英雄と血統 3 -約束と血筋- [修正版]
――メネデール視点。
問答修学で落ち着きを取り戻した3人の弟子は、魔法の風で涼みながら笑い合っていた。
話題は先ほどの問答を含めた魔法についての問題点や打開策の検討だ。
なんとも頼もしい新芽たちだ。
ヘレナ・ルットジャー。
妹たちの和を尊び、支えるしとやかな娘。
弟子入りした6歳のころはみなが頭を抱えるようなイタズラっ子だった。
ホーリィ・ルットジャー。
自立心と向上心が高く、お節介焼きがたたってイヤミ癖がついてしまった娘。
母が早世したため、5歳で弟子入りした意地っ張りの努力家だ。
ウルール・サラーサ・エルフィン。
なんにでも興味を持ち、脅威的な吸収力を見せる奔放な娘。
ただし魔法習得と精霊交信に難があり、本人は諦めと憧れに揺れている。
魔法を目の当たりにする度に悩んでくれるあたり可愛げがある。
レウノアーネでこの娘らは『ルットジャー3姉妹』として知られるが、正しい続柄は従姉妹だ。
もっと正確に表わすなら。
水の王国の6大貴族家当主サイオン・ルセイス・ルットジャー侯爵の孫に当たり、それぞれ両親が違っている。
長男のジョーバートを父に持つヘレナ。
次男のスレイモンを父に持つホーリィ。
三男のソーネストを父に持つウルール。
サイオンを含め、みな私のかわいい弟子たちだ。
ヒーネ・ルットジャーが救国の英雄となり、ヴァスティタの大貴族として迎えられて250年。
私が彼の血統を代々弟子に迎えるようになって200年が経つ。
この始まりはどこにでも転がっているような――ありふれた物語をなぞるような約束だった。
ヒーネが64を迎えた年の冬。
『たのむよ』の一言だけを残して永い眠りについた。
それは最初、もしものときの助力を願ったのだと思っていた。
しかし、その妻ルーシーが夫を追うように翌年の春。
衰えに震える手を私の手に重ねて言った。
『英雄の血統を狙う者は多い。子供たちをお願いね』
本当にズルい夫婦だと思った。
苦楽を共にした戦友と対等に言葉をぶつけ合える親友。
今際の際でそんな頼みをされては、他の答えなどない。
だから応えた。
静かに深く、力強く――。
『ああ、私に任せておけ』
そのときから、ルットジャーの師となった。
友の子供らを自由にされてなるものか。
守るだけではない。
自らで戦う実力を付けさせてやろう。
それを学ぶ場所を用意してやろう。
その誓いを実行に移すにあたり、ルットジャーの結婚に関する禁止事項と教育方針を打ち立てた。
1つ、ルットジャーの氏族は婿と嫁を迎える結婚しか認めず、素性の明らかな者に限る。
2つ、自我が芽生え始める6歳を迎えた子供は、男女を問わずメネデール・イスナ・エルフィンが弟子として預かること。
また、子供の世話のため、氏族の自覚が備わるまでの母親の住み込みを認める。
幸い2人の子供らもその孫も『血統を求める害意』を理解しており、反対する者はいなかった。
問題があるとすれば水の王国の政治事情だ。
エルフ族がヒト族の侯爵家の師――後見人ともなれば、「エルフの侵略だ」と騒ぐ輩が現れるのは火を見るより明らかだった。
なにせ水の大魔術師の血統だ。
種や借腹を狙わぬ道理はなく、そんな彼らにとっては『他種族が英雄の血統を独占する』というカタチにしか見えないだろう。
しかし、国王は強権によってそれら一切を黙らせた。
善意からではない。
国王には国王の思惑があり、そこにたまたま私という駒が転がり込んできたというだけだ。
いいや。もしかするとヒーネが衰え始めたころから企んでいたのかもしれない。
なぜなら国王は、私の申し出を聞いてなんの躊躇もなくたったひとつの条件を出したからだ。
『メネデール・イスナ・エルフィンが王都レウノアーネに留まり、豊穣の杖を守護すること』
当時の私は正直に言ってうまい手だと感心した。
あえて『国政に参加せぬこと』を条件に入れないところなどは見事だ。
