王立図書館 2
本というものは読み書き出来る者が一冊一冊写し書いたものであるため非常に高価だ。
貴族位にあるものでも読み書きできない者はざらにいるし、そういった貴族は知識階級奴隷か代々そういう役目を持った従士を仕えさせている。
それでも伝達手段は何かしらの形で文字を認めた物でやり取りするし、長い歴史を記録するのには巻物や書本が使われる。
さらに古い時代は石板というものになるが、さすがに図書館には置いていない。
精々記された文字や絵を写した書物があるくらいだ。
そんな本がジャンル分けされて並べられた棚の名札を、ウルールは確認するように歩いていた。
何を目的にしているのか見当もつかない。
ヴァスティタ国立図書館は、主に貴族の調べ物をするために建てられたもので、娯楽を目的としたものはほとんどない。
つまり冒険者や魔法詠唱者が自分の旅を面白おかしく描いた小説や、吟遊詩人の歌はなく、国の歴史に関わる資料や、各貴族たちの家紋や家系図、標語の記された物ばかりだ。
英雄譚は建国に関わることや、魔法資料、庶民の娯楽資料として所蔵されている。
最近ではヒノモト国の棚が出来たのだったか。
彼の国の英雄譚もそうであるが、独楽や竹トンボといった玩具などの情報も収められている。
ホーリィも街中で実物を見たことがある。
独楽を紐で巻いて投げると、地面に落ちてもギュンギュン音を立てて倒れずに回る様は興味深い。
同時に放った二つの独楽を紐を引っ掛けてぶつけ、どちらが力強く回っているかを競うという発想もおもしろい。
竹トンボはあのなんともみょうちくりんな物体が、羽虫の風切り音を上げて空へ飛ぶのを見たときは呆気に取られた。
他にも食材やその調理方法などが書き記されているので、異国の料理を学びたいと貴族に懇願して同行してもらう料理人もいるのだとか。
そういう知識欲に駆られた者にとってここは宝の山であり、娯楽施設に近いのかもしれない。
とはいえ、ウルールが図書館といえばもっぱら英雄譚に関するものばかりだったし、どちらかといえば本から学ぶよりあっちこっちで聞いて回ったり、実物を見て楽しむタイプだ。
わざわざここへやってきて、資料を漁るというのは妙な行動と言えた。
しばらく歩きまわった後、ウルールは立ち止まる。
目的の文字が書かれたプレートを見つけたらしい。
書棚の奥へと消えた。
足音をさせないように近付いてプレートを見ると、首をかしげてしまう。
ラトレス資料。
水の王国ヴァスティタの北部、ラトターナ侯爵領に関わるものが並べられた棚だ。
ラトレスは6大都市の一つであるが、ヴァスティタ建国前は湖の乙女の信仰を主とした騎士団の拠点地だった。
北西の高地では放牧が盛んで、羊毛の輸出国としても知られるラトレスは、ロードスと同じくヴァスティタ建国と同時に参入した。
オストアンデルへ最初に積極的な援助をしたともされ、暴走を始める難民の安住地を作るためだったとも言われている。
今では北の大森林の古代森妖精とオークに睨みを利かせる武闘派貴族だ。
さらに北には大山岳地帯を抜ける峡谷街道があり、亡国ゴルソドムと北方の死の大地へと続いている。
600年前の不死者軍団の侵攻を遅れさせた天然の要害で、英雄マースが第一陣を食い止めた地でもある。
領地の史料から英雄譚の魔法に関する情報を調べているんだろうか?
我が妹ながら、なかなかに抜け目がない。
口元がついにやけてしまうが、慌てて一文字に結び直す。
ふと、呪文じみた声を耳が捉えた。
声の元はウルールだ。
資料片手に指を走らせながら、軽快なリズムでなにかを口ずさんでいる。
調べ物をするのに単語を声に出すとは、警戒心が足りていない。
人気の少ない図書館といえど、周りに人が居れば情報の垂れ流しだ。
もしも自分が間者であったなら――いや、現実にウルールがなにを目的にやってきたのか追ってきたのだから間者だ。
やはりまだまだウルールはウルールのようだ。
先ほどとは違う笑みが浮かぶ。
それにしても、と額に手を当てて首を再度傾げる。
「あっぷるじんじゃあ、まとんらむらむじんぎすかん」
なぜ食材の羅列を口ずさんでラトターナ領主の家系図を見ているのだろうか。
ウルールが口にしているのは確か、ラトターナ領の郷土料理だ。
リンゴと生姜を利かせたタレに漬けた羊の肉を、野菜と一緒に鉄板で焼いたものだったか?
