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彼女の愛した英雄 ~銀翼のシルフィード~  作者: 相坂 恵生
第一章 千年王国の祭典
33/77

お風呂 3


 騒がしい巡回組と別れてメネデール邸の庭に踏み入ると、いつもと違う空気があった。

 風もないのに木々がざわめくのは、木の精霊ドリアード森妖精の隣人トレントだろう。

 危険の感知や指示もなく、正体を気取られるヘマをするとは彼ららしくない。

 奇妙な昂りが庭を支配していた。

”毛玉”の精神状態が影響を与えているように思える。

 期待だろうか?

 住み慣れた館の庭だというのに、知らない場所へ迷い込んだような気分になる。

 似たような状況は以前にも経験していた。

 果実の納品を終えたエルフィンやルセイスの商人を迎えているときだ。


 木の精霊ドリアード森妖精の隣人トレントはエルフィンとの交流で。

 ラファナスはルセイス住民に崇められているので、貢ぎ物の果実で色めき立つ。


 ちなみにエルフィンもルセイスの商人も、男はルットジャー氏族クランの館に泊まることが多い。


「よほどの人物のようね……」


 この原因がくだんの客人であるのなら、油断は出来ない。

 玄関前で精神を統一する。

 呼吸を整え、両目を開いて取っ手を握った。


 そのとき、悲鳴が上がった。

 握る取っ手の向こう側。

 反響具合と位置から、館の奥のお風呂場だと確信する。

 ホーリィは玄関を乱暴に開いて、奥へと続く廊下を駆けた。

 正面の小ホールを抜けて、靴底が硬い床を叩く。

 悲鳴の主を聞き間違えるはずがない。

 ウルールだ。

 明るく社交的。魔法の才能はないが体術と短刀術は得意で、算術とお金が好きな妹だ。

 その妹が絹を裂くような悲鳴を上げた。

 守らなければ――。


 視界の先に目的地の扉が映る。


「天へと昇りし ゆらめくものよ」


 ホーリィは詠唱によって体に巡る血が熱くなるのを感じた。


「我が叫びに従い この手にたけれ――」


 杖がないため右手のひらに魔法の光が集約する。

 <火炎の矢フレイムアロー>の詠唱は済んだ。

 最初は太もも。

 機動力を削いだら次は肩。


 前のめり気味の姿勢で、魔法発動のキーと狙いを頭の中で確かめながら、脱衣所へと続く扉を開く。


 それでも抵抗するなら膝から下は焼き崩す。


 冷徹な覚悟を持って、ホーリィは風呂場の扉を蹴破った。



 視界に広がる淡い湯気。

 湯船に肩まで浸かった幼子と。

 同じく腰まで浸かったウルール。


 他に影はない。

 窓はしっかりと閉まっていて、破られていもいない。

 室内には争った形跡もない。

 ただウルール一人だけが、湯船を慌てたようにかき回していた。

 6歳くらいに見える子供は逆におとなしく、なにやら指折り数えている。


「……あ、ホーリィ! ごめん、ちょっと今どうしていいかわからない」


 ホーリィに気付いたウルールはそれだけ言うと、また湯船をかき回し始めた。

 なにかを湯船に落としたのだろうか?

