第8話 洞窟の中
森の奥には誰も近寄らない洞穴がある。岩だらけの長い通路の先にはだだっ広い空間があり、そこには魔物がすみついているという噂が人々の間で噂されているからである。近頃はダークカルセの巣窟となっており、周辺にさえ行く人は少なくなった。
教会襲撃によって連れてこられたセナローズは両手を後ろで縛られて身動きが取れない状況に置かれてもなお、何か打開策がないか考えていた。この場にいるのは全て闇に属する者ばかり。自分を美味しそうに見つめてくるのは、恐らくはそれほど能がない、底辺に堕ちたダークカルセ。黒い翼はあれど、本能のままに動くことしかできないだろう。そんなやつらは本気を出せばすぐにでも消し去ることはできる。それくらい動作もないことだ。
(問題は……)
チラッと目線だけ斜め上を見る。手下より五段ほど上の岩に座っている影があり、楽しそうにこちらを見ている。黒みを帯びた碧い瞳は気味悪いほどに笑っていた。影はセナローズと視線が合うと口の両端を上げてはそこから立ち上がって飛び降りる。高いところからの動作は思わず見とれてしまうほど優雅なもので、一瞬敵だということを忘れてしまいそうだった。
「ようお客人。気分はいかがかな?」
「褒める様な言葉が出ると思ったら間違いだよ」
なるべく冷静に、余裕あるように見せなければ。気を取られてしまったら相手の思うつぼだ。反抗するように言ってみると「ふーん」とつまらない声を上げて腕を組んで覗き込んできた。
「よく耐えられるよね。普通の人間じゃあ絶対怖がるだろうに」
もしかして悪魔の子供だからかなー。青年はそうつぶやいては勝手に納得して頷いた。その間も視線を逸らすことはなかった。創世記時代に最初の戦争「神々(ラグナ)の始創」を起こした直後に現れた黒い子供を差し、その正体は光の中で生きる種族がもっとも恐れる存在悪魔の子とされている。その特徴は黒い髪に黒い瞳。いわば双黒といわれる特殊な色を持っており、その体には強大な魔力が込められていると記録されている。
「そうそう、君に頼みたいことがあったんだ」
「頼みたいこと?」
被害が出ることは避けたいが聞いてもらえないだろうから大人しく聞いてみる。青年は両手を広げて盛大にその内容を言い放った。
「神々の終焉――ラグナロクを、起こしてもらいたいんだよ!」
「それは……!」
「出来るよね、デビル・チャイルドの貴方なら」
ラグナロク。
神々の黄昏ともいわれるそれは世界の終末を表す現象。預言者によればアース神族とヴァン神族が争い、巨人族や他の戦闘民族も加勢する大規模な戦争の幕開け。だがそれはあらゆる種族を死に至らしめると言われている。ラグナロクを起こすきっかけを起こすのは、恐れを抱いて忌み嫌っているたった一人の双黒の子供。きっかけがその人にあることは誰しもが幼い頃から絵本のように言い聞かせられ、黒い子供には近づかないように言いつけられている。
ダークカルセは闇の一族。故にラグナロクを大いに望んでいる。世界が闇に覆われることを。
「僕には、出来ない……」
「なんだって?」
苦し紛れに、自分にはそういう存在ではないと言いつけなければ。
「僕は……デビル・チャイルドなんかじゃ、ない」
――禍の種には近づくな。黒い子供には、悪魔の子供には決して関わるな。
関わったら最後、人には言えぬ最期を迎えるぞ……。
そう聞かされて人々は安寧の日々を過ごすために家から双黒の子供が生まれれば気づかれないうちに殺すか捨てるか、または教会に預けるといういずれかの手段を取る。セナローズの父アナギも最初はそうするように周りから言われてきたが、彼は息子が大事だからといって非情な手段の全てをすることはなかった。自分の子供に酷いことをするなんてできない。家族なのだから育てていかなければと周りの反対を押し切ってこれまでを育ててきてくれた。