料理の名前は、ジンギスカン。
屋台広場でもいくつかの店があったはずだ。
魔法の修学に姉が悩んでいるというのに、妹は北部人の郷土料理検索とは……。
夕食にジンギスカンでもしようというのだろうか?
ヘレナに提案するとなるとレシピを用意した方が説得は楽だろう。
ほやっとした空気を持つ姉ではあるが、アレで結構頑固なところがある。
野菜と肉のバランスだとか細かな必要栄養素を計算しているとか言っていた。
いや、待て。
英雄シューが食べたいと言ったとしたらどうだろう?
トーガはシューにかなり甘い。
ベッタベタだ。
師メネデールに勝るとも劣らない甘やかしぶりだ。
求められれば夕食のメイン料理でさえ譲り与えるし、デザートは一口も食べないうちからせがまれるままに与えていた。
……甘やかし過ぎではないだろうか。
決してうらやましいわけではない。
絶対にうらやましいわけではないが、振り返るとトーガに対して感謝の言葉もなく頷くだけで、彼は満足そうだった。
なにがそうさせるのだろう。
実の娘というわけではないようだし、命預かる幼子への献身というものは通り越している気がする。
幼子趣味の変態なのだろうか?
これから魔法の手ほどきを受ける相手がそうであることは望ましくない。
喉から手が出るほど欲しい技術だが、戸惑いは隠せないだろう。
覚えている限りでは、彼の視線に性の興奮を得た様子はない。
我が子の成長を喜ぶ若き父親と言われれば、妙に納得してしまう距離感はある。
記憶を取り戻す依頼を受けての二人旅だったようだが、昨晩の夕食の席順もシューを上に置いた。
これは親子であるならおかしい並びだ。
「あ、ホーリィ」
いつの間にか考えることに夢中になって見つかってしまった。
気持ちを切り替えるように咳払いし、姿勢を正す。
不思議そうな顔をするウルールを眺めているのも悪くはないが、黙っていて変な憶測をされても困る。
こういうときは先手必勝だ。
「アンタ、こんなとこでなにやってんのよ」
「ちょっと調べ物」
「こんなところで調べ物以外なにするってのよ。なんでラトレスの家系図を見てるのかって話」
「あー、うん。そうだよね」
少し困ったような顔をした。
この表情をするときは、話すべきか迷っているか、どうウソを吐くべきかを考えている。
「家系図が見たかったわけじゃなくて、気になる……そう、気になる単語を探してたんだよ」
「単語? さっきの食材の羅列が?」
「……うん?」
分厚い家系図の載った書を抱きかかえて、小首を傾げた。
「ジンギスカンは郷土料理でしょ」
「あれ?」
なにか変なことを言っただろうか?
