二、若き項籍
2.
項籍少時,學書不成,去,學劍,又不成。項梁怒之。籍曰:「書足以記名姓而已。劍一人敵,不足學,學萬人敵!」於是項梁乃教籍兵法,籍大喜,略知其意,又不肯竟學。項梁嘗有櫟陽逮,乃請蘄獄掾曹咎書抵櫟陽獄掾司馬欣,以故事得已。項梁殺人,與籍避仇於吳中。吳中賢士大夫皆出項梁下。每吳中有大繇役及喪,項梁常為主辦,陰以兵法部勒賓客及子弟,以是知其能。秦始皇帝游會稽,渡浙江,梁與籍俱觀。籍曰:「彼可取而代也。」梁掩其口,曰:「毋妄言,族矣!」梁以此奇籍。籍長八尺餘,力能扛鼎,才氣過人,雖吳中子弟皆已憚籍矣。
(訳)
項籍は年少時に
書(読み書き)を学んだが、
ものにならずにやめてしまい、
(そこで)剣術を学んだが、
こちらも投げ出してしまった。
項梁はこの事を怒ったが、
項籍は言った。
「書を学んだところで
姓名を記す事ができるだけ、
剣を学んだところで
一人を相手にする事ができるだけで、
学ぶには値しません。
(籍は)万人を相手に出来る
術を学びたいのです!!」
項梁がそこで、項籍に
兵法を教えてやったところ、
項籍は大喜びして
その大略を学んだが、これも
(要点を押さえるのみで)
最後まで学ぼうとしなかった。
項梁はかつて
櫟陽で逮捕された事があったが、
そこで蘄の獄掾の曹咎に書状を送って
櫟陽の獄掾の司馬欣への手回しを
要請したために、事なきを得ていた。
(その後)項梁は人を殺してしまい、
項籍とともに呉中へと仇を避けた。
呉中の賢人・大夫は
みな項梁の下へと出向いた。
呉中に大規模な徭役、及び喪が有るたびに
項梁は常に主弁(主宰・責任者)となり、
密かに兵法によって、
賓客及びその子弟を部勒していたために、
彼らの能力を弁えていた。
秦の始皇帝が会稽へと巡遊し
浙江を渡ってきた時に、
項梁と項籍はこれを倶に観ていた。
項籍が
「彼に取って代わるべきです」
と言うと、項梁はその口を掩って
「妄言を吐くな! 族滅されてしまうぞ!?」
と言ったが、この事があってから項梁は
項籍を非凡であると見なすようになった。
項籍は(成長すると)身長八尺余り、
力は鼎を持ち上げる事が出来る程で、
才気は人に過ぎており、
呉中の子弟たちは皆、項籍を憚っていた。
(既に一目置かれる存在だった)
(註釈)
読み書きも剣術も途中でほっぽり出して
「一人ではなく万人を
敵とする術を学びたい」
と豪語する少年項羽。
子供の頃から壮大な気宇を具える一方で
物事に腰を据えて取り組むような
粘り強さに欠ける事も示唆しています。
豪華絢爛なる始皇帝の巡行を目の当たりにして
劉邦は
「男ならかくありたいものだねぇ」
項羽は
「俺があいつに取って代わってやる」
と漏らしていますが、二人の性格を
よく表している台詞と思います。
項梁おじさん、叱責はするものの
この甥のスケールの大きさを
頼もしいと思っていたようですね。
項羽はやがて
190センチほどの巨漢に成長し、
重い鼎を持ち上げる程の抜群のパワー、
常人を逸する才気で、周囲から
一目置かれる存在となります。
また、項羽は重瞠(瞳が二つある)
だったとする説があるそうです。
帝舜も重瞠であったために、
司馬遷は、項羽が帝舜の血を
引いているのではないかと考察しています。




