商人ボレール 2
男の第一印象は温厚な冒険者。
ピエルの情報の通りに、外套の質を見るにそこそこの品だ。
ただし、外套の下は別だ。
一瞬なんの変哲もない革靴に見えるが、キレイすぎる。
一般的に革靴といえば、品種や生産地によって多少の違いはあれども、正しい手入れによって長く使える牛革製が人気だ。
貴族から冒険者、普段はサンダルを愛用する王都庶民も一足は持っている。
彼の外套の具合から、相応の旅路を経験しているのだろうが、革靴は不釣り合いなほどにキレイだった。
商売を知っている男かもしれない。
宿屋の主人を始めとし、交渉に長けたあらゆる商売を営む者は、まず最初に相手の足元を見る。
人間の疲れは足元から表れるため、靴の痛みや靴底の減り具合を確認するのだ。
早く休みたい心理を逆手にとって、料金を上乗せする。
その点から見て、彼が交渉用の一式を持っていると判断出来る。
ただの従士かと思っていたが、どうやら違うらしい。
ルットジャー氏族の三女が相手かと思ったが、本当にこの男が交渉主なのかもしれない。
つい口の端がつり上がってしまう。
「ようこそおいで頂きました。ワタクシがボレール商会の主人、ボレール・ローンゲップです」
大げさに両手を振って頭を下げると、彼は微笑んだ。
余裕のある男だ。
慌てて挨拶を返すわけでもなく、驚きに目を丸くするでもない。
「お久しぶりです。ボレールさん」
「お久しぶりでございます。ウルール様。最近お声が掛かりませんでしたので、忘れられてしまったのかと思いました」
「まさか。ボレールさんには興味深いお話をたくさんしてもらいました。小麦相場や骨とう品のお話は大変勉強になりました」
背筋をピンと伸ばして顎を引いた立ち姿は実に絵になる。
ライトグリーンを基調にしたオレンジイエローのグラデーションが入ったサリーをまとう姿は実に美しい。
交渉事に外見は重要だ。
誰しも心惹かれるものを前にすればゆるみが生じる。
それが美男美女であれば、心象を良くしようと動いてしまう。
美貌も経済力も才能も人格も、すべてを含めて”魅力”なのだ。
そこをゆくと彼女、ウルール・サラーサ・エルフィンは一級品だ。
容姿は申し分なく、スレンダーなスタイルにまとわせる衣装センスもかなり研ぎ澄まされている。
今日の召し物は季節に沿った色合いで、派手過ぎずに明るい空気を演出していた。
さすがはエルフィンの青果を取り仕切るララーナの娘と言える。
昔、青果取り引きに乗りだした時に彼女の母、ララーナ・サラーサ・エルフィンには何度も煮え湯を飲まされた。
愛嬌ある仕草で軽快に商談を進め、隙に付け入れば罠に誘い込まれていただけだったり、罠に嵌めたと思ったら嵌っていたりと、ひどい目にあった。
最終的に協定を結んで収益を伸ばす結果は得られたが、商人としては完全な敗北と言えた。
そのときの彼女の言葉がわすれられない。
”あなたと遊ぶのはとても楽しかったわ。今日からはパートナーね!”
いつか勝利したいものである。
そんな彼女の影がちらつくからか、ウルールを相手にするときは気合いが入る。
「お母上ほどではありませんが、情報にはそれなりに長けていると自負しておりますゆえ、またなにかございましたらぜひお尋ねください」
「はい。遠慮なく頼らせていただきます」
さて、そろそろ本題へ移るべきか。
彼の挨拶を待つべきか。
笑顔を張りつけて、男をチラリと見てウルールの反応を待つ。
するとすぐに察して、彼女は男の方へ手を指し向けた。
「本日はこちらの、トーガ様のお買い物の案内で参りました」
”トーガ様”と来たか。
ルットジャー氏族の大事な客人ということか。
しかも姫君自ら案内となると特別なのだろう。
覚えをよくしておいた方がよさそうだ。
「申し遅れました。
トーガ・ヴェルフラトです。
こちらはシュー」
影に隠れるようにしていたフードを深く被った幼子が姿を現した。
6歳くらいだろうか?
会釈のように頭が小さく縦に振れた。
それだけだ。
随分無口な娘だ。
甘やかしているのだろうか?
