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彼女の愛した英雄 ~銀翼のシルフィード~  作者: 相坂 恵生
第一章 千年王国の祭典
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師匠 1


 暗い意識でまぶたを開くと、そこには色があった。

 淡い若草色の天蓋はほんのりと透けていて、カーテンの隙間から陽光が差し込んでいる。

 血の巡りきらないぼんやりした頭で、ここが白い世界でないことを理解した。


 眠気はスッキリとなくなってはいるものの、少しばかりの息苦しさを感じている。

 想像以上に疲れていたのだろうか。

 視界の端に姉、ヘレナが椅子に座ったまま自分の寝てるベッドへ伏しているのが映った。

 顔を向けると安らかな寝息が聞こえ、起こすことは憚られた。

 なぜヘレナがこうなっているのかの心当たりはなく、自分が寝床に入ったときには居なかったはずだ。

 眠っている間になにかあったのだろうか。

 心配してくれていたのは間違いないだろう。

 ウルールは体を起こそうとシーツを除けると、ぼすりとシーツらしからぬ重みのある音をさせた。

 もう一人の姉の腕だった。


「……重いよホーリィ」


 通りで息苦しいわけだと、ため息をつく。

 起こさぬように圧し掛かるホーリィを降ろし、ウルールは仕返しとばかりにシーツで包んだ。

 パッと見た感じでは、ベッドの端に追いやられたシーツの塊りだ。


 ベッドを軋ませないよう静かに降りると、大きく伸びをした。

 喉の奥からわいて出るあくびに従って大きく口をあける。

 カーテンを少し開いて窓の外を覗くと陽はだいぶ昇っていて、王都のあちこちから煙や湯気が上がっていた。

 早朝の漁猟というには間が悪い。

 すでに引き網漁をする漁猟組合の船が、どちらの地中海にも出ている頃だ。

 同じ時間帯に漁猟へ出ても問題はないが、ウルールが海中に居るかもしれないと漁師に気を配らせるのは好ましくなかった。

 それに予備の銛の確認や手入れをしていない。

 どちらにせよ漁猟は無理だった。


 ふと中央地中海スピルパールに飛び込んだ銅貨たちを思い出した。

 細々こまごまと稼いできたお小遣いを、波間に消えたままにするのは忍びない。

 貨幣は個人の財産ではあるが、国が希少金属を投じてその価値を保証したものだ。

 国民としてむげに扱うわけにはいかない。

 もっと言うなら、新銅貨の表は自分が師事するメネデールが描かれている。

 たとえメネデール本人が新銅貨を気恥ずかしく思っていても、粗雑に扱われていい気はしないだろう。

 いや、本音言おう――もったいないからだ。


 とはいえ命の恩人を迎えた最初の朝に、助けられた本人が出掛けるというのも申し訳が立たない。

 回収はもう少し先になりそうだとウルールは眉根を寄せた。


「それにしても……」


 夢に現れた牝羊のメーは、いったい何者なんだろうか?

 ただの夢か、それともメーが漏らした通りになんらかの魔法による接触なのか。

 人は記憶の整理をするときに夢を見るという説がある。

 目にしたものや耳にした音、感触や匂い、味といった情報を無意識のうちに記憶していて、眠っているときに整理する副産物が夢であるという。

 だから目が覚めて冷静に思い返すと、支離滅裂な会話や出来事の連続になる。


「うーん。……会話は結構普通にやり取り出来てたよね?」


 そうひとりごちる。

 確かに奇怪ななりをした生き物ではあった。

 素直に羊と評することに抵抗を覚える、四足歩行する毛玉のぬいぐるみのような物体。

 背中にはコウモリの羽らしきものが申し訳程度についており、人語だけでなく魔法も操る。

 いくつかの謎を持つ発言もあったが、秘密を持つ者がうっかりとボロを出す程度で、会話も出来事も支離滅裂さは感じられなかった。


「生命力は白く、闘気は青く、魔力は緑」


 メーの言葉を繰り返す。


「魔力の放出。強度と威力の形成。速度と弾道と目標までの距離」


 メーの実演によるバカげた破壊力を持った〈魔法の川魚マジックトラウト〉がまぶたによぎる。


”これがわらわの言うところの、強度1、威力1の形成じゃ”


