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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第二部 闇の皇子と緋色の花嫁
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番外編 隠された瞳―6

 髪をまとめ直し深く帽子をかぶると、廊下の隅を目立たないように歩く。ヴェガ様がどこからか手に入れて来た侍従用の服を身に纏い、少年の振りをする。

 話し込んだせいで、もう日も暮れかけていた。外宮でも夕食の時間なのだろう、厨房から良い匂いが漂ってくる。あたしは侍女の詰め所には近寄らないように注意しながら、遠回りして北東の外宮までようやくたどり着いていた。さすがに侍女をしていた頃に顔を知られている。いくら男の格好をしていたとしても古参の侍女にならすぐにバレてしまうだろう。

 荷車に部屋のゴミを集めて乗せて行く。

 ともかく、アレクシアの行動だけはどうしても気になった。何だか分からないけれど、嫌な予感がしたのだ。

 ヴェガ様が言う噂話についても気にはなったけれど……人の噂なんてそのうち収まるだろうし、いちいち気にしてても仕方がない。まあ、誰が流したかって……残っている妃候補の中だけで考えるなら、『彼女』しかいないと思う。


 外宮の北東は宮で働くもの、特に文官の部屋が集中している。父のような武官は一様に南の近衛隊の詰め所へと集められていた。城の北側が切り立った崖のため、そんな警備体制となっている。

 文官の部屋一つ一つは妃の部屋とは比べ物にならないくらい狭い。しかしさすがに重要な役職に就いているような人物となると違う。

 アレクシアもそのうちの一人だった。

 あたしの部屋よりも豪華かも……。あたしは部屋の掃除をしながら、そんなことを思う。床には毛足の長い上品な緑色の絨毯が敷かれていて、足元がとても暖かい。壁には見事な花の刺繍のはいったタペストリーが掛けられ、窓辺には色硝子で出来た大きな花瓶。そこには大輪の百合が生けられて良い香りを放っている。

 当の本人は夕食のため部屋を空けていた。あたしは手早くゴミを集め、さっさと部屋を出る。そして荷車に置いておいた新しいゴミ箱と部屋に置いてあったゴミ箱を交換した。

 ――よし。目的達成。

 何を持ち出そうかって考えたけど……これが無難な気がしたのだった。

 ゴミならなくなっても構わないし、ゴミ箱が多少変わっていてもおそらく気にしないだろう。

 あたしは荷車を押しつつ外宮を東側に回って部屋に戻ろうとした。

 自分の部屋の前を通り過ぎて、外宮の入り口が見えて来た時、聞き覚えのある優しげな声が廊下に響く。

 見ると、近くの部屋の扉が少し開いている。

「殿下はどちらにいらっしゃるの? 昨日もお部屋にいらっしゃらなかったけれど、まさか」

「……それが……」

「また、あの娘のところなの? 昨日もわざわざ牢まででしょう? 牢の中からでも誘うというわけ? 殿下もどこがいいのかしら……あんなアバズレ」

 あたしは深いため息をつく。

 どうしても慣れない。なんであんな優しげな愛らしい唇からあんな言葉が出てくるのかしら。

 ここまで外見と中身が違うとそれはもう、計算とも言えないかもしれない。多分彼女の魂は間違って違う容れ物の中に入ってしまったのだ。

「せっかく好敵手ライバルが都合良く一遍に消えて、もうあとはお子様と幽霊みたいな女だけだと言うのに。これではね」

 呆れてものが言えない。その台詞はあんまりじゃないかしら。あたしだってエリダヌスに対して良い感情は持っていなかったけれど……さすがに今はその死を悼んでいる。

「とは言っても……まあ、もう時間の問題ですものね。あとはお母様がうまくやってくださるだろうし。明後日殿下の隣に立つのは私で決まりだわ」

 そう言う彼女の声は自信に満ちあふれていて、何だか羨ましいくらいだった。彼女にはどうもいろいろ問題があると思うけれど、彼女なりに一生懸命で。欲しいものを何が何でも手に入れようっていう貪欲さはあたしも見習うべきなのだろう。本当にシリウスが欲しかったら……うじうじと待ってるだけじゃ駄目なんだ。

 今度のことはその典型だったのかもしれない。


 あたしはため息をつきつつ、部屋の前を通り過ぎようとした。

「ああ、ちょっと。これも持って行ってちょうだい」

「――!」

 飛び上がりそうになるのを押さえて、俯いたまま深く頭を下げる。

 部屋の扉がわずかに開き、ポンとゴミ箱が外に置かれた。あたしはそれを手に取ると、中のゴミを先ほどのゴミ箱の中に移す。くしゃくしゃになった紙の塊がいくつかその円形の筒の中に転がり落ちる。

 あたしは俯いたまま無言で礼をすると、そそくさとその場を去った。

 ああ……びっくりした。バレちゃったのかと思った。

 あたしは渡り廊下まで一気に通り過ぎると一息つく。もう辺りは暗くなり、空には星が燦然と輝いていた。空の中央でひときわ強く輝く星――それは、あたしの大好きな星だった。