それにしても、ヴェルフラトか。
聞いたことのない家名だ。
冒険者らしい風体だが、トーガという名も覚えがない。
偽名の可能性もある。
ルットジャーかエルフィンが独自に繋がりを持つ、砂漠の国の貴族かもしれない。
そんな推測を立てる中、ボレールの目は見逃さなかった。
外套からチラリと覗いた二人のローブの見事さを。
一級――いや、特級品だ。
驚きが表情に出ていないだろうか?
自然と伸びた手が頬を揉んだ。
「立ち話もなんですから、こちらのソファへどうぞ」
「お気遣いに感謝します」
落ち着いて話を聞いてみたい。
何者なのかを知りたい気持ちに駆り立てられる。
もしもあの衣装が交渉用であっても、かなりの金を持っている客ということになる。
それに席へ促せば、外套の下を堂々と見ることが出来る。
「トーガ様、外套をお預かりします。ほら、シューちゃんも」
「ああ。ウルール、ありがとう。
でもシューはそのままでいい。
フードをかぶっている方が落ち着くんだ」
「そうなんですか? 覚えておきますね」
「ああ、よろしくたのむ」
言葉を失った。
6大貴族のルットジャー氏族の三女とは言え姫君だぞ。
英雄メネデール公の愛弟子で、あのララーナの娘だぞ。
それを小間使いだと!?
「どうかされましたか?」
「い、いえ……」
国王ですら一目置く血統2家の宝とも言える結晶の娘、ウルール・サラーサ・エルフィンを知らぬということはあるまい。
この男何者だ?
トーガと名乗った男が外套を脱いで渡すと、目の自由を奪われる。
白地のローブは滑らかな輝きを湛え、嫌みにならない程度に金刺繍が施されてある。
シルクにも見えるが、わからない。
それに薄紫の装飾布に描かれた紋章はなんだ?
流水に……スミレか。
そんな家紋はない。
ただのデザインなのか。
いつのまに座ったのか、トーガの隣りにはすでにウルールとシューがくつろいでいる。
それほど見惚れていたということか。
慌てて手を叩き、室外に控えていた奴隷のノーネに飲み物を運ばせる。
「失礼いたします」
挨拶の後、ノーネは給仕車を押して入室した。
奴隷と言えど、得意客を持て成す場に相応しい身なりをさせており、礼儀作法もみっちりと仕込んだ娘だ。
所作も無駄はなく、奴隷と知らなければ貴族の三女か四女の奉公だと勘違いする者は多い。
飲み物はピエルから聞いたときに準備させていたもので、グラスもしっかりと冷えていた。
「お初にお目にかかりますトーガ様。シュー様。
ウルールさまにおきましては、ご機嫌麗しく存じます。
不作法ながら紅茶を用意いたしましたので、ごゆるりとお楽しみください」
「ノーネも元気そうだね」
「ボレールさまからお慈悲を賜りますので、私はいつも健やかに職務へ従事できるのです」
「そうだね。ボレールさんはいい人だもんね」
鯱張るノーネに対してウルールは朗らかに言った。
元はウルールが頻繁に連れられて来るころに、丁度いい話相手として買い入れた奴隷だが、見栄えもよくなかなかに重宝している。
特にウルールと商談を持つときは、同席させると話はスムーズに進む。
「失礼しました。トーガ様のご衣装に時を忘れてしまいました」
「私もあちらに目を奪われていましたので、お互い様です」
「ほう。トーガ様の目を引く品とはどれのことでしょう?」
内心で握り拳を作ってほくそ笑む。
目立つ所に置いた甲斐があったというものだ。
「あのネックレスはなかなか面白い」
「ああ、あれですか。さるお方からご依頼を頂きまして。セリス様へ贈られる品だとか」
ウルールの耳がピクリと大きく揺れる。
釣れた。
これでウルールの意識はノーネとネックレスで散漫になる。
これにこの男を巻き込んでしまえば、商談を一段階大きく出来るはずだ。
「集光石を使っているのですね」
「お目が高い!
