魔法の真髄 2
仰向けに転がった駄々っ子羊を引っ張り起こして、ウルールは一息ついた。
小脇に抱えられるような大きさにもかかわらず、随分重い。
鉄板でも仕込んでいるのだろうかと疑うほどだ。
ちなみにメーは一人では起きられないらしい。
自分で起き上がれないのなら自らひっくり返るのは今後やめて欲しいと伝えると、彼女はそれも含めての訴えで”手間をかけたくなければ気分を害すな”という警告なのだとか。
なかなかに油断のならない、小憎たらしい子羊だった。
「思い出した。魔法の真髄を授けに来てやったわけじゃ」
「うーん。魔法の、真髄ですか?」
「おまえ、マニュアル魔法を知ったじゃろ?」
「あー、はい。よく覚えてませんけど」
「おまっ、なんでそんな大事なことを覚えとらんのじゃ!」
「そうは言われましても……」
「ああ、そういえばおまえ。魔法が初めて発動したんじゃったな」
歓喜の海で溺れるのはよくあることだと、メーは派手に笑った。
「恥ずかしながら」
「長命種族がちょっとやそっと魔法を使えるようになったのが遅いからと言っても、ほとんど誤差じゃろが」
「まだ14年しか生きてませんから、そう言われてもピンときませんよ」
頭を掻いて答えると、メーは一つ鼻息を荒くした。
「赤ん坊も同然じゃの!」
「メーちゃんはいくつなんですか?」
「800歳くらいかの」
「はっ……ぴゃく……?」
「あー、今のなし。妾は8さいくらいじゃ」
「精神年齢がですか?」
「おうおう? なんじゃおまえ、結構言うではないか」
「あー。すいません。なんかメーちゃんと話してるとつい」
「よいよい。嫌いではないぞ。妾もそれくらいの扱いで構わん。そうでないと困る」
子羊のメーは鷹揚に頷いた。
なにが困るのかはわからないが、話したがりの彼女がそう言うのだから理由があるのだろう。
下手に突っ込んだ質問をして、またひっくり返ってじたばたされてもかなわない。
見る分にはかわいらしいが、引っ張り起こすのは結構骨だ。
ふと、深酒をして酔いつぶれるメネデールを思い出した。
ウルールの両親の愚痴をこぼしながら飲むと晒してしまう師の醜態の一つだが、その時に背負って寝床へ運ぼうとしたことがあった。
少女では成人女性を介抱するのにも限度がある。
結局運べなかったわけだが、あれに近い重さがあった気がする。
子羊の姿は仮のものなのかもしれない。
人狼族を筆頭に、一部の獣人は月の加護によって”獣化”することが出来ると聞いた。
人魚族ほどではないが、骨や筋肉が増大して毛深い動物らしい見た目になるのだとか。
大叔父ゼシオンの感想では、二足歩行の人型の骨格であるため、獣そのものには見えないそうだ。
ウルールの聞きかじった知識では 羊獣人族 なんて聞いたこともないし、獣人の寿命はおよそ90年ほどのはずだった。
しかし、800年生きる獣人が居ないと断言できるほど詳しくはない。
「なにより妾は才能のある者が好きじゃ」
実感とは程遠い褒め言葉は胸に響かず、会話の一つとしても掴み損ねそうだ。
英雄メネデールの下で魔法を学んで8年も開花しなかった自分に”才能がある”とは到底思えない。
ルットジャーの血統がこれから目覚めると言われた方がまだ希望が持てる。
「……才能ですか?」
オウム返しにすると、メーはウルールの周囲を見回すようにしてから空を見るように顔を上げた。
なにかを追っている視線だった。
「エルフィンにしては珍しく、才能の塊りじゃの」
「そうなんですか?」
「それもわからんか」
黙って頷くと、メーは両前足を上げて肩をすくめた。
器用な子羊だ。
いや、800歳だから牝羊が適切かもしれない。
「のう、ウルール」
「なんでしょう?」
「魔法を使うに当たって必要なものがなにかわかるか?」
「魔力でしょうか?」
「そいじゃ魔力はなにから生み出されると思うとるんじゃ?」
「生み出す?」
「魔法の使い過ぎで魔力が枯渇した場合、しっかり食べて体を休めると、魔力が回復しておるじゃろ?」
「ええ、そうですね」
初めて魔法を発動した反動と感情の爆発は、この不可思議な夢を見るきっかけとなったひどい眠気の原因だ。
「それはな。生命力が魔力として転換されておるからじゃ」
メーはゆっくりとわかりやすく説明をしてくれた。
話の途中でウルールが尋ねても、機嫌を悪くすることなく丁寧に。
出会いがしらのやり取りがウソのように。
緊張や警戒をほぐすためであったように。
生き物が生き物であるために必要なものが3つある。
肉体。精神。魂。
肉体は言葉通りに、現世で活動するための体だ。
種族を決定するものであり、色々なものをそこに留めるための器。
精神は誕生した瞬間に肉体に宿り、善悪を判断する情報さえ持たず、現世の経験で構築される人格そのもの。
魂は精神と肉体が活動するための生命力を作り出す素で、心臓に宿っている。
誕生した瞬間から魂は生命力を作り始め、余剰分を魔力や闘気として一定量肉体に蓄積する。
魔法はこの魔力を現世で具現化させて、行使するものを言う。
優れた魔法詠唱者は、肉体に留める魔力量が多く、自在に操る術を持つ。
戦士ならば闘気だ。
場合によっては生命力を精神によって無理やり絞り出して使うことも出来るようだが、メーは渋い顔をして言った。
「あまりお薦めはせんがの」
ウルールは生命力のまま肉体に蓄積する珍しいタイプであったことから、魔法の行使が出来なかったらしい。
正確に言うなら、魔力に転換せずに生命力のままで魔法を行使しようとしたので失敗したようだ。
「生命力は白く、魔力は緑での。闘気は青いんじゃ」
「あ。レタス」
”白く濁ったその奥に、緑色のものが見えませんか?”
