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闇の眼 光の手  作者: 碧檎
第二部 闇の皇子と緋色の花嫁
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番外編 隠された瞳―5

「じゃあ、――ひどいことはされてないのよね?」

 部屋の扉が遠慮がちに開けられて、ヴェガ様の熱心な質問はそれで最後になった。

 あたしが頷くと、ようやく彼女の周りの空気が柔らかく変わる。あたしはやっとまともに息が出来るようになる。まさかこんな話を人にするなんて――。額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。全身に変な汗をかいていた。ミアーに見られたことといい、なんか、この頃こんなことばっかり。

 扉から現れたのは父さん。もっと早く来てくれてたら……あたしは思わず睨むけれど、鈍い父さんはそれに気が付くことも無い。

「ええと……じゃあ、メンツもそろったことだし。本題に入りましょう。事件について話してもらおうかしら」

 ヴェガ様はやけに安心した顔で、そう言う。――うう、そんなにあっさりと本題って。じゃあ、さっきのは? 父さんが来るまでの暇つぶしだったりする? そんな訳無いと思いつつも、さっきの彼女の雰囲気を思い出すと完全には否定できない。

 あたしは気持ちを切り替えるべく、大きく深呼吸をすると、二人を見つめ、そして口を開いた。


「そうだったの……あの娘が」

「いったいどうして」

 二人して難しい顔をしている。それはそうかもしれない。あたしも意外だった。彼女は利用されていただけで、しかもそれを後悔して反省していると、事情を知っている誰の目にもそう見えていたのだから。彼女は被害者以外には見えなかった。だからこそ、宮に居続けられた。

 意志の弱そうな普段の姿を思い浮かべる。どう考えてもあの夜の彼女とは別人と思えた。

「あたしにも、はっきりとは分からない。ただ……もしかしたらルティが絡んでいるかもしれない」

 あのときの彼女の目を思い出すと、なんだか悲しくなった。

 もしシリウスに協力を頼まれたらあたしは断れるのだろうか。彼は自分のためには絶対そんなこと頼まないと思うけど、これから先、皇太子としてそういう決断を迫られることが無いとは限らない。その時は――あたしだって、彼のためなら何でもするかもしれない。

「ルティが?」

 その声にハッとして、あたしは頷く。

「となると……あなたを犯罪者として北方に流した後、もしくはその移送途中を狙っているのかもしれないわね。皇都にいればどうしても警備が厚くて手に入らないし、彼が潜入するには、もうどうしても目立つから」

「それに今は宮に入れる人物も限られている。以前の事件以来、新しく入る人間にはかなり厳しいチェックが入るんだ。アウストラリスの人間は特に。だから利用できそうな彼女を、という訳か。二度も利用するとは。彼女が今後どうなるかなんておかまい無しなんだろう。手段を選ばないのは相変わらずだ」

 父さんもヴェガ様もひどく不愉快そうな顔をしていた。顔を見合わせてそれぞれにため息をつく。

 ――シトゥラ、か。

 あたしは一体どうしたらあの血の呪縛から逃れられるんだろう。

「ただ……あたしはそれを知っているけど、証拠は無いのよ。陛下と約束したから、あたしは目撃者として名乗り出ることは出来ないし。証拠も無いまま出て行っても罪を逃れようとしているだけって言われるだけだし。現にあたしが一番怪しいんだもの。誰でもあの状況だったらあたしがやったって思うに決まってる。シリウスは証拠を見つけられるのかしら」

 さすがに心配になって来た。

 犯人を知ってその周りを調べるのと、知らずに調べるのでは労力が何倍も違う。

「イェッドが、ヒントを出したと言っていたけど、皇子に届いているかどうか」

「え? イェッド先生は犯人を知っているの?」

「いや……そんなはずは無いが。あいつのことはよく分からん」

 父さんは渋い顔をする。どうも嫌な思い出があるみたい。

 その辺は父に聞いても何も教えてくれないし、逆もそうだった。あまり隠されると、何かやましいことでもあるんじゃないかって疑ってしまう。



「あたしに出来ることって……ないのかしら」

 ひっそりと呟くと、「ないな」「ないわ」

 揃って即答された。

 そして二人はお互いに顔を見合わせる。どちらが言うか、譲り合っているようにも押し付け合ってるようにも見えたけれど、やがてヴェガ様があたしに言い聞かせるように口を開く。

「あのね。シリウスはね、あなたに守られたいなんて、思ってないの。むしろ……守りたいって、そう思ってるの。あの子はね、もう守られるだけの『お姫様』ではいたくないのよ。その気持ちは、あなたが一番分かってるんじゃないの?」

