゃないか……!」


自分が親になって、自分の力であの子を救いたかった。そのプライドと焦りが、不格好に言葉となって零れ落ちた。 そんな僕の未熟な葛藤を見透かすように、美佐子は冷徹に、けれど確かな重みを持って言い放った。


「勘違いしないでちょうだい、太陽」


美佐子はテーブルの上の書類を軽く指で叩いた。


「私が取ったのは、あくまで『里親としての登録資格』よ。法的な保護者になるのは私かもしれないけれど、その子にとっての『一番身近な家族』代わりを私ができるわけじゃないでしょ」


ハッとして顔を上げる僕に、美佐子はまっすぐな目を向けた。


「私が代わりに面倒を背負ったからって、それで自分が果たした気になって満足するんじゃないわよ。あの子が本当に求めているのは、法律や肩書なんかじゃない。あの寒い公園で、あなたと過ごした時間なんでしょ。……ここから先、あの小さな子の心に寄り添い続けるのは、他の誰でもない、あなた自身の役目よ」



――そうだ。母は「大人の責任(法的な壁)」を代わりに引き受けてくれた。それは僕から役割を奪ったわけじゃない。僕が本当にやるべきことに集中するための、最大の扉を開けてくれたんだ。

ぐっと奥歯を噛み締め、僕はこみ上げる熱を飲み込んだ。 もどかしさも、悔しさも、全部呑み込んで――僕は顔を上げる。


「……分かってるよ」


震える声は、もう迷っていなかった。


「ありがとう、母さん。……資格がどうだって関係ない。あの子の隣に一番長くいて、支えるのは……俺だから」

美佐子はフッとわずかに口元を緩め、それ以上は何も言わずに紅茶のカップルを置いた。


「それに、まだあの子がこの家に来るとは限らないわ。里親の登録が通ってからは児童相談所とのマッチングや、あの子の置かれた状況も含めた慎重な判断がある。……もしかしたら、別のタイミングや、別の子が委託される可能性だってゼロじゃないのよ」


美佐子の容赦ない言葉に、一瞬だけ心臓が凍りつく。けれど、すぐに胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。 まだ保証は何もない。けれど、立ち止まっている暇などなかった。 ――僕たちの本当の戦いは、ここから始まるのだから。


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