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淡々史記  作者: ンバ
第六十一、伯夷列伝
166/274

三、天道、是か非か

3.

或曰:「天道無親,常與善人。」若伯夷、叔齊,可謂善人者非邪?積仁絜行如此而餓死!且七十子之徒,仲尼獨薦顏淵為好學。然回也屢空,糟糠不厭,而卒蚤夭。天之報施善人,其何如哉?盜蹠日殺不辜,肝人之肉,暴戾恣睢,聚黨數千人橫行天下,竟以壽終。是遵何德哉?此其尤大彰明較著者也。若至近世,操行不軌,專犯忌諱,而終身逸樂,富厚累世不絕。或擇地而蹈之,時然後出言,行不由徑,非公正不發憤,而遇禍災者,不可勝數也。余甚惑焉,儻所謂天道,是邪非邪?


(訳)

或る人は言う、


「天道は無私にして、常に善人に与する」


果たして伯夷はくい叔斉しゅくせい

善人と謂うべきか、否か。


仁徳や高潔な行いを積み重ねる事

かくの如くでありながら、餓死してしまった。


さらに、七十子の徒(孔子の弟子72子)で

仲尼ちゅうじ(孔子のあざな)はひと

顔淵がんえんを好学として推薦した。


然るに顔回はしばしば(腹を)空かし

糟糠そうこうを厭えずに夭折ようせつしてしまった。


天が善を施す人間に

報いるというのは、

それは、如何なものだろう。


盜蹠は日々無辜の者を殺し、

人の肝を膾とし

暴戻にして恣睢、

数千人の徒党を集めて

天下を横行したが

竟には天寿を全うした。


これは、どんな徳にしたがったというのか。


これはその、最も明らかにして

顕著なるものである。

(善人がばかをみて悪人がのさばる好例)


近世に至っては操行が不軌にして

忌避を犯す事を専らとしながら、

終身に渡って歓楽に耽り

富の厚きこと累代にして絶えない

(ような奴がいっぱいいる)。


或る者は地を選びながらこれを踏み、

時節を見て然るのちに言葉を出し、

行くときはこみちに由らず、

公正でない事に憤りを発さないにも関わらず、

災禍に見舞われた者は数え切れない。


余は(この矛盾に)甚だ戸惑っている。


いわゆる天道というものは、

正しいのか、間違っているのか?


(註釈)

孔子一門の天才・顔回がんかい

伯夷はくい叔斉しゅくせいのような高潔な人たちが

悲劇的な最期を迎えているのに

盜蹠のような悪党は天寿を全うした。


正直者が馬鹿を見て

クズが笑うような世の中の無情に

司馬遷は常々疑問を抱いていた。


司馬遷の生きる前漢の御代、

李陵りりょうは匈奴を相手に寡兵で戦い抜き

力尽きて降伏した。


武帝からあらぬ嫌疑をかけられた

友人の李陵を司馬遷は弁護したが、

これが武帝の逆鱗に触れた。


二択を迫られる。


このままくたばるか、

逸物を切って宦官として生きるか。


司馬遷は絶対思ったはず。


「そんな馬鹿な。

私は正しい事を主張しているだけなのに

なんなんだこの酷い仕打ちは?


お天道様が本当に見ているならば

こんな非道が罷り通っていいはずがない。

何人も殺している極悪人が

天寿を全うしている理不尽は何故か。

そもそも、天が正しき者を助く

などというのは、出鱈目なのではないか」



「天道、是か非か!?」


この命題は司馬遷から

こうして史記を手に取る読者への、

延いては人の世への問いかけなのである。


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