22話 鎖
心を決めたものの、時間がないことは確かだった。
ジルダは夕食を終え、自分に割り当てられた部屋の寝台の上で寝転がっていた。
明日には発つので湯浴みは断り、濡らした布で身体を拭った。
あの少年は、夕食時には現れなかった。
彼とはまた別の、給仕係と思われる数人の使用人が食事を乗せたワゴンを押してやって来て、一時間くらい経ってから食器を下げにやってきたきりだ。
ファルク卿も仕事で忙しいのか、姿は見かけていない。
用事があれば書斎にと言っていたが、ジルダとしてはこれといって用はない。
ジルダは少しがっかりしていた。
あの少年は夕食のときにきっとまたやってくるだろうと思っていたので、ジルダはその時こそ、ちゃんと話をしようと思っていた。
それが不発に終わってしまい、なんとも言えない気分だった。
(なんか、疲れたなあ)
高い天井を見ながら、ジルダはごろごろする。
そういえば今朝は早かった。そう思うと、眠くもなってくる。
ジルダは下がってくるまぶたを頑張って持ち上げた。
まだ、寝てはいけない。しっかり向き合わなくては。
サラの言う通り、時間がないのだ。
ここにいる間に少年と話さなければ、もう会える機会はほぼないだろう。
それから、風の妖精の要望もある。
『流し笛』を見つけないと、妖精がまだ暴れだすかもしれない。
(でも、すごく眠い)
ジルダはうつらうつらしながら、むくっと起き上がった。
眠いときには身体を起こすのが一番だ。
寝台に座り、床に足をつく。それから両手でパシパシと頬を叩き、寝るなと自分に言い聞かせる。
(いくら早起きでも、こんなに眠くなるかな)
妖精との追いかけっこがかなりきているのかもしれない。あれは、なかなか酷だった。
そんなこんなで、さんざんな一日だったことを思い出す。
それに追い討ちをかけるように、あの少年のきつい言葉の数々がジルダの頭の中でくりかえされる。
そして、だんだんジルダは苛々してきた。
何も、あんなに強く反論することはないのにと。
ジルダは少年に対して同情したわけではない。ただ、苦しそうだったので気にかけただけである。
(なんで私、あんなに言われないといけないわけ?)
今日はどうも短気だと、ジルダは思った。
サラにも言ったのだが、どうも皆ジルダの思いを軽んじている。
ジルダは、勢いよく立ち上がった。
その動きが急すぎたのか、一瞬、ふらりとよろけてしまったがすぐに持ち直す。
そして、部屋の扉の方へどしどしと歩いて行った。
そっちが来ないのなら自分から行ってやろう。
ジルダはそんなことを考えていた。
使用人たちがどこにいるのか分からないが、屋敷内を歩いていればそれらしき部屋が見つかるだろう。
もしも全く見つからなかったら、書斎に行ってファルク卿に尋ねてみればよい。
ファルク卿は男爵の称号を得ているが、かなり話しやすい人だということは分かっている。
ジルダは威勢よく部屋を出た。まったくもって、いつものジルダらしくない行動とも言えた。
ジルダは大胆な行動を起こすことがあるものの、それはごく稀である。普段はどちらかと言えば慎重で優柔。
それ故に、夕食前にサラに喝を入れられたのだった。
ふらふらとした足取りで、ジルダはサラの部屋の前を横切る。壁に手をつかないと進めないほど、足元はおぼつかなかった。
相変わらず睡魔が襲ってきて、まぶたは下がってくる。
そして部屋から出てまだそんなに歩いていないところで、ジルダの視界が大きく傾いた。
(あれ、なんで……)
深く考えている暇はなかった。
バタンと派手な音を立てて、ジルダはその場に倒れ込んでしまった。
「おい、どうし……」
その音を聞きつけ、サラが部屋から顔を出す。そして、目を見張った。
少し先で、ジルダがうつ伏せに倒れていたからだった。
「ジルダ!」
サラは駆け寄り、ジルダを仰向けにしてその顔に耳を近づけた。すると、すうっと安らかな寝息が聞こえた。
サラは呆れた顔でジルダの寝顔を見ると、ため息をつく。
