2話 初仕事
訓練漬けのジルダの日々に変化が起きたのは、一週間ほど経った頃だった。
ジルダはいつもどおり、サラの訓練のために早く起きて身支度を整えていた。
その最中に、いつかのときのようにサラが突然やって来たのだった。
サラはジルダの部屋の扉を叩くと、返事を待たずしてそれを開けた。
覚えのあるその行動に、今回はジルダも驚かなかった。
代わりに、やや迷惑そうな目を向ける。
「まだ時間じゃないですよね。今準備してますから、もう少し」
ジルダが話している中、一切構わずにサラはずかずかと近寄る。そして、ちょうど靴を履き終えたジルダの腕を掴むと、引っ張って部屋を出て行く。
ジルダは唐突なその行いに戸惑いながらもついて行った。
(いつも言葉が足りないんだよ……)
心の中で小言を言っていると、歩きながらサラが言った。
「おやじから呼び出しだ」
「頭領様から?」
ジルダはぴくっと反応する。
ジャバルの頭領・ダンは、ジルダが今あまり会いたくない人物である。
この組織を統率するお方であり、ジルダもそこに属しているのだから関わらずにいることは不可能だと分かっているが、会いたくないものは会いたくない。
ジルダが最後にダンと顔を合わせたのは、先日の男爵邸での任務が終わったあと。ジルダがジャバルに入ることを決意し、それを伝えたときだ。
それきり、ジルダはダンを見かけてすらいない。
そもそも、ジャバルのこの船は睡眠や食事をとったり、次の目的地へ移動するためのものなので、各自が仕事に出ている日中は人が少ない。
それどころか夜間や離れた地での任務中は船に戻らないこともあるので、同じ団員でも船内で顔を合わせることは少ない。
だからこそ、ジルダも安心していたのだが。
ジルダがジャバルに入りたいと申し出たとき、ダンの態度は厳しかった。あのとき一緒にいたルースへの対応と違い、ジルダが組織に入ることには気が進まない様子だった。
結局は、一生懸命説得したことでなんとか組織に入れてもらうことはできたのだが、やはりどこか認められていない感じがして、ジルダは居た堪れなかった。
あちらとしても、ジルダの力を利用したいだろうに。フォスラトは、色々な意味できっと役に立つのに。
ジルダは何度もそんなことを考えては、自分一人で考えていても無駄なことだと頭から消した。
(あのとき頭領様は、何を思っていたのだろう)
ジルダがジャバルに入ることを許可したときに、ダンが見せた悲しげな表情。それが意図するものを、ジルダは掴めないでいる。
そんなときに、呼び出しがかかった。
ジルダはサラに手を引かれながら、顔をこわばらせる。
こういうとき、悪い想像ばかりしてしまうのがジルダの癖だ。
まだ辞めさせられるには早すぎる。それに、簡単に後戻りできないと言ったのはダンのほうだ。
そのとき、不安でいっぱいのジルダに気がついてか、サラがしれっと言ったのだった。
「呼び出されたのはジルダだけじゃない。あたしもだ」
それを聞いて、少し安心した。
一対一は、さすがに怖い。
「それから」
サラがそう口にしかけたとき、横から太陽のように明るい声が聞こえてきた。
「おはよ」
サラと同時にジルダも顔を向けると、反対側からノアが歩いてきていた。
近頃暑くなってきたからか、以前よりも涼しげな格好をしている。
「呼ばれたのはこいつもだ」
サラはノアから目を離し、そう付け加える。
その面々を見ていて、ジルダは思い出した。
「初めて会ったときも、この三人だったね」
ジルダの急な言葉に、あとの二人は首を傾げる。
思ったよりも伝わらず、ジルダは少し赤くなりながら説明した。
ジルダが言いたいのはつまり、ジルダの故郷の町でノアとサラ二人は一緒に任務に当たっていたということだった。
その任務で二人が探していたストルーガというのが、ジルダだったわけだ。
そんなに昔の話でもないのに、その後たくさんの出来事が起こったせいで、ジルダにとってはかなり懐かしく感じる。
(思えば、あれが始まりだったなあ)
