表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
淡々史記  作者: ンバ
第七、項羽本紀
43/274

六、項羽の亜父、范増登場

6.

居鄛人范增,年七十,素居家,好奇計,往說項梁曰:「陳勝敗固當。夫秦滅六國,楚最無罪。自懷王入秦不反,楚人憐之至今,故楚南公曰『楚雖三戶,亡秦必楚』也。今陳勝首事,不立楚後而自立,其勢不長。今君起江東,楚蜂午之將皆爭附君者,以君世世楚將,為能復立楚之後也。」於是項梁然其言,乃求楚懷王孫心民間,為人牧羊,立以為楚懷王,從民所望也。陳嬰為楚上柱國,封五縣,與懷王都盱臺。項梁自號為武信君。


(訳)

居巣きょそうの人の范増はんぞうは七十歳、

素より家に居りて、奇計を好んだ。


范増は往きて項梁に説いた。


「陳勝の敗亡はもとより当然の事です。


そもそも秦が六国を滅ぼした際、

楚には最も罪がありませんでした。


懐王かいおうが秦に入られてより

帰還される事なく(秦に捕まった)、

楚の者は現在に至るまで

この事を憐れんでおりまして、

故に楚の南公なんこうは言いました。


『楚(の国邑)が三戸になったとて、

秦を亡ぼすのは必ず楚である』と。


今、陳勝は事をはじめながら

楚の後裔を立てずに自らが立ち、

その勢いは長く続きませんでした。


今、君が江東に挙兵なさってより

楚で蜂午ほうご(立て続けに起こる)した将が

皆争って君に附こうとしておりますのは、

君(の家柄)が代々楚の将軍で、

楚の後裔を立てる事(楚の復興)が

出来ると考えておるからなのです」


ここにおいて項梁は

その言葉が尤もであると考え、

かくて、人の為に牧羊となっていた

楚の懐王の孫・しんを民間から捜し出し、

彼を立てて「楚の懐王」として

民の所望する所に従った。


陳嬰ちんえい上柱国じょうちゅうこくに任命して五県を封じ、

懐王とともに盱台くたいに都させた。


項梁は自ら「武信君ぶしんくん」を号した。


(註釈)

范増はんぞうきたぁあああ!!


高校の頃、漢文の授業で出てきた

亜父あほ者范増也とははんぞうなり

というフレーズで笑い転げてました。


あの頃は漢文なんて大嫌いでしたが、

今になってこうやって

自発的に学習するようになるとは、

わからないもんです。


70歳の在野の士であった范増は

陳勝の敗亡の所以を分析し、

項梁に正式な楚王の後裔を捜し出し

改めて王に即けるように説きます。


キレキレの智謀の士なのですが、

項羽はこの高性能おじいちゃんを

うまく使いこなす事ができません。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