 その結果が招いた連鎖爆発の光と轟音は、ウルールの意識を容易く刈り取った。

 直撃ではなく余波で――だ。

 彼女の魔法は、言葉通りに”強度1と威力1”だったのか。

 それとも自分の生み出した魚群が、一気に弾けたからあれほどのものになったのか。

 魔法経験の乏しいウルールには判断が出来なかった。

 なにせ彼女は800年生きると自称する、大魔法詠唱者マジックキャスターであるのだから。


「あれ? 〈魔法の川魚マジックトラウト〉を発動するとき詠唱してなかった……よね?」


 実演では生命力を魔力へ変換して、みるみる内に形成していった。


魔法詠唱者マジックキャスターが魔法を詠唱しなかったらなんて呼称するんだろう?」


 夕食後のトーガは言っていた。


”重要なのはイメージと繊細な魔力の操作です”

”詠唱がなくとも到達できる魔法の極致きょくちがあるということです”


 ほかにもなにか大事なことを言っていたはずだが、メーというイメージがそれを許さなかった。

 それよりも今ウルールが意識するのは、沸き上がる挑戦心だ。

 魔法を成功させた自信が、無詠唱で発動させる魔法の極致きょくちを真似てみたいという気持ちに向けさせていた。

 夢の中の出来事とはいえ、成功の明確なイメージがある。

 魔法は思い込みが大事。

 ウルールは予備のシーツをヘレナの肩に掛けると、着替えを抱えて自室を後にした。




 魔法を試す場所を探して庭を散策していると、話声が聞こえてきた。

 館から少し離れた池の近くで、聞き覚えのある男の声だった。


「よい名前をもらいましたね」


 それに応えるように、フンスと自慢げな鼻息が聞こえた。

 ラファナスだ。


「おはようございます。トーガさん」

「ええ。おはようございます」


 おだやかな笑みを湛えて、トーガがラファナスの頭を撫でている。

 目を引くのはやはり、白を基調にしたよく見ると高価なローブ。

 薄紫の装飾布は気品があり、流水にスミレの紋章が印象的だ。

 あれも魔法の服なんだろうか?