まさか自分があの小さな町を離れ、海を渡るとは思っても見なかった。
それと同時にジルダは、いなくなってから随分経つ兄のことを考えていた。もちろん、ヴィタリのことである。
いなくなった兄がもう一人いることについては、ジルダの頭の中からはとうに消えている。いや、消している。
そんなふうにジルダがふけっているところを、ノアの声が遮った。
「ああ、それ。なんか懐かしいな。ここ最近はなかったけど、複数人での任務はいつもサラと一緒だからな」
「今回もたぶん、そうなんだろう」
「やっぱりそう思う?俺も、おやじが呼び出したのは新しい任務のことでだと思ってたんだ」
「おかげであたしは、また犬の世話をしないといけないわけだ」
「サラ、なんか最近犬の話ばかりするね。もし飼いたいなら、ここじゃ少し無理があるんじゃない?」
曇りのない瞳をしたノアに、サラは冷めた目線を投げる。
どこか呆れた表情で見ていたが、ふっと鼻で笑った。
「これ以上はいらないな」
「え、もしかしてサラ……」
話が変にこじれているが、ジルダはあえて何も言わずにおく。言ったところで、余計に面倒くさくなるだけだ。
「姉弟みたい」
代わりに、こう言った。
ジルダがこの二人を見ると、いつも思うことだ。
身長差的にも、今はノアよりもサラのほうが若干背が高いので、いかにも姉弟らしい。顔や髪の色は全く似ていないが。
ジルダの発言に対し、二人の反応は分かれた。
ノアが笑みを浮かべるのに対し、サラは不機嫌な顔をしている。これもいつものことだ。
「それはちょっと違うなぁ」
ノアはにいっと口角を上げ、ジルダに言った。
「姉弟じゃなくて、師弟だよね」
それから、サラに目線を向けたのだった。
サラは何も言わないが、表情が肯定を表していた。
(ノアの師匠って、サラさんなんだ!)
ジルダが目を丸くして二人を交互に見ていると、ノアが首を傾げる。
「前に言わなかった?」
「師匠がいるみたいなことは言ってたけど、それが誰かまでは聞いてないなぁ」
しかし、よく考えてみればこれまでそれらしき発言はあった気がしないでもない。
先日も、ノアはサラのことを誇らしげに話していた。
「そうだったんだぁ」
ジルダがどこか感心して呟いていると、これまで黙ったいたサラが気怠げに口を開いた。
「その話はもういいから、早くおやじのところに行くぞ」
「冷たいなー」
さっさと進んでいくサラに、ノアは口を尖らせた。
ジルダはそんな二人を見ながら、ふふっと笑った。
「新しい任務だ」
ジルダたち三人が来るなり、ダンは言った。
話を聞きながら、やはりそうかと各々が心の中で思っていた。
今朝のダンは普通だ。少なくとも、ジルダから見て。
三人で来たので、さすがにジルダだけが何か言われることはないだろうと思っていたが、その通りだった。
表情にもこの前のような暗い影はなく、いつもどおりの強面だった。
ジルダが密かに息をついていると、ダンは話を続けた。
「もう理解しているだろうが、今回の任務には三人で行ってもらう」
言いながら、ジルダたち三人を示す。
「場所は、ここから馬で二日ほど行ったところにある西の村だ。急で悪いが、準備が整い次第すぐに出発してくれ」
ダンは手短に言うと、話を切り上げた。
それから、行き方や任務の詳細を伝えるためにサラだけその場に残され、ジルダとノアは部屋を後にする。
早急に支度にかかれということらしい。
部屋から出ると、ジルダはふうっと息をついた。
それを見て、ノアが気遣うように言う。
「任務って、わりとこんなふうに急に入るものなんだよ。突然発つことになって大変だけど、今回は三人だし、一緒に頑張ろう」
(優しいなぁ……)
笑顔で声をかけてくれるノアを見ながら、ジルダは心にしみるものを感じた。
といっても、ジルダがため息をついたのは、突然の任務が嫌だったわけではない。
どちらかといえば、ジャバルに正式に加入してから初の任務なので、気合が入るところだ。
