師匠 4
時間は、ウルールが自室で眠りにつき、妹を心配するヘレナとホーリィが退室したところまで遡る。
リビングルームで二人、顔を突き合わせる形で座っていた。
シューはすでにソファで横になっている。
客室への案内を断り、液状型魔法生物を枕にして眠り始めたのだ。
正確に言うなら、スーが寝袋のようにシューを包んでおり、巨大な蓑虫となって転がっていた。
トーガの説明によると、快適な温度を保つ魔法道具に勝る寝心地を提供してくれるらしく、シューは最近アレでしか寝ないそうだ。
自分たちの英雄譚時代では場所を選ばずだったが、随分贅沢を覚えたようだ。
しかし彼女の習性――というには妙ではあるが、最初の旅の同行者から離れないという点は変わっていなかった。
ヒーネに同行していたときも、甲斐甲斐しく世話を焼いていたというのもあるのだろうが、懐くとは違う明確な側にいる意思を持っていた。
風呂の世話もしていたと知った時は、ヒーネの幼女趣味を疑ったものだが――とメネデールは小さく笑う。
今回のシューも、トーガにべったりと離れない。
これはメネデールに、ひとつの確信を深めさせる情報だった。
彼、トーガ・ヴェルフラトは、次代の英雄譚の英雄になる人物だ。
オストアンデル英雄譚にも幼き導き手は存在する。
メネデールはうっすらとではあるが、それもシューだったのではないかという推測を持っていた。
シューとの再会で可能性を改めて考え、トーガの旅の内容を聞いて期待が高まり、ウルールを導いて魔法を習得させた瞬間に確信を深めた。
さらにこれは、実力者たちと相対した経験が積み上げた勘だが、トーガ・ヴェルフラトは自分より高みに立っている。
初対面で一触即発の空気となったとき、彼は一切動じなかった。
まるで赤子が寝返りを打つのを見たようなおだやかさは、そういう領域に立つ者の特徴だ。
盟友ヒーネ・ルットジャーが持つ妙な存在感を彷彿とさせる。
実際に見ていなくとも、彼が一撃で大イノシシを仕留めることなど想像に容易く、社会的にはロッタル侯爵が認めるだけの実力を有している。
それに魔法の極致、だ。
詠唱を必要としないマニュアル――無詠唱魔法を知っているだけのように話してはいるが、その領域にすでに踏み入っているとみていいだろう。
そうでなければ、彼の誘導によってウルールの魔法が発動しているはずがない。
あのときにやっていたのは、どう聞いても世間話だった。
にもかかわらず、ウルールは周囲に無数の神秘の光の集約を発生させ、魚群……〈魔法の川魚〉を発動させた。
衝撃を受けたメネデールを始め、ヘレナとホーリィも魔法の過程を試したが、うんともすんとも言わない結果に終わった。
トーガによれば、魔法には詠唱が必要という”常識”が邪魔をしていると言う。
特にいくつもの魔法を習得して長くなるメネデールは、無詠唱魔法の開花の可能性は低いと断言された。
悔しいことにこの無詠唱魔法というのは、魔法に関わらない人間が夢想する”魔法使い”というイメージに近い。
例えば、水属性魔法。
詠唱によって魔力を水へと具現化し、望むタイミングで魔法の名を鍵に発動する。
同じ魔法でも使用者によって威力が違うのは、魔力の維持や変化で無駄に消費してしまうのが原因らしい。
飲み物の入った容器からコップへ移す時に、傾け方や狙いが下手であれば中身がこぼれてしまうのと同じだ。
入れ過ぎても必要な魔力量は決まっているので無駄になるし、少なすぎても威力は期待できないし、最悪の場合は発動すらしない。
これに〈魔法強化〉を併用することで威力を2倍に高める手段がある。
当然同じ魔法であるため、魔法詠唱者の熟練度によってその差はさらに広がる。
しかしトーガのマニュアル魔法であれば、望んだ量の水を正確に作り出し、なおかつそれを思うがままに形を変えたりして操ることが出来る。