トーガが突然”添え物”をイメージするように誘導したのを思い出した。
彼はこれを知っていたのだ。
遺跡の解読によって、そこへ辿りついたのか。
それとも”神の贈物”を持っているのだろうか?
遥か昔に魔力を目視できる”神の贈物”を持つ者がいた。
彼は”魔力は緑色に見える”と明言したとされ、文献としても残っている。
〈魔法の矢〉は確かに淡い緑の輝きを持っているが、同じ無属性魔法の〈筋力増大〉はどちらかと言えば青い。
たまたまその”神の贈物”がそう見えただけという説が信じられてきたが、この情報が正しいとなると違ってくる。
ウルールと同じように生命力を多く保持するタイプがいれば、白から緑への色の変化をイメージするだけで魔法詠唱者として開花する可能性がある。
「やめておけよ」
ウルールの考えを見透かすように、メーは鋭く言い放った。
「おまえが生命力を蓄える稀なタイプだったから使える技術じゃ。そうでない者が一時の感情に流されて行使すれば、生命力が枯渇し、死体の山が出来よう」
「……そうですね」
有益な情報が常によい方へ導くとは限らない。
知識を持った者にとって毒草は薬にもなるが、無知な者にとってはやはり毒だ。
それが判断出来るからこそ知識を持った者であり、それが出来ないからこそ無知な者の多くは死ぬ。
ウルールは知っただけであって、理解をしていないので後者だ。
半端な知識は人を殺す。
ウルールは魔法が発動しないだけで済んだが、場合によっては魔力の暴走による術者死亡だけでなく、周囲を巻き込む恐れがあった。
魔導師の称号を持たぬ者が、軽々しく魔法について広めることが禁じられている理由だ。
「おまえは闘気も扱いやすい肉体を持っておるということじゃ」
「闘気……」
魔力を行使するのが魔法であるのと同様に、闘気を行使する闘技というものがある。
肉体を様々な形で強化したり、溜めて放出することで中距離射程の攻撃手段など様々だ。
メーの話によれば、闘気も魔力と同じく生命力から作り出されるもので、闘技の性質も魔法とよく似ていた。
無属性魔法の〈筋力増大〉と闘技の[肉体強化]は、効果が近い。
大きな違いは、自分以外を対象に強化が可能か否かだ。
闘技は基本的に自らの神経・筋力・強度・速度・精度を高めるものだ。
「魔法も闘技も使いこなすだなんて、まさに英雄ですね」
「”扱いやすい肉体”という環境があるだけであって、簡単に扱えるわけがなかろう」
「……そう、ですよね」
「おまえは”神の贈物”こそ持たんが、ヒト種族と違って長命じゃ。時間を掛けて肉体と精神を磨けばよい」
師であるメネデールは英雄の名に違わぬ大魔法詠唱者だが、”神の贈物”を一つも持っていない。
先祖のヒーネ・ルットジャーも”神の贈物”を持たなかったという。
「大器晩成型というやつですね!」
「おまえ、だいぶ調子に乗りやすいタチじゃの」
希望や期待は人を前向きにさせる。
つい先日まで漁猟と兎猟を中心に、どうやって生計を立ててゆこうかと悩んでいたとは思えないほどだ。
「あとは、疑問を持つと簡単に納得しないところが難儀じゃの」
「難儀ですか」
「おまえが〈魔法の矢〉を失敗し続けていたもう一つの原因がそれじゃ」
一般的に”矢は遠くの目標に速く突き刺さる武器”という常識がある。
魔法詠唱者は、その常識を想起に利用するため、遠距離攻撃魔法を”矢”で形成することが多い。
しかし、ウルールは幼いころから少々知恵が回ることが仇となった。
疑問に思ってしまったのだ。
矢は、弓がなければ”飛ばない”――と。
弓と弦の元に戻ろうとする力を利用して、矢を前へと飛ばす。
その常識による疑問は連想の阻害となり、魔法においては致命的だった。
多くの魔法詠唱者は、幼いころより師の〈魔法の矢〉を見て、それが飛ぶ物だという漠然とした理解から始まる。
そして実際の矢を見てさらなる速度を追い求めたり、属性について学ぶ。
