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彼女の愛した英雄 ~銀翼のシルフィード~  作者: 相坂 恵生
第一章 千年王国の祭典
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師匠 2


「そういえば大丈夫ですか?」


 トーガの唐突な心配に、ウルールは顔を上げて首をかしげた。

 会話の流れから四つん這い姿のことでないのはわかる。

 ラファナスも不思議そうな顔をしている。

 昨晩の出来事を振り返っても、心配されるような出来事はなかったはずだ。

 魔法の成功で浮かれていたのは自覚しているが、奇行も奇声も上げていなければ、千鳥足を踏む真似もしていない。

 精々早めにベッドへもぐりこんだくらいだ。


「初めて魔法を成功させた反動は人それぞれですが、魔法回路が構築される影響で熱を出す場合がほとんどです」


 トーガのその言葉に、二人の姉の寝姿がよみがえった。


「ああ! じゃあ今朝の二人って」

「あなたを心配して見守っていたようですよ」

「……色々と納得しました」


 魔法詠唱者マジックキャスターの常識では、魔法を初めて習得すると、魔力の放出する体の部位に魔法回路が作り出されるらしい・・・

 らしい・・・というのは、有力な諸説はあれども、確信に至らないのが理由だ。


 魔法回路とは、魔力を溜めて魔法にする作業場のようなもので、一般的には両腕がそれを担う。

 しかし物理的に肉体が変化しているわけではない。

 ではなぜそこに魔法回路が構築されたのかわかるかというと、その部位から魔法が発せられ、初めて成功した日に高熱を出すからだ。

 高熱が出る謎は未だ解明されていない。


 ほとんど魔法詠唱者マジックキャスターの道を諦めていたところに魔法が成功したウルールは、そんな当たり前の常識をすっかり忘れていた。

 むしろぐっすり眠れていたために高熱が出ていた覚えはなく、着替えの際の寝間着を見るに、ひどい汗をかいていた様子もなかった。


「ホーリィに悪いことしちゃったな……」


 今頃寝相の悪いホーリィはシーツの中でもがいているかもしれない。

 あとで謝ろう。


「魔法回路は精神体に刻まれるものですから、肉体がそれに引っ張られて、生存本能が自然治癒力を高めてしまうんですよ」

「そうなんですか?」

「精神体が痛みにも似た刺激を受けるため、脳が肉体の怪我だと勘違いして治そうとする。しかし治すべき怪我はないので、過剰に送られてきた生命力が小さな暴走を起こす」

「暴走……」

魔法詠唱者マジックキャスターの素質が高ければ魔力に。戦士の素質が高ければ闘気にその場で変換され、精神体のその部位はエネルギーの転換作業場として適したものに作り替えられます」


 初めて聞く説だ。


「それも遺跡の解読や研究で辿りついた情報なんですか?」

「これは私の師から教わったことです」

「トーガさんも師匠がいるんですね」

「もちろんです。彼から正しく広い基礎を学ぶ機会があったからこそ、今の私があります。

 まあ、私の技術や生き方のほとんどは、彼の物真似にすぎませんけどね」


 困ったような笑顔で言い切った。

 戦う姿――あれを戦うというのかは少々疑問だが、あの大イノシシを一瞬で圧倒した実力を持ってこの謙虚さは驚きだ。

 夕食の時にホーリィから上がった話題では、冒険者らから謎に包まれた英雄級の拳闘士などと噂されている。

 そんな当人がこんな発言をしたと聞いたら、きっとため息を吐いてこう言うだろう。

 英雄は英雄たる人格を備えている――と。


「トーガさんは闘技とうぎだけでなく、魔法も習得されているんですよね?」

「闘技? あー、そうですね。どちらもそこそこ使える程度ですが」

「……そこそこ?」


 的確な助言アドバイスに、あの実力で?

