魔法の真髄 3
「まあ、気を取り直してマニュアル魔法のお時間じゃ」
メーがまた二足歩行で前足を組んで見せた。
一頻り笑い終えたメーを引っ張り起こしたウルールが、じっとりとした目で見つめている。
メーと目線が合うようにしゃがみこんで、無言の訴えをするように。
「なあ? その目やめよ? 妾その目 苦手なんじゃ」
「……そうですか」
「だからやめよ? 威厳が保てんではないか……」
「……そうですか」
「その”ソーデスカ”もやめよ! 妾が悪かったから! もう笑わんから!」
「わかりました」
ウルールは無理をして作っていた顔を揉みほぐしながら、立ち上がった。
「……ふぅ」
メーは額の汗をぬぐうように前足を動かしている。
「あ゛ぁ゛……まだ背筋がむずむずして落ち着かんわ」
「ひとを辱めるからですよ」
「おまえならやってくれると信じとったんじゃよ」
「……そうですか」
「ああっ! 悪かったやめよ! しゃがむでない! 反らした視界に割り込んでくるな!」
シューの執拗な追及の視線を真似てみたが、思いの外効果はあるようだ。
メーはぶるりと体を震わせた後、オホンと咳払いして気持ちを切り替えた。
「まあ、おまえは散々魔法で失敗してきたゆえ、簡単に諦めないとは思う。8年以上メネデールの小娘に教わってきとるわけじゃしな」
「……小娘」
「失敗とは成功に辿りつくための過程じゃ。途中で諦めれば失敗という事象が残り、その失敗さえも無駄にするのも糧にするのも本人次第よ」
メーの金言に、ウルールは思わず感嘆の声と一緒に小さな拍手を送った。
伊達に800年生きていないということだろうか。
「まあ、これ受け売りなんじゃけどな」
「いい言葉ですね」
「そうじゃろ? 妾の大好きな――」
「大好きな?」
「メェー……」
なにかの禁則項目に触れたらしい。
メーの情報に興味はあるが、頑なに話そうとしないのには理由があるはずだ。
出会ったばかりだけれど、嫌われたくない。
馬が合うなどといえばまた、
「ひつじさんに向かって」などとよくわからない激昂をしそうだが、ちょっと好きだ。
親しい友人として今後も付き合っていけたらな、と思ってしまっている。
所詮夢だと割り切れなくなってきていた。
「マニュアルマジックというのは、おまえのようなタイプとは相性がいい」
「そうなんですか?」
「うむ。魔法をどう作用するかをぼーんやりとイメージするのではなく、計算して生み出すからの」
算術や計画を立てるのには少しだけ自信がある。
「体感的なもんじゃが、経験すれば自分の物差しは掴めよう?」
「紅茶にハチミツを、スプーンで量らずにこれくらいが一杯分かなぁって入れる感じですね」
「おー! そうそう。ようわからんがそういうヤツじゃ!」
「あれ?」
メーの応答は非常に雑だった。
日常の1コマを例に出したはずだが、ピンとこなかったらしい。
大陸共通で、甘味料の類は少々値が張る食材だ。
砂漠の国と獣人王国で主流のアガベシロップとパームシュガー。
水の王国では北部ラトレス名産のメープルシロップが有名だ。
王都ではてん菜の栽培による砂糖の供給が多いので、比較的安値で手に入る。
そしてどの国にもある甘味料の代表が、ハチミツだ。
メーがどこの国の出身かはわからないが、高貴もしくは名家の生まれであるだろう情報はあった。
さすがに紅茶を知らないということはないはずだ。
水の王国、砂漠の国、獣人王国でも一般的な飲み物だ。
子羊の姿をして、帝国や教国というのは絶対にない。
一般常識にズレがあると例え話が通じないことは多々ある。
避けた方がいいのかもしれない。