 食客としてしばらく滞在することが決まったこともあり、外套がいとうは着こんでいなかった。


「ラファナスの名前がどうしましたか?」


 ルットジャー侯爵家の始祖、英雄ヒーネが名付けたとされるらしいが、由来は知られていない。

 当時 命名の場に居合わせ、長く盟友として過ごしてきたメネデールに尋ねても、首を振るだけだった。


「彼の名前がよい響きだと思いましてね」

「ルットジャーでもラファナスの由来はよくわかっていないんです」

「ああ、古代語ですしね」

「ご存じなんですか!?」


 英雄譚が大好きなウルールにとって、神獣ラファナスの名前の由来に興味がないわけがなかった。

 思わず前のめりになって尋ねていた。


「ええ」


 そんなウルールの変化に驚くこともなく、トーガはいつもの笑顔だ。

 一体どんな意味が隠されているのか。

 力強さや深みのある意味であることへの期待は、際限なく膨らんでゆく。


「だいこんです」

「え?」

「大根です」

「……え?」

「古代語で、真っ白で太くて長い種類の、大根という意味です」


 戸惑いに固まるウルールとは対照的に、ラファナスはうれしそうに鼻を鳴らした。

 まるで肯定するような態度だった。

 むしろ自慢して見えた。


「ぐ、偶然そういういんである、なんてことは……」

「ありません。大根です」


 トーガは断言した。

 赤の他人の話であれば、単なる偶然と笑って流せるがトーガ・ヴェルフラトは歴史学者で英雄譚の研究者だ。

 彼の言うことがすべて正しいとは限らないが、確信できる情報を持っているからこそ断言しているのだ。

 少なくとも彼は、話したくないことは口にせず、偽りを述べない誠実さを持って接していた。

 希少な遺跡の研究過程や成果を惜しげもなく語って聞かせてくれているのだ。


 そしてウルールには違うと対抗できる説など持っているはずもなく、逃げ道もない。

 力なく跪き、草地に両手を突いた。

 形容しがたい、膨らんだ期待が変貌したものと一緒に、重い重いため息を吐く。


「……うぅ、ご先祖様のネームセンスって一体……」

「大根です」

「わかりました。聞こえています……」

「彼にぴったりじゃないですか」

「英雄譚で活躍する神獣の名前が”大根”だなんて、恰好が付きませんよ……」


 肩を落としたウルールが、想像してみる。


 窮地に追いやられたヒロイン。

 そこへさっそうと現れる救世主が、白い歯を輝かせて名乗りを上げる。

 私は大根――と。


 ダメだ。

 自分がヒロインの立場なら、助けられたことが帳消しになるほどのシラけ具合だ。

 舞台演劇であれば、一気に喜劇へ変わる。


 どうしよう。

 これは墓まで持ってゆくべき情報な気がする。

 もしもラファナスが大根という由来が広まれば、大衆がどんな反応をするか想像がつかない。


 大衆は美男美女を求めるが、同時に面白さを求める。

 英雄ヒーネ・ルットジャーは、ジェーネクラモール劇場において、美男俳優のチャールズ・ハーベニーが演じている。

 常に穏やかで、慈悲深く、知的に演じられている英雄が、ある日突然に間の抜けた魔法使いに格下げされないとは限らない。

 英雄にお茶目なところがあった――で歯止めが利けばいいが、あくまで希望的な未来だ。


 ルットジャーは侯爵家であり、世間体というものはバカにならない立場なのだ。

 まず、汚名や物笑いの種となれば、部下の士気が下がる。

 特にマズイのは子供や青年層からの評判だ。

 いずれ士官するやもしれない有能な人材が、幼いころに植えつけられたイメージで遠のく可能性がある。


 実例だってある。

 キツネ狩りに出かけた貴族が、ゴブリンの襲撃を受けて命からがら逃げかえってきた。

 ゴブリンは亜人種族の1つで、ヒト族に比べて少々おつむが足りないとはいえ筋力は倍ほどあり、繁殖力も高い。

 つたない武器さばきでも数で押されれば充分な脅威だ。

 しかし、逃げ帰った貴族のズボンが破け、お尻が丸出しだったのがいけなかった。


”ゴブリンに尻を弄ばれた貴族”


 この評価を始め、様々な憶測が尾ひれ背びれとなって付き、部下の士気のみならず領民の視線が次第に蔑んだ物へと変わっていった。

 大人が笑い話をすれば、真に受ける子供がいる。

 印象的な憶測の話が時間とともに真実となるのはよくあることだ。

 士官する者は減り、その貴族は没落した。


 そう思い至った時、師が口を閉ざして首を振った理由がわかった気がした。

 メネデールは知っていたのだ。


「名は体を表わすと言います。事実ラファナスは卸し大根のように白くてふわふわですからね」


 毛並みを褒められたのがうれしいのだろう。

 ラファナスはトーガに頬ずりをしていた。

 恐怖大狼ダイアウルフの巨体の一部を押しつけられれば普通ならば押しつぶされる。

 屈強な戦士であってもよろめくだろう。

 トーガはじゃれつく仔犬の相手をするように、構えることなく受け止めて頭を撫でている。


「トーガさん、お願いがあります」

「大丈夫ですよ。広めるつもりはありませんから」

「……ありがとうございます」

「約束もしましょう」


 ルットジャーの沽券は守られる。

 その安心感に、体の力が一気に抜けた。

 そして、メーが約束という言葉にころっと態度を変えた気持ちがわかった。




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