四話 この世界
ザー…
窓越しに、シャワーのように降り注ぐ雨の音が遠く聞こえる。
俺は変身を解除して、火の手から逃れた家のベッドに腰掛けていた。
ヒーローショーの帰りにきていた分厚いコートは部屋の隅に丸めて置かれている。
変身の時はきていたものは全てどこかに行ってしまっていたようだった。
なので着ている服はこの謎の場所に来るまでと変わらない。
変わらないが、ただ一つだけ大きく前と変わってしまったことがあった。
手の震えが、止まらなかった。
ぬちゃり…
震える手に目を落とした瞬間、手をべっとりと染める血が見えた。
「ひっ…」
幻覚だと知っている。魔人は血などでていなかったのだから。
だがあれから何時間か経った今でも鮮明に蘇るのは、首をひねった瞬間、魔人の身体から何かが抜けていく感覚と、
魔人とはいえ、人と同じような構造の生き物の骨を自分の意思でおる最悪な感触だった。
無我夢中だったとしても残るその手の感触。
それはべっとりとこびりついたかのように離れなかった。
ガチャリ…
「おや、ユウジ様。どうかなさいましたか?そんな暗い顔をされて」
扉を開けて入ってきたのは、白髪の老婆だった。
年齢は60を超えているのだろう、
深い皺の刻まれたその顔は不安そうだった。
同じように深い皺の刻まれた小さな手にはトレーが握られていて、その上にゆらゆらと湯気を立てる飲み物が置かれていた。
どうやら気を使って飲み物を持ってきてくれたようだ。
もう一度手を見たとき、震えと幻覚はなくなっていた。
「あっ…ありがとうございます」
老婆の名前は確か、ラナイアと言っていた。
あの後、泣きじゃくる女の子、ナタハちゃんを雨の中にもかかわらず走って探しに来てくれたナタハちゃんの実の叔母らしい。
「ユウジ様、先ほどは孫のナタハを助けていただき、本当にありがとうございます。私たちの村にはもう物がないのでこのような物しか出せないのですが…」
そういって、本当に申し訳なさそうにラナイアさんはすっとトレーの上に乗ったお茶をおれに渡してくれた。
俺は差し出されたお茶を受け取ることができなかった。
亡くなったナタハちゃんの父親は、ユガノルさんという名前だったらしい。
そして冒険者の人の名前はリエガさん、という名前だったらしい。
名前は、冒険者の所属する組織とやらの銀色のカードに記されていた。
亡くなった人の持ち物は親族がわからない場合見つけた人の物になるのが世の中の決まりらしく、
ラナイアさんは彼の持っていたバスターソードを受け取らないかと俺に言ってきた。
だが、受け取ることなどできなかった。
彼の元に真っ直ぐに向かっていれば助けられたのだろう。
俺はそれを黙って呆然と見ていた。
動けなかった、状況が理解できなかった。
いろんな理由は出てくる。
もし俺が、本当のソウルレッドの様に強く、絶対に諦めない不屈の精神を持っていることができたのなら何かは変わっていたのだろうか…
現実逃避気味に思考をそらしても罪悪感は消えなかった。
でも、こんな俺にラナイアさんは何度も何度も、孫を救ってくれてありがとうございますと言う。
やめてくれ。感謝なんてしないでくれ。
そう叫びたくなるのを何度堪えたことだろう。
「ユウジ様…?」
ラナイアさんが飲み物を受け取らない俺の身に何か起きたのかと不安そうに近づいてくるのがわかった。
「だっ、大丈夫です!少し体調が優れないので、一人にしてください!」
咄嗟に出た言葉に後悔するが、もう遅い。
ラナイアさんは少し寂しそうな顔をすると、軽く頭を下げて扉の向こうに消えていった。
近くのテーブルにはいつのまにかゆらゆらと湯気をたたせるコップが置かれていた。
どさりと、後ろに大きく倒れる。
背中に感じるのは家のベッドのようなふかふかとした感触ではなく、何かの草の上に硬く目の粗い縫い方の布が何枚か重ねられてるだけだった。
「何やってるんだろう…俺は…」
前は止んだ様だったが、ユウジの心にかかったもやは晴れそうになかった。
「…貴方は覚えていないでしょうけど、この世界をよろしくお願いします」
夢の中で、透き通った心地の良い声を聞いた気がした。