『エルフは種族の区別を持って行動することを信じる』と言外に伝えてきたのだ。
これは「信じる」と直接言葉にするよりも胸に響く。
特に南の大森林と水の王国は、信頼関係が修復不能と言われるほどに崩れた過去がある。
国王の一手は、むしろそんな過去さえも利用したと言えた。
これだからヒトという種族は侮れない。
なにより国王が出した『豊穣の杖の守護』も、エルフの信仰に沿うものだ。
豊穣の杖は『初代精霊の樹』の化身であり、エルフが崇め奉る対象そのものなのだ。
本来ヴァスティタにおいてエルフィンは、豊穣の女神に関する神職の大部分を任される種族だった。
神の使いたる精霊やその王の『精霊の樹』と交信できる妖精種族は巫女として最適で、オストアンデルの導きによって結ばれた同盟関係だった。
それが600年前の事件によって大きな溝を作り、350年。
豊穣の杖を有するレウリック王家は肥沃の大地を失うことこそなかったが、ヒト族の神官からは民衆の信仰形骸化の恐れを訴え続けられることになる。
なぜならエルフィンが森へと姿を消し、精霊の樹を介した豊穣の女神との交信が途絶えるという事態が発生したからだ。
ヒーネの登場で『外』の勢力との戦争で再び同盟軍は成立するものの、エルフィンのヴァスティタに対する不信感は拭いきれなかった。
そして英雄ヒーネの死は、水の王国と南の大森林にとっての悲報であると同時に、国王にとっての一助となった。
それは私たちにとっても同じだった。
穏便にルットジャーの師と認めさせるには、両種族の関係正常化は必須の条件。
ヒーネとルーシーも国を割るのは避けたかったはずだ。
利害は一致し、私と国王は固く手を握り合った。
それから200年。
なかなかに長い年月だ。
私自身、ヒトの影響をかなり受けているという自覚がある。
ここ十数年でそれを一番感じたのは、ウルールが弟子入りした日だ。
『大叔母様とお呼びすべきですか?』
この衝撃はまだしばらく忘れられそうにない。
長命なエルフは、続柄の敬称にはあまり馴染みがない。
年の離れた兄弟姉妹や、年齢が逆転した甥や姪といったものも珍しくなく、族長や司祭、戦士長などと言った立場の方を優先した考えを持つ。
ゆえに、たとえ続柄上姪孫――いや、又姪に当たるとはいえ、祖母に類する敬称は地味に堪えるのだ。
『メネデールさまとお呼びして差し上げなさい』と震える声でウルールの母――姪御のララーナが口元と腹を押さえていたのも鮮明に覚えている。
ああ、思い出すだけでもこめかみが軋む。
いや。耳慣れぬとはいえ母上ならば、ひいおばあちゃんと呼ばれれば喜んでいたことだろう。
それだけ私がヒトの価値観に染まったということだ。
無理もない。
もはや南の大森林より、王都で過ごした時間の方が多くなってしまっている。
当時の国王との約束は現在も守られ、豊穣の杖は私の使役する精霊の監視下。
建国祭以外では触れられることさえない。
ほとんど封印と言っていいレベルだ。
ふと我に返って耳を澄ますと、いつのまにか弟子たちの話題は武術に移っていた。
充分な休憩も取れているようだし、せっかくだ。
この子らにも振り返らせ、血統の自覚を新たに次の修行へ臨ませよう。
「ヘレナ。ホーリィ。ウルール」
呼び掛けると、3人は顔を上げて次の句を待った。
「私は盟友であるヒーネとルーシーから、お前たち子孫を託された。
今の氏族当主であるおまえたちの祖父サイオンもそうだし、その弟ゼシオンも私の弟子だ」
サイオン・ルセイス・ルットジャーは今年で58を迎えるが壮健で、水の王国で彼の氷魔法の右に出る者はいない。
ゼシオン・ルットジャーは兄とは随分年が離れており、今年で44歳の風魔法を得意とする魔法剣士で、剣術をたしなむ者の尊敬を集めている。
どちらも英雄級と呼ばれる傑物だ。
「ヘレナの父ジョーバートは魔法と武術の才能は持たなかったが賢く、
ルットジャーの領地ルセイスを治めるのになくてはならない存在となった。
