商人ボレール 1
夏の日差しを拒むように、カーテンで閉じられた部屋。
壁にはいくつもの絵画が掛けられているが、部屋の主の趣味というわけではない。
商売をする上で、悪趣味にならない程度の美術品を飾ることが重要だからだ。
商人として目が利くということ。
流行りに敏感であるということ。
羽振りのよさを匂わせること。
得意客を招く応接室にはこれらを表わす小道具が必要で、季節や客の趣味に合わせて模様替えをするのも、商談を進めやすくする奥義と言える。
自分の趣味を満喫するのなら、応接室でなく蒐集部屋へ行けばいい。
そこにはいくつもの自慢の品が飾られ、一日を費やしても足りないくらいの数と執着が詰め込まれている。
もしも叶うならば、数日をそこでダラダラと過ごしたい。
それが出来ないのが商人のつらいところだ。
商売を始めたばかりのころ程ではないが、休日などを作っている暇はない。
得意先の都合で呼び出されたり、番頭らの報告書の確認に、抜き打ちの倉庫確認や、不意の事故で品が遅れたときの対応と、やることは腐るほどある。
細々とした仕事を番頭らに任せても、それらを管理するのは結局は自分なのだ。
趣味に明け暮れる日々に憧れながら、価格相場や顧客のご機嫌伺いに時間を費やす。
それが彼、ボレール・ローンゲップの日常だった。
そんな彼が千年祭を前にして、最大の窮地に立たされていた。
商売は軌道に乗っている。
千年祭の投資の回収見込みは十二分にある。
もしもの事故に備えた補填金も確保している。
上得意の顧客の心をさらに掴むためにかなりの無理はしたが、希望に見合う品も完成している。
魔法付与によって、並みの金庫以上の強度を誇るガラスケースに納められた、ネックレスを忌々しげに見つめた。
これは千年祭のメインイベント、オストアンデル英雄譚演劇で使用されるものだ。
利益は決して少なくない。
むしろ破格と言っていい取り引きだ。
用意した商人としての名声も、かなりのものとなる。
ではなにが問題なのか?
それは、商品の受け渡しも、代金の受け取りもまだ先だということだ。
千年祭が終わるころには、資産は倍近く増えているのは間違いない。
それに見合うだけの投資はしてきたし、誤った判断だとは思わない。
ただ、昨日飛び込んできたニュースを耳にした時、大きな後悔を過ぎったのは確かだ。
”大陸史上最大のイノシシが倒されて王都へ持ち込まれた”
毛皮の蒐集を趣味とするボレールにとって、歓喜と同時に苦い記憶を呼び起させる情報だった。
以前の400キロ級イノシシの毛皮で競り負けた好事家商人こそが、このボレール・ローンゲップだ。
オークションの敗北は、商売でも響いた。
最終的に白金貨9枚にもなった高額商品だが、彼を揶揄するのは”金貨1枚”だ。
”金貨1枚足らずのボレール”
大きな取引をする商人にとっては、まさに汚名だった。
これを商売の席でしばらく耳にすることになり、笑顔で応対する裏で奥歯は随分とすり減ってしまった。
今度は逃したくない。
蒐集品のオークションは、商人として重要な評判や見栄を守る戦いだ。
しかも”大陸史上最大の毛皮”という何んとも甘美な響きを持つ代物。
530キロ級という情報を耳にして、着の身着のまま館を飛び出して確認に向かったほどだ。
駆け付けた先で見たあの巨大の毛皮の見事さといったらどうだ?
商談用の高価な衣服であったことも忘れ、跪いてしまった。
店主ハブッチの話によれば、凄腕の拳闘士が無駄のない一撃で仕留めたため、体に傷が一つもついていなかったというのだ。
あり得ない。
刀傷や矢傷のない、魔法による焼け跡すらない毛皮。
奇跡の一品だ。
軍資金として白金貨14枚は欲しい。
補填金には手は出せない。
目的の品を手に入れたとて、千年祭までに事故を補填する金がなかったとなれば名声に傷がつく。
不景気な噂が流れるだけで足を引っ張る世界だ。
売掛金の回収に駆けまわるような真似もできない。
かといって、毛皮蒐集家として知れ渡っているボレールが、オークションに不参加というわけにもいかない。
汚名の上塗りだ。
むしろこの機会にあの汚名を完全に払拭したい。
しかし本来あったゆとりは、目の前のネックレスに注ぎ込んでしまっている。
ネックレスの受け渡しも、代金の受け取りもオークションが終わった後だ。
絶望的な状況だった。
「くそっ! どうしてあのとき調子に乗って高額な提案をしてしまったのだ!」
元凶のネックレスを睨みつける。
ガラスケース越しには、希少金属をまとわせた大粒の宝石群が、誇らしげにその身を輝かせている。
カーテンを透かすわずかな光を拾い集める魔宝石は、舞台で話題となることは間違いない。
豊穣の女神の首元を飾るに相応しい。
工房組合長からも、最高の仕事が出来たと喜ばれた。
ボレールもそう思う。
依頼主であるスレイモンも、きっと大はしゃぎすることだろう。
名声は確実に得られる。
一流の商人として、名を残すことになるだろう。
だがこのままでは、毛皮の蒐集家として三流の烙印が押される。
欲を出したからこうなるのか?