 いくらなんでも謙遜が過ぎるのではないだろうか。

 それとも、彼にそうさせるだけの実力を師匠が持っているからなのか。

 とても興味引かれる。

 ウルールの見立てでは、大叔父のゼシオンに勝るとも劣らない能力を持っているはずだ。

 いいや、どちらかというと底がしれないトーガに軍配が上がる。

 英雄メネデールの威圧に物ともしない胆力を目の当たりにしているからだ。

 ゼシオンや当主である祖父サイオンが、同じ状況下であの傲慢とも思える平常心は保てない。

 牙を剥いた猛獣が近づけば生存本能が逃げろと悲鳴を上げるように、ハッタリにも限度がある。

 体が震えるのだ。

 恐怖心は膝を折り、腰を抜かして身動きを取れなくさせる。

 昨日の大イノシシの一件で、それは身に染みてわかった。

 今思い返すと、笑顔で応対するトーガにはうっすらと寒気を覚えるほどだ。


「トーガさんの師匠ってどんな人なんですか?」

「私の師匠ですか?」

「はい。すごく興味あります」


 素直に尋ねるとトーガはあごに右手を当てて、

「そうですねぇ」と記憶を振り返るように首をかしげた。


「人をからかうのが好きで、変な物を作ったりして驚かせる”骨”です」

「骨?」

「魔法、闘技、錬金術と子供のあやし方を教わりましたが、未だにどれも勝ったことはありません」


 やせ細ったひょうきんな人物像しか浮かばない情報だった。

 ただ印象的なのは、トーガがその人物を尊敬しているということだ。

 何を挑んでもお手上げだとうれしそうに笑っている。


「もしかして英雄譚に謳われるような方なんですか?」

「まさか。彼は悪戯の種をばらまいて、弟子に収穫させることを楽しむだけです。俗世の揉め事には興味があるだけで、手は出しません」

「……尊敬して、いるん……ですよね?」

「ええ。それは間違いなく」


 表情を曇らせるトーガに確信は揺らいだが、答える声はおだやかな風吹く快晴を思わせた。

 付き合うのに手間は掛かれども、憎めない相手と言うのはいるらしい。

 メネデールにとってはウルールの母ララーナがそれに当たり、困らされた出来事を愚痴半分に笑って聞かされた。

 お酒と父が絡まない話は、眉根を寄せていながらもどこか楽しそうだった。

 トーガのそれと似ている。


「お名前を窺っても構いませんか?」

「”骨”です」

「……尊敬して――」

「ええ。しています」


 なにか言えない事情があるのか、親しみをたっぷり込めた愛称なのかわからないが、トーガにしては珍しく話し相手の言葉尻を奪った。

 笑顔に凄味を感じるのは、きっと好奇心で探っている後ろ暗さがあるからに違いない。


 高名な魔法詠唱者マジックキャスターには変わり者が多く、プライドも高い。

 不出来な弟子に自らの名を口にさせるのを嫌う者はかなり多いし、

 逆に出来の良すぎる弟子を見て「自分も」と頭を下げてくる者が増えるのを嫌う者も少なくなかった。


 弟子に取るというのは、生活の面倒を見ることも含まれる。

 よほどの才能や見込みのある者でなければ取ったりはしないし、断るというのも手間が掛かる。

「頷いてくれるまでここを動かない」などという、居座りの常套句じょうとうくが出るからだ。


 事実、メネデールが王都レウノアーネに常駐するようになった200年前には弟子入りを志願する者は多く、国の警備兵と魔術師組合が動くことになった。

 ウルール自身も、7年前にメネデールへ弟子入りを願った少女を見ている。


 ツテや権威にすがって教わることは出来るが、その場合は”家庭教師と生徒”という関係になる。

 この世界において”師匠と弟子”と”家庭教師と生徒”では、大きな隔たりがあった。


 師匠は生活の面倒を見てその道の生き方を授け、家庭教師は雇用の関係だ。

 なにより、情報の共有性――教わる情報の希少度が違う。

 弟子が師匠の研究に助手、又は同格として参加する共同研究はわりにある話だが、生徒では家庭教師の研究資金提供者パトロンになるのが精々だ。

 選別くらいはしているのだろうが、トーガのように研究結果や過程を話すなど、異例中の異例と言えた。


 しかし、家庭教師は師匠に比べてかなりの格落ちではあるものの、高名な人物の名を挙げられる肩書きが影響力を持つのも確かだ。


 トーガが師匠の名を伏せる理由がどんなものかはさておいて、ウルールは迷いを振り払うように何度もうなずいて見せた。

 正直ちょっと怖かった。


「あの……」


 無言の空気から逃れるように、なにか別の話題をと口を開いた。

 するとトーガが先んじて興味深いことを口走った。


「ウルールさんの魔法回路は両腕に肩、額と唇にもあるんですね。これは珍しい」

「え? 魔法回路が見えるんですか?」


 魔法回路の構築で、肉体に変化が出るわけではない。

 とある国では回復魔法を惜しみなく使い、犯罪者に魔法を覚えさせてその前後での変化を確認するという、身の毛もよだつ実験が繰り返された記録がある。

 トーガの先ほどの”精神体”に魔法回路が構築される影響であると話す通り、肉体には一つとして変化は見つからなかったという。

 精神体を見る”神の贈物ギフト”などというものがあって、それを持っているのだろうか?


