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21話 非情

 

 それはとても不快な気分だった。


『本当は、ここにいたくないんじゃないの』


 その言葉が妙に心に突き刺さり、何度も思い出しては強引にかき消していく。

 他人の言葉など、真に受けても意味がない。だからいつも、風が通り過ぎるように流していたのに。


 少年は階段を降りながら、つい足取りが荒々しくなるのを抑える。主人(あるじ)に聞こえては、面倒なことになる。


━━動揺するな、いつも通りでいるんだ。

 

 何も期待してはいけない、求めてはいけない。


 一度立ち止まり、大きく息を吸い込んで吐き出す。心の中にある様々な思いもまとめて、体の外から出してしまおうとした。


(考えるな、何も)


 そうしてまた温度も気力もない無の状態に表情を戻すと、少年は静かに歩き出した。


 人間の娘の言葉に惑わされるなど、らしくなかった。

 相手は何も知らない、ただの偽善者だというのに。


 考えてみれば、()()()から自分はどうもおかしい。


(十分思い知ったはずだ。俺は、どこにもいけない)


 そうしてすたすたと歩いているうちに、一つの部屋の前にたどり着いた。

 少年が分厚い白い扉を叩くと、中から穏やかな声が聞こえる。


「どうぞ」


 それを聞いて、少年は部屋の中へと進んだ。


 入り口の向かい側、日除けのかかった窓を背にして、長身細身の男が座って机に向かっていた。

 これが、この屋敷そして我が主人(あるじ)である。

 書類を前に手を動かしており、いかにも仕事中のようだった。

 

 相変わらず薄暗い室内に、少年は日除けを煩わしく思うが、勝手に退けることはできない。


「失礼致します」

「随分と遅かったじゃないか」


 主人もとい男爵は書類に目を落としたまま、少年には目もくれずに話す。

 口調と表情だけは、いつも通りの柔らかさだった。


「申し訳ございません」


 少年は、深く頭を下げる。


 言い訳は無用だ。

 自分にそんな権利はないと、少年はよく分かっている。


「あんまりがっかりさせないでね」


 ちょうどきりがよかったのか、男爵は書いていた手を止めてペンを下ろす。

 そして組んだ手に顎を乗せると、にっこりと笑って少年を見た。


「きみはただでさえ価値がないんだから。頼んだこと一つすぐにできない上に無駄に逃げ出したりなんかして、そのうえ大事な羽までなくしてくるんだからね?」

「仰る通りでございます」


 少年は頭を下げたまま、主人の声を静かに聞く。

 相手の顔を見てはいけない。もし見てしまえば、自分の中に“感情”がわいてしまう。


「羽がなければきみの存在意義はない。知ってるよね、平凡であるものに興味はないんだ。だけどきみは自分の過ちに気がついてちゃんと戻ってきたから、こうしてまた居場所を与えてあげてる。それに見合った働きくらい、見せてくれるよね?」

「もちろんです」


 自分の口からでる無機質な声を、少年はどこか他人のもののように思う。

 今、自分は感情のない置物である。そう思えば、苦しいことなど何もない。


 なのに何故だろう、肩が震えた。


「ルース、顔を上げて」


 主人に言われても、少年はしばらくそのまま固まっていた。

 ずっとそうしていたいが、そんなわけにはいかない。

 震えを抑えながら、ゆっくりと背中から上げていく。最後に顔を上げても、目線だけは下げたままでいた。

 

 もちろん男爵は、そんな様子もしっかりと目に捉えていた。


 微笑んだまま椅子から立ち上がると、机の横を通りすぎ、離れたところに立つ少年の方へと歩み寄る。

 少年は後ろに出そうになる脚を、なんとか押しとどめていた。


 そうして、男爵のジャケットのボタンがすぐ目の前にきても、少年は目線を上げようとしなかった。

 自分の頭よりもずっと高いところで、主人がにこやかにこちらを見下ろしていることは容易に想像できた。


「っ!」


 突然、少年は頭皮に痛みを感じた。

 男爵の手が少年の黒髪を掴み、斜め上に引っ張っていた。

 そのため少年は、嫌でも上を向かなければならなかった。


 痛くて涙が出そうになる。しかし、表情を崩してはいけない。


 上を向いてもなお視線を合わせようとしない少年を見て、男爵は空いている手で少年の頬を鷲掴み、がばっと顎からその顔を自分の方に向かせた。

 長い指が少年の白い頬に容赦なく食い込み、立てた爪が赤く痕をつける。


 少年が目を向けた先にはやはり、弧を描く唇と、それに伴わない冷たい目があった。

 それを見ると、背筋が凍ってしまいそうになる。


「フーゴ、さま……」


 少年は赦しを乞うように口を動かす。

 主人の機嫌を損ねる行動は避けなければいけないのに、自分はまたやってしまったのだと後悔しても、無意味である。


「不愉快なんだよ、きみはいつも反抗的だよね」

「いいえ、そんなことは、決して」


 少年が必死に弁解していると、主人の手が顔から離れた。

 機嫌を直してくれたのかもしれないと少年が息をつこうとすると、その冷たい手が今度は首に伸びてきて、長い指が喉を撫でた。

 

