フィオナの場合
バレンタイン当日・夕方。
調理室。
「……よし」
フィオナは、オーブンの前で小さく拳を握った。
焦げていない。
割れていない。
形も、ちゃんとハート。
(……うん、無難)
派手さはない。
仕掛けもない。
黒魔術も、当然ない。
ただ――
丁寧に作った、手作りチョコ。
「……これでいいよね」
誰に言うでもなく、
そう呟いて箱を閉じた。
⸻
放課後・廊下。
ユウト様を見つけた瞬間、
フィオナの心臓が一拍、早くなる。
(……落ち着いて)
(普通に、渡すだけ)
深呼吸して、声をかける。
「ユウト」
「ん?」
振り向いた、その瞬間。
(……あれ?)
ユウト様の視線が、
一瞬だけ虚空を彷徨った。
「……?」
「……大丈夫?」
「え、あ、うん」
一拍遅れて、
ちゃんと返事は返ってくる。
(……気のせい?)
フィオナは、
少しだけ首を傾げながらも
チョコを差し出した。
「これ」
「バレンタインだから」
「……!」
ユウト様の目が、
わずかに見開かれる。
「……ありがとう」
受け取る、その手が
ほんの少しだけ震えた。
⸻
沈黙。
普通なら、
ここで終わるはずだった。
……はずだったのに。
「……あ」
ユウト様が、
チョコを見つめたまま固まる。
「……?」
「……なんか」
「フィオナが……
すごく眩しく見える」
「え?」
「いや、物理的にじゃなくて」
「概念的に」
「なに言ってるの!?」
フィオナが慌てる。
「だ、大丈夫!?」
「……いや」
ユウト様は、
こめかみを押さえた。
「さっきから」
「チョコを見るたびに、
渡してきた人の顔が
頭に浮かんで……」
「……?」
「しかも、
微妙に感情が上乗せされてる」
フィオナの背中に、
嫌な予感が走る。
(……それって)
(……まさか)
⸻
その瞬間。
脳裏をよぎる、
紫に光るチョコ。
(……セリナ)
原因が、
ほぼ確定する。
「……えっと」
フィオナは、
慎重に聞いた。
「私のチョコ、
どう……?」
ユウト様は、
一口食べてから――
「……美味い」
即答。
「すごく、
安心する味」
「……」
フィオナは、
ほっと胸を撫で下ろす。
……が。
「でも」
「なんでか分からないけど」
「セリナに
論文で説明されてる気分になる」
「……やっぱり!」
フィオナは、
思わず声を上げた。
「やっぱり
影響残ってるじゃない!」
「え?」
「なんでもない!」
完全に、
セリナの黒魔術の後遺症だった。
⸻
その後。
ユウト様は、
しばらく不思議な状態が続いた。
・チョコを食べるたびに
渡した相手の顔が浮かぶ
・しかも感想が妙に分析的
・時々、胸が温かくなる
「……バレンタイン、
怖くない?」
最終的に、
そんな感想を漏らす始末。
フィオナは、
苦笑しながら言った。
「……私のは、
普通のチョコだからね?」
「うん」
「一番、
普通でよかった」
その言葉に、
フィオナは小さく微笑んだ。
普通でいい。
無難でいい。
この混沌の中で、
それが一番、
安心できるのだから。
夜。
フィオナの部屋。
机の上には、
空になったチョコの箱と、
少しだけ乱れたリボン。
「……」
フィオナは、
ベッドに腰掛けて
それをぼんやり眺めていた。
(……終わった、んだよね)
大事件も、
奇跡も、
修羅場もなかった。
ただ――
ちゃんと渡して、
ちゃんと受け取ってもらえた。
それだけ。
「……うん」
それだけなのに、
胸の奥は不思議と満たされている。
⸻
仰向けになって、
天井を見る。
「……変なこと、
言ってなかったかな」
「声、震えてなかったかな」
「笑顔、
引きつってなかったかな」
一つずつ思い返す。
(……たぶん、大丈夫)
ユウトの「美味い」という言葉。
安心する味、という感想。
(……よかった)
派手さはない。
サプライズもない。
でも。
(……ちゃんと、
私のチョコだった)
誰かの魔術でも、
偶然でもない。
フィオナ自身が作った味。
「……それで、
十分だよね」
⸻
枕を抱き寄せる。
「……でも」
ほんの少しだけ、
欲が出る。
(……来年も、
渡せたらいいな)
(……来年は、
もう少し可愛くできるかな)
そんな未来の話を、
自然に考えている自分に気づく。
「……ふふ」
思わず、
小さく笑ってしまった。
⸻
フィオナは、
そっと目を閉じる。
今日一日は、
騒がしくて、
ちょっと変で、
でも楽しかった。
「……おやすみ」
平和な反省会は、
そのまま穏やかな眠りへ。
何も起きなかったことが、
一番の成功だった。