派手に倒れたようだが、どこからも出血していないのは幸いだった。
「おいジルダ、廊下で寝るんじゃない、赤子じゃないんだから」
サラはそう言いながら、ゆさゆさとジルダを揺する。
それでも、まったく目を覚ます様子はない。朝早くから任務にあたっているとはいえ、眠りが深すぎやしないだろうか。
廊下に放置しておくわけにもいかないので、自分で動いてくれないならサラが移動させるしかない。
サラはやれやれと、仕方なくジルダの腕を肩にかける。
そのとき、背後で嫌な気配がした。
さっきまではない気配だった。一瞬で現れたのか。
まずい、と直感しながら、サラは後ろを振り返る。
しゃがんでいたサラの斜め上。そこに、女の顔があった。
あれはたしか給仕係の一人だと、サラは思い出す。さっき見たばかりなので、まだ覚えている。
大柄でサラよりも少し年上らしき女だ。
気がついたときには女はサラの真後ろにいた。サラはたいていの気配ならすぐに感づくというのに、どんな技を使ったのだろう。
ただの使用人でないことは確かだ。
サラはジルダから手を離し、すぐさま立ち上がろうとした。
しかし、それよりもわずかに先に、女の手が動いたのだった。
女は手を水平にし、トンッとサラの首の裏を打つ。
サラは悔しさに顔を歪めながら、ジルダを庇うように倒れ込み、そして目を閉じた。
◇◆◇
「起きろ、ジルダ」
凛とした声が耳に届き、ジルダはぱっと目を開いた。
顔を横に向けた先に、サラの顔があった。
「サラさん……?」
ジルダは頭のまわりに疑問符を浮かべる。
どのような状況なのか、理解できなかった。それに、なぜか刺すように頭痛がする。
珍しく憂いを帯びた顔をしたサラが、ジルダから少し離れた壁際に座っている。すると、ジルダの視界の中にいくつか見慣れないものが入ってきた。
冷たい石を敷き詰めたような天井と壁、そして狭い空間の中には頼りないランプが一つしかない。そういえば、背中に感じる感触も硬くて冷たい。
(どこなの、ここ)
ジルダはぶるっと身震いした。なんだか、屋敷の寝室にいたときよりも肌寒いような気がした。
「……屋敷!」
突然、ジルダは体を起こした。
そうだ、自分は寝室にいたはずだったと思い出す。
たしか、少年に話をしようとして部屋を出たのだ。そのあとのことが、どうも思い出せない。
なんだか頭の中がぼんやりしていたような気もする。
「サラさん!」
ジルダは早く状況を把握しなければと思い、サラのほうに近寄ろうとした。
すると、どこからともなくガシャンという金属音がして、ジルダは膝立ちのまま前につんのめった。
手をつこうとしたがそれができず、顔から床に突っ込んでしまった。
「無理だ、暴れるな」
いつもよりも調子の低い声でサラが言う。
ジルダが顔をしかめると、サラが座ったまま片方の手を持ち上げた。
その手首には、錆びた金属の輪がぴったりとはまっていた。そこに鎖が繋がっていて、その端はしっかりと壁の金具に固定されている。
それと全く同じものがジルダにも装着されていたため、さっきは受け身がとれなかったのだった。
ジルダは自分の両手と鈍く光る重い鎖を見て、さぁっと青ざめる。
二人は今、拘束されていた。
「なんですか、これ……」
「鎖だよ、あたしたちを捕まえておくための」
分かり切っていることを、サラは簡単に言ってくれる。
こんなときでも冷静なのは、ジルダにとってはありがたかった。
「やられたよ、何が目的かは知らねぇが」
サラは不機嫌に言うと、片方だけ立てた膝の上に顎を乗せた。
「でも、どうして……」
「さぁな。あまりにも突然すぎた。だけど、心当たりがないわけでもない」
「心当たり?」
サラは呟くように言うと、ジルダの目をじっと見つめた。そして、どこかやるせなさそうに唇を噛んだ。
ジルダは全く分からない。そもそも、誰が企てたことなのかも見当がつかなかった。
男爵は、あんなにも快く話してくれた。疑いたくはなかった。