 ――シリウス。


 明日。きっと彼は事件を解決してくれる。

 あたしは濃紺の天を仰いで深呼吸をした。

 あたし……待ってるから。あなたが『あたし』をその手で助け出してくれるのを。


 *


 ふと気がつくと、もう窓の狭い隙間から見える色が白く変わっていた。

 どうやら机で作業をしている途中に眠ってしまったらしい。

 ――力を使いすぎたかしら……。

 軽く頭痛がした。

 あたしはこめかみを軽く揉むと背中を反らし、軽く伸びをした。軽い音がして毛布が体から滑り落ちる。どうやらヴェガ様が掛けてくれたらしい。


 結局ゴミ箱から分かったことは、皮肉なもので、シェリアが噂を流した張本人だ、ということだけだった。しかもゴミ箱からではなく、回収したゴミから。そのゴミは、彼女が流した噂話の下書きが延々と書き綴られていたのだ。あたしが捕まったことで必要なくなったために、捨てたらしい。せめて破ってから捨てれば良いのに。

 ここまではっきりと証拠が出て来ると、いくらなんでも見過ごせない。

 あたしはその丸められた紙の皺を丁寧に伸ばすと大きくため息をつく。

 偶然とはいえ、手に入ったものだ。しっかりと利用させてもらうことした。

 だって……やられっぱなしは嫌だったし、シリウスをあの子に渡すのはもっと嫌だったから。


 それにしても……じゃあ、アレクシアはいったい何を企んでいるのかしら。

 あたしは見えたものを思い出す。


 ゴミ箱は机の下においてあったため、人物の足しか見えず、顔を見ることは出来なかった。

 聞こえてくる声は二つ。どちらも女性だ。

 一つは聞き覚えのあるしわがれた声。――セフォネだった。


『こういったものは受け取れません』

『そう言わずに』

『殿下は、おそらく見向きもしませんよ? 彼女に夢中なのですから』

『やってみなければ分からないでしょう。魔が差す、ということもあります』

『……とにかく、これは受け取れません。だいたい、どこからこんな大金を。それに……なぜ〈エリダヌス様〉なのです?』

『詮索は無用です。それでは言い方を変えましょう。黙って命令に従いなさい。閨に関しては、今は私が全権限を持っていることをお忘れなく』

『……分かりました。従いましょう。しかし……どうなっても知りませんからね?』


 ……大金って。つまり賄賂よね? それって、犯罪じゃ……

 ふと、妙なことに気がつく。

『あなたも北部出身なのでしょう?』確かシェリアはそう言った。

 シェリアがそうと言うことは、つまりその母であるアレクシアも――北部出身?

 となると、おかしい。

 北部の貴族は名ばかりで、貧しいのだ。アルフォンススがそうであるように。あたしは広いけれど古いあの家を思い出す。

 余裕なんか無いはずなのに……どこからそんな大金を?

 思い返すと、シェリアも妙にお金のかかった格好をしていた気がする。エリダヌスと並んで見劣りしなかった。

 ――誰かが、何かをしようとしている。その正体が見えず、気味が悪かった。


「……あら? 起きたのね。少しは眠れたみたいで良かったわ」

 その声に顔を上げると、ヴェガ様が食事を持って扉から入ってくるところだった。

 銀色のトレイの上から湯気が見える。

「朝食よ。昨日の夜はろくに食べてないんでしょう。で、どうだったの?」

 食事をしながら昨晩力を使って見たことを話した。

「収賄……ね。この頃はよくあるらしいけれど、なかなか尻尾がつかめないらしいのよ。でも……セフォネに持ちかけるって言うのは迂闊だったわね、彼女は陛下直属だと言うのに。それでも動きがないってことは……陛下が様子を見させているのかしら」

 あたしは手紙の内容を思い浮かべた。

 ――陛下は、すべてシリウスに見せるつもりなのかしら。そして、彼にそれを告発させようとしている? でも……

「陛下のお考えは分かるんですけど……なんだかすごく嫌な予感がするんです」

「実は私も。何かすごく引っかかるのよ。何か……アレクシアの背後で動いてるような」

 そう言うとヴェガ様は黙ってしまった。

 あたしもただ不安だけが一杯になってしまい、せっかくの食事ものどを通らない。

「それにしても……ひどい有様ね」

 ヴェガ様があたしが作業をしていた机を見てフフと笑う。

「……あ。すみません、すぐ片付けますから」

「ゴミに埋もれて眠ってるんだもの。これが未来のお妃だと思うと……おかしくって」

 そう言うと彼女はふと懐かしそうに目を細める。

「そういうところ、姉さんもそうだったわ。全然お妃らしく無くってね」

 なんだか……意外だった。おぼろげに昔を思い出しても、とても優しそうな方だったとしか覚えていない。

 それ以上は語るつもりも無いらしい。ヴェガ様はティーカップに紅茶を注ぐと、ゆったりとそれを飲みだした。そして優しく睨む。

「ほら、ちゃんと片付けてね? うちの侍女さん?」

 はっとして、いそいそと机に向かうと、丸められた紙や、千切れた書類、食べ物の包み紙など……大量のゴミを集めてゴミ箱へと戻して行く。ゴミ箱が目的だったので、大半が床にひっくり返しただけで放置したままだった。