自分の常識とはかけ離れた価値観をもつことが、妙な現実味をもたらしている。
ただの夢――という可能性は否定できないものの、そうでない可能性も考えるべきだと改めた。
「本来は生物を模倣する方が難しいもんじゃが、おまえは身近なものを形成する方が性に合っとるようじゃの」
メーの話によると、生命力の操作は魔力や闘気に比べて難しいらしい。
魔法として発動するはずのない訓練であったが、生命力で矢を形成していた経験は、魔力を操作する下地となって無駄でなかったと教えられた。
メーの金言にハマった事実と早々に出合えて、ウルールは少しうれしくなった。
なにより驚くのは、トーガの魔法誘導が的確であったことだ。
すでに固まってしまった常識を矯正するより、使える常識を利用していく方針にしたことをメーは褒めちぎっていた。
つぶらな瞳をキラキラと輝かせて、まるで恋する乙女だ。
800歳が乙女に入るかはわからないけれど。
「ウルール、目を閉じてしゃがめ。妾は気分が良いので特別に面白い経験をさせてやろう」
「しゃがむんですか?」
「決してさっきの目をしてしゃがむでないぞ。絶対じゃぞ!」
特に意識せずに従おうとすると、メーは慌てて後ろ足の蹄を鳴らした。
警戒心でいっぱいだった。
なにやらトラウマのようなものを植え付けてしまったらしい。
「前フリじゃないからの? もしやりおったら、メーちゃんのたのしいまほーきょうしつは廃校じゃからの!」
「理由もなくしませんよ」
「うちの大先生は前フリかと思ったとゆうてようやるんじゃ!」
「大先生?」
「……メェー」
やはり身元やその関係のものを語るのは禁止事項らしい。
800年生きたにしては脇の甘い子羊だ。
警戒する理由とは別のもので廃校になりそうで怖い。
「メーちゃんにも事情があるでしょうから、無理には聞きません。だから距離を取らないでください」
すでに数歩後ずさりしているのが見えていた。
「本当か?」
「約束します」
「お? 約束か! そうか約束するんじゃな!」
「え、ええ……」
口約束でそれほどまで安心感を得るのもどうかと思う。
彼女にとってはとても大事なことなのだろう。
ウルールもそれを裏切るつもりはなかった。
ただ少し、メーが詐欺師に引っかからないかという心配が出来ただけだ。
「おー! 本当か。おまえいいヤツじゃの! ママもよく妾を騙すし、レヴィのヤツも――」
「メーちゃんストップ! 自分から話してどうするんですか」
ウルールの制止にハッと我に返ったメーは、しばらく固まった後、四足歩行になった。
「……メェー。……ひつじさんは何もゆうてへんよ」
「私は何も聞いてません」
気を抜くと喋ってしまうほどの話好きだったようだ。
ぷるぷると顔を振った後、メーは口笛を吹こうとしていた。
鳴らなかったが――。
「よし。それじゃ気を取り直して、妾の前に跪け」
前足の先の蹄だけをちょいちょいと下に向けて振った。
しゃがむだけでよかったのでは? などとは言わない。
メーの行いに驚かされて転ぶことを考慮に入れれば、むしろ頭を打つ心配が減ると言うものだ。
おとなしく従うと、蹄が額に触れる。
「あっぷるじんじゃあ、まとんらむらむじんぎすかん」
キンと頭の奥が痺れるような耳鳴りがした。
「今のなんですか?」
「一時的にじゃが、生命力と魔力が見えるようになる呪術を掛けた」
「え?」
そんな呪術魔法は聞いたことがない。
しかもあんな適当な詠唱で?
大陸中魔導師が喉から手が出るほど欲しいだろう魔法だ。
魔法研究に従事する者であれば、他者の命と天秤に掛けるだろう秘術だ。
それをこともなげに?