まさに後悔は先に立たずだ。
頭を抱えていると、ドアがノックされる。
「旦那様、少しよろしいでしょうか?」
鉱石を担当する番頭ピエルだ。
わざわざボレールの元へやってくるということは、やっかいな品を求められたと言うことだろう。
工房組合を通さず、そんな鉱石を求めてくるとなると余所者の可能性は高い。
「構わん。なんだ?」
「失礼します」
入室したピエルの表情は優れない。
今朝見たときは血色がよく健康そのものだったが、苦虫をかみつぶしたように顔のパーツがしわくちゃに寄っている。
それなりに経験を積んで交渉事にも長けたこの男が珍しい。
「何者だ?」
「はぁ、その……冒険者らしき風体の客なのですが」
「何だ? 歯切れの悪い。それが商人のあるべき姿か? わしが番頭にしたのは目利き違いか?」
「いえ! 決してそのような!」
背筋をピンと伸ばしたピエルは、いつもの締りのある顔をしていた。
「外套の質はあまりよいようには見えないのですが、お連れの方の一人がルットジャー氏族の姫君なのです」
ボレールは弾かれるように顔を上げた。
上得意客の一族だ。
急いで応接室に招きたいところだが、ピエルはなにか言いたげにしている。
店員に相手をさせて来ているだろうから、慌てることはない。
ピエルが得た情報を整理して迎えた方が心象も悪くないはずだ。
「どなただ?」
「ウルール様です」
美術品にもかなり目の利く三女か。
確か情報では、英雄譚が好きで、女優セリスの大ファンだったはずだ。
ちらりとネックレスを見る。
これはあえて見える場所に置いておく方がいいだろう。
執務机の少し右側に寄せて、入室時に目に入る位置がベストか。
話題に持ち込めば、商談は上々の空気になるだろう。
「なにをご希望されているんだ?」
冒険者の風体をした同行者は、姫君が案内した旅人ということはないはずだ。
ルットジャーの従士と見ていいだろう。
そしてわざわざあの英雄の血統の姫君が鉱石を求めるとなると、武具の特注品か。
三女と言えばまだ成人前であるから、姉への贈物の可能性はある。
次女への贈物ならば、レイピアで強度と柔軟性の相談。
長女への贈物ならば、魔法の小杖だ。
王家から下賜された一級刀剣を多く所蔵するルットジャー氏族の、しかもあの三女が家族へ送る品となると、工房組合長に相談するのが自然なはずだ。
となると、後者の小杖。
しかし、魔法に適した木材が手に入るエルフィンである三女が、わざわざ鉱石店へ現れるくらいだ。
素材としてアレを求めにきたと見るのが正解だ。
「魔法銀――ミスリルです」
「ほう……やはりか」
北部の山岳地帯にあるドワーフ鉱山のモーリア坑道産出の特殊銀。
銀に近い性質を持ちながら、非常に軽く、丈夫。
鋼を遥かに上回る硬度を持ち、魔法伝導率の高さから、戦士職だけでなく魔法詠唱者にも人気の素材だ。
武器のコーティング素材として使われることが多く、防具に使用することが出来る者は極めて限られる超希少金属だ。
その単価、1グラム大銀貨にして4枚強。
ルットジャー氏族が扱う武器であれば、コーティングではなく純ミスリル製ということも十二分にあり得る。
小杖とはいえ、純ミスリル製となればかなりの取り引きになるだろう。
いやいや、純ミスリル武器の製作を前提とした在庫確認の可能性もあり得るか。
ミスリルは軽さと丈夫さで見れば、レイピアには最適だ。
そうなればかなりの大取り引きだ。
自然と笑みがいやらしく歪んでしまう。
うまく話を持って行けば、お抱えの工房鍛冶師や彫金師を使うことになり、近日中にかなりの前金を受け取ることになる。
そうすればオークションの軍資金に回すことが出来る。
あまり褒められた行為ではないが、使いこむわけではない。
すべてが済んだら支払い以上の商品を渡せばいい。
さすがに全額は賄えないだろうが、それなりに穴を埋める資金となることは間違いない。
ボレールは陰鬱とした先ほどまでの空気を吹き飛ばすように、カーテンを開いて声を上げた。
「お通ししろ!」