水が踊ると比喩するのではなく、本当に水を踊らせることが出来てしまう。
〈魔法強化〉に頼らずとも、自在に威力を加減できる。
まさに”魔法使い”だ。
現在ホーリィは、”神の贈物”の《魔力自在》でほとんど無駄なく発動させることが出来る。
これは本来の魔法の威力をそのまま再現出来るということを意味し、逆にいえば、現在習得している魔法の威力向上は期待できないことになる。
つまりは頭打ち。
ヘレナは突出したものこそないが、難航している回復魔法の足掛かりとなることは間違いない。
より可能性の広がる選択肢が目の前にあるのならば、師として選ばせてやりたかった。
「それでお話というのは?」
トーガはこちらの内心を知ってか知らずか、笑みを絶やさぬままだ。
実を言うとトーガの笑顔は苦手だ。
妙な存在感という類似点も手伝い、盟友ヒーネを思い出す。
似ても似つかない顔の作りではあるが、時折見せる仕草が重なることがあった。
悩む時に首を右へ傾げて、あごを触る手の角度。
話す時に一拍子置く呼吸。
シューの食事をフォローするタイミング。
偶然にしては出来過ぎているようにも思えた。
ヒーネも不思議な男だった。
名もない魔法詠唱者として現れ、気弱そうな笑顔で話す癖に、意見を言うときは確信を持っているかのようだった。
普段は流されるように生きる優男が、大きな使命を持って踏み出す時は誰よりも勇敢だった。
ヒト種族であるにもかかわらず、王族にも堂々と意見し、精霊や女神を相手にして一歩も引かなかった姿は印象的だ。
だから英雄として認めた。
だから惹かれたのだ。
「腹の探り合いというのは苦手なので、本音をそのままお伝えしましょう」
メネデールはトーガを正面に見据えた。
「どうかあの子らの師となってもらいたいのです」
「嫌です」
間髪入れずの即答だった。
師弟の関係を迫れば断られる可能性が高いことはわかっていた。
一生涯の関係だ。
むしろ断られるのは当たり前なのだ。
しかしこれほどの早い応答は予想していなかった。
一番驚いたのは、願いを「断る」のではなく、「嫌だ」と感情を口にしたことだ。
なにか彼の気に障ることをしていたのだろうか?
自分の行動を振り返るが、思い当るところはなかった。
迎えた時に一触即発の空気となったのは、もう決着した話だし、彼も納得してくれた。
それとも彼の断るときの口癖がたまたま「嫌」なのだろうか?
彼の提供していた知識と技術は、現代魔法においては奥義をも超える秘義だ。
むしろ自分たち4人をそれなりに認めてくれているからこそ、伝授してくれたのではと思っていた。
「理由をお聞きしても?」
「私は歴史学者であり、英雄譚の研究者です。旅してまわる場所も少しばかり労を要するので、弟子を取る環境に適してはいません」
「足手まといとなる弟子では困る、ということですね」
「有り体にいえば」
「では王都に居る間、食客として我が邸宅に滞在中、気が向いたときに家庭教師となって頂けませんか?」
「家庭教師ですか……」
こちらが本命だ。
去年のゼシオンの情報に興味深いものがあった。
ロッタル侯爵の護衛である人狼族の戦士、クラブス・ルガルデニを赤子のようにいなした食客が滞在していたという情報だ。
これはゼシオンが直接現場を見たのではないが、クラブス本人から聞いた話なので信憑性は高いだろう。
獣人族の戦士は共通してプライドが高く、負けた話などを冗談で聞かせることは絶対にない。
しかもクラブス・ルガルデニと言えば、砂漠の国での冒険者時代”血風”の名で知られるA級チームを率いるリーダーで、王都レウノアーネにも届いている。
その”血風”が冒険者を引退後、ロッタル侯爵の護衛隊として働いていたわけだが、腕試しに挑んで手も足も出なかったというのだ。
