十三、紂王を倒す……やっぱ帰る!!(!?
13.
九年,武王上祭于畢。東觀兵,至于盟津。為文王木主,載以車,中軍。武王自稱太子發,言奉文王以伐,不敢自專。乃告司馬、司徒、司空、諸節:「齊栗,信哉!予無知,以先祖有德臣,小子受先功,畢立賞罰,以定其功。」遂興師。師尚父號曰:「總爾眾庶,與爾舟楫,後至者斬。」武王渡河,中流,白魚躍入王舟中,武王俯取以祭。既渡,有火自上復于下,至于王屋,流為烏,其色赤,其聲魄云。是時,諸侯不期而會盟津者八百諸侯。諸侯皆曰:「紂可伐矣。」武王曰:「女未知天命,未可也。」乃還師歸。
(訳)
(武王の)九年、
武王は畢に於いて先祖の祭祀を行った。
兵を整え、東行して盟津へと至ると
文王の木主(位牌)を作り、
それを中軍の車へ載積した。
武王は自ら「太子発」と称し、
文王(の遺志)を奉りて
(殷を)討伐するものであって、
自らの専断ではない事を宣言した。
かくて司馬・司徒・司空といった
諸々の持節(専断権を持つ配下)に
「身だしなみを整え、
謹んで(我が言葉を)信じよ!!
予は無知であり
先祖の遺徳・臣下が有ってこそ
(身を立てていけるの)だ。
少子は先王の功績を受け、
こうして賞罰を明確にし、
その功を定める!」
と告げると、とうとう師を興した。
師尚父(太公望・呂尚)が号して述べた。
「爾らの衆庶(手勢)と舟楫を取り纏めよ!
後から到着した者は、斬り捨てるぞ!!」
武王が河を渡ると、中流にて
白い魚が王の舟の中に躍り入って来たので
武王は俯いてこれを取り、祭った。
渡河した後、上流より火の手があり
(炎が)再度下って武王のもとへと至ったとき、
流れて鳥となり、色は赤く、
その鳴き声は「魄」といった。
(炎が鳥になった?)
この時、諸侯のうちで期せずして
盟津に会同した者は八百名おり、
諸侯らは皆、こう述べた。
「紂王伐つべし!!」
武王は言った。
「汝らは天命を知らぬ、
今はまだその時期ではない」
かくて師団は帰還した。
(註釈)
武王
「先王の事業は俺が継ぐ!
みんな、着いてきてくれ!」
↓
太公望
「すぐに黄河を渡る準備をしろ!
遅れたやつは叩っ斬る!」
↓
中流にて白い魚が!
↓
渡河し終えると赤い鳥が!
↓
居合わせた諸侯たち
「今こそ紂王を討つ!!」
↓
武王
「お前らに天命がわかるか!
今はまだその時じゃない!」
↓
武王
「解散!」
いや、紂王倒す流れだったじゃん!!!!?
誤訳してるのかと思いました。
白い魚と赤い鳥って
そんなに縁起悪かったのかな。
周の文王の死から9年経っても
ふつうに存続している紂王政権。
イメージよりずっと長持ちしてます。
トータルの在位は30年ほどに及ぶとか。
伯夷・叔斉は最後まで
周の武王が不義理であるとして
周の禄を食もうとはせず、
餓死する道を選びました。
周側の都合で悪者になってるだけで
紂王って言うほど暴君じゃなかったのかも。