 少年は青くなり、体を強張らせる。


「そうだよね、抵抗しないとは限らないんだ。きみには前科があるし」

「あの時のことは、本当に申し訳ありません。しかし私はフーゴ様に害意など……うっ!」

「うるさいなぁ。そういうのは、もう少しましな態度を身につけてから言おうね」


 男爵の手が、少年の首を絞め付けた。

 途端に空気が通らなくなり、思考がどんどん奪われていく。


「余計なことを考えているようなら、面倒ごとを起こされる前に殺しちゃおうかな。妖精の弱点は首だったよね。切られるとだめっていうけど、絞めても死んじゃうのかな?」

「そんな、こと……」


 少年は今すぐ主人の手を振り解きたいが、そんなことできるわけがない。もし手を出しても、体格差からして敵わないだろう。

 

 男爵の手の力は、どんどん強くなっていく。

 少年は息ができず、苦しさに上を向いて口を開けた。


 妖精は首を絞めても死ぬのか。そんなこと、少年は知らない。

 俗に言うのはやはり、首を切るということだった。しかし、『首が弱点』という言い方からすると、どちらともとれると思った。


『俺の首を、切ってくれないかな』


 不意に、少年の頭の中に声が響いた。

 それは紛れもなく自分の声だった。いつの日か連れられた大きな船の中で、あの珍しい目をした少女に頼んだことだ。


 死にたいから殺してくれと、あのとき自分はそう言った。


 それなのに、どうしてだろう。

 願いが叶うかもしれないというのに、どうして自分はこんなに必死に息を吸おうとするのだろうか。このまま大人しく絞められていれば、やがて息の根は止まるかもしれないというのに。

 それに、この恐怖心は何だろうか。


 死んでしまえば、解放される。

 もう何も気にすることなく、自由になれる。


 なのに、なぜ怖いと思ってしまうのだろう。


『あなた、本当に死にたいわけじゃないよね』

  

 また、声が聞こえた。今度は自分のものではない、少女の声だった。

 どういうわけか、さっきからあの娘の言葉ばかり思い出す。


(ああ、そうか……)


 少年は諦めたように、霞む視界の中で天井を仰いだ。

 妖精族の弱点を知っていながら、自分でとどめを刺さない時点で、本当は気がついていたのかもしない。


━━ 俺は、死にたくないんだ。


 だから、心とは別に、体は逃げ出そうとするのだ。

 あの少女の言葉に、面食らってしまったのだ。

 今の人生を終わらせたいと思いながら、死ぬ覚悟もできていない。そんな自分の弱さが情けない。


 少年は、目の端に涙を浮かべた。主人によって与えられる痛みと苦しみに、我慢することができなかった。

 

 するとようやく、首に絡み付いていた手が、ぱっと離れた。

 無礼であることを気にする余裕もなく、少年はその場に崩れ落ちてむせかえる。

 何度も呼吸を繰り返し、急いで新しい空気を取り込んだ。


「冗談、冗談」


 男爵は明るく言うと、よいしょとしゃがんで、少年の顔を覗き込んだ。

 少年は顔を上げ、楽しそうな主人の笑顔を見た。


 歪んでいる、どこまでも。


「ちょっと加減を間違えたかな。大丈夫ー?」

「は、はい、もうしわけ……」


 すぐに喋ろうとしても、息が上がっていて上手くいかない。

 そうやって苦しめば苦しむほど、主人は喜んだ。


「まあいいや。きみに、挽回のチャンスをあげる」

 

 怪訝な顔で見上げる少年に、男爵はふふっと目を細める。

 なんだか、嫌な予感がした。


「今日、この屋敷に来た二人組がいるよね」

「……はい」

「そのうちの片方のお嬢さんを見たかい?ほら、赤い髪じゃないほうの子だよ」


 男爵は恍惚とした表情を浮かべ、うっとりとその少女を思い出しているようだった。

 そこに、ある種の狂気を感じた。時々垣間見えるそれは、少年をぞくりとさせる。


「あのお嬢さんの目ときたら!あんなに美しい宝石の瞳は見たことがない。まさに秘宝だよ。まあ、赤い髪も良いけど、あれならもう持ってるからね」


 話を聞いていた少年ははっとして、思わず口を挟んだ。


「しかしフーゴ様!あの方たちはお客人で」


 少年が話すのを遮るように、ごつっと鈍い音が響いた。

 男爵が、少年の顔を床に打ちつけたのだ。

 それから男爵が少年の後頭部を掴んで顔を上げさせると、ぱたぱたと血が落ちた。


「拒否するつもり?」


 少年はただ呆然と、床に広がっていく血を見つめる。

 こんなことはよくあることだ。今さら、驚くことなど何もない。


「何のために屋敷に引き留めたと思ってるの、僕はね」


 そう言って少年に顔を近づけて、無邪気に笑う。


「珍しいものや美しいものが大好きなんだ」


 少年は打った鼻を押さえながら、ゆっくりと体を起こす。いつまでも這いつくばっていては、また主人の手が上がる。

 

 男爵は少年の後頭部から手を離すと、ぽんと手を打った。


「あ、そうそう」


 うつろな少年とは対照的に、目を輝かせている。

 

 やはり、自分は何も考えてはいけない。

 主人の言葉に口を挟むなど、愚かな行為だった。


「生きてても死んでてもどっちでもいいよ。眼球が無事なら、それでいいから」


 そして胸元から、液体の入った黒い小瓶を出すと、顔の横に掲げて小首を傾げた。


「できるよね」


 少年は正座して項垂れていた。

 額から出る血が目にかかって鬱陶しい。前に一度切ったところを、また痛めつけてしまった。


 目線を上げれば、満面の笑みがこちらを見下ろしている。

 主人の言うとおり、自分に選択権はない。


「……承知しました」


 抑揚なく言うと、少年は小瓶を受け取った。 


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