「あんた、昨日のこと覚えてるか」
「それが、断片的にしか覚えていないんです」
「やっぱりな」
サラはため息をつくと、ジルダに一部始終を話して聞かせた。
気がつけば、ジルダがサラの部屋の前の廊下で寝ていて、それを見つけたサラが使用人の一人に気絶させられたという。
そして、目が覚めるとこの薄暗い部屋にいたということだった。
ジルダはちらっと周囲に目を配る。
昨日使わせてもらった寝室の四分の一ほどしかない狭い部屋。もしここに鉄格子があれば、ほぼ牢獄のようだっただろう。
ジルダとサラの鎖がくくり付けられている壁とは反対側に鉄の扉があるが、短い鎖が邪魔をしてそこまで手が届かない上に、扉にはきっと鍵がかかっているだろう。
「どうしましょう、サラさん……」
心細そうにジルダが言う。
するとサラは、苛々とした瞳をジルダに向けた。
「出るに決まってる。こんなとこ、さっさとおさらばだ」
サラは両手を前に出してぎりぎりと鎖を引っ張るが、重い鎖はただ冷たい音を立てるだけである。
ジルダもやってみたところで、腕力がないのでどうにもできない。
「武器があれば」
サラは悔しそうに言った。
それを聞いて、ジルダは首を傾げる。
ジャバルの人々は基本、何かしらの得物を持ち歩いている。場合によっては必要なときもあるからだ。
サラはいつも太腿に巻いた革の帯に短剣やらを隠し持っているのだが、今はその帯ごとなくなっていた。
「取られたんだ」
おそらく、眠っている間に没収されたのだろう。武器があれば、鎖を砕くこともできたかもしれない。
サラは顔を歪め、目線を落としている。
鎖を引っ張りすぎて、手首に血が滲んでいた。
「サラさん、やめてください」
ジルダは不安げにサラに声をかける。このままでは、手が引きちぎれるまで続けてしまいそうに見えた。
サラはがくんと両手を下ろすと、力なく壁に寄りかかる。
やはり、いつもよりも沈んでいるようだった。
「あの、サラさん……」
「すまない」
呟くようにな声に、ジルダは耳をすませる。サラの口から出たとは思えないような声だった。
サラは冷静だ。しかし、同時に心の奥底で何かが燃えていた。
「これは安全な任務だからと連れてきたが、こんな目に遭わせてしまった」
「それは、サラさんの責任じゃないですよ」
ジルダはわたわたとしながら必死に言う。近くに行きたいが、それができないのがまた歯痒い。
「いや、あたしにはお前を安全に帰す義務がある。それをふまえて、頭領はあたしに任せたんだ」
それはまるで、自分に言い聞かせるようだった。
これは、何か口を挟む場面ではないのかもしいれないと、ジルダは思った。だから静かに口を閉じ、見守っていた。
「ジルダ」
サラは凛としたその顔を上げ、まっすぐにジルダを見据える。
周囲の空気が変わり、ジルダは目が離せなかった。
「絶対に、ここから出るぞ。必ず船まで帰してやる」
その表情は、逞しかった。サラの赤い髪が、心をうつす炎に見えた。
サラは簡単に落ち込んだり挫けたりするような人ではない。分かっているつもりだったが、ジルダは改めてそれを実感した。
「サラさん」
しかし一つ、間違えていることがある。
ジルダは両手を伸ばし、サラのほうに向けた。本来ならば、その手を握りたかった。
「一緒に出るんです。サラさんだけが頑張らないでください。非力ですが、私にもできることはあります」
その言葉を聞き、サラは少しだけ目を丸くする。
そんな珍しい表情をすると、いつもは美しい顔に、少しだけ可愛らしさも加わった。
サラは表情を戻すと、くすっと笑う。
「頼りにしてるよ」
二人で顔を見合わせていると、ジルダの顔にふわっと風があたった。
密室だというのに、どこからくるのだろうとその方向に顔を向けると、あの頑丈そうな鉄の扉が開いていた。
そして、入り口に立っている人物にジルダは目を見張る。
「おやおや、元気そうで何よりです」