息子のハワードは水の王国の宮廷魔術師として立派に務めているし、
娘のヘレナは面倒見の良い姉としてよくまとめてくれている」
「自慢の家族です」
ヘレナは頬をほころばせた。
「ホーリィの父スレイモンは見事火の大魔術師として開花し、今は反抗期の娘に苦労している」
「私は反抗期じゃありません! いい話っぽくなるかと思ったらすぐこれよ!」
「それを反抗期と言うんだ」
ホーリィは不満げに頬を膨らませるが、父の評価に満更でもなさそうだった。
「ウルールの父ソーネストは、魔法学者として失われた魔法技術の発掘で名を馳せた。私個人の理想とは違うが大成し、すばらしい成果を生み出している」
サイオンの奥の手〈凍結する霧雲〉は、ソーネストがヒーネの手記からよみがえらせた英雄級魔法。
ヒーネは私との旅路で何でもないように普段使いしていたが、決して後世に伝えようとはしなかった。
その威力は極めて凶悪で――局所的に高濃度の冷気の霧を発生させ、触れるものすべてを氷像へと変えてしまう。
一瞬でそれに呑み込まれればまだ救いはあるが、最悪なのは体の一部が凍ってしまった知性体だ。
冷気の霧は地を這うように迫り、まず足を呑み込む。
するとガシャンとヒステリックな音を立てて足首が砕け散り、再度霧に呑まれて脛が砕け、膝が砕け――下半身が徐々に削られてゆくのだ。
最後は恐怖に顔を引きつらせて霧に沈み、跡形もなく粉砕する。
初めて見たときはトラウマもので、何度も夢に見る羽目になった。
しかもこの魔法、自爆もあり得るのだ。
不用意に使うと味方を巻き込み、自身ですら呑まれてしまう。
ヒーネがわざわざ手記を隠した上に、暗号化していた理由も納得だ。
もしこれの発見者が慎重なソーネストでなかったら、ルットジャーが途絶えかねない大惨事となっていたことだろう。
「ただ……おまえを前にして言うのもなんだが、我が姪との出来婚には苦労させられた」
「母がスミマセン……」
きっと今、私の眉はしわくちゃに歪んでいることだろう。
200年前に約束を交わした国王がこの顛末を知れば、豪快に笑ったに違いない。
エルフィンはルットジャー氏族との婚姻は結ばない。
これは暗黙の了解だったのだ。
当時「エルフの侵略」を訴えた貴族が生きていれば、「それみたことか」と嘲笑ったろう。
さすがに今の時代でそれを口にする貴族はいないが、報告に足を運ぶと現国王陛下も苦笑いだった。
『200年の平穏が生み出した結晶ゆえ、ヴァスティタの代表として慶び申し上げる。さすがに家督相続権を許すわけにはいかぬが……』
豊穣の杖の守護200年の功績を以って不問となったが、身の置き場に困るとはよく言ったものだ。
謁見の間で目を泳がせるなど初めての経験だった。
幸いなことに国王陛下は、ウルールの身の安全を第一に考えるよう仰ってくださった。
まあ、開き直るようで口にはしたくないが、ルットジャー侯爵家の長年の功績やソーネストの魔法円研究で国の豊かさが増しているというのも大きかったのだろう。
「おまえに罪はない。国王陛下も祝意を表わしてくださったのだ。
とはいえ、元凶の我が姪に悪びれた様子が未だないのが実に癪だがな……」
200年前の国王との約束や600年前の事件もあって、血統に関する問題はエルフィンも過敏だった。
それを知るルットジャーも、だ。
しかし我が姪ララーナはそんな監視を容易く潜り抜け、ソーネストと共に南の大森林で消息を絶ったのだ。
当時これは大きな問題となった。
なにせ南の大森林の主たる『精霊の樹』に、森の大司祭として認められた私メネデール・イスナ・エルフィンが、森の中に居る2人を見つけられなかったのだ。
『森には居る。だがそれだけ』
それが私に与えられた『精霊の樹』の唯一の応え。
そして1年後、2人は何事もなかったように赤子を抱いて帰って来た。
弟子の気持ちを新たにするどころか師が凹む事態に。