 ……これは大変だわ……。

 ゴミ箱を抱えると一つ一つそれらを放り込んで行く。

「え?」

 ふと、頭にかすったものがあり、手を止める。

 あれ? ……今の……って

 あたしは手に握った、その丸められた書簡に意識を集中させた。……まさか。


 目に映るのは……赤い髪。深い皺の刻まれたその顔。筋張った指。

『首尾はどうじゃ?』

 そして、〈彼女〉が向かい合うのは、赤い髪に鋭い光をたたえた茶色の瞳。シリウスと似た、でも全く温度の異なる冷酷な声が聞こえた。

『ジョイアの近衛隊のやつに任せることにしてみた。たとえ駄目でも、こちらに失うものは無いからな』

 震える手でその紙を開く。


 それは書簡の切れ端。でも……その杯を象った紋章。あたしはそれをしっかりと覚えていた。母の部屋。その天井の模様。忘れたくても忘れられなかった。

 それは――


「――シトゥラ」


 そう呟いた次の瞬間には、あたしは扉を開け放ち、駆け出していた。



 ***



「それで、……飛び出したって訳なんだけど……」

「う、ん」

 眠そうな声に、「寝てた?」

 そう言いながらあたしが顔を見上げると、シリウスは急にはっと目を覚まして、誤摩化すように頭を掻く。

「あぁ、ごめん、僕から聞かせてって言ったのに」

「いいの」

 今日は儀式に披露宴と早朝から夕方まで忙しかったのだから、疲れていて当然なのに、彼は話をずっと聞いてくれていた。

「もう寝ましょう。明日でもいいし」

「いや、続きを。明日はまた朝から旅行の準備で忙しいよ?」

 旅行の間に話せば――そう言いかけたけど止めた。彼はあたしが話したいのを分かってるみたいだったから。あたし、なんだか、こうして彼の隣でゆっくり話が出来るのが嬉しくて、眠ってしまって、この夜が終わっちゃうのが勿体なくて。

 じゃあ、と続ける。寝ちゃったら寝ちゃったでいい。子守唄の代わりになればいい。

「でね、――ミアーとループスには随分お世話になったの」

「ループスって?」

「うん。父に言われて牢で護衛をしてくれてた人。一人でシュルマを助けに行こうとしたらついてきてくれたの」

「え? あ、警護……ってミアーだけじゃなかったんだ」

「うん。ミアーのことは気づいてたの?」

「なんとなくね。雰囲気があったから。レグルスが有能って言うくらいだし、あのくらいしっかりしてないとレグルスの下にはつけないような」

 あたしは頷く。確かに一癖あったけど、仕事は良くできる人だったと思う。

「彼女のことといい、今度のことは、ホント謎だらけで参った」

 謎の大部分は君だったけど、シリウスはそう言ってため息をつく。そして急にくすりと笑う。

「謎って言えば、この部屋の場所の意味――知ってた?」

「え?」

「実は一番近いんだ。本宮と」

「近い?」

 そんなわけない。あたしの部屋、ここは、外宮の一番隅っこで……

 首を傾げるあたしに、

「ほら、外宮は円になってるだろう?」

 シリウスは右手を天井に向けて空中に円を描く。その中心に点を打つと、「ここが本宮」、そしてそのまま斜めに指を動かして「で、ここが君の部屋」と線を引く。

「直線距離だと一番近い。僕はもう近道を知ってるから……毎日通うにはちょうどいい」

「毎日?」

「当然。それか、もうちょっと暖かくなったら君が僕の部屋に来てくれてもいい。とにかく〈毎日〉だよ」

 シリウスはそう言いながらあたしの首の下に左腕を通した。

 あたしが少し顔を赤くするのを見て嬉しそうに微笑むと、その手であたしの髪を撫でる。

「だって、何度もこうしたい。これから歳を取っても、ずっと、君と」

 そのまま啄むように口づけられて、あたしは頬を赤らめる。

 あたしだって、そう思ってる。だけど――――

「えっと、でも、今日はもう眠った方がいいんじゃないかしら? 疲れてるでしょ?」

 枕だった腕は、既に体に回されていた。腕に力が込められるのを感じて、あたしは焦った。

「君は疲れてる? ――僕は散々焦らされたから、さっきのじゃ全然足りない」

 その辺含まれると、反論できない。で、でもね。シリウスに任せてたら……朝まで眠れないと思うの。

 そう不安になりつつも、その腕の中は暖かく、あまりに快適で、どうしても抜け出す気にならなかった。

「あいしてる」

 彼は、とどめのようにそう口にした。その言葉は、彼が口にする度にやわらかく形を変えて、あたしたちに馴染んで行く気がした。

 鼻先が触れ合う。誘うように彼が目を伏せる。近づく唇に、あたしは静かに目を閉じていた。


〈番外編 隠された瞳 完〉

第3部はまたもやこの直後のお話となります。これを読んだあとに3部の序盤で「ぷ」と吹き出してもらえれば幸せです。


ここまでお付き合いくださいありがとうございました。(2010.4.17 改稿)

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