小さな灯りを掲げてジルダとサラを見下ろしていたのは、ファルク卿だった。
ファルク卿は昨日会話していたときとは変わらず優しげな微笑を浮かべているが、この場では実に不適である。
驚きを隠せないジルダとは違って、サラは軽蔑するような半眼で相手をねめつけている。
先程言っていた『心当たり』というのは、的中していたようだ。
(どうして、ファルク卿が……)
声すら出ないジルダに変わってサラが低い声で言う。
「おいおまえ、これはどういうことだ」
もう、丁寧な言葉を使う気もないようだ。
敵意を剥き出し、今にも食ってかかりそうな勢いである。
そんなサラを前に、ファルク卿はへらっと笑って軽く頭を下げた。
「説明不足でしたねえ、これは失礼しました」
ジルダは頭の中が混乱しそうになる。
口調も表情もいつもの通りなのに、明らかに何かがおかしい。これが本当に、あの物腰柔らかい男爵だろうか。
「うーん、面倒なので簡単に言いますね? 私は、あなた方を手放す気はないのです」
顎に手をあて、少し首を傾ける。
そのしぐさや表情に、邪気は無かった。
しかし、それが逆に恐ろしさを際立たせた。
「どうしてこんなことを」
ジルダは悲しそうな目を向け、ファルク卿に言う。
いい人だと思っていた。とても話しやすい人だった。
「どうしてか? 単純なことです」
男爵は部屋の中に足を踏み入れて扉を閉め切ると、手に持っていた灯りを床に置き、ゆっくりとジルダに近づく。
ジルダは男爵のことを見上げながら、血の気を失った顔でじりじりと後ろに下がっていく。
「ジルダに近づくな!」
サラが怒声をあげながら、鎖をガシャガシャと鳴らす。
ファルク卿は構わずに、その距離を詰めていった。
やがてジルダの背中に壁があたり、これ以上は下がれなくなってしまった。
壁に体を寄せて、ジルダは相手を窺う。
ファルク卿はそんなジルダの瞳を見て、陶酔の表情を浮かべている。
そしてすぐ目の前でしゃがみ込むと、正面からジルダを見つめる。男爵の瞳孔は開いていて、頬は紅潮していた。
ジルダはそんな異常なさまを見て、さらに震え上がる。
ファルク卿はトンとジルダの目の下に人差し指をあてる。ジルダはびくっと肩を上げ、ぎゅっと握った拳に力を入れていた。
「ああ、やっぱり何度見ても美しい」
とろけそうな笑みを浮かべ、うっとりと言う。
「美しいものは自分の手中に収めたい。これって、普通のことですよね?」
いたって当たり前のように、男爵は言う。まるで、それが自然であるかのように。
ジルダは相手の目を見たまま、小刻みに首を横に振った。
すると、ファルク卿は少しびっくりしたようにまた首を傾げる。
「じゃあ、あなたには欲がないということですね」
「違います、そういう話ではないです。どんなに欲しくても、手に入れられないものはあるはずです」
その言葉に、ファルク卿はぴたっと動きを止めた。
息を潜めるジルダの顔から手を離し、その場でくっくと小さく笑う。
「手に入れられないもの、ですか」
男爵から滲み出る不穏な空気に、ジルダは息をのむ。
もう、理解し始めていた。
この人は普通ではない。
「そんなもの、ありませんよ。自ら望み、手を伸ばせば、なんでも得られます」
清々しく、確信のこもった声だった。
何が彼をこれほどまでに狂わせてしまったのだろうかと、ジルダは自分の見ているものを疑った。
「美しいもの、珍しいもの。これまで自分が望んだ中で、手に入れられなかったものはありません」
(そんなのおかしい、すべてが上手くいくことなんてない)
ジルダは心の中で、男爵の言葉を否定し続ける。
欲しいものすべてなど、ありえないことだ。簡単に手に入らないからこそ、価値がある。
普通、平穏。
ジルダが手を伸ばしてもなかなか届かないもの。
この瞳のせいで、また遠ざかってしまう。
絶望的な顔をするジルダに、男爵は悪意のない子供のような笑顔を向けた。
そして、優しく言ったのだった。
「だから、その目をください」




