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淡々史記  作者: ンバ
第七、項羽本紀
62/274

二十二、義帝弑逆

22.

漢之元年四月,諸侯罷戲下,各就國。項王出之國,使人徙義帝,曰:「古之帝者地方千里,必居上游。」乃使使徙義帝長沙郴縣。趣義帝行,其群臣稍稍背叛之,乃陰令衡山、臨江王擊殺之江中。韓王成無軍功,項王不使之國,與俱至彭城,廢以為侯,已又殺之。臧荼之國,因逐韓廣之遼東,廣弗聽,荼擊殺廣無終,並王其地。


(訳)

漢の元年(前206)四月、

諸侯は戯下ぎか(配下の将帥)を解体し、

それぞれ領国へ就いた。


項王は領国へ出向く際、

人を遣わして義帝に


「古の帝王とは地方千里、

必ず上游(上流)に居ったものです」


と、拠点を移すように述べた。


かくて、使者を遣わして

義帝を長沙ちょうさちん県まで移そうとした。


急き立てて義帝を行かせようとした所、

その群臣に稍稍しょうしょう(わずかばかり)と

命令に背こうとする様子があった。


そこで、密かに衡山こうざん王(吳芮ごぜい

臨江りんこう王(共敖きょうごう)に命じ、

義帝を江中(揚子江ようすこう)にて殺害させた。


韓王・せいには軍功が無く、

項王は彼を領国へ遣わさず

一緒に彭城ほうじょうへ向かったが、

(王の位を)廃して侯とした後、

一方で彼を殺害してしまった。


臧荼ぞうとは領国へ向かおうとして

韓広かんこう遼東りょうとうへ追い出そうとしたが、

韓広は聞き入れず、

臧荼は韓広を無終むしゅうで殺して

彼の王としての領地を併せた。


(註釈)

秦打倒の旗頭として

楚王の孫(懐王・義帝)を

押し戴いていた項羽でしたが、

秦を倒したらソッコーで

彼を殺してしまいました。


下手人は吳芮ごぜい共敖きょうごうですが、

黥布列伝や西漢演義では

黥布が手を下したと書かれています。

どっちが正しいんでしょう。


ついでに、軍功が無いヤツが

王になるのも不相応だな、として

韓王の成も項羽は殺してしまいます。


このことで、

韓の復興を目指していた張良ちょうりょう

完全に敵に回してしまいました。


先の論功行賞では、

もとの燕王や斉王を改封して

軍功の多い者を新たに

代わらせようとしたために

トラブルが起こっています。


旧・燕王の韓広かんこう

新・燕王の臧荼ぞうとの間で

早速ケンカが勃発、先が思いやられます。


内輪揉めはまだまだ続く…………。

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