 父さんも続けて口を出す。

「お前が無鉄砲に飛び出せば、いくら皇子が全力で守ろうとしても難しくなるだろう。シトゥラが絡んでるんならなおさらだ。今度もしお前に何かあれば……戦になるかもしれない。そのくらいの自覚はもうあるんだろう?」

 ――戦。

 あたしは、何度も読み直して、もう覚えてしまった手紙の文面を思い出した。


『君のためなら、僕は何を捨ててしまっても後悔しないと思う』


 それにはジョイアという国も入っているのかもしれなかった。

 戦を起こさないとしても、おそらくその立場を捨てて、一人でアウストラリスに乗り込むくらいはやるに決まってる。

 ――絶対に、そんなことをさせる訳にはいかない。

「分かったわ……。大人しくしてる」

 二人の目を見ると、あたしは渋々そう言った。


 *


 蝋燭の光が心細く手元を照らす。窓はあたしのために閉じられてて、今どのくらいの時間なのかもう分からなかった。

 父は勤務に戻り、部屋にはあたしとヴェガ様の二人きり。

 あたしの左手には羽根のペンがしっかりと握られていて、カリカリと細かい音を響かせている。


 あたしは部屋の隅に置いてあった机に齧り付くようにして、自分の部屋から取り寄せてもらったイェッド先生の課題を取り組んでいた。


「あなた、妃になるつもりなら、遅れてる分を取り戻さないと。シリウスがいくら頑張ったとしても、あなたが間に合わないんじゃ、あまりに気の毒だわ」

 父が部屋を去ったあと、ヴェガ様にそう言われて焦った。

 確かに……あの量……間に合わないかも。

 あたしは、身のこなし方などはとりあえずヴェガ様に教わることにして、それ以外の知識を貰った資料から学ぶことにしていた。


「あなた、騎士になろうって訓練してた分、助かったわ……私じゃ護身術までは教えられないから」

 資料をめくるあたしの背中にヴェガ様の声が投げかけられる。


 聞くと、やはり宮にいる女性は一通り護身術を身につけることになっているらしい。シュルマのあの見かけ以上の腕はそういうことかと納得する。

 あたしは右手が駄目だから、このところ左手をとにかく鍛えることに専念していた。だって、シリウスに何かあったとき、やっぱり守ってあげたかったから。

 父やヴェガ様がなんと言おうと……やっぱりあたしはシリウスを守りたかった。

 今回はあたしがそうしようとすれば、邪魔になる。だからあきらめるしかないけど、これから彼の一番近くで過ごすのなら……万が一のときは身を投げ出してでも彼を守らないといけない。きっと怒られるから、誰にも言わないけれど、その覚悟は胸にあった。


 分厚い資料には、妃としての仕事について細かく書いてある。妃、特に正妃となると、宮で働く人材を取り仕切るのもその仕事の一つとなる。すべての役職の長となるのだ。今は正妃が実質不在だから、そのしわ寄せで人事に関わる役職につく人物が徐々に力をつけているという話もあった。

 例えば、外宮の管理官なども、その一人だった。つまりは……シリウスがどの妃を伽に呼ぶかを均等に割り当てるらしいけれど……。

 そんな仕事があるっていうことが、どうしても落ち着かない。その管理官は正妃に最終的にお伺いを立てるらしいのだ。……それに頷けるはずがない。

 シリウスのお母さんは、それをどんな気持ちで処理してたんだろう。


 あたしはため息をつきつつ現在その役職につく人物の名前をなぞる。

 ――アレクシア。

 何気なくその名の下を見る。小さく添えられた名前。それは家族の名前のはずだった。

「え? ……シェリアって」

 あのシェリア?

 銀色の髪、灰色の優しげな瞳が頭をよぎる。


 その思いも寄らない繋がりにあたしの胸が急に騒ぎだす。


 あの夜。エリダヌスは、シリウスの部屋を訪ねている。

 あの光景は思い出したくもない。でも……彼女が部屋を訪ねたということは、そういう手続きがあったはずだ。

 アレクシアは、自分の娘より先にエリダヌスを部屋に送ったことになる。

 でも、――それってなんだか変じゃない? だって、シリウスに気に入ってもらえないといけないのに、わざわざ後回しにするかしら。しかも、あれだけ色っぽい女性。悔しいけど、比べられたらどうしても負けてしまう。シェリアも華奢だったし、比べられるのはきっと嫌だと思うんだけど。

 ふと、シリウスがきっと比べただろうって考えて、嫌な気持ちになる。彼はぼうっとしてるけど、結構見てるところは見てるし……同性でもぎょっとするくらいなんだもの。男の子ならなおさらだ。

