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十、楽毅からの手紙、五
10.
臣聞之,善作者不必善成,善始者不必善終。昔伍子胥說聽於闔閭,而吳王遠跡至郢;夫差弗是也,賜之鴟夷而浮之江。吳王不寤先論之可以立功,故沈子胥而不悔;子胥不蚤見主之不同量,是以至於入江而不化。
(訳)
「臣はこれを聞いて、
善く作す者は必ずしも善く成さず
始めを善くする者は必ずしも
終りを善くせぬものだと考えました。
昔、伍子胥の説は闔閭に聴き入れられ、
呉王は遠征して郢へと至りました。
夫差は(伍子胥の説を)是とせず、
彼に鴟夷(馬の皮袋)を賜りて
長江に浮かべてしまいました。
呉王(夫差)は先人の論が
功績を立てられるものと
悟れなかったために、
伍子胥を沈めながらも
悔やまなかったのです。
伍子胥は主君が(先代と)同等の度量を
持っておらぬ事を先んじて見通せず、
こうして長江へ入水するに至っても
(行いを)改めませんでした」
(註釈)
呉王・夫差は伍子胥を殺したから
勾践のリベンジを許したのである。
オレを殺すのは伍子胥を殺すのと同じだぜ、
ってことね。