トーガ様の仰る通り、このネックレスには魔宝石の集光石が散りばめられておりまして。
夜の帳の中であろうと美しく輝くようになっているのです」
「……もしかして千年祭の演目で使われるんですか?」
「さすがウルール様。鋭くていらっしゃいます」
「それじゃあれは、豊穣の女神の首元を飾るものなんですね!」
「その通り。想像してみてください。
千年祭のメインイベント最終日。
ヴァスティタ建国を宣言するガラーテ王の仰ぐ先に、豊穣の女神様がご降臨するお姿を」
ウルールはうっとりとした顔をしている。
きっとセリスの登場を夢想しているのだろう。
予定通り、計画通り。
もろ手を上げて商談成功を喜びたい気分だ。
「私たちも英雄譚演劇を楽しみにしています」
「……います」
ウルールとは違い、二人の反応は社交辞令ともとれる淡白さがあった。
トーガは微笑んでいるが、冷静さが窺える。
娘は握り拳をつくって意気込みを見せるが、フードを深く被っているので表情は読めない。
なぜだろうか。
自分の思う通りに話が運んでいるはずなのに、この不気味さを覚える空気は。
程良くほぐれた空気を作ったはずだが、そうなるよう誘導された気分だ。
笑顔を崩さず、トーガへ向き直る。
「番頭から伺ってはいるのですが、ミスリルをご希望だとか」
「ええ。少しばかり必要でして、こちらであればすぐにご用意頂けると聞きました」
「いかほど御入用でしょう?」
「170グラムほど」
「ひゃっ――!?」
驚きに声を詰まらせたのはウルールだった。
純ミスリル製のレイピアを作るには足りないが、170グラムとなるとかなりの量だ。
全身鎧でもコーティングするのだろうか?
いいや、それよりも注目すべきはその価格だ。
ミスリル170グラムといえば、単純計算すれば白金貨7枚に金貨4枚強。
オークションへ臨むに足りない額ではあるが、近い。
全額先払いということはあり得ない。
初めての取り引きをする相手にそんな要求をすれば、変なうわさが立つのは明白。
この商談を大きくする必要がある。
「なにかをお造りになられるご予定でも?」
「ええ」
コーティングではないか。
ミスリルで170グラムとなると、装飾品というのもないだろう。
複数個だとしてもかなりの数だ。
そうなると、小武器か小手あたりか。
要望を聞いて囲っている職人を使えば、なかなかの額になる。
「もし武具製作のご予定でしたら、腕のいい職人に心当たりがあります。
お任せいただけるのでしたら、ウルール様のご紹介もありますし、大きく勉強させていただきます」
どうだ?
「いえ。当てがあるのでそちらは問題ありません」
ハッキリとした拒絶の意思がある。
ダメか?
もう少し粘ってみるか?
そんな思案をしていると、トーガが懐へと手を伸ばした。
「前金はこれで足りますか?」
そう言ってソファの前のテーブルに置かれたのは、白金貨6枚だった。
「……あ。え?」
頭の中が真っ白になる。
トーガの隣りに座るウルールも不思議そうにしていた。
「これで足りると思うのですが」
彼の言うとおりだ。
白金貨6枚は、まさに今、毛皮のオークションで足りない軍資金そのものだ。
これを受け取れば白金貨14枚に届く。
「う……あ。その」
言葉にならなかった。
すべて見透かされたと背筋が寒くなる。
なぜわかった?
毛皮の蒐集家という情報や500キロ級のイノシシの情報は用意に手に入るだろう。
だが、金策で足りない額面など、誰にも話していない。
偶然か?
いや。あれは確信を持った目だ。
表情は出会ったときと変わらぬ笑顔であるが、してやったりというララーナが重なる、敗北を強く感じさせる目だ。
これが偶然ではないと商人の勘が言っている。
本当に何者だ?
「主、ボレールに代わりましてお礼申し上げます」
なにかを感じ取ったノーネは、頭を下げて応えた。
本来なら主人の商談に奴隷が口出しするなど許されるはずがない。
しかし、ノーネはボレールの望む言葉を口にした。
ボレールも震えるように小さく何度も頷いている。
トーガは満足そうに微笑んだ。
すべてが予定通りに運んだと言う表情だった。
「ええ。商品の準備が出来ましたら、メネデール公の邸宅まで使いをください。取りに来ますので」
「承りました」
「ウルール。シュー。お暇しましょう」
呆気に取られていたウルールが慌てて立ち上がり、トーガの外套へと手を伸ばす。
振り返るとノーネが手を振っていた。
友人を見送る顔だった。
「ボレールさん、また来ます。
ノーネもまたね」
「はい。それでは後日」
恭しく頭を下げるノーネの隣りで、ボレールは返事も忘れて静かにテーブルの上の白金貨を見つめていた。