奥の手こそ使わなかったが――と話すが、それは憧れの英雄に握手をしてもらった少年のような語り口だったという。
しかしその相手の名前は頑なに喋らなかった。
その矛盾の理由は今なら分かる。
”名が売れると困るからです”
トーガの希望だったのだろう。
ロッタル侯爵直筆の旅上身分証明を持つ人物が王都へ現れたと聞いたとき、もしやという思いはあった。
予想が正しければ、トーガ・ヴェルフラトはロッタル侯爵の三男坊の家庭教師をしたその人物のはずだ。
どんな経緯で彼が家庭教師となったのかはわからないが、師弟を提案してからの妥協点としては悪くないはずだ。
「もしなにかお望みのものがありましたら、応えられる限りなんでもしましょう」
「なんでも……ですか」
悩むように閉じられていた目が薄く開かれ、チラリとこちらを見るトーガにドキリとした。
一瞬品定めされたのでは、と脳裏をよぎったからだ。
金銭の利益にあまり興味を持たないという情報と、英雄譚に強い興味を持つという理由からそういう趣味の持ち主ではないかと勘繰った。
閨で強者を支配をしたいと思う輩は男女に関わらず多くいる。
子孫に強者の血を入れたいと思うのも当たり前のことだ。
別にそれはいい。
容姿にはそれなりの自信はある。
エルフ特有の整った顔立ちに、シミ一つない白く長い四肢。
エルフらしからぬ乳房のふくらみは、男の視線をよく感じた。
ルットジャーの可愛い弟子たちからも、向けられたのは十や二十ではきかない。
トーガに求められたらどう応えるべきか。
差し出すべきか?
可能ならば一度実力を量りたいところだが、肌で感じる強者の空気は申し分ない。
高い知性と強靭な肉体を備えた男だ。
容姿も悪くなく、身長も自分より少し高い。
ケチのつけどころはほとんどなかった。
強いてあげるならば、彼の性格をまだ掴みきれていないことだ。
男女の関係に興味がないわけではない。
むしろ族長の血統の立場から、相応以上の実力を持つ子種は喉から手が出るほど欲しい。
しかしそんな理由でよくお互いを知りもしない二人が付き合うなどと……。
そんな逡巡に支配され、気がつけば顔はゆであげられたように熱くなっている。
「……なるほど」
トーガのその声に、勢いよく顔を上げそうになる。
なにがどう”なるほど”なのかわからなかった。
妙な盛り上がりを頭の中を繰り広げていたのを覗かれでもしたのだろうかと考えるのは、混乱しているからだ。
「家庭教師の件承りましょう」
「ほ、本当ですか?」
「テストに合格すれば弟子入りも認めます」
予想以上の応答に言葉を失った。
それは予想より大きな代価を求められる可能性が高まったと言うことだ。
なにを求めるのだろう。
知らず知らずのうちに興味が移っていた。
この瞬間に自分の運命が決まってしまうかのような緊張があった。
「だ、代価になにを差し上げれば……?」
後半は言葉にならなかった。
いつもこうだ。
男女を意識した話をしようとすると、舌が回らない。
だからあのときも彼に言えなかった。
そしてあっさりとかっさらわれてしまった。
苦い思い出が過ぎり、眉をしわくちゃにしてしまう。
英雄メネデール・イスナ・エルフィンには相応しくない顔だった。
「かわいらしい姿の英雄が見れました。代価はそれで結構です」
彼のその答えに、恥も外聞もなく立ちあがってしまった。
少し驚いたように見つめるトーガが視界に入り、慌てて背を向けた。
「あ、明日からよろしくお……お願いします」
「メネデール公」
「……なんでしょう」
「おやすみなさい」
「……はい。旅の疲れをゆっくり癒してください」
眠るシューを寝袋ごと抱き上げるトーガを背に、足早にリビングを出た。
メネデールはこの後、制御できない感情のまま自室のベッドに飛び込んで、枕に顔をうずめて眠った。




