商人ボレール 3
ボレール商会を出てしばらく。
三人は第三階層区画の中央通りを歩いている。
目的地は屋台広場に隣接する露店市場。
元は王都民が不用品を売買するための場所であったが、今ではそのほとんどが冒険者の中古装備の売買や、駆け出しの工房職人が名前を売るためのものとなっている。
ボレール商会から歩いて向かうには少々遠いが、定期馬車に乗るほどではない。
ウルールは陽射しを避けるように、サリーを頭からかぶっていた。
一目で高貴な出の娘であることのわかる色鮮やかなサリーとその歩き姿から、すれ違う人間の視線がよく集まる。
親に連れられた子供からの憧れともつかない興味から目が合い、ウルールはその都度手を振って微笑んだ。
ヴァスティタ貴族の嗜みである。
「やはり一度戻って着替えるべきでしたか?」
「いえ、たまにはこういう貴族としての振舞いもしておかないといけませんから」
ウルールの普段着ているサリーもそれなりに値の張るものではあるが、王都民のイメージは快活なエルフの娘に留まっている。
ルットジャーの姫君はあまり貴族然とした振舞いを善しとしない家風であるため、王都民からの覚えはいい。
ヘレナは食材や日用品の購入に自ら出向いたり、豊穣の女神の神殿の奉仕活動に参加している。
ホーリィは氏族の代表として各組合へと足繁く通い、関係の維持・強化に努めている。
ウルールは好き勝手に狩猟や交流を楽しんではいるが、ルットジャー氏族のイメージを向上させていた。
領地を持つ貴族は、生まれながらにして責任が発生する。
領民に安全な衣食住と仕事を与え、栄えさせるという責任だ。
ルットジャー領のルセイスは6大貴族が管理する都市では最も後発であるが、250年での発展は凄まじく他に後れを取らない栄えぶりだ。
エルフの後援もあるが、青果と乳製品の商業利益は大きく、王都の食に革命を起こしたのは大きい。
商業組合との繋がりを重視し、魔術師組合には一部の魔法技術供与。
ルットジャーとエルフィンの地位は盤石不動のものとなった。
とはいえ、親しまれることは好ましいが、度が過ぎれば侮られる。
そのためこうした商談や交渉事を理由に貴族らしい振舞いをすることが、氏族の決まりになっていた。
そんな方針を打ち立てたのも英雄ヒーネで、英雄譚演劇で慈悲深く、知的に演じられている理由の1つだ。
ネームセンスはひどいものであったが――とウルールは声に出さずに付け加えた。
「ところで……」
チラリと周囲へ目を配ってから、疑問を投げかける。
「トーガさん。あれでよかったんですか?」
「ええ。上々です」
「値切り交渉もまったくしませんでしたし、私が同行した理由がよくわからなくて」
ウルールにもいくつかの理由はわかる。
ミスリルは超希少鉱石であり、理由もなく抱えたがる商人はいない。
大きな商会であれば、得意客の要望に迅速に応えられるようある程度確保しているが、突然現れた素性の知れない客が相手となると断られるのが当たり前だ。
駆け出しの冒険者は出来合いの安物か、今向かっている露店市場で掘り出し物を求めるが、金回りがよくなった中堅冒険者や貴族は、職人が多くいる工房地区や顔の広い商会へ頻繁に足を運ぶ。
専用の特注品を望む場合は得意客となっておくのが常識で、希少材料が必要となると持参しない限り難しかった。
逆に希少材料だけを購入するとなると、相当に吹っ掛けられる。
トーガがボレール商会へ赴くに至った経緯も、それを理解した上でのものだった。
事実ボレール商会で追い返されなかったのも、大得意先の氏族の娘が自ら案内したからで、無茶な値段のつり上げも回避出来た。
しかし、トーガが挙げた希望する商人の条件はどうにも妙だった。
1つ。ルットジャー、もしくはエルフィンと懇意にしている商会主。
2つ。商会を一代で築いた人物で、商人としての経歴が長い。
3つ。流行に敏感で、見栄や外聞を大事にする。
4つ。特定の物を蒐集する趣味があり、それが毛皮やはく製であればなおよし。
これに該当するのが、ボレールだった。
特に趣味は完全に一致しており、人物像を詳しく話すとトーガは静かに思案してから頷いた。
それからいくつかの立ち振る舞いと言葉づかいについて指示があり、ああいう運びとなった。
「どうして前金で白金貨を6枚も?」
「彼とは今後よい付き合いをしたいと思ったからです」
トーガは軽快に答えたが、すべてでないのはわかる。
新たな師は、時々言葉が足りない。
メネデールのように意図した沈黙とも取れず、困惑することがある。
前金ではなく、全額前払いの方が印象はよかったはずだ。
それにトーガはハッキリとした理由を持って6枚の白金貨を差し出したように見えた。
ボレールの反応がそれを物語っている。
