管仲 一、管仲と鮑叔
斉の桓公に仕えた宰相、管仲列伝。
孔子が、「管仲がもしいなければ
我々は蛮族の仲間入りをしてたぜ」
とのたまった人物です。
(と言いつつ、基本批判的
伯夷叔斉に次いで立てられた列伝、
さて、どんな方なのでしょうか。
1.
管仲夷吾者,潁上人也。少時常與鮑叔牙游,鮑叔知其賢。管仲貧困,常欺鮑叔,鮑叔終善遇之,不以為言。已而鮑叔事齊公子小白,管仲事公子糾。及小白立為桓公,公子糾死,管仲囚焉。鮑叔遂進管仲。管仲既用,任政於齊,齊桓公以霸,九合諸侯,一匡天下,管仲之謀也。
(訳)
管仲夷吾は潁上の人である。
少い頃は常に鮑叔牙と遊んでおり、
鮑叔牙は彼の賢さを知っていた。
管仲は貧乏で困窮しており、
いつも鮑叔を欺いていたが
鮑叔はずっと彼を厚遇し
(管仲が嘘ついても友達でいてくれた)
する事には口を出さなかった。
鮑叔が斉の公子である姜小白に事えると
管仲は公子の姜糾に事えた。
小白が立って桓公となるに及び
公子糾が死に、管仲は囚われた。
鮑叔は管仲を勧め遂せた。
(小白にかたくなに管仲を用いるべきと説いた)
管仲は登用され、斉国の政を任された。
斉の桓公が覇者となり、
諸侯を九合して天下を一匡したのは
管仲の謀によるものであった。
(註釈)
周の幽王が愚劣極まりない最期を迎え
西周がほぼほぼ滅亡したあと。
春秋時代に入っていきます。
時代の旗手である周王朝と姫氏が
往時の求心力を失った事で台頭したのが、
かつて太公望の封じられた地、
諸侯の中で最も力を誇っていた斉の国です。
そして斉の14代目、襄公が
なかなかに問題のある人物でした。
襄公は実妹と密通しており、
彼女は魯の桓公に嫁いだのですが、
桓公と妹が斉にやってきた際に
ふたたび致してしまったそうで、
その事が桓公に漏れてしまいます。
恐れた襄公はなんと
桓公を反対に殺してしまうという
無茶をやってのけます。ロクでもねぇ。
襄公があまりにも野蛮すぎるので
弟の小白と糾は亡命してしまいます。
襄公から冷遇されていた
従弟の公孫無知が彼を殺して取って代わり、
その公孫無知も怨恨に倒れてしまい
「小白」と「糾」のどちらを
新しい主君に立てるかという問題が浮上。
糾に付いていた管仲は
この機に小白の暗殺を目論みます。
毒矢を放つも、矢が
小白のベルトに当たってしまい、失敗。
けっきょく、小白が斉王として即位してしまい
こうなると管仲は下手人として
命を狙われる事になりかねなかったのですが
幼い頃からの親友の鮑叔牙が
「管仲を殺さずに用いるべきです」と
頑なに主張したために赦免され
小白に仕える事になりました。
(三家注)
【管仲夷吾は潁上の人である】
〈索隱潁,水名。地理志潁水出陽城。漢有潁陽、臨潁二縣,今亦有潁上縣。正義韋昭云:「夷吾,姬姓之後,管嚴之子敬仲也。」〉
(訳)
索隠によると、穎は水流の名称。
地理志によると、
穎水は陽城から出ている。
漢は穎陽、臨穎の二県を有しており
今でもやはり穎上県がある。
正義によると、韋昭はいう、
「夷吾は、姫姓の後裔で
管厳の子が敬仲(管仲)である」
「水経注」にいう、
潁水は潁川郡陽城県の西北、
少室山から出ている。
始皇帝の十七年に韓が滅ぼされ
その領土は穎川郡とされた。
【管仲は貧乏で困窮しており、いつも鮑叔を欺いていた】
〈索隱呂氏春秋:「管仲與鮑叔同賈南陽,及分財利,而管仲嘗欺鮑叔,多自取。鮑叔知其有母而貧,不以爲貪也。」〉
(訳)
索隠によると、呂氏春秋にこうある、
「管仲と鮑叔は共同で
南陽にて商売をしていたが、
利益を分けるに及んで
管仲は鮑叔を欺き、多くを自ら取った。
鮑叔は、彼に(老)母がおり
貧窮していた事から、
貪欲であるとは考えなかった」
【鮑叔は管仲を勧め遂せた】
〈正義齊世家云:「鮑叔牙曰:『君將治齊,則高傒與叔牙足矣。君且欲霸王,非管夷吾不可。夷吾所居國國重,不可失也。』於是桓公從之。」韋昭云:「鮑叔,齊大夫,姒姓之後,鮑敬叔之子叔牙也。」〉
(訳)
正義によると、斉世家はこう記している、
「鮑叔牙いわく、
『ご主君が斉を治めようとなさるなら
則ち高傒と叔牙で事足りましょう。
ご主君がさらに覇王を欲されるなら
管韋吾がおらねば不可能です。
韋吾の居る国は繁栄します、
(行く先々の国で重んじられます?)
失うわけにはまいりませぬ』
こうして桓公はこれに従った」
韋昭はいう、
「鮑叔は斉の大夫、姒姓の後裔で
鮑敬叔の子が叔牙である」
鮑叔の姓は姒、封地から鮑を氏とした。
諱が牙で、字が叔。ややこしや。
【管仲は登用され、斉国の政を任された】
〈正義管子云:「相齊以九惠之教,一曰老老,二曰慈幼,三曰恤孤,四曰養疾,五曰合獨,六曰問病,七曰通窮,八曰振困,九曰接絕也。」〉
(訳)
正義によると、管子はこう記している、
「(管仲は)九恵の教によって斉を相た、
一に曰く、老齢者(を労る)。
二に曰く、幼子を慈しむ。
三に曰く、孤児を恤む。
四に曰く、障碍者を養う。
五に曰く、鰥寡孤独を合わせる。
六に曰く、病人を問診する。
七に曰く、貧困者に通じる(通う?)。
八に曰く、被災者を救済する。
九に曰く、戦没者を接収する」
2700年前にして既に福祉の在り方を
説いている管仲……。
生活が立ちいかない人たちのことも
ちゃんと考えて政治に臨んでいた。