そんな疑問をあざ笑うかのように、ウルールの見る景色はぐにゃりと一瞬歪んでから激変した。
目の前の子羊を覆う沸き上がる湯気らしきものが見えている。
色は白く、湯気にしては不自然に留まっている。
まるでメーの周りにだけ発生する霧だ。
「……これが生命力?」
ウルールの疑問に答えるように、メーを覆っていた白い湯気は体の中へと収まってゆく。
自分の手を見るとほんのりと湧き出る湯気のようなものがあった。
「おまえなら操作できよう。常に漏れ出る生命力にフタをかぶせてみい」
”フタをかぶせて”という言葉に、トーガの誘導を思い出した。
ソーセージにガラス製のフタ。
ガラスはすぐに曇って見えなくなったあのイメージだ。
すると先ほどのメーと同じく、体の中へと収まった。
「どうじゃ。実感できたであろう?」
「ええ。なんというか、妙に体がほくほくするというか」
「目で見えた方が操作はしやすくなるゆえな。よい経験じゃろう?」
「……はい」
「カッカッカ! 妾ほどになるとこの程度容易いことよ」
薄々感じてはいたが、規格外の魔法詠唱者なのかもしれない。
トーガの辿りついたマニュアルマジックを当然のように知っていて、伝授しようと現れたくらいだ。
これがもし本当にただの自分の夢の住人だとしても、記憶の整理にやってきた妖精さんとして感謝せねば。
「せっかく実感がわいたんじゃ、キリキリ次の経験を積んでもらうぞ。感動は記憶に深く刻むからの」
そう言ってメーは前足の蹄を叩き合わせた。
ウルールは誘導されるままに視線をそちらへ向けると、メーの右前足の蹄に薄緑色の光が集まってゆくのが見えた。
魔力だ。
いつも見る神秘の光の集束とは明らかに違う。
「魔法と言うのはの。体内の血液を主とした水ものに宿っておっての。その巡っておる魔力を体外に放出するところから始まる」
ウルールはこくりと頷いて見せる。
目が離せなかった。
「それを霧散させずに維持し、強度と威力を決めて形成・具現化する」
そう言って間もなく薄緑色の魔力の塊りは、良く見る神秘の光の集約となって魚を形作ってゆく。
ヒレは丸みを帯び、流線形の体をした魚。
ピクリとも動かない置き物のようだが、紛れもなくウルールが編み出した〈魔法の川魚〉だった。
「これが妾の言うところの、強度1、威力1の形成じゃ」
「威力……ですか?」
強度についてはわかるが、威力というのがピンとこなかった。
目標にぶつかった時に与える被害のことを指しているのだろうが、それは”強度”に収まる言葉のはずだ。
メーは実演の途中の疑問にもかかわらず、落ち着いた様子で頷いた。
この程度の魔法は遊びだとでも言わんばかりで、光は安定してる。
「”威力”についてのバリエーションが知りたければ、師に尋ねるといい」
「ああ、そうか。メネデール様とホーリィが熱心に聞いてたんだった」
魔法に精通し新技術にも積極的な二人が、真剣な表情でトーガの説明を聞いていたのを思い出した。
「うん?」
メーが不思議そうな顔をした。
「あー。そういえばおまえはまだ知らんかったな」
「なにがですか?」
「こっちの話しじゃ」
メーは一方的に話を打ち切って、
「続けるぞ」
と緑光の魚へと視線を誘導した。
「こやつにどういう動作をさせるかを決めて、
速度と弾道・距離を組み上げるわけじゃが……そうじゃの。
エサを与えるつもりで、
速度は1、弾道は”流水を縫うように”
とイメージしながら魔力を流し込もうかの。
射程距離は――」
メーはウルールの生み出した魚群を見た。
気持ちよさげに二人の周囲を遠巻きに泳いでいる。
「せっかくじゃから、あるものを有効活用と行こうかの」
小さな魔法陣が展開し、置き物のように動かなかった薄緑色に光る魚が、メーの言葉通りに生命の息吹を感じさせる動きを見せた。
空を切るように尾ヒレが動き、推進力を得た緑光のマスが前進する。
ゆるりと進む姿には優雅さを感じた。
左右に振れながら進む様は、まさに紅玉の月のマスを思わせる。
魔法によって放たれた弾道とは思えない美しさがあった。
自由気ままに泳ぐ魚群の中に、一匹が混ざる。
そしてウルールの発した〈魔法の川魚〉の一匹にぶつかった。
パチンという小さく乾いた、どこか呆気なさを感じさせる音がすると思っていた。
メーはあのゆるやかに進む速度と同じく、”威力を1”と明言していたからだ。
ところがそれは、弾けると同時に周囲の魚群を巻き添えに連鎖爆発を起こして、白い世界の大気を引き裂いた。
直視していたウルールは光に目をやられ、轟音に耳をやられて倒れ伏した。
「おー。ちょっぴり派手じゃったの」
メーのそんなとぼけたつぶやきに応えられる者は、そこにはいなかった。