 掬いあげるように、両手を湯船から出してはまた入れ、を繰り返している。

 それにしては妙な慌て方だった。

 栓を抜かなければ排水口に呑まれる心配はないだろうに、なぜこんなにも取り乱しているのだろう。


「さっきの悲鳴、なに?」

「スーちゃんが湯船に落ちちゃって」


 湯船を覗きこむが、透き通ったお湯があるだけだ。

”小さいの”が名前を付けた人形かなにかだろうか。

 小物ならば二人とも湯船から出て確認した方が早いだろう。


「スーって誰よ?」

「スライム」


 ホーリィの知るスライムとは、生物が分泌するぬるぬるした物質や土が泥のように液状化したものだ。

 要するに”そういう状態の物”を指すのであって、特定の物体のことではない。

 湯船に落ちたというのなら、溶けて消えたのだろう。

 諦めるしかない。

 むしろさっさとそんな風呂から出て、キレイな湯を張って入り直すべきだ。

 妹の反応を見るに、なにか特別なものなのだろう。


「……スライムってなによ?」

「液状型の魔法……生命体?」

「生命体? なんで疑問形なのよ」

「今日初めて知ったから、よくわからなくて……」


 しばらくかき混ぜていたウルールは、絶望した表情で説明した。

 スーとはウルールの命の恩人のトーガ・ヴェルフラトが錬金術で生み出した液状型の魔法生物で、スライムは暫定的につけた種族名らしい。


「それが湯船に落ちて、溶けて消えたってことね」


 ウルールは希少な生物の喪失に責任を感じているようだった。

 表情は豊かだが、落ち込む顔はあまり見せない。

 妹は状況をかなり重く見ているようだ。


「消えちゃったもんは仕方ないでしょ。だいたいそんなもんをお風呂に連れてくる方が悪いのよ」

「だって、護衛だし」

「え?」


 護衛が出来るほどの知性と能力がある魔法生物を生み出したというのだろうか。

 ホーリィは湯船で指折り数えている”小さいの”に目を向けた。


「さんじゅうよん……さんじゅうご」


 こんな小さな子供が。


「溶けて消えちゃった……どうしよう」

「……よくある」

「よくあるの? 大丈夫なの?」


 ウルールの問いかけに”小さいの”は頷いた。

 そして湯船スレスレの位置で手のひらを広げると、ゆっくりと”なにか”が集まった。

 まるで水の魔法のようだった。

 ゼリーよりも若干不安定なソレは、プルリと震わせてから、全体を大きく揺らした。

 ホーリィにはソレが、機嫌を良くしているように見えた。


「……おかえり」

「ああ、よかった……スーちゃん」


 ホーリィはどう反応していいのか分からず、ただただその二人の様子を見守っていた。


「とりあえず、なんの問題もないわけね」

「うん」

「何事もないならいいわ」


 ホーリィは風呂場から出た。

 湯気の影響で若干しっとりした着衣にうんざりしながら、脱衣所を見まわした。

 こちらも争った形跡はなく、洗濯籠せんたくかごには二人分の着替えがあった。

 7年前に自分の着ていた寝巻が入っている。

 たぶんヘレナが引っ張り出してきたのだろう。

 小さな客人をもてなすメネデール邸のありふれた光景に、ホーリィは冷静さを取り戻した。

 一つ大きなため息をついて魔法を解除すると、視界の暗い金髪ダークブロンドが揺れた。


「カラ回りでよかったわ……」


 聞いていた話と違ってトーガ・ヴェルフラトは小さかった・・・・・

”怪物”なんて呼ばれる大イノシシを一撃で仕留めた拳闘士と聞いていたから、大男をイメージしていたが、なんのことはない。

 噂をする者たちの憶測や妄想が尾ひれや背びれとなって、本体そのものも巨大化していたらしい。


「あれ? ウルールの話だと子連れだったっけ?」


 組合職員二人が来ていたときの話を思い出すと、子連れの武道家だった気がする。

 口数が少なく、物怖じしない7歳くらいの子供。

 先ほどの光景を思い返すと、丁度そのくらいだ。

 

「……疲れてるみたいね」


 情報を整理しきれていない自分を省みて、元凶が脳裏を過ぎった。

 くだらない理由で口の端に泡をつける父親の姿は、精神的に堪える。

 魔法詠唱者マジックキャスターとして尊敬しているが、どうも女が絡むと父は少し駄目な人間になるようだ。

 母が生きていれば違ったのかもしれない。

 ホーリィは軽く伸びをしてから、開け放った玄関の扉を確認しに脱衣所を後にした。




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