「毛皮蒐集を趣味としている商人はわかります。でもなぜ商会を一代で築いた人物で、流行に敏感で、見栄っ張りなんですか?」
「希望する商人の条件の話ですか」
「はい」
真剣な眼差しで見つめる弟子に、少し悩むそぶりをしてから、トーガはいつもの笑顔で口を開いた。
「一代で商会を築くというのは、相当な才能と努力が必要です。
個人商店ではなく、多くの人間を使うわけですしね。
そしてそれを長年維持するには、部下からの人望を得なければ成り立たちません。
特に水の王国という環境では」
「ヴァスティタでは?」
「脅すという手法を善しとしない国風だからです」
ヴァスティタの民は、国教で豊穣の女神への感謝と畏怖を幼いころから触れる環境にある。
英雄譚だ。
建国が描かれている《オストアンデルの大森林創生と建国》の冒頭には、女神の怒りの凄まじさが強調されている。
栄華を極めた大国を一夜にして滅ぼしたこと。
国だけでなく、青々と茂る作物が土へと還り、水は枯れ、大地は死んだようになにも育てない荒野へとなり果てた。
大国で暮らす人々は飢えた難民となり、安住の地を求めて大陸中へ散ることになる。
助け合うように固まって移動する者はほとんどいなかった。
衣食住を突然に取り上げられた人間が、人間でなくなることを思い知らされたからだ。
先日まで笑顔を突き合わせていた隣人が、時間とともに変貌してゆくのを経験した。
騙し、奪い、犯し、殺し、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
オストアンデルが現れ、湖の乙女の助力を得て豊穣の女神の試練を乗り越えるまで、その荒んだ難民たちは描かれている。
ガラーテがヴァスティタの建国を宣言し、降臨した豊穣の女神が”加護”を約束して間もなく、城壁と同時進行でジェーネクラモール劇場が建設された。
建国の経緯と豊穣の女神への強い感謝と畏怖を語り継ぐことを目的として、だ。
同じ歴史を繰り返さないためのガラーテの思惑がそこにあり、1000年の間娯楽としても親しまれてきた英雄譚は、人間の教育としても役に立っていたのだ。
衣食住のある環境に感謝し、奪わず、犯さず、殺さずの法を守る国民の教育。
そんな国民は人間であることを重要視し、繋がりを無視した強要をとても嫌う。
主従の関係は、信頼が前提にある。
そのためヴァスティタの文化では、他国と比べて奴隷商人の価値観はかなり違った。
商品、財産として扱うのは同じだが、人間の権利を認めている。
食事と健康の管理水準が設けられ、取り引き価格も飛びぬけて高かった。
その文化と法を理解せずにヴァスティタで開業した奴隷商人は、例外なく滅ぼされる。
唯一生き残ることの出来た者は、開業を前にした逃亡奴隷のおかげで今では名誉商人だ。
ウルールはトーガのいう国風について納得し、頷いて見せる。
「流行に敏感であるということは、商業投資のフットワークが軽く、支出が多いことを意味します。
商売で収益が確認出来るまでには時間がかかりますし、
彼の応接室には、季節に合わせた絵画などの美術品が飾られていました」
ウルールの記憶にあるボレールの応接室は、毎回景色が違う。
母に連れられていたときは、次はどんな美術品が並んでいるかわくわくした。
ノーネはそれらを詳しく説明してくれ、楽しい時間を過ごした記憶の多い場所だ。
「さらに6大貴族の御用達商人にまでなるというのは、小さな信頼の積み重ねを怠らなかったということ。
そういう人物は信頼の喪失を最も恐れ、見栄を大事にするのです」
言われてみれば、母ララーナからボレールの失敗の話は聞いても、約束を破った話は聞かない。
パートナーにするには惜しいが、パートナーとしては申し分ないというのが母の言だ。
かなり彼を買っていたという意味なのはウルールにもわかる。
ボレールは相手を楽しませる話題を常に用意するやり手だ。
今日もそれを理解していながら、見事にはまってしまったという自覚があった。
セリスの話題はずるい。
もしもあれが個人での交渉事で足を運んでいたら、散々とまでは言わないが甘い判断の商談をしていたに違いない。
「つまり、はした金に目がくらんで築き上げたものを水の泡にはしない。
情報の収集は積極的にするでしょうが、自らが漏らすことはないと言っていいでしょう」
「トーガさんの情報を漏らさないということですか」
「ええ。口の軽い商人との取引きは避けたかったのです」
確か”名が売れると困るからです”だったかな?
なぜ困るかの具体的な理由はわからないが、名前が売れることを避けている。
冒険者組合に登録しないのも、魔術師組合や商業組合と関係を持たないのも、それが理由だったはずだ。
なんだったろう?
