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淡々史記  作者: ンバ
第七、項羽本紀
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七、田氏の政争と項劉の進撃

7.

居數月,引兵攻亢父,與齊田榮、司馬龍且軍救東阿,大破秦軍於東阿。田榮即引兵歸,逐其王假。假亡走楚。假相田角亡走趙。角弟田閒故齊將,居趙不敢歸。田榮立田儋子市為齊王。項梁已破東阿下軍,遂追秦軍。數使使趣齊兵,欲與俱西。田榮曰:「楚殺田假,趙殺田角、田閒,乃發兵。」項梁曰:「田假為與國之王,窮來從我,不忍殺之。趙亦不殺田角、田閒以市於齊。」齊遂不肯發兵助楚。項梁使沛公及項羽別攻城陽,屠之。西破秦軍濮陽東,秦兵收入濮陽。沛公、項羽乃攻定陶。定陶未下,去,西略地至雝丘,大破秦軍,斬李由。還攻外黃,外黃未下。


(訳)

数ヶ月が経過したのち、

兵を引き連れて亢父《こうふ》を攻め、

斉の田栄《でんえい》・司馬《しば》龍且《りゅうしょ》の軍とともに

東阿《とうあ》を救援し、秦軍を東阿にて大破した。


田栄はすぐに兵を引いて帰還し、

※斉王の田仮《でんか》を逐《お》い掛けた。


(※斉王田儋(でんたん)が秦の章邯《しょうかん》に敗れたのち、

田仮が王に立てられたが、

田儋の従弟の田栄と対立していた)


田仮は楚へ、田仮の宰相の田角《でんかく》は

趙へと逃走していった。


田角の弟の田閒《でんかん》は

もとは斉の将であったが、

趙に居着いて、帰ろうとしていなかった。


田栄は田儋の子の田市を立てて斉王とした。


項梁は東阿の下に敵軍を破ったのち、

かくて秦軍を追撃した。


たびたび使者を遣わして

斉を出兵に赴かせ、倶に

西へ向かおうとした。


田栄は


「楚(項梁たち)が田仮を殺し、

趙が田角と田閒を殺してくれれば

そこで兵を出そう」


と述べた。


項梁は言った。


「田仮は(仮初めにも)貴国の王となり

窮乏して我々を頼ってきたのだから

殺すには忍びない。


趙の方でもまた、

田角・田閒を斉国に於ける

市井と見なして殺す事はすまい」


斉は遂に

楚に救援の兵を送る事を肯んじなかった。


項梁は沛公(劉邦)及び

項羽を遣わして城陽《じょうよう》を攻め、

この拠点を屠った。


西行し、濮陽《ぼくよう》の東で秦軍を破ると

秦は兵を纏めて濮陽へと入った。


沛公と項羽はかくて定陶《ていとう》を攻めたが

定陶を下せずに引き去った。


西方の地の攻略へ向かって

雝丘《ようきゅう》(雍丘)へと至り、

秦軍を大破、李由(李斯の息子)を斬った。


帰還して今度は外黄《がいこう》を攻めたが

外黄を下せなかった。


(註釈)

楚と同様に、斉でも

国君の末裔が王として立ち

秦に反旗を翻しています。


秦の打倒に立ち上がった筈が

内ゲバで荒れていますが……

いつの時代もこんな奴らがいますね。


項梁が


「一緒に秦を倒そう、派兵してくれ」


と要求しても、


「亡命したクズを殺すのを

手伝ってくれたら、手を貸してやる」


と、あくまで自分本位。


結局斉は放置され、

あとあと酈食其《れきいき》と韓信に

攻略される事になります。


項羽と劉邦は城陽・濮陽を抜き、

定陶を下せずに雍丘へ。


雍丘で李斯の息子・李由《りゆう》を撃破。


外黄へ転戦しますが、

こちらは下せませんでした。

めっちゃ動いてますね。

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