しばらく視線が上へ向いたウルールが、納得がいったように声を上げた。
「あー、それかぁ!」
「は?」
「どこかで聞いた覚えがあると思ったんだ。アップル、生姜、羊肉に子羊肉か!」
話がかみ合っていないのはわかった。
こういう時は自分の中の情報を整理しているため、今話し掛けても無駄だ。
うんうんと頷いて目を閉じるウルールを待った後、反応が出来そうな頃合いに注意をしておく。
「とりあえず声が大きい。ここは図書館よ」
「あ、うん。ごめんねホーリィ」
「ジンギスカンがどうしたの?」
「うんとね。魔力が見えるようになる呪術があるって聞いて、それを調べてたんだけど」
「……ヴェルフラト先生が?」
「あー。うんと、ちがうんだけど、そんな噂を聞いて」
「歯切れの悪い。ハッキリと喋りなさい」
「ホーリィは嫌がるだろうけど、二人の力になりたくて……」
どこの誰からの情報かはわからないが、魔力を目視出来る呪術魔法の噂を聞き付けてやって来たらしい。
そんなものあるはずがないのに。
もしもそんな呪術魔法があれば、現代魔法を研究する魔導師が放っておかないし、発表すれば魔法史に名を残す大偉業だ。
この子なりに姉の力になろうと思ってくれていたのだろう。
うれしくもあるが、情けなくもある。
「……そう」
「その呪文が”あっぷるじんじゃあ、まとんらむらむじんぎすかん”だって聞いて。聞き覚えがあるなぁってここに。」
「わかったわ」
姉は常に先を歩き、妹を導くべき立場だ。
ふがいない姿を晒して心配されるからこうなる。
ウルールはまだ魔法を覚えて間もないのだし、学ぶのを楽しく感じている時期だ。
興味や集中力が高まっているこの時期にこそ、自分の心配をすべきなのだ。
だから言わねばならない。
「ウルール。アンタの姉は妹に不覚を取るような間抜けじゃないわ」
「……一つしか違わないよ?」
「それでも姉は姉よ。心配するなんて100年早いのよ」
「100年経ったらヘレナもホーリィも死んじゃってるよ……」
「あ……」
ウルールはエルフだった。
ヒト種族なら100年は到達できないものの代名詞で成り立つが、長命な妖精種族のエルフの感覚では10年かそれ以下だ。
100年後を想像したのだろうか。
ウルールの目が少しうるんでいるように見える。
ええい、ここは勢いだ。
「とにかくアンタは他の心配なんてしてないで、次の属性魔法について悩んでればいいのよ」
「あー。確かに属性魔法って難しそう」
「上級魔法を習得したら、この姉が教えを請うてあげるから、全力で学ぶといいわ」
「……上級魔法って混成だよね。属性二つを同時になんやかんやするとかちょっと想像つかないよ」
「当たり前よ。そんな簡単にコツが掴めるなら私たちが苦労してるわけないでしょ。こっちは属性の基礎は出来てるんだから、アンタなんてすぐに追い越すことになると思うわ」
「ホーリィはいつも無駄に自信たっぷりだよね」
「姉の嗜みよ」
「ヘレナはおだやかだよ?」
「あれは姉としての余裕がそうさせるのよ」
「……姉って大変だね」
ウルールは絶対にそんな立場にはなりたくないと眉を下げて言う。
これでいい。
姉は妹のやる気を引き出して、導いて、支えてやる責任がある。
泣かせていいのは先に逝った時だけだ。
ヘレナの母、ブレンダはそう言っていた。
「それで、ヴェルフラト先生はどうしたのよ。アンタ一緒にいたんじゃないの?」
「トーガさんたちは司書の人とかに話を聞くって」
うれしそうに半分溶けたような顔で言った。
「アンタさ。自分の師を”さん”付けで呼んでるの?」
「あー。私も言ったんだけど、トーガさんが”様”は目立つからってダメだって」
一応弟子としての訴えはしたようだ。
言葉遣いというのはとても大事だ。
形式に沿った言葉遣いによって上下関係を意識させ、時間がそれを自然なものにする。
貴族の振る舞いも、庶民とは違うのだと下階級層に意識させるためのものだ。
小汚くだらしない主人より、美しく見栄えのする主人の方が仕えるに値すると思うのが心情だ。
そういう主人が時折働きを褒めるからこそ家臣は心打たれるし、普段頭を下げない者がここぞと言う時に下げるから感心を引ける。
ウルールもわかっているのだろうが、天真爛漫な町娘然とした振舞いが抜けない。
ルットジャーを継ぐ立場にないとはいえ、少々自由にさせ過ぎただろうか?
「まぁ、うちの血統の師はメネデールさまと決まってるしね」
突然ルットジャーの血統の者が見覚えのない人間を師と敬えば周りがうるさいだろう。
魔術師組合などは――組合長もそうだが、あの生意気なリンは噛みついてきそうだ。
未だにアイツのセリフは忘れられない。
命の恩人であるウルールを引き合いに出して弟子に入ろうなどと、腹の立つ。
一番腹が立つのはウルールだ。
バカにされたことも忘れて、アイツの活躍をうれしそうに語る。
「ホーリィ、なに怒ってるの?」
「うるさい」
「変なホーリィ」
自由な妹を持つと苦労する。
腕を組んでことさら大きなため息を吐いて見せたが、ウルールは笑うだけだ。
まあ、しょげた顔を見るよりはいいか。