ジルダのため息は、ダンに何も言われなかったことに少しほっとしたからである。
ジルダは正直、もしかするとダンは任務を与えてくれないかもしれないと危惧していた。あれほどジルダの加入を渋っていたので、そうなってもおかしくないと思っていた。
しかしそんなことはなく、こうしてちゃんと初仕事を与えてくれたので、ひとまず安心した。
だが、これで終わりではない。
この与えられた役割をしっかりこなさなければ。
ジルダは心の中で、ぐっと気合を入れた。
急な任務と言っても、前回よりはマシだと、ジルダは思う。
前回の任務では、まだ早朝だったにも関わらずジルダの部屋に突然サラがやって来て、説明もなく連れて行かれた。
あのときは任地での滞在時間が短く、今ほど蒸し暑い気候ではなかったからよかったが、今の時期だったら着替えも持たずに遠出するのは大変だっただろう。
次の任地までは馬で二日という。この前のプレアデス郊外の町よりもさらにずっと遠いというわけだ。
(急いで準備しないと)
ジルダは一旦ノアと別れると、自室へと急いだ。
出発は、船で朝食を済ませてからとなった。
ジャバルの料理人は働き者で、比較的早い時間から食事を作ってくれている。逆を言えば、あまり遅い時間に厨房に行くと、冷めた飯しかないということだ。
ジルダは早足で厨房に向かう。あまりもたもたしていると、まだ食べ終わっていなくてもサラに部屋から引きずり出されかねない。
(こんな早くに朝食を摂ったことはないな)
そう考えながら歩いていると、近くの一室の扉が薄らと開き、誰かが出てくるところだった。
ジルダは側を通過しながら何気なく目線をやったが、相手の顔を見ると、ぴたっと足を止めた。
小柄な少年が、目を擦りながら出てくるところだった。
「おはよう、ルース」
ジルダが声をかけると、ルースはあくびを噛みころして、「うん……」と緩い返事をした。どうやら、起きて間もないようだ。
訓練が始まる前の頃は、ジルダもちょうど今のルースと同じくらいの時間に目を覚ましていた。
ルースは表情を変えずにジルダを一目見ると、少しだけ首を傾ける。
「何か、忙しないね」
「これから初仕事なの」
「へえ、よかったね」
「ルースはもう朝ごはん?」
「いや、医務室に行く。トイニさん朝早いし、あんまり遅くなると怖いから」
それを聞くと、ジルダは笑った。近頃、ルースが以前よりも気軽に話してくれるようになった。
まだほんの少しの変化だが、ファルク卿の屋敷にいた頃よりも明るくなったように見える。
良いことだと思っていたところ、ルースがじっと見てきていた。その視線に気がつき、ジルダは不思議そうな顔をする。
「どうしたの?」
するとルースは一瞬ぴくっと肩を上げてから、首を横に振った。
ジルダは、その動作を見逃さなかった。
「なんでもないよ」
(なんでもない、ねえ……)
それが嘘だということは、すぐに分かった。
ジルダが最近気がついたことだが、ルースは動揺してもさほど表情が崩れない代わりに、わずかに肩が上がってしまう癖がある。
本人は気がついていないのだろうが、初めて会ったときからルースはその癖が地味に出ていた。
しかし、本人が言わないのなら無理に問い詰めるのは良くないだろう。ジルダはここは納得したふりをすることにした。
「じゃあ、ちょっと急がないといけないからもう行くね。また数日後に会おうね」
「ジルダ」
手を振って去ろうとしたところを、ルースが呼び止める。
少し進んだ先でジルダが振り返ると、澄んだ黒い瞳が真っ直ぐに見ていた。
「……気をつけて」
少しぎこちない声だったが、ジルダは目を細めて微笑んだ。
「うん、ありがとう」
ジルダは厨房に向かいながら、はてと首を傾げる。
やはりルースは、何か言いたいようだった。しかし、さっき誤魔化されてしまったので、ジルダにはその何かが何なのかは分からない。
(また何か言いたげにしてたら、そのとき聞けばいっか)
そう考えながら、ジルダは足を早めた。




