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淡々史記  作者: ンバ
第七、項羽本紀
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四十五、司馬遷の評

45.

太史公曰:吾聞之周生曰:「舜目蓋重瞳子」,又聞項羽亦重瞳子。羽豈其苗裔邪?何興之暴也?夫秦失其政,陳涉首難,豪傑蠭起,相與并爭,不可勝數。然羽非有尺寸,乘勢起隴畝之中,三年,遂將五諸侯滅秦,分裂天下而封王侯,政由羽出,號為霸王,位雖不終,近古以來未嘗有也。及羽背關懷楚,放逐義帝而自立,怨王侯叛己,難矣。自矜功伐,奮其私智而不師古,謂霸王之業,欲以力征經營天下,五年,卒亡其國,身死東城,尚不覺寤,而不自責,過矣。乃引「天亡我,非用兵之罪也」,豈不謬哉!


(訳)

太史公はいう、

吾が※周生《しゅうせい》から聞いたところによれば、

(※前漢の儒者)


帝舜《ていしゅん》の目はまさしく※重《じゅう》瞳子《どうじ》であり

また、項羽もまた重瞳子であったという。


(※黒目が二つあること)


項羽は、あるいは

帝舜の苗裔《びょうえい》であったのだろうか?


何と勃興の速やかな事であっただろう。


そもそも、秦の失政より

陳勝《ちんしょう》が兵難を首《はじ》め、

豪傑たちが放棄して

互いに争い合ったが、

その数は数えきれぬ程であった。


然るに項羽は尺寸(の領土)も無しに

勢いに乗じて

※隴畝《ろうほ》の中から立ち起こり

(※田野、市井の中)

三年で遂に五諸侯を率いて秦を滅ぼし、

天下を分割して王侯に封じ、

政は項羽の出づるところに由り、

号して「覇王《はおう》」となった。


位を全う出来なかったと雖も

古代から近代におけるまで

いまだかつてない事である。


項羽は関中《かんちゅう》から離れて楚を思慕し

義帝《ぎてい》を放逐して自立すると、

王侯が自身に叛いた事を怨んだが、

これらの点が難であった。


自ら討伐の功を誇り、

私的な智力を奮わせて

いにしえを師とせず、

(自分のこうした行いを)

覇王の業であると称して

力による征討を以て

天下を経営しようとしたが、

五年でついにその国を亡ぼし、

その身は東城《とうじょう》に死して

なお悟る事が出来ず、

自らを責めようとせぬは、過ちである。


「天が我を亡ぼすのであって

用兵の罪ではない」


と述べていたが、

どうして誤謬でないといえようか!!


(註釈)

項羽が歴史上類を見ないほど

迅速に天下を統制した事については

司馬遷も舌を巻いています。


帝舜の子孫と考えれば

なるほど納得??


現代でも、バリバリのアイデアマンなんかは

人に仕事を任せられなかったりしますね。

自分でやった方が高い成果を挙げられるから。


いよいよとなったら

最後に頼りになるのは

自分自身の力、というのは

勿論なのですが、己の才のみを信じ

臣下の忠言に耳を傾けず、

失敗から学ぼうとせぬその姿勢、

劉邦に逆転を許してしまったのは

当然の帰結といえる気がします。


これにて項羽本紀を終わります。

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