「精神体というのは人格を司るもので、肉体と同じ姿形をしています。

 この精神体の核となるものは頭に宿り、それは不死者アンデッドも同じです。

 生命として機能していない動死体ゾンビが、頭を砕かれるとただの死体に戻るのもこれが理由です」


 王都周辺では滅多に見ないが、国境の西部ロッタル領や北部ラトターナ領からはよく聞く話だ。

 英雄譚でも首をねると活動を停止する動死体ゾンビが描かれており、

 スケルトンは頭蓋骨を砕かねばならないなどの相違点はあれど、”頭をどうにかする”ことが倒す条件だった。


「幽霊の類は精神体そのものですしね」

「あれ? そうなんですか?」

「信仰系魔法は精神に直接作用するものだから、不死者アンデッドに特効があるわけです」

「あー。なるほど。すごい納得しました」

「それと同じで、精神体はある程度心掛ければ見ることが出来ます。

 昨日も魔法を誘導したときに見えている・・・・・と言ったでしょう?」


”今、私の目にはあなたをやさしく覆うエネルギーが見えます”


「え? あれってイメージさせるためのものじゃ……」


 トーガは相好を崩して首を振った。


「訓練次第で生命力や魔力、闘気を目視することは出来ますよ。昨日もメネデール公のほとばしる魔力を感じたでしょう?」


 戦意を露わにしたメネデールの髪の毛が、魔力に逆立っているのを思い出した。

 攻撃意思を伴う濃密な魔力は、ピリピリと肌で感じることができた。

 けれどあくまで魔力が見えていたわけではない。

 風がカーテンや草木を揺らしたり、砂を巻き上げることで存在を確認できるのと同じで、”見える”と比喩するだけだ。


「五感で情報を拾い集めるのと同じですよ。少し感覚を研ぎ澄ませばいいのです」


 トーガはこともなげに言う。

 大陸でその確信を持っている者がどれほどいると言うのだろう。

 トーガのもたらす情報は、魔法に携わる者からすれば金銀財宝が土塊つちくれに思えるほどだ。


「私はてっきり呪術魔法を使ったのかと思いました」


 色々な疑問が一気に解けて、ゆるんだのだろう。

 ポロリと夢の中の情報を口にしてしまっていた。

 別に隠す必要はないが、メーは身分を隠していたために口外すべきでないと感じていたのが理由だ。


「ほう。よくそんな呪術があると知っていますね」


 トーガの声にびくりと肩が跳ねた。

 体の反応は本能的だった。

 ほんの一瞬。トーガの目が笑っていないように見えた。

 心臓が掴まれたと思わせるその目に、返事が出来なくなってしまった。

 空気の重さに息をするのもままならず、視線を反らすことを許さない。

 時間を止めて意識だけが加速するようなその感覚は、ぞくりと背筋を痺れさせた。


 しかし、そんな空気を破ったのもまたトーガだった。


「それはさておき、せっかく庭へ出てきたのですから、目的を果たしてはどうでしょう?」

「あ……」


 息が出来る。

 その一言に尽きた。

 他のことが考えられないほどに、頭が飽和状態だった。


「えっと……」

「昨夜の出来事に確信が持ちたくて、魔法を試してみたくなったのでしょう?」


 いつもの笑顔だ。

 気のせいだったのだろうか。

 自分の腕や肩を確かめると、鳥肌は立っていなかった。

 恐怖では――ない?

 自問自答に応えるのは胸の奥の鼓動だけだ。

 少し大きく感じるが、早くはない。

 意識しているからそう感じるとも思えた。


「挑戦してごらんなさい。メネデール公には私の指導の下と伝えましょう」


 戸惑っていると、トーガの大きな手が頭をなでた。

 幼子をあやすように、やさしく。

 あたたかくて、力強くて、心地いい。

 気恥ずかしさに頬が熱くなるのを感じた。

 今また、視線を合わせるとまずい気がする。

 そんな妙な確信を持って、深呼吸の後に返事をした。


「はい! トーガさん、お願いします」


 失礼を承知で明後日の方を向いて。




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