リランカドル家の少年と一緒に住まうようになってからは更に普通の人間だと言ってくれるようになった。
自分を信じてくれる存在がいるから、自信を持ってはっきりと悪魔の子供でないことが言える。身の内にある力を護るために振るうことが出来る。
「ラグナロクを起こしたいなら、もっと強力な魔力の持ち主を探したらいいんじゃないかな」
今頃救助隊と討伐隊が出ているはず。説得できるとは思えないが、この場をやり過ごすには少しでも会話を続けなければ。青年は話が終わると、何も言わずに近づく。
そして、セナローズの頭を掴んでは勢いよく地面にたたきつけた。
「うぐっ……」
「何を言い出すかと思えば、単なる戯言にしか聞こえないね!」
髪を思い切り掴まれ、力強く上げられる。濁った瞳が目の前にあった。
「君が悪魔の存在でなきゃ、一体誰なんだ? 普通の人間、笑える冗談だね。たかが君みたいに頭も目も黒い、加えて強大な魔力をもつ奴がなんで好かれると思うんだ。可笑しくて大爆笑ものだね!! いいかい、君は紛れもなく悪魔の子供なんだ。僕が言うんだから間違いないんだよ。孤独で悲しい、そんな未来が容易に想像できる」
否定の言葉を浴びせられる。違う、そんなやつじゃない。意識では全否定しても青年の言葉によって心のどこかで本当にそうだろうという思い込みが育ってく。思い込みは強くなると自身もそう考えるようになっていく。大変危険なこと。
「認めてしまったら、楽になれるよ。ほら、一緒に世界を闇に染め上げよう」
「僕は……」
「ちょっと待ったああああああ!!」
完全に敵の手の中に堕ちようとしていた時。聞きなれた声が広い空間に響き渡った。意識が薄れていく中で聞こえてきた方角を見ると、出口に続く通路に見慣れた少年の姿があった。
「てめえ、何勝手に俺のパートナーに言ってくれてるんだよ、ダークカルセ」
「イルファーナ、まだセナローズ様はアンタのパートナーじゃないわよ」
「うるせえ! もうすぐなるんだからパートナーで良いだろ!?」
「よかないわよ!! 正しく言いたいなら弓術者になってからにしなさいよ!!」
周りが敵で一杯にも関わらず、イルファーナはいつもの調子でセナローズと契約しているカルセと口喧嘩している。その後ろで黙然と見守る黒衣に包まれている青年と美しい金の髪に包まれた若い青年の姿。四人のうち二人は初めて見る顔だった。
しかし、此処に来たということは。
「痴話喧嘩をしている暇があるなら、さっさと用事を済ませろ」
「ああ、そうだった」
魔力の在りそうな衣装から魔術師だろうか。だが、今回の試験で教会以外の支援はないと思っていたのだが。少年はさも当たり前のように黒衣の魔術師と短い会話をしている。
現れた闖入者を餌と見做したのか、ダークカルセたちはひそひそと話をしてから飛びかかってきた。大人数で襲われれば流石に恐れをなすであろうと考えたらしい。四人が黒い翼の山に飲み込まれる。もしや抵抗できずに食べられてしまうのか。最悪の事態を想像して絶望に伏していたセナローズだったが、十数体のダークカルセが一斉に吹き飛ばされたのを見て驚きを隠せなかった。
中心にいた少年は弓を構えている。怒っていた瞳も真剣なものに変わっており、敵前を見据えていた。背中に常備している矢を取っては番える。魔術師の方も平然として何もない手の中から背丈より長い槍を繰り出す。
「お前ら、覚悟はいいか?」
魔力の込められた矢が放たれ、集団の中に堕ちるとともに周りにいたダークカルセが断末魔を上げて消え去る。
弓術者試験終了を目前にして、忌み嫌われる幼馴染を助ける戦闘が始まった。