どれだけ寝ていたのだろうか、気がつけば眩しい陽がまぶたの裏を刺激した。
どうやら窓を開けっ放しで寝ていた様だ。
この家には、というかこの村にはガラスの窓がなかった。
木の扉のついた窓だけしかない。
あの後、雨がふらなくてよかったなどと特に意味のないことを考えていた。
どうやら、日の向きからして自分は丸一日寝ていた様だ。
ゆっくりと身体を起こせば、窓の外でガシャガシャ、と何かが崩れる様な音がした。
音に驚き、急いで窓から身を乗り出すとそこには少し大きめの瓦礫を地面にばら撒きながら倒れるラナイアさんがいた。
「だ、大丈夫ですか!」
「いたたっ…あらまあ、大丈夫ですよユウジ様。地面の石に躓いてしまっただけですので」
咄嗟に窓を飛び越えてラナイアさんの身体に触れようとすると、ラナイアさんはどうやら昨日の惨劇の後片付けを生き残った村人の人たちとしているようだった。
「俺も手伝わせてください!」
「あ、いや、ユウジ様にそんな事させら…」
ラナイアさんが言い終わる前に燃え尽きて炭ようになった木材を持ち上げる。
どうやら村人も年配のラナイアさんに気を使って軽いものを持ってもらったようだったので、
その一回はかなり楽だった。
燃え尽きた木材を村の端まで持って行き、自分が丁度目を覚ましたところに向かうと、そこには五、六人の村人がせっせと燃え尽きた家屋から木材を引っ張り出しているのが見えた。
暫く村の人に混ざって木材を片付けていく。
道行く人とすれ違うたびに言われる感謝の言葉に、毎回胸がズキリと痛んだ。
「ユウジ様、お茶でも少し飲んで休憩しませんか?」
かなりの木材を運び、息が上がってきたころ、ラナイアさんが家から出てきて老婆にしては異常な速度で回り込んで有無を言わせぬ速度で背中を押して家に連れて行かれた。
どうやらまた断られる思ったのだろうか。
俺は仕方なくなされるがままにすることにした。
それに、こんな俺でも一日も経てば少しは冷静にもなる。
ラナイアさんに聞きたいことが沢山あった。
「はい、これはコグリ茶といって、コグリの葉という茶葉を使っているのよ」
にこり、ラナイアさんはその擬音が似合うように皺の入った目元を細めた。
出されたお茶は昨日と同じように湯気を立てていた。
昨日は気がつかなかったが、仄かに香ばしい匂いが香ってくる。
昨日飲まなかったお茶は味わったことのない不思議な、でも何故か落ち着く素朴な味だった。
なぁなぁにしていたが、感じていた違和感を口にした。
この場所が何処なのかどうか。
いや、このおかしな世界が、というべきなのか。
変身ベルトで本当に変身できるようになる技術なんてまだ俺のいた日本ではできていない。
だからラナイアさんに聞くことにしたのだ。
「ここはどこなのですか?」 と。
ここはどこですかと聞くと、ラナイアさんは細められた目をゆっくりと開いた。
俺の表情が真剣なものだと言うのを感じ取ったのか、ラナイアさんは一息ついてからゆっくりと口を開いた。
「ユウジ様は、ここら辺では見かけないお姿に顔立ち。私も何処から貴方が来てくださったのか分からないから気になっていたのです。あまり深くは聞きませんが、何か事情がおありの様子。私のような老婆に答えられることであれば何でも答えましょう」
そう言ってにっこり笑った。
「ありがとうございます。まず、この場所は何というところですか……
色々と聞いて分かったことは、この場所はグランガムザートと呼ばれる国らしく、別名を護人の国と呼ばれているらしい。
そして、この国を除いてあと二つ。魔法の国と獣の国。
その三つがこの世界に残る確認されている最後の国々らしい。
それより向こうの大陸は殆どが魔王を筆頭に魔人と呼ばれる敵に侵略されてしまっているとの事だ。
ラナイアさんが幼少期の頃、五十年以上前には15を超える国があったらしいから、この短期間における魔人の侵略がいかに苛烈かを物語っている。
それらが示していることは、俺が異世界に来てしまったと言う事だった。
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