 あのときも……きっとすぐに違うって分かったはずだわ。なんだか、悔しい。


 それ以上考えると頭が茹だってきそうだったので、あたしは頭を振ってその想像を追い払うと、アレクシアの行動に思いを馳せる。

 なんでだろう。何か……別の意図があるとしか思えない。

「ヴェガ様……アレクシアって知ってらっしゃいます?」

 あたしは資料に目を通すのを中断して尋ねる。

 ヴェガ様は椅子に優雅に腰掛け、本を読んでいた。パタンと本を閉じると、彼女はあたしのいる机まで近づいて来る。

「名前は知ってはいるけれど。彼女がどうかした?」

 あたしは今思いついたことを訴える。

「それは……確かに妙ね。何が何でも妃にと考えているのだったら、その役職を利用しない手はないはずなのに。順番に大して意味はないと考えたのかしら」

「意味はあると思うんですけど……」

 あたしは不愉快になりながらエリダヌスの容貌を伝えた。

「だから、その順番は変だと思うんです」

「あの子、胸の大きさ気にしてたの? それとも、あなたが気にしてるだけ?」

 不可解そうに彼女は本題と関係ないことを尋ねる。

「シリウスは分からないですけど、あたしは……気にします。でもそれはいいんです」

 シリウスだって気にするに決まっている。

 そう思いながらむっつりと言うと、ヴェガ様はくすくすと笑う。

「あの子、たとえあなたが少年だとしても好きだって言うと思うけど」

「……」

 い、いくら何でも……そこまで貧弱ではない……はず。

 少しげっそりして話を続ける。

「何も出来ないけど、それくらい調べても良いでしょう? 宮の中なら安全ですし」

「うーん……まぁね。彼女あなたの顔よく知らないでしょうし。……それに、どうせならもう一つ調べたいことがあるのよね」

「何でしょう?」

「あなたに関する噂話の出所よ」

「え?」

 頭が切り替わらずにきょとんとすると、ヴェガ様は少し哀れみを込めた目であたしを見つめる。

「嫌なこと思い出させて悪いけれど、あなたも聞いたでしょう。このごろになって急に広がりだしたらしいの」

「噂って……あたしとルティがどうこうっていう……」

「侍女に聞いた分はそこにまとめてあるわ。……見ない方が良いと思うけれど」

 彼女はそう言うと目で机の端においてある紙の束をさす。

 あたしは一瞬ためらったけれど、その薄い束を手に取って何も書かれていない真っ白な表紙を開いた。


 そこに書かれているあたしは、シリウスを誑かす凄まじい悪女だった。

 シリウスを始め、ルティはもちろん、イェッド先生、その他近衛兵に至るまで、様々な男に色目を使って落としては、その後ゴミのように捨てる。過去の男性遍歴までねつ造されいて、しかも、どこから拾って来たのか、捨てられた男の証言まで書いてある。

 あまりのひどさに傷つくのを通り越して笑いが出て来た。

 これ……いったい誰のこと。

 とても自分のこととは思えない。

「これ……シリウスも聞いてるんですか」

「ええ。だいたいは」

 これじゃ……彼が不安定になっても仕方がないかもしれない。

 大げさに言われていると考えたとしても、所々、疑っても仕方がないような、イェッド先生との様子などが巧みに織り込んであった。

 父さんの古い友人だからといって気を許していたのは確かだし、そのことはシリウスは知らないのだ。親しげに見えて不安になっていたかもしれない。そこにこんな噂が耳に入れば……。

 あたしはため息をつきながら、呟く。

「いったい誰が」

「噂が広がりだしたのが、どうやらあなたたちが宮に戻って来てからなの」

 そう言うとヴェガ様は机の引き出しを開けて二つの書類の束を取り出した。

「これは、それ以前に広がっていた噂をまとめたものと、イェッドに持って来てもらった近衛隊の中で広がってる噂」

 あたしはそれに目を通す。

「これ……」

「そう。二つは一致するの」

 それは、シリウスがあたしをルティから無理矢理奪って妃にしたというもの。

 あの剣術大会の件を知っていれば、想像はできるような類いのうわさ話だ。

「ただ、おかしいのは……この部分。『成人の議の翌日二人で逃げた』なのよね。これ……知ってる人間は限られているわ。万が一流したのがミネラウバなら、真相を知っているのだから、こんな中途半端な情報は流れないでしょうし」

「……」

 誰か他に、そのことを知っている人間が紛れ込んでいるって言うこと? だとしたら、それは――

 いくつも考えなければいけないことがあって、混乱し始めていた。

 あたしが押し黙ると、ヴェガ様はため息をつく。

「とにかく、はっきりしているのは、侍女の中にだけ新しい噂が急激に広まっているってことなの」

「侍女の中だけ……」

「そう。つまりね、あなたたちが宮に戻って来てから……増えた侍女のことを考えればいいのよ」

 それは。――増えた侍女が噂を広めたとすると。

「噂の大元は……妃候補……ってことですか」



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