ところがウルールは幼いころから好奇心が旺盛で、道具の構造やお金と物資の関係などを詳しく知りたがる癖があった。
この癖は、魔法をスムーズに連想するための土台を徹底的に破壊した。
弓がなければ矢は飛ばないという認識が魔法詠唱者の素質を潰したのだ。
「妾に言わせれば、現代魔法の詠唱はほとんど形骸化しとる。そんな世代のもんが今更古代詠唱を引っ張り出してきたところで、内容を理解してないんじゃから無意味というものよ」
メーの言う通りだった。
臨時の師匠であるトーガから、古代詠唱を分解した話を聞いたときに初めて知った。
それを改めてイメージするよう指導されるかと思えば、助言は単純明快だった。
”思い込めばいい”
適切だったし、誘導は完璧だった。
白い湯気の生命力を、中身の見えるガラス製のフタで留めさせる。
湯気で曇ったガラスのフタの中に、緑の魔力へとイメージを促した。
最後は、好きなものの話題でそれを形成させた。
動作もウルールの想像のままだった。
「のう、ウルール」
「なんですかメーちゃん」
「ちょっと魔法のおさかなさんを出してみてくれんかの?」
「今、ですか?」
「だって見たいんじゃもん」
自分の魔法を見たいと言われるのがうれしく感じたのは初めてだ。
魔法が使えると言う自覚が芽生えているのだと気付いた。
「まだ詠唱が、その。決まってないんで」
「そっきょー! そっきょーで作ればよかろう! 要はイメージが大事なんじゃから!」
ふとトーガの笑顔が浮かんだ。
難しく考えると苦労しますよ、と。
考えすぎずに素直にやってみるという姿勢が大事だと学んだばかりだ。
「……わ、わかりました」
赤くなる顔を片手で覆いながら、メーを制するように手を振った。
「はよー! 妾は はよー光ったおさかなさんが見たい!」
「だったら集中させてくださいよ……」
「わかった。妾黙る」
前足の蹄を左右の角の下に当てて、目を閉じていた。
あれは耳をふさいでいるのだろうか。
なぜそうするのか理由はわからないが、ウルールにとって都合が良かった。
即興で魔法の詠唱を作りだすという難行をしろと言われても、出来るはずがない。
トーガとの会話を簡単にまとめて詠唱してしまおうと深呼吸を繰り返した。
「よし」
成功した魔法のイメージに自信をもらい、小さく息を吸って目を閉じる。
「”私は女神の収穫亭のソーセージ。
まとう湯気は香ばしく、食べられぬようにフタをする。
白く籠るガラスのフタに映るのは、緑色した添え物レタス。
川の上流に泳ぐはマス。流線形の体に丸いヒレ。
川を縫うように泳いでる。
川面を跳ねる姿は元気いっぱい”
〈魔法の川魚〉」
古代詠唱ほどには簡潔にできたと思う。
初めての時とは違い、ほんの少し脱力感を覚えた。
閉じた視界で深呼吸を二つ。
おそるおそる目を開くと、そこには白い世界で泳ぐ大量のマスの姿があった。
初めて成功したときよりもずっと多い魔法の魚群だ。
淡い緑光のマスは、中空を泳いで回っている。
そして、おなかを抱えて転げまわるメーの姿が見えた。
「ブワァーッハッハッハッハ! 詠唱開幕からソーセージときたか! 天才じゃ! こやつ天才すぎる!」
ほっとしたのもつかの間、ウルールの顔が火を噴きそうなほど熱くなった。
白い床を前足で叩いて震えるメーは、爆笑にふさわしい激しい声を上げていた。
ついには仰向けに転がって、四足の蹄で拍手を始める。
真っ白な世界で緑光の魚群の中心に、硬質な音が鳴り響いた。
ウルールは体にまとったサリーを被っても収まらない恥ずかしさに、耳をふさいでしゃがみこんだ。
「プークスクス……ソーセージに添え物レタスにっ――ブハハハ! マスの群れとは豪勢な食事風景じゃな!」
「あー! あー! きこえないー!」
ウルールはようやく気付いた。
魔法をせがんではやし立てたメーが、突然おとなしく目を閉じて耳をふさいだ理由に。
切羽詰まったウルールがひどい詠唱を始めることを期待して、誰にも見聞きされない環境と思わせるのが目的だったのだ。