確か、”歴史書”だったか。
弟子となった今なら、聞いてもいいんだろうか?
尋ねようかとやきもきしていると、トーガと目が合った。
「もう少し実力が付いたら話しましょう」
「え?」
「私が非効率な活動をしている理由が知りたかったのでしょう?」
「……声に出てましたか?」
「顔には出ていましたね」
サッとサリーを深く被って視線を隠した。
トーガはサリー越しに頭をなでて、笑う。
「メネデール公にも止められましたし、わが身を守れる術を身につけられたら話しますよ」
「……はい」
それなりに内心を読まれない術を母から仕込まれたが、どうにも顔に出てしまう。
昔、ムキになって仮面をかぶって母とゲームをしたが、ことごとく見抜かれた。
仕草にも出るよと言われてサリーを被ったが、あっさりと看破され、声や会話のリズムの変化も表情の一つであると知った。
だからといってすぐに改善できるはずもなく、父には「表情豊かな娘はかわいいよ」と慰められた。
メネデールからも「今は身も心も成長期だから気にする方がダメだ」と言われたが、負けたままというのはおもしろくないのだ。
「話を戻しましょう」
目をトーガへ向ける。
彼の商談術が、それを勝利へ導くきっかけとなると信じて。
「今は千年祭の準備期間で、仕事熱心な商人はそれなりに投資をしている時期です」
「王都民の財布の紐がゆるむ時期ですしね」
「王都は普段からゆるむ環境だと思いますよ」
目的地が近付き、露店市場に隣り合う屋台広場からほんのりと香辛料の匂いが漂っている。
シューがトーガの外套を引っ張ってアピールを始めた。
なにか食べたくなったらしい。
「かもしれません」
「シュー、なにか見つけたら教えてください」
「……おしえます」
持ちあげられた顔には、すでによだれがこぼれていた。
”かいじゅう”再びだ。
握りこぶしをつくって、周囲を何度も確認しながら先頭を歩き始めた。
トーガは忙しなく動くシューの頭を目で追いながら、話を再開する。
「そんな支出の多い時期に、毛皮やはく製の蒐集を趣味にしてる商人が
”大陸史上最大のイノシシの毛皮”という耳障りのよい情報が飛び込んできたらどうでしょう?
しかも見栄っぱりで、一度競りで敗北した経験を持っている商人です」
「なるほど。でも資金の流用をするってことですよね?」
「流用はすれども、信頼を裏切らない結果を出すのなら、こちらとしても都合がよいのです」
「なぜですか?」
「貸しを作れるからですよ」
「……あー」
「感謝と敬意を持って今後相対してくれるなら、よいパートナーとなってくれるとは思いませんか?」
納得の理由だ。
確かに資金流用は褒められた行為ではないが、ボレールは約束と実績を長年重ねてきた商人だ。
しかも納品物にケチがついたことはない。
高くついたなどと揶揄する声もあるが、それは商談の段階で負けた者の言葉だ。
支払い額が気に入らなければ、その席で言うべきなのだ。
商談が成立して計画が動き出し、商品を受け取った後で価格について文句を言うなど、取引きをする資格はない。
彼は契約を順守しているのだから。
「ついでに言うなら、彼は大きな商談の最中でした」
「ネックレスですね」
トーガは微笑んだ。
「あれは相当な投資となったはずです。
会話の中でオークションの軍資金に心許ない焦りも感じられた。
だから値下げは必要ないのです」
「でもどうして6枚なんですか?」
「170グラムはこちらの都合ですが、相場価格を計算した彼の顔は”偶然の一致”に対する驚きを一瞬見せました」
それにはウルールも気付いた。
ボレールにしては珍しく、素直に表情が出過ぎていたので、むしろ演技かと疑ったくらいだ。
しかし理由を知っていればなんのことはない。
喉から手が出るほど欲しい蒐集物を前に、商人よりも蒐集者の顔が表に出たというだけの話だ。
セリスの話題が出たつい先ほどの自分と同じなのだ。
よくわかる。
「その後に囲っている職人の話が出たので、前金としてそれだけの額面になるよう動いているとわかったのです」
「どうして前払いにしなかったんですか?」
「全額では運が良かったと解釈されるでしょう?」
「外れてもよかったと?」
「オークションまではまだ間がありますから、ピッタリでなくとも足りるようになるでしょう。相手にどう解釈させるかが大事なのです」
トーガの答えに感嘆のため息しか出なかった。
そして彼が自分の師であることを幸運に思う。
たくさんのことを学べる偉大な師だ。
ウルールの足取りはまたひとつ軽くなり、貴族にあるまじきスキップをする姿を晒してしまう。
その日の夕食時にそれを伝え聞いたヘレナに注意され、ホーリィに罵られて後悔することになるが、今は知る由もない。




