二十八、范増の死
28.
項王欲聽之。歷陽侯范增曰:「漢易與耳,今釋弗取,後必悔之。」項王乃與范增急圍滎陽。漢王患之,乃用陳平計閒項王。項王使者來,為太牢具,舉欲進之。見使者,詳驚愕曰:「吾以為亞父使者,乃反項王使者。」更持去,以惡食食項王使者。使者歸報項王,項王乃疑范增與漢有私,稍奪之權。范增大怒,曰:「天下事大定矣,君王自為之。願賜骸骨歸卒伍。」項王許之。行未至彭城,疽發背而死。
(訳)
項王は和睦を受けようとしたが、
歴陽侯の范増は言った。
「漢は容易く与せましょう。
今、(滎陽を)捨てて取らなければ
後で必ずや後悔いたしますぞ」
項王はそこで、范増とともに
急いで滎陽を攻囲した。
漢王はこの事を憂患し、
そこで陳平の計略を用いて
項王に離間(仲違い)の策を仕掛けた。
項王の使者がやって来ると
太牢(牛羊豚のごちそう)を具えて
これを進めようとした。
そして、使者を見て
わざと驚愕したふりをして、
「吾は、亜父(范増)の使者だと
思っておりましたが、
なんと、項王の使者でしたか!」
と言い、更に、ご馳走を片付けて
粗末な食事を項王の使者に食べさせた。
使者が帰ってこの事を項王に報せると、
項王はかくて范増に漢への私心が
あるのではないかと疑い、だんだん
彼の権威を剥奪していった。
范増は激怒して言った。
「天下の事は大いに定まりましたな!!
(後は)君王がご自身でなさいませ。
私にはどうか骸骨を賜り、
卒伍(一兵卒)に帰してください!」
項王はこれを許可した。
范増は行き、彭城に至らぬうちに
背中に疽ができて死んだ。
(註釈)
稀代の謀略家・陳平は
項羽を見限って劉邦に寝返ってます。
彼はここで、
項羽のブレーンの范増を消す為に
一計を案じました。
項羽の使者に対して、
「あれ、范増さんの使者じゃないんですか」
と言って、わざと塩対応をしたのです。
西漢演義では、この時の使者が
虞美人の身内の
虞子期という事に翻案されてます。
項羽の為に尽力し続けた
范増おじいちゃんですが、
当の項羽は漢の離間の策に
まんまとハマって、
范増を疑い始めてしまい……
権力まで剥奪してしまいます。
鴻門の会で劉邦を討ち漏らしたばかりか
反対に項羽に疑われたとあっては
匙を投げざるを得ませんでした。
横山御大の項羽と劉邦では
この逸話は16巻に収録されています。
のちに劉邦は斯様な言葉を残しています。
「我が幕下には
張良・蕭何・韓信という三人の傑物がおり
私はこれを手足のように使いこなせる。
反面、項羽は范増一人すらも
御する事ができなかった。
ゆえに私に敗れたのだ」




